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第183話 神の加護

 陰陽師の大家『蘆屋家』、その秘宝にして秘奥が『星名録せいめいろく』だ。

 郷の奥深くにある宝物殿の底の底に眠るその目録に記されているのは、蘆屋家に連なるすべての術師が契約してきた式神たちの名前であり、今も継続する契約でもある。


 ゆえに、『道摩法師』の名を継いだものは星名録に記された式神を自由に召喚、使役することできる。しかも、通常の手順で召喚するよりもはるかに速く、かつ簡単に呼び出すことができる。


 それこそ、通常なら召喚に下準備が必要な『神格』でさえこうして即時に顕現させられる。

 蘆屋の郷で叔父上が『黄幡神』を即時召喚できたのもこの星名録との繋がりがあったからだ。これを手にできただけでもあの里帰りには意味があった。そう思うと少しは気が楽だ。


 さて、そんな星名録から今回オレが呼び出したのは――、


「――小人さん?」


 式神『スクナヒコナ』を一目見て、谷崎さんが禁句を口にした。絶対誰かは言うだろうなと思っていたが、まさかこの面子の中でもっともデリカシーのある谷崎さんが一番槍を務めるとは思ってなかった。


 ちらっと振り返ると、こんな巨大な胃袋に閉じ込められたという状況にもかかわらず、谷崎さんの瞳はキラキラと輝いていた。

 そういえば、谷崎さんもオタク方面ではかなりの雑食。ドラマCDでは自作の絵本を描いていたし、メルヘン系のジャンルも相当にいける口だった。


『あ゛!?』


 案の定、『スクナヒコナ』が谷崎さんをにらむ。

 式神として制御下にある上に、和魂にぎみたまなのでこの程度で祟ったり、呪ったりはしないはずだが……ああ、大丈夫そうだ。谷崎さんが純粋に自分をキラキラした瞳で見つめていることに気付いて機嫌を直した。


 まあ、谷崎さんの反応も当然と言えば当然だ。

 なにせ、オレの呼び出した式神はまさしく小人としか言いようのない姿をしているんだから。


 お椀の船に乗った身長三センチの小人。針の剣を手にして、着物を着ている。ここまでくれば日本出身の人間ならもうだいたい正体に見当がつくだろう。


 この式神の名は『小名毘古那すくなひこな』、あるいは『一寸法師』。古いおとぎ話の英雄であり、その起源は神代の時代にまでさかのぼる。

 歴史の深さ、神格の高さは星名録に記された中でもトップクラスだ。


 といっても、戦闘能力に関してはそうでもない。破壊力も概念的な攻撃力も身長相応でしかない。

 それでもこの状況で呼び出したのは他に期待している要素があるからだ。


「あ、そういうことね。基本ではあるけど、さすがの応用力!」


 リサも気付いたのか、若干、キャラが崩れる程度にはテンションが上がっている。

 相手の弱点を突くのは、戦いの基礎であり探索者の初歩だ。今回の場合はその発展形として、強引に解釈を拡げて相手の弱点を捏造することにした。


「神格をこれだけの短時間で……いえ、それより、作戦があるならはやくやってくれます? 胃酸とガスはともかく匂いに耐えられません」


「ああ。任せてくれ」


 ユカリさんに急かされて、スクナヒコナにコマンドを下す。

 通常、高位の怪異を式神として括る場合、相手の強大さに応じて魔力消費が高まるものだが、今回の場合は比較的スムーズに命令が通る。おそらくスクナヒコナにとってもこの状況こそが自分の本領発揮だと理解しているからだろう。


 指示の内容は『ここからオレ達を出してくれ』というシンプルなもの。普段はもっと具体的に指示を出すんだが、相手はこういう状況から脱出するプロだ。任せておいて間違いない。


 伝達と同時に、『スクナヒコナ』が動き出す。針の刀を高く掲げ、全身から光を発した。

 まるで妖精だ。いや、彼の起源の古さを考えればむしろ逆なのかもしれない。


「おお、早いな」


 厳徹殿も感心するほどの速度で光の球は巨大な臓腑の中を駆けていく。

 その軌跡に残されるのは無数の斬撃。傷跡一つ一つは文字通り、針の刀で付けた小さな傷でしかないのだが、概念的には違う。


 昔話曰く『鬼に呑まれた一寸法師はそのはらわたを針で突き、痛みに耐えかねた鬼は一寸法師を吐き出した』。

 ここに再現されるのは、その物語。異界の中で物語が大きな力を持つことはこれまでの戦いで幾度となく実証済みだ。


 同源會の大道士はおとぎ話の鬼そのものではないが、問題はない。

『鬼』という言葉は本来『あやしきもの』、『この世ならざるもの』それら全般を指すもの。人や怪異を喰らう術師などまさしく『鬼』だ。


 であれば、結末は決まっている。


「お、おお!? こりゃすげえな!」


 数秒もしないうちに、厳徹殿が驚きの叫びをあげる。

 オレたちを呑み込んだ巨大な臓腑が奥底から震えている。ずんずんという音が聞こえてきそうなこの振動は世界そのものが揺れているがゆえだ。


 内部でこれだけ揺れているんだ。本体であるあの道士の苦痛たるや想像を絶するものだろう。

 事実、オレよりはるかに長い年月を術の研鑽に費やしてきたであろう大道士様が術を乱している。痛覚を麻痺させようが、遮断しようがどうしようもない苦痛を味わっているからだ。


 ざまあみろだ。オレの推したちを消化しようなんてするからこういう目にあう。

 

 そうして、揺れが数秒間続いたかと思うと、臓物色の世界が急速に色あせていき、コンクリート色の壁が戻ってくる。同時に『スクナヒコナ』に念話で感謝を伝えてから送還する。呼び出しだけならともかく維持するのには魔力消費がでかい。

 悪臭はまだ残っているが、それも大本を断てば消えるだろう。


「リサ!」


「わかってる!」


 切り替わった世界には道士の姿はなく六占式盤にも反応はない。だが、リサならば追える。彼女の優れた嗅覚ならば零れた血の匂いをたとえ100キロメートルさきからでも嗅ぎつけられる。


「見つけた! 上に逃げてる!」


「っ! 先生と叔父上の方か! 追って仕留めるぞ!」


 すぐさま号令をかけるが、さきに厳徹殿とユカリさんは走っている。

 だが、それよりなおも早いのが、紅く輝く狼だ。


 美しき獣の名は『軍神聖狼マルスズ・ルプス』。かの軍神の実の娘であるリサはその血を励起することで、狼の姿へと変じることができる。


 今みせている四足の狼としての姿はその一部。速度と追跡に特化した形態であり、その速度はアオイの最高速さえも上回っている。

 くわえて、狼となった彼女ならば父である『軍神マルス』の権能を扱える。今発揮しているのは彼の司る『火星マーズ』の権能、すなわち重力の軽減だ。


 ……ついこの前、練習中だと言ってたんだが、もう使いこなしている。もとの『朽上理沙』のセンス、才能に『ゴマさん』の知識と意欲が加わっているから当然と言えば当然の成長速度なのかもしれない。

 しかし、この勢いだと今に追い抜かれないか、オレ。


 そのことを見せつけるかのように、リサは軽やかに宙を舞うようにしてオレ達を先導する。

 そうして、二階分ほど階段を上がると、そこに件の道士がいた。


「お、おのれ……!」


 最初に目撃した木乃伊みいらが地面を這いずっている。口からはどす黒い血が零れ、わだちを引いていた。

 『スクナヒコナ』の与えた傷には治癒阻害の効果もある。今回の場合はそこに伝承による特効も乗っているから、大道士と呼ばれるほどの術師でも治療は容易じゃない。


 後はとどめを刺すだけだが、油断はしない。周囲一帯には山本五郎左衛門の影を展開して、いつでも影の中に隔離できるようにしておく。


 懸念点としては、この道士を殺すことで異界全体になにかの影響が及ばないかが気になるが、おそらく大丈夫だ。

 ここが本当に過去の世界ならタイムパラドックスとか、平行世界への分岐とかも考えないといけないが、幸いここは局長が魔術で再現した空間。オレたちが干渉することは前提としているから、登場人物を一人殺したからといって強制終了ゲームオーバーにはならない。


 だが、こちらが動くよりも先に事態が動いた。


「トドメは任せなさい。きちんと首を刎ねて――」


「――警戒態勢! 窓だ!」


 展開していた影が探知したのはビルの外からこちらを見つめる視線。窓越しであっても、邪眼が発動するには十分だ。

 派手に魔力を使ったせいで、外で戦っていた『百目鬼どうめき』に気付かれてしまった。


 邪眼がこちらを視認してから呪いが発動するまでのタイムラグはコンマ1秒。オレのカウンターが間に合うかどうかは賭けだが、幸いにも、この状況に対応できる実力者がここにはいる。


「『ダゴン』!」


 瞬間、谷崎さんの背後から突如として姿を現したのは、蒼く輝く鱗を持った逞しき『神格』だ。


 人型でありながら、いわゆる魚の特徴を併せ持つ『半魚人』。されど、本来は古く高きメソポタミアの偉大なる神であるもの『ダゴン』。

 奇縁ゆえに谷崎しおりの守護を使命とする彼がこの状況を見過ごすはずがない。


『オオオオオオオオ!』


 雄たけびと共に展開されるのは美しき水のヴェール。薄く半透明なそれは実際には鋼鉄以上の硬度を持つ盾であり、鏡でもある。


 そう、鏡だ。伝説においてあまたあるように鏡は視線をはね返す。


 これ以上ないほどに適した呪い返し。『改造百目鬼』にも当然呪いへの耐性はあるだろうが、ダゴンの方があらゆる面で上回る以上、この呪い返しは効果てきめんだ。


 『百目鬼』の巨体が即座に石へと変化していく。

 やはり、移植されていたのは『石化の魔眼』か。ポピュラーだが、それゆえ強力で不意打ちを食らわせれば簡単に勝負は決する。


 おそろしいのは、百目鬼の肉体に点在するすべての魔眼が何らかの魔眼に改造されていること。手間も暇も恐ろしいほど掛かっているのに、そのくせ使い捨てにしているのがまさしく『教授』って感じがする。ここでこうして始末できたのは、谷崎さんの大手柄だ。


 ちなみに、オレ達と『百目鬼』の間にいた道士は完全に石化してしまっている。こうなると蘇生はできない。芯まで石になって即死だ。

 普段なら自前の魔力や術で弾けてたんだろうが、まあ、あの状態じゃどうにもならないか。


「ナイスだ、谷崎さん。助かった。ダゴンもありがとう」


「う、うん、練習してたやつ間に合ってよかった……」


 ほっと息を吐く谷崎さんとこの程度当然だ、という顔をしている気がするダゴン。

 毎度毎度の特訓と度重なる激戦のおかげで谷崎さんとダゴンの絆もどんどん強まっている。このまま深化していけば原作の終盤のようにダゴンを完全顕現させることもできるようになるし、あるいは、別の形を与えることも可能になるかもしれない。


「あ、蘆屋君のおかげだね。ダゴンのことだんだんわかるようになってきた」


「いや、谷崎さんの才能さ。オレがしたことなんてアドバイスくらいのもんだ」


 事実、谷崎さん、そして、リサも勝手にどんどん強くなるから隊長としての威厳を保つのに苦労するくらいだ。

 さすがは原作ヒロイン。なんだかんだでびっくりするほど天才、かわいい、尊い。


「……状況はどうですか?」


「ああ、周囲にほかに気配はない。2人と合流しよう」


 ユカリさんに現状を聞かれて、答えを返す。

 考えながらも式盤と影で周囲を探っていたから確認はできている。残る敵対勢力である『殉教騎士団』も『百目鬼』に手を焼いたのか、今はここから少し離れた広場に移動している。あれだけ混沌としていたこのビルの周辺も今は静かだ。


 だが、この静寂が長く続くかというとそれはない。

 そもそもここには潜伏している叔父上と巫女田先生を拾いに来たんだ。それを済ませたらさっさと移動しないとな。


 ……でも、あれだな。いざ叔父上の若いころに会うと思うと緊張して来たな。こっちの複雑な感じを悟らせないように気を付けないとな……、



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