第173話 図書館長は鳥目
『聖塔』に突如として出現した四番目の扉は『螺旋図書館』へと通じていた。
……狙いすましたようなタイミングだ。ここまでくると作為的を通り越して、見せつけられている気分になる。お前たちの思惑なんてお見通しだ、と。
あるいは、運命……いや、これは考えない方がいい。この『BABEL』世界において『運命』という言葉は強い力を持っている。その運命が吉であればまだいいが、凶であった場合が怖い。
一応、こっそり占ってみたが、結果はひどく曖昧なもので吉とも凶とも判じられない。つまり、この先の未来はひどく不確定でどんな可能性でも成立しうるということだ。
というか、夏に入ってからはずっとそうだ。
ただでさえあてにならないオレの運勢占いはここ最近ずっと不調で、まともに読み取れるような結果を導き出してくれてない。一瞬ごとに占い結果が切り替わるか、見事に吉兆と凶兆が同居しているせいで判断のしようがないのだ。
原因は分かっている。吉兆を定めるための術式が『フロイト』という情報を処理しきれていない。強力な怪異や術師、それこそ『魔人』なんかが関わるとこういう現象は起きる。巨大な質量が重力を歪めるように、存在の規模の大きさが因果線を歪める。
だから、最初から占いはあてにしていないんだが、それにしたってあからさますぎる。
…………あからさますぎるが、行くしかない。というか、気持ちはすでに行きたいと言っている。
だって、この世界に存在する、もしくは存在した情報のすべて、つまり、ありとあらゆる創作物が『螺旋図書館』には存在している。リサも言っていたが、オレのようなオタクには夢のような場所だ。
惜しむらくは、ここが『BABEL』の世界であるがゆえに『BABEL』シリーズだけは存在しないことだが、そこはまあ、この世界に生きているという事実で相殺できるから問題はない。
そういうわけでオレ、リサ、谷崎さん、そして、巫女田先生の4人は自動ドアを抜けて螺旋図書館に踏み入った。
その瞬間、背後にあった扉が消失する。一瞬、帰りはどうしようなんて今更な疑問が脳裏をよぎるが、理事会である以上、どうにかなるだろう。
「……おお」
改めて立ち並んだ書架を前にすると、思わず感嘆の声が漏れる。
続けて鼻をつくのは古い書物の心地の良い匂い。図書館らしく静謐に満たされたこの空間はオレのようなオタクにはまさしく理想の空間といえた。
どの書架にもぎっちりと本が詰まっているが、背表紙にあるタイトルはどれも読み取れない。というのも、さまざまな言語が入れ代わり立ち代わり現れて、読み取る前に違うタイトルになってしまう。
書架の上部には『人間』と記されていた。
これらの書が安定しないのは、常に情報が更新されているからだ。
未来は言うに及ばず、現在も、そして過去でさえも定形ではない。常に変化し、複雑に絡み合い、決まった形を持たない。できれば、一冊一冊何日かけてでも見分したいところだが、そういうわけにもいかない。
「……すごい」
もっとも、そんな気持ちのなっているのはオレだけじゃないらしい。
リサも足を止めているが、谷崎さんにいたっては魅入られたように一冊の本に手を伸ばしている。まずい、止めないと――、
「――駄目ですよ、谷崎さん」
だが、オレより先に巫女田先生がその手を止めた。
「あ、す、すみません、巫女田先生」
「いいえ。でも気を付けてくださいね。ここの書籍の中には読んだものを魅入らせるものが多いんです。谷崎さんの読書好きは知ってますが、もっと安全な書架のものにしておかないと」
柔和な笑みでそう告げ、手を放す巫女田先生。さすが谷崎んの所属しているB組の担任をしていただけあって生徒の情報をきちんと把握している。原作でもそうだったが、生徒想いだ。
それに解体局の上位職員なだけあってこの『螺旋図書館』にも慣れている様子だ。
「それに、無許可で書に手を出すと、司書さんに怒られてしまいますよ――ひゃっ!?」
そう思ったところで、巫女田先生が悲鳴を上げる。
まあ、無理もない。書架の上から黒いくちばしの鳥が覗き込んでいるんだ。あれと目があったらオレもびっくりする。
アフリカクロトキ、だったか。これも原作通りだ。
人間と見紛うほどに知性的な瞳をしており、首をかしげてこちらを品定めしていた。
彼らはこの図書館を管理する『図書館長』の眷属である、『司書』たちだ。戦闘能力こそないが、その頭脳と書籍の知識は人間以上。また、書籍を盗もうとしたり、司書たちに害をくわえようとすればその時点で主へと伝達されるようになっていた。
「解体局のものだ。理事会への出席のためにきた」
オレが用件を告げると、司書は短く頷いてから書架から降り、正面の通路を進む。その途中で足を止めると、めんどくさそうにこちらへと振り返った。
ついてこい、ということだろう。案内役を買って出てくれたというわけだ。
その案内に従って、オレたちは歩き出す。そうするとこの通路がわずかに傾斜していて、なおかつ緩やかにカーブしていることに気が付く。
これも原作通りだ。この『螺旋図書館』はその名の通り、螺旋階段のような形状をしている。ただし、その大きさ、広さは地球という惑星とイコールであり、おおよそ果てはない。
なので、ここで迷子になるのは死と同義だ。好奇心は大いに疼くし、心が痛むが、興味深げに足を止めようとする谷崎さんに声を掛け続けるしかなかった。
本当は、心いくまでこの図書館を堪能させてあげたい……! でも、今はダメだ……! 今はやらなきゃいけないことが山積みで、オレもさっきからチラチラ視界に入る『絶版本』と書かれた書棚に駆け寄りたいのを必死でこらえている……! これもフロイトのせいだ、許さん……!
そんな風にオタクの敵に怒りを燃やしていると、いつの間にか開けた空間に出る。
広間だ。中心には書物の山に囲まれた机があり、そこにはある存在が座っていた。
『図書館長』だ。
頭をもたげた巨大な黒い朱鷺。左右に翼の生えた冠を被り、首から下はギリシャ風の衣装を纏った人間の体をしていた。
そんな図書館長の放つ魔力の質は『神域』へと達し、さらにその上『不可知域』にまで届ている。無限の知識の収蔵される図書館を支配するに相応しい権能をこの神格は備えている。
さすがは『複合神格』。『三重に偉大なるもの』とはよく言ったもんだ。術の系統こそ異なるが、『魔術の神』ともいえる存在を前にしてはオレの万能感なんてちっぽけなものだとよくわかる。
しかし、感動だ。『螺旋図書館』に行かなければならないと分かった時から正直、この神格には会っておきたいと思っていた。人外でも原作キャラは原作キャラ、オタク心が満たされていくのが分かる。
図書館長は原作通りに大きい。設定上の身長は確か3メートル半だったはずだが、こうして直に目にするとその威圧感の大きさは3メートルどころじゃない。
ともすると、この大きさはギリシャの神格に共通する特徴なのかもしれない。
館長を構成する神格の内、一柱は十二神の一角だし、原作の描写によれば『朽上理沙』の父親である軍神も巨体であると描写されていた。直接会えれば、確かめられるんだが、ああいや、さすがにそれは無神経すぎるか。反省。
「館長閣下」
オレがそんなことを考えていると、巫女田先生が館長に話しかける。彼はその声に一瞬だけ顔を上げると、オレ達を一瞥してから深いため息をついた。
気だるさを隠さない態度に巫女田先生は気圧されている。無理もないか。普段から現場に出ていたとしてもこれほどの存在に出くわすことは稀も稀。敵対しているわけじゃないとはいえ、緊張はする。
「解体局の人間か。仕事の邪魔だな」
すこししゃがれた威厳のある声。人間の生態なんて持ち合わせていないだろうに、完璧な発音の日本語だ。
彼のいう仕事とは、絶えず増え続ける螺旋図書館の蔵書を分類し続けること。無限の知識という究極の混沌を体系化し、秩序だたせ、図書館という形にとどめているのが図書館長なのだ。
「話は聞いている。案内は出してやるから勝手に行け」
「あ、ありがとうございます」
館長がそう言うと、近くの書架にとまっていたクロトキがオレたちの目の前に降りてくる。すぐさま歩き出したところからみても、さっさといけと言われているのは明らかだった。
「ああ、待て。そこの2人は残れ。用がある」
しかし、オレ達が移動しようとしたところで、館長がそんなことを言いだす。彼が指さしているのは、リサと谷崎さんだ。
無限図書館の館長が、2人に用……? いったいどういうことだ……?
「ミコタ。構わんな?」
「……はい。許可は出ています」
…………許可が出ているというのは、つまり、解体局上層部の許可ということか。
内容は、おそらくリサと谷崎さんの官庁との接触か……?
「巫女田先生。どういうことですか? 2人は理事会に招聘されたのでは?」
「……いえ。この場所を館長に貸していただくための条件です」
「っ!?」
ますます理解できない。
館長と2人の間にはオレの知る限り何の関係もない。この世界においても、原作設定においてもそうだ。
まったくもって理解できない。なにがどうなってるんだ……!?
「…………ごめんなさい、蘆屋君。ここに来るまで貴方には話せないように制約されていたの。でも――」
「取って食ったりはせん。お前ならばわかっているはずだぞ、アシヤミチタカ」
巫女田先生越しに館長の視線がオレを射抜く。
その一瞬で、オレはすべてを見抜かれていると理解する。館長は蘆屋道孝のすべてをすでに識っているのだ。おそらく思考の癖や転生者であること、そしてオタクであることも完全にバレている。
「伝言を頼まれたのだ。2人にそれぞれな。暇はないが、身内の頼みはそうそう断れん」
厄介なと息を吐く館長。
……館長の身内、となれば少しは事態が見えてくる。なぜこのタイミングで、なぜこの場所でという疑問は残るが、害を与えるつもりはないという館長の言葉に嘘はないだろう。もっとも、これほど上位の怪異となれば、本人にその気があるかないかと、害があるかないかは別の話なのだが。
…………やっぱり心配だ。理事会も、フロイトに繋がる手がかりも大事だが、2人の安全に比べたら優先順位の差は一目瞭然。いっそすぐさま引き返すという選択肢もありだ。
「蘆屋、大丈夫。話を聞いたら追いつくわ」
リサの手がオレの肩に触れる。彼女の朱色の瞳が俺の瞳を覗き込んだ。
……心配しないで、か。オレの心の内を見抜いて、彼女はオレにそう告げていた。
ゴマさんは、リサはいつもこうだ。オレが何かを言う前に、オレが何を考えているのか気づいてしまう。
オレが相当にわかりやすいのか、彼女がオレの脳波を受信でもしているのか。どちらにせよ、オレはありがたさと情けなさで半々だ。
でも、オレにだってリサの考えていることの半分くらいは分かる。
彼女はオレが理事会に拘束されている間にできる限り情報を集めようとしてくれている。全員で理事会に出席して、時間を浪費するよりもそちらの方が合理的だと判断したのだろう。
……あと半分は、やはり、オレへの気遣い。いつも、助けられてばかりだ。必ずこの借りは返さないと。
「そ、そうだよ、蘆屋君。わ、わたしたちも役に立つよ! 大丈夫、任せて!」
親友の意図を察して、谷崎さんも両の拳を顔の前で握ってそうアピールする。
なんて、なんていじらしくて、かわいいんだ……! このまま日替わりポスターにした――と、あまりの可愛さに一瞬我を忘れそうになるが、推し2人にこういわれてはオタクとしてもこれ以上の心配は野暮か。
まあ、ほぼオレと同じ感じで蕩けかけてるリサは別の意味で心配だが、本人の前では常に完璧に冷静さを保っているので大丈夫だろう。
「……わかった。2人とも無茶はせずにな」
「こっちの台詞ね。せいぜいがんばって、理事たちに愛想振りまきなさいな」
「えと、笑顔がいいって本で読んだよ! 相手の心のガードが緩むから!」
「しおり。それだと、かわい、じゃなくて、奇襲の心得みたいよ」
息ぴったりな二人。何とも微笑ましく、萌える。
特に相手のガードが緩む、という表現がいい。人との会話が苦手だと思い込んでいる谷崎さんのことだ。コミュニケーションの指南本にそのようなことが書いてあったのだろう。
それに対するリサのツッコミもよい。録画して名シーンとして年一くらいで映画館で放映してはどうだろうか。いや、そうすべきだ。
「…………その笑顔はやめておいた方がいいかもね」
「わ、わたしはいいと思うよ? 幸せそうな感じだし」
おっと、オタクが漏れて、頬が緩んでいたか。まあ、理事会の面々にオレの推しはいないはずだし大丈夫、なはずだ。
そういうわけで、2人に見送られて理事会へと歩き出す。相変わらず何が起こるか何一つとして予想できないが、少し気持ちは軽くなった。2人のおかげだ。
…………しかし、館長に接触して螺旋図書館での理事会開催を決定できるほどの権力を持つ人物など一握りだ。それこそ、支部長の権限さえ越えている。
だが、そんなことがありえるのか……?