第180話 爆心地
強烈な殺気に背筋が粟立つ。
心拍数が急速に高まり、死の予感に魔力が熱を帯びていく。
以前アオイと相対した時と同じ感覚だ。
術者の天敵たる存在との対決は他の怪異や術者と向き合うのとはまた別種の緊張感がある。
それほどに目の前の女性は強い。見た目だけじゃなく充溢する魔力の質も量もアオイと瓜二つ。この間合いで踏み込まれたら、こっちの首と胴は泣き別れになりかねない。
無論、対策はしてある。
至近距離での白兵戦にどう対応するかは術者全体の課題。付け焼刃じゃない対抗策を長い時間をかけて編み出した。それをここで試すってのも悪くない。
……悪くないが、今はやめておく。
かなりの高確率で、目の前の女性はオレたちの敵じゃない。味方だと言い切るのは難しいが、少なくとも敵対する必然性はない。
まあ、問題は相手側にもどうやってそう思わせるかなのだが。
というか、オレの直感が正しければ、この人は――、
「こんな異界に、学生服姿が三人。巻き込まれた一般人、ではありませんね。その魔力、気配、かなりの使い手と見ました」
かちゃりと鯉口の音がする。
明らかにやる気満々。こちらが一瞬でも隙を晒せば、その瞬間には踏み込んでくる。生粋のバトルマニアらしい蛮族っぷりだ。
……いくら親子といってもそんなところまで似なくてもいいだろうに。
とりあえず臨戦態勢の背後の2人を抑えて、一歩前に出る。こういう時はクソ度胸だ。
「まあ、とりあえず斬ります。正体を確かめるのはその後でもよいでしょう」
「待ってくれ、オレたちは解体局の人間だ。『山縣ユリエ』さん」
イチかバチかの賭けで彼女の名前を口にする。場合によっては余計に怪しまれるだけだが、話し合いの余地が生まれる可能性もある。
『山縣ユリエ』。それはかつて解体局に所属していたある剣士の名。彼女は名門山縣家の娘であり、我が最推し『山縣アオイ』の母親でもある。
つまり、今目の前にいるのは、オレの義理の母ともいえる女性だ。それも20年前の姿の。
まさかこんな形で遭遇することになるとは思ってもみなかったが……、
「……なぜ、私の名を知っている。怪異の類か……!」
案の定、警戒心マックスで刀を抜くユリエさん。
よく見れば、アオイが普段使いしている太刀と同じものを使っている。博物館に収蔵されている宝刀、その影打ち。伝承と力を写し取った影は伝説通りの力を発揮する。
つまり、オレの首どころかこのビルだって簡単に両断できるってことだ。
だが、臆してはいられない。ユリエさんと戦う気はない。ここが異界で、彼女が再現された存在に過ぎないとしても、アオイの母親を傷つけるような行為はオレの矜持に反する。
「違う。オレたちが人間なのはあなたの感覚で分かってるだろう? それに、術で読んでいるわけでもない。貴方の名前を知っているのは、貴方の娘さんに聞いたからだ」
「……は?」
ユリエさんだけじゃなくて、背後の2人も動揺する。まさかオレがオレたちが未来の存在であることまで話してしまうとは思ってもみなかったのだろう。
しかし、嘘を吐くという選択肢はない。
なぜなら相手はあのアオイの母親だ。嘘偽りをたちどころに見抜く慧眼は母親譲り。であれば、言葉を弄して丸め込もうとすればそれこそノーチャンスだ。
なので、ここですべきことは話せることをすべて話してしまうこと。ここが20年前の異界を再現した異界であること以外は話してしまって差し支えはない。
「……つまり、あなた方は20年後の未来から来た私の娘の学友で、ここには未来で起こる事件を解決する手掛かりを得にやってきた、と、そう信じろというわけですか?」
「そうです。ほかに表現のしようもないので」
オレが素直に答えると、ユリエさんは怪訝そうに眉をひそめる。
……まあ、いい兆候だ。ここまでの感じからしてユリエさんの性格はアオイに近い。いや、正確にはアオイの性格がユリエさん譲りなんだろう。とにかく、その性格的に考えれば、考える余地がないんであれば、即座に切り掛かってきている。
「……だんだん面倒になってきました。いっそこのまま――」
といっても、やはりアオイのママだ。面倒になるととりあえず刀で解決しようとする癖も似ている。殺そうとまではしないだろうが、行動不能にされるのはそれはそれで困る。
……一戦もやむなしか。
倒したり、傷つけたりせずともこちらの力を示して今は争っている場合じゃないと証明できれば、また別の交渉の余地も生まれるはずだ。アオイもそういうところがある。割り切れ、オレ。
「――おいおい。短気はやめてくれよ、相棒」
だが、開戦直前、聞き覚えのある声が割り込む。
ユリエさんの背後の影から姿を現したのはスーツ姿の青年。腰には大小の打ち刀を差し、ユリエさんにも劣らぬ強烈な気配を放っている。
顔の傷はないが、考えるまでもなく誰かは分かる。
若き日の厳徹殿だ。彼がこの日この場所にいたことは分かっていた。
それに、カップリング的にもユリエさんを相棒なんて呼ぶのは厳徹殿以外にはありえない。並んでいる姿もお似合いで、新たな推しカップル誕生だ。
「そりゃこいつらの言っていることの真偽は怪しいが、状況が状況だ。猫の手でも、未来人の手でも借りたい」
「厳徹。貴方のそのいい加減なところどうかと思いますよ」
「でも、そうだろ? 道綱と朱子ちゃんとははぐれちまったんだ。いくら俺らでも二人じゃこの異界はしんどい」
ユカリさんをなだめつつ、厳徹殿が間に立つ。厳めしい顔に人のよい笑みを浮かべているが、ちゃっかり刀の柄に手を掛けている。
気配を殺して話を聞いていたんだろう。
これだから一流の武芸者は厄介なんだ。術や異能なら魔力の流れの変化や術の残渣反応で検知できるが、単純な技術で隠れられると逆に感知が難しい。そういう意味でもオレのような術者には天敵といえる。
しかし、そうか、叔父上と巫女田先生は別の場所にいるのか。
叔父上、厳徹殿、巫女田先生の三人が同じ探索班に所属していた可能性は考えていたが、そこにアオイの母親であるユカリさんも加わっていたというのは驚きだ。
もっとも、この場に叔父上がいないというのはオレたちにとっては好都合ではある。
「全面的に信用してくれ、とは言わない。だが、こちらとしてはあなた方と敵対しても何のメリットもないということは理解してほしい。そちらとしても、それは同じじゃないか?」
「まあな。正直言うと、口が回る術師は信用しないようにしてるんだが……今回ばかりは心情を曲げるか」
厳徹殿の左手が刀から離れる。彼がそうするとユカリさんもため息を吐いてからそれにならった。
……どうにかなったか。味方とは言い切れないが、この状況で協力者を得られたのは不幸中の幸いと言える。
戦闘能力も折り紙付き。この面子なら大抵の怪異は怖くない。
「分かってるだろうが、俺達の目的はこの異界の調査と解体だ。まあ、そのためにもまずははぐれた仲間と合流したいんだが……そこらへんは期待してもいいんだよな?」
「任せてくれ。リサ、谷崎さん、補助頼む」
さすがは解体局の探索者。こういう時に術者が便利に使えることをよく理解してらっしゃる。
まあ、こっちとしてもいい加減、この異界全体を把握しておきたい。これだけの戦力が揃っていれば逆探知されてもリスクは最低限で済むしな。
「――『六占式盤』展開」
印を結び、式盤を再展開。異界全体の魔力の流れに術の気配を紛れ込ませ、そこから慎重かつ迅速に感覚を拡げていく。
……うへぇ。軽く探査した時からわかっていたが、神域の魔力量を持つ存在がここら辺一帯を平然とうろついている。異界の深度としては文句なしの『不可知域』に達している。
「確かに言うだけはありますね。精度では道綱より上では?」
「ああ。見たところ俺らより年下なのにやるもんだ。ことが済んだら手合わせもうしこむか」
「わたしが先です。貴方、寸止めなんてできないでしょう?」
それはそれとして、義理の両親の会話が物騒すぎる。
必要な情報を得て、異界を解体したら一目散に逃げ出すとしよう。まあ、原作では描写の少ない親世代の戦闘が見れるのなら、それもそれで悪くないと思う自分もいるのだが――、
「――見つけた。そう遠くない場所だ」
そんなことを考えていると、道綱叔父と巫女田先生と思しき気配を捉える。
……2人とも無事だ。気配の変質もない。オレたちが知らなければならない事態が起きるのは、まだ先と見ていいか。
「移動しよう。まずは合流して――」
しかし、式盤を収納しようとしたその瞬間、強大な、あまりに強大に過ぎる存在を感知する。
それが現れたのは、ここから離れた東京タワー。膨大な魔力が収束し、その直上の空間が歪んでいる。
極大サイズの転移門だ。その向こうに広がるのは――、
「……宇宙空間。これが恐怖の大王ってわけか」
予言に曰く『1999年の七の月、空から恐怖の大王が降りてくる』。そして、空とは『宇宙』とも解釈できる。
宇宙から来る何者か。その正体が侵略者であれ、隕石であれ、世界を終わらせるに足る存在であることは間違いない。
くそったれ。なんでもありにもほどがあるぞ。