第169話 答えは常に過去にある
次の日、どうにか動けるようになったオレはすぐに『星の間』に向かった。初代と対話し、彼の知るであろうフロイトに関する情報を引き出すためだ。
「――ふぅ」
星の間に繋がる巨大な襖、銀河の描かれたそれを前にため息を吐く。
魔力も体力も多少は回復してきたが、まだまだ本調子とは言い難い。肉体的には相性のいい蘆屋の郷にいてもこれだと、ほかのところだとあと一週間くらいは寝込んでいたかもしれない。
今ここにいるのは、オレだけだ。できれば、全員で話を聞きたかったが、そういうわけにもいかない事情がある。
『初代』の御霊がおわす『星の間』に招かれるのは通常、当代の道摩法師か、あるいは『試しの儀』に臨む次代の候補者だけだ。
なので、初代とフロイトについて話ができるのはオレ一人。前回の戦いでみんなを内部に呼び込めたのは、分体と繋がったオレの影を転移門として用いるという裏技あってのこと。普通の手段で外部からあの異界に侵入するのはまずもって不可能だ。
……今思えば、フロイトも似たような方法で星の間に侵入したのだろう。叔父上との間に縁があったとすれば、方法はいくつかある。いや、あのフロイトの異様さを考えれば想像のつかない方法を用いたとしてもおかしくはない。
こちらにできることは相手もできる、そう考えるのは対異能者、対怪異戦の基本だ。
あのフロイトは異様だった。
今まで相対してきた敵にあれより強大な存在はいても、あれほど理解不能な存在は初めてだ。ただ強力な術や異能をぶつけるのではなく、もっと、根本的な対抗策が必要になる。
あの戦いでフロイトはこちらの攻撃を防御さえしなかった。魔力の発生も術や異能の起こりも感知できなかったから、間違いない。
であれば、あの現象はフロイトにもともと備わっている体質のようなもの、と考えるべきか。凜の運命視の魔眼のようにもともと肉体に備わっている異能の発動には魔力も必要ないし、前兆もない。あとに生じた現象を観測することでしか第三者はそれが何であったかを知ることはできないのだ。
であれば、あの現象をこの眼で見たままの事実から分析するしかないんだが、何度思い返しても不可解であることしかわからない。
強いて言うなら、『復元』に近いのだろうが、ただの復元であるならばアオイの斬撃であれば無効化できたはずだ。時間を巻き戻している可能性もあるが、であれば周囲の時空間に影響が及び、その余波を感知できたはずだ。
……これは直感でしかないが、あれはもっと限定的な現象だった気がする。オレの原作知識にも該当する現象はないが、どこかであれに近い何かを感じたような、そんな気がする。
………それこそ、ここにゴマさんことリサがいれば相談できるんだが、それは後だな。みんなももちろん頼りになるが、転生者としての感覚を共有できるのは彼女だけだ。
現在、リサと谷崎さんは後詰として学園に残ってくれている。
オレたちが世界を救ってようが何をしてようが、異界は絶えず発生し続けている。つまり、任務は舞い込み続ける以上、誰かが対処しなければならない。そこら辺の対処を二人と、コネで来てもらった追加要員にやってもらった。叔父上が解体局の理事会に現れる可能性もあったし、その監視も兼ねてのことだ。
2人とはすでに連絡が取れている。オレがいない間に特に変事はなかったようだが、気苦労を掛けてしまった。
いや、2人だけじゃない。作戦に参加してくれた全員になにか、お礼をしないと。事態が落ち着いたら、温泉旅行でもプレゼントするか……? ちょうど、道摩法師になったおかげで蘆屋家所有の温泉とかも自由に使えるわけだし――、
『――入るがいい、道孝』
そんなことを考えていると、初代に呼ばれる。ひとりでに襖が開き、目の前には宇宙空間が現れた。
その中天にあるのは初代の座す本殿。そこには意外な先客がいた。
「盈瑠……?」
「兄様」
名前を呼ぶと、着物姿の盈瑠が振り返る。一見平気そうに見えるが、薄く化粧で隠された眼のくまや少し腫れた目元が刃のようにオレの心を抉った。
『我が呼んだのだ。盈瑠はそなたの補佐、いやさ、当主としての役目のほとんどは盈瑠のものとなるのだ。我としては伝えておかねばならぬこともあるのでな』
「…………そう言われると、ぐうの音も出ませんね」
非常に情けない話だが、現在、オレは名ばかりの道摩法師だ。意識を失っている間の実務は全て盈瑠が代行してくれていたし、派閥と一族のとりまとめも盈瑠がやってくれている。
事実、オレが寝ている間にオレを襲おうとした本家のクソばばあとかをみんなの力を借りて大事にせずに制圧したのも盈瑠だ。
オレじゃそんなにうまくやれなかっただろう。オレがそういう一族内政治を完全に無視してきたのもあって、そこら辺の手際では完全に負けている。
それに、実務を盈瑠に任せるというのは元の作戦通りでもある。前当主の娘であり、本家の姫でもあるという自分の立ち位置ならばオレよりもはるかにうまく取り仕切れると本人が志願したのだ。
しかし、叔父上があんなことになってしまった。これ以上の心労を盈瑠に押し付けることはしたくない。
「その顔、やめて」
「……すまん」
そんなオレの負い目を見抜いたのか、盈瑠に怒られる。いつまで経ってもポーカーフェイスばかりは上達しない。
「うちはうちのやりたいようにやってる。父様のことは関係ない」
「だが、オレはお前に約束して……」
「うちも解体局に籍を置いてるんや。このくらいのことは覚悟しとる。なんもかんもがうまくいくことなんかそうそうない」
冷静に言葉を重ねる盈瑠だが、無理をしているのは明らかだ。だが、今ここで食い下がるわけにもいかない。
家族のことだ。話すにしても相応しい場所がある。
『――もうよいのか? 我は構わんぞ。愁嘆場は見ていて飽きない』
そんなオレたちをニヤニヤしながら見守っていたであろう初代が声を掛けてくる。
……相変わらず趣味の悪いことだ。彼は顔のない狩衣姿で本殿の屋根に腰かけており、やはり、顔が見えなくてもニヤニヤしているのが分かった。
『そうにらむな。我とて道綱のことは気に掛けている』
屋根から飛び降り、オレたちの前に降り立つ初代。言葉では殊勝なことを言っているが、心なしか身のこなしや雰囲気も以前より若くなったように見える。
……オレが当主になった影響か? 初代はこの郷という異界の内部では全能ともいえる力を持っているが、それはあくまで一族との、歴代の当主との契約によって成り立つもの。契約者である当主が代われば、その性質も変化するというわけだ。
『だが、打つ手がなかった。仮に道孝が最初から我に命じていたとしても、あれは止められなかっただろう』
「……慰めは不要です」
『事実だ。あれは、そうさな、ミサイルのようなものだ。狙った標的を執念深く追い、必ずや目的を果たす。我が先んじてあれを阻もうとしていれば、別手段で道綱の始末をつけていた』
……あの時に感じたフロイトの異様さ、それを考えれば初代の言葉はまず正しい。あの時、初代の権能でフロイトを追放できたのは、フロイトの方がこれ以上こちらと争う意味はないと判断したからだ。
でなければ、フロイトが抵抗し、初代とフロイトの間で戦いになっていた。どちらが勝つかは正直分からないが、どっちでもそのレベルの戦いの巻き添えになればただでは済まない。
…………結果から言えば、オレたちはフロイトに見逃された、いや、今、殺す価値はないと判断されたというわけだ。それが幸運かどうかはまだ分からない。
はっきりしてることは、このことは盈瑠には何の慰めにもならないということだけだ。
しかし、ミサイルを例えに使うとは、とても千年前の人物を基礎にしているとは思えない。
「……あれは、フロイトとは一体何なんです? 貴方なら、何かわかるのでは?」
『…………ふむ。あれがなにか、か』
オレが本題に入ると『初代』は珍しく考え込むようなしぐさを見せる。
やはり、彼にしてもあのフロイトは不可解な存在だったようだ。
『そうさな。確かに我はあれを懐に入れ、解析した。だが、分からぬことの方が多い」
「……貴方でも、ですか」
『うむ。分からぬ。そもそもああいうものは我の時代には存在しなかった』
「何体かの魔人は千年前の時点でも活動してたはずですが……」
オレがそう指摘すると、初代は首を振り、右手をかざす。すると、掌から七つの星が飛び出し、彼の周囲を旋回し始めた。
星々はそれぞれ別の色に輝いており、一つ一つが七人の魔人に対応していることはまず間違いない。
『お前たちが魔人と呼ぶ存在、あれはこの惑星に打ち込まれた楔のようなものだ。古来から存在し、我の生きてきた時代でも観測はされていた。もっとも、今の時代ほどの力は振るっていなかったがな』
『世界は広がった』と肩をすくめる初代。
……確か原作にも似たような記述があった。
近現代における著しい情報網の発展によって人の認識は大きく拡張された。
それにより人の認識によって形成される異界も大きな影響を受けた。
特に宗教や神話に由来する怪異がその数を減らした一方、より普遍的な恐怖の影響は強くなった。
その普遍的な恐怖に結び付いているのが、七人の魔人たち。古くから人間の共通認識の奥深くに潜んでいた彼らは世界が繋がることでより大きな力を振るえるようになった。かつては神や悪魔が支配していた座に魔人たちは収まったというわけだ。
『だが、あれは他の七体とは何かが違う。古くから存在していた概念ではなく、新しい何かに由来している。千年前には存在しなかった何か、この千年でも我が目にしたことのない何かだ。死人である我では新しいものを観ることは難しい……実に惜しい。肉体があれば地団駄を踏んでいた』
……初代でさえ観測したのことのない、新しい何か。千年の時を渡る最強の術師の魂でさえ見たことのない何かなどそうあるものではない。それこそ、そんなものはこの世界には――ああ、まさか、もうそこまで踏み込んでいるのか……!?
…………七公会議で聞いた八人目の『魔人』の名は『観測者』。それが観るのはこの世界ではない新しい他の世界。
ゆえに、八人目は他の世界を識る転生者でなくてはならない。そして、八人目の権能が転生者であることに由来するものであるならば――、
『ふむ。さすがは当代の道摩法師。何かに気付きかけているな?』
「……ええ。おかげさまで。でも、あくまで仮説だし、やつを追うのには役に立たない」
『八人目は興味深い。だが、楔は多すぎても少なすぎても均衡を崩す。あれが八人目であるのなら、そのようなありかたをしているはずだ』
七つの星に八つ目をくわえる初代。一瞬ごとに光り方を変えるそれは規則正しく並んでいた他の星々にぶつかると、その星座を乱してしまった。
盈瑠はオレの隣で、その様子を固唾をのんで見守っている。彼女も今や解体局の一員だ。八人目の魔人の出現の意味するところはよく理解している。
『さて、お前たちが聞きたいのは、道綱のことであろう。我が知る道綱の記憶。あやつが何を考え、何を望み、なぜあの結末へと至ったのかのすべて。それが知りたいのだろう?』
「……ええ」
『では、期待には沿えんな。道綱は生きている者だけではなく、我と繋がることも拒んでいた。この郷から力と権能だけを引き出し行使していた」
アテが外れた、という落胆が一瞬脳裏をよぎるが、初代を見て違うと分かる。明らかに何か情報を秘したうえでこちらの反応を楽しんでいる。
「初代。何か知っているなら早く話してもらいたいですね。それとも当主として命じるべきですか?」
『やれやれ、若い者はせっかちだな』
そういうと初代はおもむろに本殿に続く階段に腰掛けた。
わずかな憂いと嘆きがその顔に浮かんでいるようにオレには見えた。
『道綱も最初は我が一族らしく優秀で了見の狭い術師だった。だが、何かがあれを変えた。きっかけは今から二十年ほど前のことだ。あれはこの郷を出て、解体局に身を置いていた。過去を追うならそこから始めるべきだろう』
二十年前、叔父上がこの郷を出ていた……? しかも、その際に解体局に身を置いていた……?
当時の叔父上はちょうどオレと同じくらいの歳のはず。くわえて、解体局に身を置いていたということは探索者として任務に就いていた可能性が高い。
……今から、二十年前といえば解体局を一変させるある事件が起きたのと同時期だ。
そのある事件についてはあらゆる情報が最上級の秘匿処理がされ、閲覧を禁止されている。
だから、分かっているのは事件の名前だけだ。
事件の名は『九十九事変』。原作においても、関連資料においてもほとんど語られることのなかったその大事件と叔父上の過去が無関係だとはオレにはどうしても思えなかった。