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第182話 大道士

同源會は唐土たいりくを発祥とする術者の結社だ。

 創始者は今から二千年以上前に実在した『道士』。当時の皇帝の食医であったその人物は、食に己が道を見出した。


 すなわち、怪異や術者を食らいその異能を己のものとし、より高位の存在を目指す術。解体局において『捕食魔術』と定義されるその異能は習得するだけで中級の怪異『禁域』に分類されるほどに強力だ。


 事実、オレが4月に遭遇した道士は初歩の初歩といえる術しか習得していないにもかかわらず異界因であった『鬼』を食らい、そのまま異界因に成り代わるほどの怪異に成長していた。

  あの時はその場の戦力で討滅できたが、仮に逃がしていたらかなりの脅威になっていたはずだ。


 ……そのかなりの脅威が、今目の前にいる。

 ここに至るまでオレの探知をすり抜けたという事実と佇まい、放つ魔力の質がこの木乃伊ミイラ野郎の実力を物語っている。


 設定集で言及された同源會の『十一人の大導士』。こいつはおそらくその一人だ……!


「――さて、どうしてくれたものかのう」


 ビルの吹き抜け、三階部分から道士が飛び降りる。

 重力など存在しないかのようにふわりとした着地。羽毛が上から降ってきたかのように何の音も衝撃も伴っていない。


 術で同じ現象を再現することは簡単だが、おそろしいのは今の現象に一切魔力が発生していないことだ。


 なにをどうやったのか、まるで分らない。

 単純にミイラな分、体重が軽い? いや、それだけじゃああはならない。


 ……逆に、相手が同源會である以上、その目的は透けている。

 大規模な異界には強力な怪異や異能者が付き物。同源會の道士にしてみればこの世界の終わりはホテルのビュッフェか、バイキングのようなものなのだろう。


「なるほどなるほど。満漢全席とはいかんが、腹は膨れるか。それに、異境の神格が二つ。新しい味はよい、心が躍る」


 禍禍禍と木乃伊の口角がゆがむ。文字通り、味見されている感覚に背筋が泡立つ。こっちもそれなり以上の戦力だと自負しているが、こいつにしてみれば皿の上に盛られた料理と同じらしい。


 ……いろんな意味でなめている? いや、それもあるがそれだけじゃない。なにかある。


「……逃げ場、ないよね」


「ええ。やるしかないわ」


 谷崎さんとリサが戦闘態勢をとる。

 2人とも強力な神格の加護を宿している。強力な異能や怪異を喰らうことを目的としている同源會の道士にしてみれば最高のごちそうに見えているはず。2人もそれを理解しながら一歩も引かない構えをとっている。さすがだ。


 ……2人だけでも逃がしておきたい気持ちもあるが、外に逃げ出しても殉教騎士団と怪異が今まさに戦闘中。ここ以外の場所も安全とは限らない。

 それに、叔父上と巫女田先生の反応は依然としてこのビルにある。ここで逃げ出しても手掛かりが遠ざかるだけだ。リサの言う通り、やるしかない。


 ――というか、こっちの指示より先に動いている人もいる。


「どれ、まずは前菜から――っ!?」


 二重の剣閃が煌めく。次の瞬間、道服を着た木乃伊の小さな体が()()る。だるま落としのように肉体が崩れ落ちた。


 ユカリさんと厳徹殿だ。オレが何かを言う前に刀を抜いて、切り掛かったのだ。

 神速の居合。人間の動体視力を越える速度で一撃で敵を両断するこの技はアオイもまた得意としているものだ。


 大抵の怪異や術師ならば、これで決着。首と胴体を輪切りにされてよみがえるやつはそうはいないし、2人ほどの剣士の放つ斬撃は魔術や異能の概念さえ断つ。それを受けて再生するのは並大抵の存在じゃ無理だ。


 もっとも、今相対しているのはそういう並大抵じゃない敵だ。

 ああ、くそ、オレの敵、こんなのばっかだな……!


「――東夷とういはやはり野蛮よな。食事の礼も知らんと見える」


 案の定、切断された木乃伊が口を開く。余裕たっぷりな口ぶりからしてダメージはないらしい。

 もっとも、こっちとしてもこんなのは想定内。講釈垂れている間に追撃をさせてもらう。


「落とせ、『山本五郎左衛門さんもとごろうざえもん』」


 常に影の中に待機させている式神『山本』を動かし、バラバラの木乃伊を呑み込む。

 山本の影の中にあるのは無限の空間。中に落ちてしまえば延々と落ち続ける。捕食魔術を使おうにも食べられるものなど何もない、どこにもたどり着けずに朽ち果てるだけだ。


 ……これでトドメになってくれればいいんだが、そううまくはいかないか。


「禍禍禍! 東夷の猿真似など効かぬわ、たわけめ。我は道士、貴様の術などすべて看破しておるわ!」


 木乃伊の肉体は完全に消えたにもかかわらず、どこからか声が響く。念話じゃない、近くにいて自分の声で話している。

 

 ……やっぱり、オレが仕掛けたら反応したな。

 まあ、歴史的にはオレの扱う陰陽道の源流は大陸の道術であるのは事実。千年単位でそれを扱っているのだから、オレの手のうちは避けていると考えるべきだ。


 といっても、最初は真似事でも後々勝手にローカルルールやらアレンジを付け加えまくるのが日本人だ。今のうちに、なめ腐るだけなめ腐ってくれた方がこっちは助かる。


 打ち合わせるまでもなくオレたち5人は1か所にまとまっている。互いに背中を預け合って守り合うのは探索班としての基本だ。


「リサ、匂いはどうだ?」


 オレの六占式盤では本体の場所を感知できない。しかし、リサの嗅覚なら――、

 

「……ダメ。全体に散らばりすぎてる。というか、ここ、臓物の匂いしか――」


 臓物の、匂い……? しかも、全体に散らばっている? それはつまり――!


「『腑界ふかい胃界饕餮いかいとうてつ』」

 

 瞬間、巧妙に隠された術がその正体を現す。膨大な魔力のうねりと共にこのビルの内部に展開されていた偽装セカイがはがされていく。


 そうして顕現するのはおぞましき臓腑の世界。今まで存在していたビルの壁、床、ありとあらゆるものが臓物色の肉へと変換されてしまった。


 ……いや、変換されたというのは正しくない。オレたちが飛び込んだその時からこの場所はあの道士の臓腑のうちだった。つまり、罠にはめられた、というわけだ。


 …………風の噂に聞いたことがある。同源會の道士の中には己の心中異界と外界を入れ替えることができる術師がいると。

 今起きている現象はまさしくそれ。であれば、これから起こることも予想できる。胃の中に入った食べ物は消化されるのが自然の摂理というものだ。


 が、そんなものはオレが認めない。この木乃伊は許されないことをしている。


「っ毒ガスに胃酸ですか。気色の悪い!」


 ユカリさんが心底忌々しそうな声で言った。

 まったくの同意見だ。にくにくしい壁も下からせり上がってくる黄色の酸も、周囲を満たす毒々しいガスも、なにもかもが気持ち悪い。

 

 なにより、こんなものでオレの推したちを害そうというのが我慢ならない。彼女たちに浴びせていいのは最高級の天然水か、あるいはシャンパンくらいだ。木乃伊の胃酸なんて原作者が許したとしても、この光のオタク(オレ)が許さない。


「――全員、オレの側に。結界を張った」


 無数の人形を展開、その補助を受けて結界を発動させる。


 霊的干渉、物理干渉の両方を弾く『八卦方陣・五芒ノ備』。

 四辻商店街で使用した結界を改良したもので、範囲を狭める代わりに即時展開、物理干渉への耐性を持たせた万能結界だ。


 こいつの開発には盈瑠みちるの力も借りたし、蘆屋の郷の宝物殿で得た知識も応用されている。この『胃界』の中でも数分はもつ。

 まあ、こんな場所にそんなに長く留まる気はないが。


「随分落ち着いていますが、予想していたのですか?」


 ふつふつと怒りを燃やしていると、ユカリさんがいぶかしむ。

 無理もない。想定外の事態ではあるんだ。あまりにも動じてない人間がいれば怪しくも見える。


「いいや。備えをしているだけです。あと、驚きよりも腹が立っていますので」


「…‥‥なるほど」


 オレの答えに眉をひそめて曖昧な表情をするユカリさん。オレでも自称未来人がこんなことを言ったら『なんだこいつ』と思うだろうな。


 ……ぶっちゃって言えば、相手が同源會の道士という時点でこういう想定はしていたし、こっそり準備もしていた。


 術への干渉も、発動前の離脱もできずにみんなをこんな気色の悪い場所に取り込ませてしまったのはオレのミスだ。

 ミスではあるが許せないものは許せない。なので、一泡吹かせるのとここからの脱出に関しては責任を持つ。


「『かしこみ、かしこみたてまつる』」


 六占式盤を通じてえにしを辿る。

 ここは異界、それも時間と空間を隔てた限りなく近く限りなく遠い果てだが、術師と式神の繋がりは断たれていない。


 であれば、呼べる。

 蘆屋の郷に保管された『星名録せいめいろく』。そこからこの状況において最適な式神をこの場へと招く。


 全身の血管を魔力という熱が駆け巡る。光が空中に五芒星を描き、輝きを放った。


 そうして現れるのは――、


「『出でませ、神よ。スクナヒコナよ』」


 国造りの巨人でも荒ぶる黒龍でもなく、掌に乗るような小さな小さな、お椀の船に乗った『小さな神』だった。


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