第179話 世界最後の日
異界内部に限っていえば、過去への時間遡行はそう珍しいことじゃない。
都市伝説においても踏み入ったら過去の世界だったというパターンがいくつかあるように、『過去』という過ぎ去った昔は人の認識を構築し、現実を歪める力が強い。そのため、異界内での時間旅行、特に過去への遡行は比較的容易だ。
実際、オレが遭遇した異界の中にも過去への遡行を要素として含むものはあった。
例えば『四辻商店街』。あの異界の中核になっているのは『郷愁』だ。故郷を懐かしむという行為そのものが過去への感情である以上、そこには過ぎ去った時への回帰という要素が少なからず含まれる。
その点で言えば、過去の事件を再現する『鏡月館』の異界も疑似的な時間遡行を行っているともいえる。
だが、今オレたちが放り込まれているこの状況はそれとは規模が違う。
今ここに再現されているのは『1999年7月某日の東京』の、いや、その日世界を覆ったであろう『超巨大異界』のすべて。異界という容器があるとはいえ、一つの世界を丸ごと再現するのはまさしく絶技だ。
その証拠に地平線の向こうにまで世界が続いているのが確認できる。その当時内部にいた人間も忠実に再現されていると見ていい。
これならばまだ一からオリジナルの世界を創造する方が楽だ。一次創作と二次創作の違いと言ってもいい。一見すると後者の方が簡単なように思えるが、他人が創ったものを隅から隅まで把握し、完璧にエミュレートするのは神にだって難しい。
そんな奇跡をこともなげにやってのけるのが『七人の魔人』の、いや、解体局局長の実力だ。
理屈としては理解できる。螺旋図書館にある情報を媒体として世界を書き換えているのだろう。
だが、それをやるには世界中のスパコンをつなぎ合わせた以上の演算能力と無限の魔力が必要になる。しかも、局長は魔人としての権能ではなく、術者としてこれらのことを為している。なにをしたのか理解できる分、余計に恐ろしい。
その一方、オレにはなぜそうしたのかも理解できる。
オレに99事変についての情報を与えるためだ。魔人でもある局長の口からは事の顛末は語れない。だから、直接経験させ、自分で調べさせる。
……まあ、合理的すぎて、こっちには身構える時間もなかったわけだが。
………いや、全てが局長の予定通りというわけではない、と思う。ここに放り出される直前に目撃した『フロイト』の姿、あれが幻覚だったとは思えない。
だとすれば、今回のこの『体験学習』にも妨害が入る可能性が高い。
……疑問は尽きないし、危険はある。けれど、この機会を逃がすわけにはいかない。だが――、
「蘆屋君……わたしたち、どうすれば……」
「とにかく、安全優先でいこう。もう少し状況を把握したいしね」
谷崎さんの問いに答えてから、オレ自身もそう自分に言い聞かせる。
ここにはフロイトの正体に繋がる手がかりがある。それを逃すわけにはいかない。
だが、それ以上に、リサと谷崎さんを危険にさらしたくない。そこはオタクとして譲れない。
2人を巻き込んだのが局長かフロイトかは分からないが、どっちでも許しがたい行為だ。
……この窓枠から見える範囲だけでも『神域』か、あるいはそれ以上の魔力反応がある。
なるほど、これだけの実力者が市街地で争うなんてそれこそ世界の終わりだ。一般市民の巻き添えもかなりの数になったはず。これだけの事件をどうやって隠蔽したんだか……、
「いや、ここは積極的に動いた方がいいでしょ。その局長が味方で、局長のやったことなんだったら、アタシたちにやらせたいことがあるってことなんだし」
オレの安全策に対して、異を唱えたのはリサだ。
彼女の意見もわかる。というか、オレ自身も同じことを考えていた。
「……それも考えたけど、危険が大きすぎる。袋叩きにあったらどうにもならない」
「ビビりすぎ。もしくは、アタシたちを舐めすぎ。まだ人に頼れないの?」
食い下がったところで、リサにぐさりと来る一撃をもらう。
前世でゴマさんだった時もそうだが、彼女は人をよく見ているから本当に人の図星を突くのが上手い。しかも、オレの二人を危険にさらしたくないというオタク心をちゃんと理解して言っているのが、分かるから余計にこっちには効果的だ。
「…………すまん。でも、大事なんだ。オレにとっては何よりも」
おかげで、考えてもこんなきざなセリフしか出てこない。
でも、本心だ。オレにとっては、オレの視界に入るみんなが世界だ。それを守るためなら、どんなものでも差し出せる。
「…………そういうところよ、そういうところ」
「う、うん、今のはわたしもそういうところだと思う」
「え?」
しかし、2人には刺さらなかったようでなぜか咎められる。
なぜだ。2人とも少なからずオタクなんだからオレの気持ちは分かるはずなんだが……なにか余計なことを言ってしまったのか……?
『2人の言う通りだね。理事になったんだ。人を活用するすべを学びたまえ』
そんなことを考えていると、今回の元凶の声が『脳裏』に響く。
『局長』だ。発信元が辿れないほどに遠くから念話を届けてきている。
「はじめましてって……誰? って局長!?」
「は、はい。え。そうなんですか……」
しかも、2人の会話内容からして同時に複数人に別の内容の念話を送っているらしい。地味だが、とんでもない離れ業だぞ。
しかし、このタイミングで念話をしてきたということはやはり今回の状況は局長が意図したものとみて間違いない。
『まず、全員に不意の転移となったことを謝罪しよう。予定では、君ら全員に事前の説明を行い、心構えをさせておくつもりだったのだが、最悪のタイミングで干渉を受けてしまった』
局長がたんたんと状況を説明してくれる。
察するに本来はオレたちの安全を確保したうえで情報を獲得させるつもりだったんだろうが、妨害を受けた。
その妨害者が誰かは考えるまでもない。
「フロイト……」
『そうだ。”あれ”は随分と君らが目障りらしい。まさかここまで侵入してくるとは予想できていなかった。こちらの落ち度だ。すまない』
「いえ……それより、ここは『99事変』の最中でいいんですね? あと、なにに干渉されたんですか?」
絶えず周囲を警戒しつつ、聞くべきことを端的に尋ねる。
正直、フロイトが関わった時点で応えの予想はできている。おそらく最悪の可能性だ。
まず、ここが99事変の現場かどうかには局長は答えられない。そして、後者の答えは――、
『本来であれば、君らとこの再現時空間を隔離できるはずだった。いわゆる、ゲームのセーフモードのようなものさ。こちらからは干渉できるが、あちらからは干渉できない。そういう異界を構成できるはずだった。だが――』
「その直前にフロイトに割り込まれた。だから、今は相互に干渉できる。つまり、サバイバルモードってことですか」
ようは、ここは過去を再現した異界ではあるが、内部の存在はこちらを傷つけることも、殺すこともできる。
映画を見ていたらいつの間にかその中に放り込まれていた。しいて言うなら、近いのはそんな状況だろう。
…………ますますやばいな。
今のオレの状態は過去最強。魔力もフル充填だし、『蘆屋の郷』で手に入れた『あれ』もある。フロイトのあの正体不明の異能についても対策はできているから、どうにかなる。
だが、今回の場合はあまりにも状況が混とんとしすぎている。
オレ一人では対処しきれない。やばい怪異ややばい術者にまではどうやったって手が回らない。
「局長。ここからの脱出方法は? たぶんだけど、ここで何かが起きてこの異界が解消されないと出られないんじゃない?」
オレの代わりにそう尋ねたのはリサだ。彼女の横顔にはオレでは揺るがしようのない強い意志が滲んでいた。
『その通りだ。君らがいるその場所でこれから起こる出来事、それが終われば君らは元の場所へと帰還できる。その時までどうするかは君らの自由だ。座して待つか、あるいは自ら動き知るべきことを知るか。君らに委ねよう』
「……わかりました。アタシたちがどう行動しても実際の出来事には影響しないんですね」
リサが何を考えているかはもうわかっている。
彼女はオレと谷崎さんと一緒にこの異界を攻略するつもりだ。
……心情的には反対したい。でも、オレ一人では無理なことも三人でならばなんとかなるかもしれない。それに、リサの言った通り、彼女たちを信じるなら、心配しすぎるのは間違いだ。
『うん、そう考えてくれていい。どれほどの規模があっても異界は異界だからね』
「聞いての通りよ。蘆屋、もう観念したら?」
「分かってる。もう決めたよ」
……ここまで来たらやるしかない。リサと谷崎さんとこの危機を乗り切り、フロイトの情報を持ち帰るんだ。
気合を入れなおして、立ち上がる。
せっかくあの『99事変』の現場に立ち会っているんだ。オタクとしていつまでも立ち止まってはいられない。
「局長。念話はどれほど維持できますか?」
『あと数秒だ。私としては味方を探すことを勧める。そういうのは得意だろう?』
「……了解です」
……まあ、人物鑑定にはそれなりに自信があるけども。
というか、原作知識がある分、敵味方の区別は付けやすいだろう? と局長は言いたいんだろう。
その意味でも今回の面子は頼もしい。
リサの見識はオレ以上だし、谷崎さんは名探偵だ。相手の心の内を見抜くことに関しては原作でも随一と言っていい。
『ことが済んだら君らを無事に脱出させると請け合おう。頑張りたまえよ、アシヤミチタカ。君には期待している』
喜ぶべきか、あるいは戦々恐々とすべきかわからない言葉を最後に念話が切断される。
……七人の魔人の一角でもこれだけの異界を維持するのは簡単じゃないってことだ。
…………あるいは、魔人の力を使わないようにするため、なのか? 『椅子に座るもの』としての特性と局長個人としてのあり方は相反している。それを考えれば、局長が極力魔人としての力を使おうとしないのも納得がいく。
「で、どうするの? 隊長」
「……まずは情報収集だ。周りが良く見える場所に移動しよう。2人とも、よろしく頼む」
オレの言葉に2人が頷く。やる気と決意に満ちた表情に、隊長としてもオタクとしても頼もしさを覚える。
しかし、リサも人が悪い。このタイミングで隊長なんて呼び方されたらこっちも気合が入って、背筋がピンと伸びる。
リサにせよ谷崎さんにせよ、オレ如きに守られなきゃ戦えないような人たちじゃない。
むしろ、オレが助けてもらう、それくらいの気持ちで一緒に戦うんだ。
「じゃあ、早速移動を――て、待って。誰か近づいてくる」
「迎撃態勢を。谷崎さん、ダゴンの調子は?」
「う、うん、大丈夫。最近は機嫌いいの」
リサの『嗅覚』がなにを感知したにせよ、迎撃態勢はばっちりだ。
鬼が出るか蛇が出るか、さて――、
「――人間、ですか。敵意はないようですが、戦意はあるようですね」
そうして現れたのは、アオイ……?
いや、違う……? 濡羽色の髪をポニーテールにしたスーツ姿の美少女。手には太刀を持ち、すらりとした立ち方をしている。
見た目も、気配もアオイに瓜二つだ。でも、何かが違う。なんというか、アオイとは違う種類の険がある。こう他人を寄せ付けない感じというか、なんというか……、
強いて言うなら、出会ったばかりの顔合わせをすっぽかした頃のオレにぶちぎれているアオイに近いか……?
この人、一体何者だ……?