第172話 地味と言えば地味だが大事と言えば大事
解体局極東支部の施設がどこに存在しているかは実は原作『BABEL』においては明言されていない。というか、妙にぼやかされていた。
国内の実力者が集う理事会についての描写は原作でも何度かされていたのだが、見事に統一性がない。例えばどこかの寺のお堂のような場所であったり、高級ホテルのパーティーホールだったり、あるいは豪華客船の甲板であったりと毎回毎回会場が違うのだ。
これはもちろん原作者がうっかりして矛盾した描写をしているのではなく、きちんとした理由がある。
一つは、外敵への警戒。支部の要人が集結する理事会は解体局と敵対する数多の組織にとっては格好の標的だ。運よく理事全員を仕留められれば、しばらくの間、解体局を機能不全にできるんだからな。その結果、現実世界が崩壊するとしてもわざわざ解体局を襲撃しようなんて輩はそんなことは気にもしない。
まあ、理事会に集う理事たちはほとんどが元探索者でしかも実力者だ。暗殺は容易じゃないが、理事会で交わされる情報を盗まれるだけでも厄介なことになる。
また、毎回場所を移すことで遅効性や感染性の呪いなどの異能の対策にもなる。確かに場所を固定した方が警護や検疫はやりやすいが、抜け穴も生じやすい。この世界ではそういう小さな抜け穴の方が致命傷となりうるのもまた事実だ。
第二に、内紛の抑止というのもある。
極東支部に限らず、解体局のお歴々にはその国や地方の由緒ある一族の出身者が多い。これは異能が親から子へと遺伝するものであり、代を重ねるごとに強力になっていくからだが、そういう歴史のある一族には大抵の場合、陰謀がつきものだ。
そうでもなければ、1000年単位で一族を存続させることなどできなかったのだろうが、21世紀になった現在でも暗殺やら簒奪やらの物騒なワードが飛び交っているのはもはやそれしか娯楽がないんじゃないのかこいつらと疑いたくもなる。あれだ、みんなでFPSとかやったら、もう少し平和になるんじゃないか? 多少口は悪くなるかもしれないけど。
ともかく、そういう身内の敵に対しても理事会の場所を固定しないというのは有効だ。待ち伏せや罠を仕掛けようにも場所が分からなければ、それも不可能なわけだしな。
そういうわけで、今回、めでたく? 理事会に招聘されたオレでさえその会場については何も知らない。
当日になって学園の『聖塔』の前に行くようにと指示され、こうして真昼間から待機しているのだが、まだオレ以外の面子やつけられるであろう案内役の姿も見えない。
「……ふむ」
手持無沙汰なので、壁に背を預けて、目の前にある3つの扉を観察する。
『聖塔』という巨大術式の本質でもあるあらゆる異界に繋がる3つの扉。ここに呼び出されたということはこの扉を使って、会場へと移動するのは間違いない。
となると、今回の理事会の会場は解体局の所有する異界のどれかということになるが、さてどこだろうか……、
まず候補としてありうるのは、解体局の訓練施設として利用されている『百間塔』。あるいは、究極の中立地帯『非武装公園』というのもありか。もしくは――、
「おっと」
自分でも表情が緩んでいるのに気付いて、しっかりしろと軽く頬を叩く。
端的に言えば、この状況に関しては正直すごくわくわくしている。どうせなら、理事会の会場は、オレの知らないとんでもない場所であってくれた方がいい。
……いや、知ってる場所でもいいな。それはそれで聖地巡礼なのでワクワクする。どちらに転んでも得をするのはオタクの特権だ。
と、いかん。またオタク特有の知的好奇心が先立ちすぎて、気が緩んでいる。みんな、アオイや彩芽にも注意されたばかりだ。
蘆屋の郷での一件以降、オレはなんだかすこし浮かれているらしい。付き合いの長い人間にしかわからない程度だが、どうにも危機や危険を楽しみすぎているような感じに見えると、アオイからは言われてしまった。
自覚は、少しある。
なんというか蘆屋の郷から帰ってきて以来、感覚がどうにも変わった。なんというか、自由だ。その気になればなんでもできてしまうという万能感のようなものがずっと奥底でくすぶっている。
彩芽の件も含めて実家の問題が一区切りついたことによる解放感のせいか、道摩法師という称号を得て気付かぬうちに驕っているのか。
あるいは、フロイトとの遭遇でオレの中の何かが影響を受けたのか。
原因は分からない。分からないが、よくない。
こういう感覚や油断は死因になりうる。それこそ原作の蘆屋道孝が死んだのは自分の実力や家柄の良さを過信していたせいだ。同じ肉体を使っているオレがこれだけ強くなれたんだ。それこそ、もったいない。
……そうだ。どれだけ強くなってもオレの物語における本来の立ち位置は物語序盤で死ぬ『かませ犬』。運命は必ずしもオレの味方じゃない。こういう時こそ、初心に帰るべきだ。
「あら、蘆屋君。待たせてしまいましたか」
そう改めて反省していると、聞き覚えのある声が背後でした。
その声に振り返ると、そこには安心感を覚える人物が立っていた。まあ、警戒を兼ねて事前に探知はしていたわけだが、それを言うのは野暮だろう。
「巫女田先生」
振り返ると、紺色のパンツスーツを着た女性が視界に入る。
黒い髪を腰まで伸ばした柔和な表情をしている。異界探索者の例に漏れず美人だが、どこかおっとりとした雰囲気を感じさせるのは彼女の人格がにじみ出ているからだろう。
彼女の名前は巫女田朱子。別名『地味子』。原作ファンの間では愛着を込めてその名前で呼ばれることが多かった。
そんな地味子こと巫女田先生は『聖塔学園』の教員であり解体局の職員でもある。原作においては主人公『土御門輪』の所属するAクラスの担任教師であり、任務の伝達や訓練の管理などを行っていた。
……重要だが、裏方も裏方の地味な役回りではある。そのせいもあって担任教師という重要ポジションでありながら、原作でも出番が少ない。地味子などというある種不名誉な異名を付けられてしまったのもそのせいだ。
オレとしては、ちゃんと巫女田先生と呼びたい。原作者がギャグ短編とかで雑に扱う分にはいいが、ファンのオタクがするのはよくない。
それに巫女田先生がいなければ原作で主人公たちが順調に活躍することはできない。派手な術を行使するためには根気のいる入念な下準備が必要なように、誰かの大活躍の裏には様々な目には見えない貢献があるものだ。
そういう意味では、オレは巫女田先生を尊敬さえしている。この世界においても彼女が学園の機能を維持してくれていなければ、オレたちが今のように活動することはできなかった。
それに、巫女田先生の異能は地味だが有用で、希少だ。神道系に由来する異能はそれなりに多いが、その中でも浄化に特化した異能は珍しい。しかも、神域に属する呪いを解けるのは解体局全体を探しても数えられる程度だ。
なにせ、浄化系の異能は修練が辛い。術者本人の精神性がそのまま反映されるせいで、普段の食生活から内心まで何もかもに注意を払わないといけない。まさしく身を削る努力だ。俗物中の俗物であるところのオレには到底無理だ。
そんな辛い修練を巫女田先生は長年続けている。それだけでも精神力、忍耐力の凄さが分かる。
それに、オレは原作キャラ全てをあまねく愛しているが、巫女田先生はその中でも上位に入る。こうして顔を合わせられることは幸甚の至りというやつだ。本当なら、担任としてもっと頻繁に――あ、そういえば、
「引率は巫女田先生ということですか。今回は誘先生ではないんですね」
「はい。今回は解体局の案件ですから、誘先生が同行するのはその、適切ではない、といいますか、なんといいますか……」
巫女田先生は言葉を選んでいるが、まあ、事情は大まかに察せる。
誘命こと七人の魔人が一人『死神』はオレたちAクラスの担任教師であり、解体局極東支部の非常任理事でもある。
もっともこの地位は真っ当な手段で得たものではなく解体局を半ば脅迫して得たものなので、ほとんど理事としての仕事はしていない。その上、自分の権力(暴力)でたびたび無茶を通すので、解体局内部では歩く災害として恐れられてもいる。
そんな誘先生が理事候補であるオレを理事会へと引率すれば、まあ、間違いなくオレの理事就任は決定する。
決定するが、後で厄介なことになる。先生がいない時に理事就任の経緯にケチを付けられたり、『螺旋図書館』のアクセスを妨害されては面倒だ。買わずに済む恨みは買わない方がいい。
それに、これは『フロイト』に、ひいては八人目の魔人に直接つながる可能性がある案件だ。七公会議の決議に引っかかる可能性を考えたら、誘先生が動きたくても動けないということも十二分にある。
蘆屋の郷での顛末も含めてこちらの動きはオレの開発した『S-INE』の秘匿回線で先生に連絡済みだ。なので、このままオレ達だけで動いても問題はない。
「でも、ごめんなさい。心細いでしょうに、私なんかじゃ頼りになりませんよね……地味だし……」
「いえ、そんなことはありません。巫女田先生は社会人としても探索者としても一流だと知っています。引率をしていただくなら、先生がよいと思っていました」
一息に、かつはっきりとそう告げる。
原作をプレイしていた時から思っていたことだ。『BABEL』にはたくさんの大人が登場するが、その中で最もきちんと生徒たちのことを考えているしっかりとした大人は間違いなく巫女田先生だ。少ない出番はどれも生徒たちのフォローや治療のためで、オレの知る限り彼女はつねに誰かのために動いていた。
そういった姿にオレは大人としてのあるべき姿を見た。その気持ちは今も忘れてない。
「……真顔でそう言うことを言うんだ。そりゃ十代の子じゃ落ちちゃうよね……」
「そういうつもりじゃありません。でも、本心ではあります」
こういうオタク丸出しの発言がよろしくないのは理解しているが、こればかりは本性だ。隠そうとして隠しきれるものじゃない。
そんなことを話していると、新たに二つの気配がオレの探知範囲に入った。
「あ、蘆屋君だ! 巫女田先生もいるよ、リサちゃん!」
「しおり、はしゃぎすぎ。そんなところがかわい、ううん、なんでもない」
こっちに手を振る谷崎さんとリサ。2人はオレ以外の今回の理事会への招聘者だ。
こちらに関してはなぜ呼び出されたのかはオレにも分からない。
罠か。あるいは、何らかの意図があるのか。なんにせよ、解体局の一員である以上、招聘令に逆らうわけにはいかない。
……解体局内のフロイトの協力者であった叔父上は記憶を失ったが、それでも解体局内が安全になったとは限らない。2人には何が起きるか分からないことは伝えてあるが、こればかりはその時になってみないと分からない。
「……時間ですね。下がって。扉が開きます」
2人が合流するやいなや異質な魔力が三つの扉の周囲に渦巻く。
そうしてオレたちの前に現れるのは四つ目の扉。木でも、石でも、鉄でもなく、ガラス張りの自動ドアだ。
つまり、扉の向こうを垣間見ることができた。
なんというか一石二鳥というか、渡りに船というか。あまりにもオレにとって都合のいい展開に背筋を冷や汗が流れた。
ドアの向こうにあるのは、無限に連なるのではないかと思える書架の森。
『図書館』だ。自動ドアの向こうには無限の書庫が存在していた。