第171話 オタクとオタクの考察
フロイトとの遭遇から一週間後、ようやくオレは『聖塔学園』に帰ってきた。
一連の事件の後始末を済ませ、魔力の回復を待っていたら、想定以上に時間が掛かってしまった。気持ちは急いたが、こればかりは必要経費と割り切るしかない。
アオイ、リーズ、凜、山三屋先輩の4人には一足先に学園に戻ってもらった。
幸い、留守中に現実世界をひっくり返すような大事件は発生していなかったが、小規模な異界は絶えず発生していた。それでも留守番組でも対処できていたのだが、念のためだ。
……今は8月下旬。もう夏休みも終わりかけだ。結局、夏休みらしいことができたのは前半戦だけだった。
そう考えると、みんなの貴重な青春の夏を現実世界の危機やらオレの実家の問題などで浪費させてしまったことが途端に申し訳なくなってくる。推しの幸福はあらゆるすべてに優先すべきなのに、オタクとして恥ずべきことだ。
原作『BABEL』においては1年目の夏はイベント盛りだくさんだった。海での水着イベントとか、お祭りデートイベントとか、天体観測イベントとかいろいろなお楽しみがあるんだが、この世界では…………いや、よく考えたら、いろいろイベントはあったな、良くも悪くも。
ともかく、この夏はいろいろなことが起きた。いや、起きすぎたといってもいい。
少なくとも、オレの知る限り、3年間を描く『BABEL』の物語の内、1年目はここまで世界の危機じゃなかったはずだ。物語内で描写されてないだけでとんでもない危機が起こっていたのかもしれないが、だとしても、『八人目』の魔人出現なんて大事件は起きていなかった。起きれていれば、間違いなくオレの知る『BABEL』の物語も違った様相を呈していたはずだ。
実際、今のこの状況はオレが知る原作からはあまりにも乖離している。オレを中心とした人間関係というミクロな観点でもそうだが、世界情勢というマクロな視点での変化はさらに大きい。
『語り部』に『同源會』、『殉教騎士団』、そして、『七人の魔人』。本来であれば、もっと後になって登場、あるいは事態を静観して物語にはかかわることのなかった勢力までもが暗躍をしている。おそらく舞台裏ではもっと奥の組織や勢力が暗闘を繰り広げているに違いない。
……それはそれで、ちょっとワクワクしてしまうのはオタクのよくないところだな。でも、事態がおさまったら動いてた勢力の一覧くらいは作りたい。そう、あくまで後世の学びのために。
ともかく、これらの陰謀の震源地となっているのが、『八人目』の魔人とその候補者である『フロイト』。こいつを中心に今の世界は回っているといっても過言ではない。
オレが叔父上を倒して道摩法師を襲名したのも、フロイトと繋がっている叔父上を捕縛し、八人目の正体に迫るためでもあった。
結論から言えば、その試みは失敗した。突如として出現したフロイトによって叔父上の記憶は消去され、やつへと繋がる手掛かりも完全に消えたと思われた。
だが、ここに一つだけ、フロイトに繋がる『手がかり』が残されている。
『99事変』。あらゆる情報を秘匿された解体局史上三本の指に入る禁忌。そこに叔父上と、そして、おそらくフロイトは関わっている。
一度、秘匿指定された案件に関しての情報を知るのは簡単じゃない。それも『99事変』の場合は最上級の秘匿指定、いわゆる『焚書指定』がされている。少なくとも、一学生、一探索者に開示されることはない。
その秘密に指を掛けるには、各支部の理事相当の権限が必要になる。なので――、
『――それで、理事になっちゃうんだ。道孝も出世するねぇ。このまま、局長とか目指しちゃう?』
暗い部屋の中、ヘッドフォンからからかうような彼女の、リサの声が聞こえる。目の前のモニターの中では彼女の操る弓使いが飛竜の頭部に連続して矢を射かけていた。
学園の館に帰ってきて二日目の夜のことだ。アオイも彩芽も館の住人は皆眠りについているが、オレは眠れずにこうしてゲームに興じている。
みんなと過ごしたり、話したりするのも楽しいし好きだが、オレのようなオタクにはときどきこうして何かひたすら打ち込む時間が必要だ。じゃないと、こう、欲求不満でオタク力が20パーセントくらい低下してしまう。
おりしも、先日、大人気狩りゲー『モンブレ』の新作が発売された。普段ならば、発売日初日に部屋に引きこもるのだが、お家騒動でここまでお預けになっていた。
それで夜を徹して遊んでいたら、フレンドであるリサから誘いがあって2人で協力プレイに励んでいるというわけだ。
そのついでに、今回の事件について文章では伝えきれなかった詳細とこれからどうするかについての話を二人でしていた。
解体局極東支部の理事になる、というのはその中で出た話だ。理事になれば、秘匿指定された情報にもアクセスできる。正確に言えば、この世界から抹消された情報が保管される異界へのアクセス権が得られる。
ちなみに、『局長』というのは『BABEL』において存在だけが明示されていた解体局の指導者のことだ。各大陸と極東に任命される支部長たちのさらに上の存在で、人前には滅多に姿を現さず、かつ、正体不明とされている。唯一分かっているのは、七人の魔人たちにも対抗できる解体局の切り札、その発動権を握っているのがその局長であるということだけだ。
「からかわないでくれよ。理事になるのだって、オレは嫌なんだから」
『まあ、道孝のスタンスだと自分が出世するのは微妙だよねぇ。あ、そこの岩、落とせるよー』
今挑んでいるのは、それなりの高難度クエストにも関わらずリサは余裕そうだ。さすがにやりこんでいる。
対して、オレはというと、まだまだコンボ選択が甘い。攻撃を効率化して、回避に割く意識をもう少し増やせばより被弾を減らせるはずだ。片手剣は使いやすくてよいが、甘えてはいられない。
ゲーム内のボイスチャットで情報交換というのは一見すると不用心に思えるかもしれないが、魔術的な盗聴の心配がない分、実は安全だったりする。まあ、電子的なハッキングとか、物理的な盗聴とか相手だとどうにもならないが、そこら辺に注意を払う異能者はほとんどいないから、まず大丈夫だ。
『でもさ。理事になれば、あそこにいけるんでしょ? 全オタク垂涎のあの場所にさ』
「『螺旋図書館』ね……そりゃ、楽しみじゃないっていえばウソになるけどさ」
しびれる罠を設置しながら、そう答える。昔は標的が弱ったかどうかは勘で判断してたんだが、今はアイコンで分かるようになっている。便利だ。
『森羅万象、ありとあらゆる事象を書物として記録、保存する図書館。たしか、インドのアカシックレコードの概念から派生して成立したんだっけ。てことはさ、もう絶版になった漫画とか、一度しか頒布しなかった同人誌とかもあるよね?』
「たぶん。探すのは相当大変だと思うけど」
解体局は基本方針としてあらゆる異界をその規模、深度に関わらず解体するが、『四辻商店街』のように解体されずに、むしろ、保護されている異界も存在する。
『螺旋図書館』はその中でももっともメジャーかつもっとも重要な異界と言ってもいい。なにせ原作『BABEL』本編においても、設定資料においても、螺旋図書館については触れられているし、この世界において名前を聞いたことのない異界探索者はいない。
その特徴はいましがたリサの言及した通りだ。有用性に関しては今更言うまでもない。無限の情報がそこにある以上、その利用法も無限に存在するということだ。
なかでも、今回重要なのは、現実世界ではあらゆる情報が焼却される秘匿指定『焚書』に指定された事件についての記録もこの図書館には保管されていること。
逆に言えば、焚書指定されている『99事変』について知るにはこの螺旋図書館に行くしかない。
無論、いくら有用と言っても異界だ。
いや、むしろ、有用すぎるがゆえに、解体局はこの異界に最大級の保護を掛けている。
具体的には、螺旋図書館に入館するには解体局各支部の理事クラスの権限が必要になる。それも、最低条件としてだ。たとえ理事長クラスの権力者でも自由に出入りすることは許されていない。
ましてや、こっちは一学生だ。せめて、理事くらいにならないと夢のコンテンツ保管庫、もとい、無限の知識には指が届かない。
そういうわけで、オレは解体局極東支部の理事に立候補することになってしまった。
オレ、彩芽を解放した後は適当に資金運用しながら楽隠居するつもりだったんだけどなぁ……なんで、理事になんかなろうとしてるんだ……? だって、あんなの権力以外は針のむしろだぞ? 権力争いだの、マウントの取り合いだのしてる暇があったら、一作品でも多くのコンテンツを味わいたのがオタクの人情ってものでは……?
『そういいながらも、責任感でやることはやっちゃうの、道孝らしくてアタシは好きだけどなぁ。前世の時もそうだったけど』
「ただ逃げ足が遅いだけだよ。まあ、今世では半分くらいは自分で首突っ込んでるけどね」
リサに褒められるのは、やっぱり照れる。他の皆から褒められるのも平気なわけじゃないんだが、こう、前世からの付き合いが長い分、どうにも照れ臭いというか、むず痒いというか、そんな感じだ。
『よし、討伐完了っと。それに、手続きの方は順調なんでしょ? なら、そんなに気に病まなくてもいいんじゃない? 選挙とかもないんだし』
「確かにそれはありがたかった。オレに票が集まるとは思えないし」
オレの答えに、ゲーム内のキャラが『それどうかな?』と肩をすくめる。すでにモンスターは倒れ、2人とも剥ぎ取りを終えていた。
解体局は人事において現代にあるまじき血統主義をとっている。特に、極東支部における五人の理事の選任などその最たるもので、理事になれるのは支部創設にかかわった五つの名家の当主のみときている。
一応、これに加えて外部から招く非常任の理事と本部から派遣される支部長がいるものの、極東支部の実権を握っているのはこの五つの名家といっても過言ではない。
さいわいにも、蘆屋家はこの五名家に名を連ねているうえに、叔父上が辞任したことで空席も出ている。
あとは、こちらの政治力とオレの術師としての格がその席に見合っているかどうか。だが、まあ、何か妙なことが起きなければ承認はされるだろう。だからこそ、こうして、現実逃避に走っているわけだが。
『でさ、99事変って多分、アレだよね? アタシたちが考察してたっていうか、実際にあったアレ』
「…………間違いなくね」
リサの濁したアレにオレは慎重に頷く。
最初にこの可能性を考えついた時から、オレの中にある二つの矛盾した感情。片方はこの事態への憂慮や恐怖、不安といったあって当然のものだが、もう片方に関しては――、
『今にやにやしてるでしょ、自分の考察が当たってそうだから。これだからオタクは』
「……その点に関しては、君も人のことは言えないと思うけど」
『アタシはちゃんと隠すもん。まあ、そういうわかりやすいところが道孝の魅力ではあると思うけど』
画面越しにオレの顔が見えているわけでもないのに内心を見抜くとは、さすがリサ。確かにオレは少しニヤニヤしていた。
不謹慎かつ非人間的なのは自覚している。ましてや、今回も身内も深く関わっている事件だ。こんな風にワクワクしたり、喜んだりするのはよろしくない。
でも、『99事変』に関しては前世から考察し続けていた。その事変について改めて詳細を知ることができると思うと、正直、胸の高鳴りを隠しきれそうになかった。
というか、オレもリサも、いや、全『BABEL』ファンはみんな99事変の詳細を知れるとなれば、飛び上がって喜ぶはずだ。
なにせ分かっていることがほとんどない。オレ含めファンサイトでは考察もいろいろ重ねられていたが、ついぞこれという答えは得られなかった。
そんな中でも、ファンの間で確定事項として語られる事柄が一つだけある。それが、リサの言うところの『アレ』だ。
「『ノストラダムスの予言』。1999年の七の月、空から恐怖の大王が降ってくる。いや、本当この世界だと笑い事じゃないな」
無数にある『滅亡の予言』の中でももっとも知名度があり、もっとも現実世界に影響を与えたのがこの予言だ。
『1999年7月に人類は滅亡する』。要約すればそんなよくある予言でしかないのだが、ただでさえ人心の不安定になる世紀末と重なることで、社会を混乱させた。
まっとうな物理法則で運用されていた前世の世界でもそうだったんだ。認識によって全てが左右される『BABEL』世界においての影響がその比ではないことはオタクであれば、容易に想像できることだ。
ましてや、事変の名前からして99事変だ。ここまできてノストラダムスの予言とこの大事件が無関係なんてことは絶対にありえない。
オレが知りたいのは、その詳細。叔父上こと蘆屋道綱がこの事件にどうかかわり、そして、フロイトにどうつながっているか――、
「……来たか」
その答えを示すかのようにに、スマホが通知音を鳴らす。
受け取ったのは差出人不明のメッセージが1件。件名の欄には特別緊急理事会への招聘令とだけ、表示されていた。
ここまでは予想通り。完全に想定外だったのは、招聘されたのがオレだけではなかった点。メッセージ本文に記された招聘者一覧には、オレ以外に朽上理沙と谷崎しおりの名前が表示されていた。