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第168話 手がかり

 意識を失ったオレが次に目覚めたのは、あの瞬間から三日後のことだった。


 極度の魔力欠乏と疲労による昏倒。異界探索者の死因としては怪異に殺されるのと並んで上位に位置するものだ。

 実際、オレも危なかったらしい。適切な処置をしなければそのまま昏睡状態になって目覚めないということもありえた。


 だが、ここは千年以上続く術師の大家『蘆屋家』だ。幸い、こういう時のための治療施設や道具、専門家には事欠かない。

 そのおかげでオレも命拾いをした。無論、自分で思っていた以上に無茶をしていたので、それでも貴重な『霊薬』やら『視肉』やらを使用することになったらしいが、今はオレが当主なので必要経費と割り切ることにした。


 そんなわけでいたれりつくせりの治療を受けて、オレは蘆屋の郷の外れにある『離れ』で目を覚ました。

 枕元ではアオイと彩芽が座ったまま肩寄せ合って眠っていて、彼女たちが夜を徹して看病してくれていたのは明らかだった。


 嬉しいやら申し訳ないやらいろいろと複雑な気分だったが、そういう余韻に浸れたのはこの一瞬だけだ。すぐに意識がはっきりして、何が起きたのかを思い出すと即座に二人を起こさねばならなかった。

 無論、二人の寝顔や寝息の音、上下する肩のリズム等々はオレの脳内SSDに永久保存はした。オタクとしての責務だ。どんな状況でもこれだけは怠れない。


 それはともかくとして、最優先で確認すべきは仲間たちの無事。次は、叔父上の安否だ。

 前者に関してはすぐに分かった。オレが目を覚ましたと聞いてすぐに全員で離れに押しかけてきた。


 凜にリーズ、山三屋先輩、そして、盈瑠みちる。みんな怪我もなく元気そうにしていたから、少し安心できた。


 ほかにも『次代派』の術師たちも忍者の連中にも犠牲はなかった。まあ、これに関しては分かっていたことではある。

 彼らを無力化したのは盈月みつきだ。多少は荒っぽいことはしただろうが、命を奪うような真似はしない。家族なんだからそれくらいのことはわかる。


 だから、問題は、叔父上だけ。オレが意識を失う直前に見たのは、糸の切れた人形のように崩れ落ちる彼の姿。突如として出現した『フロイト』の仕業だが、やつが叔父上に一体何をしたのか、あの一瞬では確認のしようがなかった。


 そのため、オレは叔父上に何が起こったのか、皆から聞いて知ることになった。叔父上の件も含めて事の後始末は、皆がやってくれていた。


 結論から言えば、叔父上は生きている。だが、彼の状態は――、

 

「……実の父親に顔を忘れられるなんて、盈瑠がかわいそうでなりません」


 盈瑠が席を外した時、アオイがそう呟いた。

 目覚めてからさらに一日が経ったが、オレはまだ要安静の身。離れの畳に敷かれた布団の上でこうしてみんなから報告を聞く以外にはできることがなかった。


 オレが目を覚ました時と違い、この和室には重たい空気が立ち込めている。いつもはこういうムードを一変させてくれる山三屋先輩でさえ悲しげな表情を浮かべていた。


 叔父上は生きていた。

 オレが『初代』の力を使ってフロイトを追放した後、星の間の外で倒れていたのをみんなが確保してくれた。

 

 生きてはいた。でも、意識を取り戻した叔父上は全ての記憶を失っていた。自分が誰であるのか、何をしていたのか、そして、誰の家族だったのかも何もかもを忘れてしまっていた。


 しかも、この記憶が戻ることはまずない。

 通常の記憶喪失であれば、何かの拍子に記憶が回復することもあるだろうが、今回の場合は脳内に保存される情報そのものが消し去られている。フロイトがどんな異能が用いたにせよ、元の記憶データの断片さえない以上、異能を用いても復元は難しい。少なくとも、オレや原作も含めたオレの知る限りの術師で可能性があるものはいない。

 

 それこそ、魔人たちや最上位の怪異であれば、とも考えたが、こればかりはないものねだりの極致だ。


 ……オレも紙の人形の『式』で確認したが、叔父上はまるで別人のように穏やかで感情豊かだった。あらゆるものに驚き、あらゆるものにおびえるその姿はさながら生まれたての赤子のようだった。

 …………記憶とはその人間を定義づける最大の要素だ。魂も肉体も重要だが、自我を作りあげ、定義できるのはやはり記憶。オレたちのような転生者スワンプマンが自身を認識できるのは記憶が維持されているからだ。


 その記憶がすべて失われるということは、自我の死。肉体の死と同等か、あるいはそれ以上に重たい。少なくとも残されたものには辛くてたまらないことだ。


 ……オレは盈瑠との約束を守れなかった。もう少し早く初代を活用していれば、もしくは、他に方法があったのか、それはわからない。あるいはどんな方法でも今のオレにはフロイトを止める力はなかったのか、それはわからない。

 

 わからないが、事実は変わらない。盈瑠は気丈に振舞っているが、心では泣いている。オレは自分が許せそうにない。


 これだけでも後悔が尽きないのに、問題はオレたち一族だけの間に留まらない。


「…………問題はそれだけじゃありませんわ。フロイトの正体に繋がる手がかりも途絶えてしまいました」


 誰かが言わねばならないことをリーズが言ってくれた。


 ……叔父上を無事に生かして捕らえるというのはオレと盈瑠の個人的な約束であり、彩芽の解放もまた個人的な目的。だが、今回の作戦は世界全体の安全保障を左右するものでもあった。

 フロイトは出現が予言されている『八人目の魔人』に繋がる唯一の存在だ。八人目の出現はそのままこの基底現実の崩壊を意味する。何としても阻止せねばならない。そのためにもオレたちは動いていた。


 そして、叔父上はフロイトと確実なつながりがあった。そのことはあの場にフロイトが現れたことからも疑う余地はないが、叔父上が記憶を失っていてはもう奴を追うための糸口がない。


 手詰まり…………いや、違う。あの場にフロイトが現れたことそのものが、重要な手掛かりなんじゃないか……?


「……あれは間違いなくフロイトだ。証拠があるわけじゃないが、間違いない。だから、それ自体になにか意味がある、と思う」


 みんなを混乱させかねないことを承知の上で、考えを口にする。

 ここにいる全員がフロイトとの遭遇の現場に居合わせていた。オレだけの視界と思考では理解できないこと、拾えない情報もみんなの力があればどうにかなるかもしれない。

 

「フロイトはこれまで表舞台には出ず、黒幕に徹していた。だというのに、今回に限っては、自ら姿を現した。つまり、それだけ道綱氏が重要な情報を知っていた、ということですね」


 まずは、アオイが言った。

 確かに、叔父上が握っている情報がよほど致命的なものでなければ、フロイトが直接出てくる必要はなかったはず。そうでなければ、どんな力を持っていたとしても姿を現すことのリスクの方が大きい。


 ……叔父上の記憶が消えたのがますます惜しい気もしてくるが、無いものねだりをしても仕方ない。


「……なんで記憶を消したんだろ?」


 頭を捻る凜。さすが主人公だけあって彼女の直感は正鵠を射ていることが多い。メタ的な理由抜きでも運命視の魔眼が収集している情報を無意識下で処理し、出力したものだから、そこにはほかの者では気付けない何かを拾っていることがままにあるのだ。


「なんでって、こちらに情報を渡さないためでは?」


「でも、それだけだったら、その、殺しちゃえばよくない? わざわざ記憶を消すっていうのには、なんか、意味がある気がする……」


 リーズの問いに、凜が答える。

 確かに、自分の情報を抹消するためにフロイトがとった方法は回りくどくはある。ただ殺すのではなく、記憶を消すのは手間もかかるし、失敗の可能性もある。


 ようは確実性に欠ける。だから、わざわざそんな方法を選んだのにはなにか理由があるはず。悪くない線ではあるが……、


「……一応、理屈は通る。仮に叔父上があの場で殺されていたとしても、情報を引き出す方法はないわけじゃない」


「え? そうなの?」


「降霊術もあるし、異能者によっては死体の脳みそから情報を引き出すこともできる。だから、叔父上が殺されていた場合は手があったんだ。だが、今回はその引き出す情報自体が消されてしまった。だから、やつの行動は理にはかなってる」


「そ、そんなことできるんだ……!」


 ……だが、この線は外れと判断するのは早合点だ。


 確かに理屈だけで考えれば、殺すのではなく記憶を消すのは合理性ゆえの行動だ。

 だが、意識を失う直前に、オレが目にした光景は、耳にした言葉はその合理性と真っ向から矛盾しているように思える。


 一方で、これに関してはオレの印象でしかない。

 ……フロイトと叔父上の間には何かオレたちが想定していない関係性がある。今はその可能性を心にとどめてくだけにしておくべきだ。


「他には、何かないか?」


 残る山三屋先輩とアヤメにも尋ねるが、2人も困った顔をして視線をさ迷わせるばかりだ。


「すいませんお兄様……盈月にも聞いてみたんですけど、あの子、この件には関わりたくないって言ってて……」


「あーしも、あの時できたことと言えば、道綱殿を運んでただけだし……それも失敗しちゃったし……」


 そう言いながら、だんだんと落ち込んでいく2人。

 今回の一件に関してはオレに全責任があるというのに、2人も責任を感じてしまっている。どうにかしてあげたいが、オレが言葉をかけても余計に落ち込ませてしまいそうでどうにも――、

 

「あ!」


 ――突然、山三屋先輩が声を上げた。

 一瞬、何か起こったのかと身構えるが、表情を見て違うと分かる。どうやら何かを思いついたらしく、先ほどとは打って変わって明るい顔をしていた。


「あの場にいたの、あーしたちだけじゃないよね?」


 立ち上がり、左手を腰に当て、右手でオレを指さす山三屋先輩。渾身のどや顔があまりにも可愛すぎて、無意識のうちにカメラを探してしまった。

 だが、見当たらないので脳内SSDに保存しておく。こと、推しに関しては容量無限だ。


「オレたち以外、ですか? そんなの……あ……」


 それはそれとして、オレもようやく気付く。どうやら、オレは無意識のうちに『初代』のことを避けているらしい。これからは改めないとな……、


 ともかく、あの場にはオレ達以外にもあのフロイトを観測したものがいた。

 『初代』の御霊。叔父上を補佐し、この蘆屋の郷全体を統括していたあの存在ならば、あるいは――いや、それだけじゃない。


 消えたのはあくまで、叔父上の記憶だ。いくらフロイトが強力でも消せないものはある。そこから手繰ればいい。

 ……希望はまだある。もしかしたら、叔父上の記憶も取り戻せるかもしれない……!




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