第174話 夫舅問題
リサと谷崎さんを図書館長のもとに残して、オレと巫女田先生は『螺旋図書館』をさらに深部へと進んだ。
案内してくれているのは司書であり、図書館長の眷属でもあるアフリカクロトキ。彼らは長い首を左右に動かして周囲を観察しながらも、書架の合間の通路を迷いなく歩いていく。
オレは正直、すぐにでも足を止めて書架の本を手に取りたいが、今はダメだ。それこそ『怪人フロイトの真実』とか題名のついた本があれば話は別だが、今は理事会を優先しないといけない。
無論、せっかく目当ての『螺旋図書館』に入れたんだ。理事会が済み次第、『99』事変の記録は探す。おそらく『禁書棚』にあるのだろうが、司書たちや図書館長の助けを借りられればどうにかなる。
それこそ、フロイトそのものの情報を引き出せれば話は早いんだが、螺旋図書館から個人の情報を引き当てるのは砂漠に落ちた一粒の砂糖を見つけるようなものだ。
なにせここには今生きている人間とこれまでに生まれて死んだすべての人間の情報が収蔵されている。そこから本名も分からない個人の情報を特定するなんて、一生かかっても無理だ。
一方で、過去の事件、それも世界規模での滅亡の関与した事件となれば検索難易度は格段に下がる。
その点においても99事変という起点にたどり着くことができたのは不幸中の幸いと言える。それがなければ、まさしくお手上げだった。
……99事変が起きたのは今から約二十年前の『1999』年の7月だ。
オレとリサの考察によれば、その日に起きたのは予言者ノストラダムスによる『滅亡の予言』を異界因とする複合大異界の発生。解体局は全戦力を投入してこれに対処した、はずだ。
ここで重要なのは事変が起きたのは二十年前だという点だ。
それに関わっていたということになれば、容疑者は二十年前の時点で現役だった職員に限定される。
……今オレと同行している巫女田先生もその一人だ。
とてもそうは見えないほどに若々しいが叔父上と同年代で、事変当時は15歳だった。一般社会ならまだ中学生だが、解体局の職員、それも探索者としてなら前線に出られる年齢だ。
巫女田先生の異能は後方支援向きだが、大異界、それも『貪るもの』の攻略となれば、使えるものはすべて使わなければ世界は救えない。
巫女田先生がフロイト……? ありえるのか?
いや、そもそも蘆屋の郷で見たあの奇妙な現象と巫女田先生の異能はどうやっても一致しないし、原作での人物描写とも全く一致しない。
だが、この世界はオレの愛する『BABEL』世界と何もかもが同一なわけじゃない。後天的に異能が変化することもあるし、性格や行動原理に関しては言わずもがなだ。
警戒は、すべきなのだろう。
フロイト本人じゃないとしても99事変に巫女田先生が関わっている可能性が高い。その情報を無理やりにでも引き出しておくべきだ。
でも、どうしてもそんなことをする気にはならない。
巫女田先生は原作キャラだし、それに善人だ。そんな彼女がフロイトのように悪行を為すとはどうしても思えない。
……いや、善人だから、こそか? 善人だからこそ、大それたことを数多の犠牲を払ってでも成し遂げようとしている……?
『歴史に残るような偉業はすべて善意から生じる、その結果が善悪どちらだとしても』とは原作『BABEL』の地の文にあった言葉だ。
魔人である教授が異界に関わったある科学者を評してのもので、世界を救うような発明も世界を滅ぼす兵器も発端は何かの役に立ちたいという善意だったという事実を彼は指摘していた。
これは現実世界にも当てはまることだ。救済も虐殺もそれを実行する者にとっては善いこと、正しいことだ。正しいと信じているからこそ、それだけのことができる、できてしまう。人間とはそういう生き物だ。
その点で言えば、善人だから疑わないという理屈は成り立たない。オレの個人的な感情は優先すべきでは――、
「蘆屋君? どうかしました? 難しい顔をしていますよ?」
先を行く巫女田先生が振り返って、話しかけてくる。
その顔にはこちらをおもんばかる優し気な表情が浮かんでおり、そこに嘘偽りは一つとして見て取ることはできなかった。
やはり、生徒想いだ。
「いえ、ちょっと、緊張してまして」
「わかります。理事会のお歴々はみなさん、その強烈な方ですし。でも、実力や実績という観点では蘆屋君も負けてません。わたしの知る限り、『神域』の怪異を撃退した学生なんて貴方ぐらいのものですよ」
「……仲間が優秀なだけですよ。オレはまあ、おまけみたいなもんです」
「あら、おまけだって大事ですよ。先生もカード付きのウエハースとか集めてましたし」
わかる。前世でも、後世でも、オレも集めてるし。
無論、ちゃんと本体であるウエハースも消費している。彩芽と一緒にアレンジレシピのティラミスを作った時は楽しかった。また今度やるか。ちょうどやっているソシャゲの新水着ウエハースが出るしな、毎年恒例だ。
と、そんなことは横に置いておいて、巫女田先生の容疑は今は保留にするしかない。
まず、彼女が99事変の関係者だとしても恐らく本人にそのことを尋問したとしてもまともな答えは返ってこないだろう。
99事変は最上位の秘匿処理である『焚書指定』を受けている。事件の記録はもちろん関係者の記憶も改ざんされている。だから、精神探査を行ったとしても情報は引き出せないのだ。
ゆえにこその螺旋図書館。ここにある事実の記録だけは誰にも消すことはできない。
それにフロイト本人だった場合はここで戦闘になりかねない。そうなればフロイトだけでも厄介なうえに、図書館の秩序を乱したと判断されれば、図書館長まで敵に回しかねない。不可知域の存在を二つも同時に相手取れると思うほど、オレは増長しちゃいない。
99事変の情報にさえアクセスできればフロイトにはたどり着けるのだ。こんなところで一人で無茶をする必要はない。
「――着きましたよ」
考えながら歩いていると、いつの間にか別の場所へとたどり着いていた。
目の前にあるのは、開けた空間。図書館長のいた広間にも似ているが、書架の代わりに黒い石棺のようなものが円形に立ち並んでいる。
あれは……データサーバーか? 時折電子的な光を灯し、熱気を放っているところから見ても間違いない。
……現代の情報集積、保存装置と考えれば、この図書館にあってもおかしくはない、のか? 先ほどまでの古式ゆかしさと比較すると浮いている感じは否めないが、こういう雰囲気の変化は好きだ。
そのサーバーの森とも言うべき場所に、1人の男性が立っていた。
突然ヒグマが現れたのかと見紛うような筋骨隆々の体格。短く切りそろえた短髪の下の顔は厳めしく、顔の右側には五本の爪で切り裂かれたような古傷があった。
服装は黒いスーツをびしっと着こなして、腰のベルトにはなんと刀が二本差してある。雰囲気といい、気配といい、まるで戦国時代の剣豪か、あるいは、マフィアの殺し屋だ。
……どこかで、どこかで見た気がする顔だ。前世でもちらりと、目にしたことがあるし、今世でもどこかですれ違ったような、そんな感じがする。
「お。来たな」
その剣豪マフィアはオレたちの到着に気付くと、ニカっと気持ちのいい笑みを浮かべて歩み寄ってくる。
……歩いている間も全く重心がぶれていない。アオイが真の達人は歩き方、立ち姿だけで分かると言っていたけど、正しかった。
この人、めちゃくちゃ強い。それも、術者とも異能者とも違い、ただただ武を極めた果ての強さだ。まだ10メートルほど離れているのに、こっちが術を発動させるより先に斬られると分かった。
現代にこんな化け物がいるのか。いったいどこの異界に籠って――あ、ああ! 山! そうだ、山だ!
「や、山縣殿……! 山縣厳徹殿……!」
オレがその名をぼそりと口にすると、ヒグマ改め山縣厳徹はますます楽しそうに笑みを浮かべる。親しみを前面に出してきてはいるものの、ただそれだけじゃないのが気配で分かる。
それもそうか。
この山縣厳徹こそがあの山縣家に入り婿として迎えられた現当主であり、アオイの実父。オレにとっては舅、つまり、義父に当たる人物なのだから。
どうりで、見覚えがあるわけだ。名家の行事やらで見かけているし、前世においては設定画の彼を見ている。
そして、その設定画の走り書きによればこの人は現代の剣聖であり、神域の怪異を剣技のみで切り伏せたことで婿として迎え入れられたのだとか。
……ちなみに、オレはこの人との顔合わせを一度すっぽかしている。相手が誰だか知らなかったとはいえ、とんでもないことをしてしまった。こうして直に会えたのはすごい光栄だし、嬉しいが、同じくらい気まずい。
というか、なんでここに……ああいや、なんとなく察しはついた。
「いやはや、息災そうだな、義息殿! ええ! 娘からは惚けを聞いておるぞ!」
挨拶をすっ飛ばして、ガハハハと笑いながらオレの背中をバンバンと叩いてくる。
かなり力が強い。なんとなく挨拶にも来ずにいい度胸だな? と言われている気がする。
「そ、その節は失礼いたしました……厳徹殿。あ、アオイさんにはいつも、助けていただいてます……」
「なんだ、固いぞ、義息殿! 遠慮なく義父上でも、パパでも、ダディでも呼んでいいんだぞ!」
「は、はい。で、ですが、それはきちんとこちらから挨拶をしてからさせてください。そ、その際にはきちんと、婚礼の習わしに従いますので……」
「そうか! もっと破天荒かと思っていたが、意外と真面目なのだな! よいよい、いつでも山へ来い。妻もな、そなたの顔を見たいと言っていたぞ!」
機嫌よく笑いながらも、若干、こっちの無礼を咎めてくる厳徹殿。
というか、厳徹殿の妻ということはアオイの実母ということになる。彼女は『籠入り』しているはずだが、そうか、会えるのか。それはワクワク半分、ビビり半分だな……、
「おお、忘れていた。そなた、道摩法師になったのだったな? 祝いの品を用意してくるのだった。いかんいかん」
「……ありがとうございます。ですが、円満な代替わりというわけでもありませんので……」
「そうか。道綱の件は残念だったが……まあ、生きておるならどうにでもなるさ!」
叔父上の件に触れた時だけ、厳徹殿は表情を曇らせる。
……叔父上と厳徹殿が知己なのは分かっていたことだ。同年代だし、友人であった以上、99事変に関わっている可能性は高い。実際、アオイはそれを知ってから彼を問いただそうとしていた。
それを止めたのは、オレだ。アオイに身内を疑うような事をさせたくなかったし、なにより、巫女田先生と同じく問いただしたところで有用な情報は引き出せないと判断した。
だが、依然、容疑者であることに変わりはない。警戒とまではいかないが、思考にはとどめておかないと。
「厳徹くん。そろそろ」
「おう、久しぶりだな、朱子。相変わらず細いな! 肉を食え! 米も!」
「……そういうのをセクハラって言うんですよ、人里では」
巫女田先生に怒られて、すまんすまんと頭をかく厳徹殿。
……この距離感からしても、年代としても二人に関わりがあってもおかしくはない。
…………『フロイト』の容疑者が2人そろっている。しかも、その2人には面識がある。偶然で片づけるにはあまりにも作為的だ。
「義息殿とぜひ一献傾けたいところだが……公務があるゆえ仕方あるまい」
「公務、ですか」
答えはおおむね分かっているが念のためそう尋ねる。
すると、厳徹殿は太い指で顎を撫でながらこう答えた。
「此度の理事会の監察役を押し付けられてな。面倒この上ないが、義息殿が議題と聞いて引き受けたのだ。こうして会えてうれしいぞ、儂は!」
「ど、どうも」
むんずと肩を寄せてくる厳徹殿。力が強いし、ごつごつしているが、不快感はない。彼の思い切りのよい性格のおかげだろう。
というか、あれだな、アオイのスキンシップしたがる癖はこの人譲りか……?
それはともかくとして、理事会に際して監察役が置かれることがあるというのは聞いたことがある。
理事会の方針が特定の勢力にだけ有利になるようにならないするための処置らしいが、機能してたかどうかは疑問だ。
もっとも、この厳徹殿であれば、そこらへんもしっかりやってくれそうではある。オレにとってはありがたい話、だと思う。
「それ、始まるぞ。その席だ」
「大丈夫、君ならできるよ。道孝くん」
そうして、厳徹殿に促されてオレはいつの間にか広間の中心に現れた黒い椅子に腰かける。
すると、オレを囲むようにして地面から五つのサーバーがせり上がってきた。
それらの表面には電気信号が明滅しており、火花のようにも生体信号のようにも見えた。
どうやら、このサーバー一つ一つに理事たちの意識体が宿っているようだ。
今回はリモート理事会ってわけか。自分たちは出席しないのにオレは呼び出すのかよ、とかそんな雑念を抱いたその時――、
「――っ!?」
電気信号が一斉に赤に変わった。
つづいて響き渡るのは、甲高いサイレンの音。明らかな警戒音だが、次の瞬間にはそんなことは頭から吹き飛んでいた。
『――これより、蘆屋道孝に対する局長査問会を開始します』
AI学習の無機質なアナウンスが脳裏に響く。
『局長査問会』。原作においてたった一度のみ触れられたその制度は、解体局における最大権威による裁断を意味していた。