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第175話 解体局局長

 『BABEL』原作内において解体局の局長グランドマスターについての描写、記述はほとんど皆無と言ってもいい。

 設定資料集やキャラデザの走り書きを含めても、判明している事柄はたった二つのみだ。


 一つは、局長は『七人の魔人』への対抗手段を有している。その対抗手段ゆえに解体局はかろうじて現実世界の守り手として存続できているとそこには記されていた。


 それはとりもなおさず、局長という個人が七人の魔人に比肩するほどの力を、いや、特権とでも言うべきものを有しているということを意味する。

 オレなどでは及びもつかないほどの強大さだ。一体どんな異能を有しているのか見当さえつかないだけに、余計にワクワクする。


 そして、もう一つは今、オレに対して発動された『局長査問会』の存在だ。これに関しても分かっているのはその存在と局長の権限でのみ発動されるということだけ。だが、局長その人が関わる以上、通常とは全く違う制度ということは確かだ。


 ……前世でも局長についてはよく考察していた。

 別名がグランドマスターということは術師である可能性が高い。であれば、術の系統は? 出身や来歴は? いや、そもそも人間なのか? こんなところで、こんな形で遭遇するとは思ってもみなかったが、知りたいこと尋ねたいことは山のようにある。


 …………まあ、査問会の対象がオレである以上、そんな個人的な興味を優先しているような余裕はないだろうが。畜生めが。


「――どういうことだ? 何か聞いてないのか、朱子」


「……いえ。今回はただの理事会のはずです。それがどうしてこんな……」


「局長の気まぐれか? だが、なぜ、義息殿を……」


 厳徹殿と巫女田先生なら状況を把握しているかとも思ったが、二人の様子からしてもどうやら違う。オレよりもまだ何かを察してはいるようだが、困惑しているのは間違いない。


 ……これもフロイトの謀略か? 

 可能性としては十分にありうる。やつは間違いなく解体局の人間だ。しかも相当の権力を有しているはず。そのコネをフルに活用すれば、局長を動かすことも可能かもしれない。


 オレはまんまと罠にはめられた……? であれば、これから始まるのはオレを排除するための裁判……?


 …………いや、違う。根拠はないが、直感がそう告げている。

 今ここで起こっていることは、今オレがここにいる理由はそんな単純なものじゃない。


 巨大な潮流に押し流されているのを感覚で理解できる。その感覚は術師としてのものでも、生物としての本能でもない。この半年で目覚めた感覚、いわば世界そのものと繋がるための感覚がそう告げていた。


 だが、だとすれば、これから現れるのは――、


『――緊急警戒システム停止。顕現、します』


 機械音声にノイズが混じり、次にサイレン音が停止する。世界そのものが凍り付いたような、静寂が辺りを満たした。


 次に、訪れるのは一体なんだ。

 空間を歪ませるほどの魔力の波動か。あるいは、異界のルールをねじ伏せるほどの存在か……、


 背後では厳徹殿と巫女田先生が警戒態勢をとっている。オレも結界を発動させ、式神を待機させている。この状況を仕組んだのが誰であったとしても、むざむざと思い通りになるつもりはない。


 もっとも、それにどれほどの意味があるかは正直分からない。オレの予感が的中しているのなら、こっちにできるのはせいぜい機嫌を損なわないことくらいだ。


「…………なんだ?」


 だが、いくら身構えても何も起こらない。予想していたような強大な存在が顕現するような予兆は一切なく、むしろ、すべてが凪ぎの海がごとく穏やかだった。


 ……担がれた? 誰かのイタズラ? ドッキリなのか? いや、いっそそうであってくれればいい。どこかの悪趣味な誰かの仕業なら、だまされたこっちが間抜けだったというだけで済む。


 オレの右肩に誰かの手が乗ったのは、そんな甘い考えを抱いたその瞬間だった。


「やあ。待たせてしまったね」


 穏やかで深みのある声が耳を素通りする。脳みそが恐怖と困惑に真っ白になっていた。


 術者としてもオタクとしてもあるまじきことだ。だが、あらゆる警戒網をすり抜けられたという事実と手のひらから伝わる冷たさにはそれほどの衝撃があった。


 けれども、経験と成長がオレを奮い立たせる。絶望的な状況なら何度も切り抜けてきた。この程度のピンチでいつまでもビビるようなまともな感性はとっくの昔に振り捨ててる。


 空元気を振り絞って、右肩へ振り向く。

 そこに立っていたのは何でもない普通の男性だった。


 年のころは二十代から三十代前半。紺色のビジネススーツを着て、柔和な笑みを浮かべていた。

 ……分かるのはこれだけだ。他には何一つとして情報を解析できない。魔力さえ発しておらず、気配にも敵意や悪意は含まれていない。


 何もかもが普通で、どこにでもいる人間。だが、それはこの場にあっては最も異質で、最も異常な存在であることを意味していた。


「いいだ。君のような人材がいるなら、解体局うちも安泰だ」

 

 男性がほほ笑む。友好的だが、何もかもが印象に残らない笑み。しかし、微かに、ほんの微かにだが、オレの脳裏を違和感が過った。


 なにかが普通じゃない。この人は何かが――あれ、でも、この(・・)人は(・・)どこ(・・)から(・・)どう(・・)見ても(・・・)人間(・・)なのに(・・・)どう(・・)して(・・)オレは(・・・)その(・・)ことを(・・・)疑って(・・・)いるん(・・・)だろう(・・・)

 

「なんだ、今の……」


 次の瞬間、我に返る。今の思考はオレのものじゃない。オレならそんな考え方はしない。

 だって、相手が人間かどうかなんて見た目じゃわからない。怪異相手でもそうだし、人間より人間らしい人外も人間味などまるでない人間もこの世界にはいるとオレは知っている。


 であれば、さっきの思考はオレのものじゃない。誰かに植え付けられたものだ。

 そして、それが誰の仕業かなんてのは考えるまでもない。


 だが、恐るべきなのはそこじゃない。『思考侵食』への対策は異能者にとっては基本中の基本だ。当然オレとて二重、三重どころじゃない数の防護策を常時展開している。


 それをこの御仁は容易くすり抜けた。それもオレの肩に触れたたった一瞬の接触でだ。


「やはり、優秀だね。彼女が目を掛けるだけのことはある。だからこそ、皆が怖がってしまうわけだが」


 男性はそのままオレから離れると、正面にある、いつの間にか置かれていた椅子に腰かけた。

 ……ひじ(・・)掛けの(・・・)ある(・・)安楽(・・)椅子(・・)。どこかで見たことがあるが、思い出している暇はなかった。


「おっと、自己紹介を忘れていた。年を取るとこういうところが雑になっていけないね」


 男性はそう言って、こちらに向かって右手を差し出した。顔には警戒心を薄れさせる柔和な笑みが浮かんでおり、警戒心が薄れていくのが分かる。


 だからこそ、気を緩めるわけにはいかない。この人は明らかに異常だ。ただその異常さの正体を言語化できない。

 まるで喉元で言葉が詰まっているような、そんなもどかしさがあった。


「私が『解体局局長(グランドマスター)』だ。親しみを込めて、クロウリーと呼んでほしい」


 ……信用はできない。身内のトップとはいえ、いや、トップだからこそ、組織のためならどんな冷酷な判断でも下すだろう。

 

 それを承知の上で、自分の意志でオレはクロウリー局長と握手を交わす。

 彼が本当は何者で、何を目的としていたとしても、気圧されてなんていられない。オレの愛し、尊敬している原作主人公『土御門輪』はどんな奴が相手でもいつも勇気をもって立ち向かっていた。オレは彼と違い『かませ犬』の身だが、大切なもののためには心だけでも主人公でいたい。


「うんうん。よい勇気だ。若者はそうでなくてはね」


 握った手はひどく冷たく硬い。感触も奇妙で何か作りものめいていた。

 まるで死体か、爬虫類と握手しているような、そんな思考が脳裏をよぎる。


 手を離す。クロウリー局長の黄色の瞳孔、縦長のそれがオレを見つめている。

 その輝きは確かに人間のものではなく、それを自ら証明するかのように瞼の奥の瞬膜(・・)が縦に閉じた。


「――っ!」


 オレの脳裏で、情報が繋がる。これこそがこの人の、いや、この存在の狙い通りだと理解していても、一度走り出したオタクの考察魂は止められない。


 瞬膜は爬虫類や両生類、あるいは鳥類に共通する身体的特徴。そして、あの冷え冷えとした感触は蛇の鱗を撫でた時のそれに似ていた。

 人の皮を被った人型の爬虫類といえば、ある種類の都市伝説の代表格。つまりは陰謀の――、


「――おっと、思考には注意したまえよ。実をいうとね、その呼び名はあまり好きじゃないんだ。そうだね、そちらの側面で呼びたいのなら、『椅子に座るもの(チェアマン)』と呼んでくれたまえ」


 そうして、局長は、いや、七人の魔人の一人『椅子に座るもの(チェアマン)』はにこりと人のよい笑みを浮かべた。


 相も変わらず、なにもかもが訳が分からない。これがピンチなのか、チャンスなのか、あるいはもう詰んでいるのかも分からない。

 ただ、オタクとしてのオレは、この状況にひどく昂揚している。それだけは確かだった。



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