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第167話 触れえざるもの

 『それ』を目にした瞬間、オレはまず自分の正気を疑った。極度の疲労と魔力不足のせいで幻覚を見ているのだ、と。


 異界探索者として、また術師としてあるまじきことだ。視界にとらえ、脳が像を結んだ以上、対処の方法を最初に考えるべきだ。

 だというのに、オレはほんの一瞬、目の前の存在の異様さに思考を放棄した。魔力も発さず、気配も持たない人型の『ノイズ』。その正体があの『フロイト』だと直感しながら――、


「――っ」


 その一瞬で、『フロイト』はオレの目の前に移動した。殺気もなく、殺意もなく、その右手が突き出される。


 まずい……! 防御も回避も間に合わない……! いや、間に合ったとしても、おそらくこいつはその全てを突破してくる!

 でも、抵抗しなければ、オレは死ぬ……!


「道孝!」


 即座に反応したのは、オレではなくアオイ。瞬きをも凌駕する速度で刀を翻し、突き出された右腕を斬り(・・)飛ばした(・・・・)


 そう、斬り飛ばした。とっさに背後に飛び退き、バランスを崩した視界でオレは確かにその光景を目にした。


 だが、その瞬間、アオイの切り飛ばしたはずの右腕は何事もなかったかのように元の位置に戻っていた。


 ……再生や復元じゃない。それだったら次の瞬間に起こるはずだ。あの右腕は最初から斬り飛ばされていない、目にした光景と矛盾しているが、そうとしか思えない。

 くそ、どうなっているんだ……!? こんなの今世でも前世でも見たことも聞いたこともないぞ……!


「――っ!?」


 実際に、フロイトを斬りつけたアオイの困惑はオレ以上で、彼女にしてはありえないことに切っ先が止まっている。致命的な隙だ。

 即座に、なけなしの魔力を振り絞ってアオイの前に塗壁童子を召喚。盾とする。


 だが、追撃はない。フロイトは何事もなかったかのように右手を降ろすと、ゆっくりときびすを返す。

 その先にいるのは凜、リーズリット、山三屋先輩、そして、叔父上だ。


 自分の情報を握る叔父上を救出しに来たのか。あるいは、始末しに来たのか。どちらにせよ、目的を果たさせるわけにはいかない。

 

 正直、さっきの防御でからっけつの魔力はさらに底をついたが、まだどうにか意識を保てている。なら、できることはあるはずだ。

 それに、みんなの援護はオレの本業。疲労とダメージは言い訳にはならない。


「全員、直接攻撃は避けろ! 先輩、叔父上の確保を!」


 すぐさま大声で指示を出す。念話を使う余裕さえないが、目的さえ明らかなら対処はできる。

 もっとも、攻撃が通じている様子はない。リーズリットの呪いの炎はたしかに『フロイト』の肉体を焼き焦がしながらも、同時にそれがなかったことになっている。


 ……くそ、解析に集中できない。せめて、六占式盤を維持できていれば……いや、ないものねだりはしていられない。


「アオイ。時間稼ぎを頼む。どうにかして逃げるぞ」

 

 オレと彩芽の前で警戒態勢をとるアオイに、声を掛ける。困惑と微かな恐怖が彼女の横顔に浮かんでいた。

 無理もない。異界探索においてありえないなんてことはありえないが、先ほどの現象には物理的にも、異界法則的にも説明がつかない。


 端的に言えば、なにもかもが分からない。解析不能の現象が人の形をして歩いているようなものだ。

 そんな相手にこんな満身創痍の状態で戦っても勝ち目は薄い。ここでこいつを確保すれば、という欲が脳裏を過るが、叔父上を押さえた以上、最優先はみんなの安全だ。ここは兄貴としても、オタクとしても譲れない。


「ええ。ですが……あれはなんです? あんな感覚は……今までにない……」


「わからん。だが、敵だ。もしかすると、フロイト本人かもしれない」


「……仕留めたいところではありますが、まあ、仕方ありませんか」


 呼吸を整えると、アオイは刀を低く構え、フロイトに向かって吶喊とっかんする。

 指示通りに、直接の接触を避けて斬撃を飛ばしての中距離戦に徹している。先ほど同様、攻撃の効果はなく、足止めにさえなっていないが、これでいい。


 アオイも含めて、全員がオレの意図を理解してくれている。

 とにかく攻撃を仕掛けて相手の反応を引き出す。一つ一つの情報は微かだが、繋ぎ合わせれば、手掛かりになる。そして、そこから答えを導くのはオレの役目だ。


 逃げるにしても簡単には逃がしてくれないのは明らか。退路を拓いて飛び込むことができる程度の隙は作らないといけない。


『凜。何が見えてる?』


『え、えと、すごいキラキラしてて、でも暗くて、かと思ったら、爆発してるみたいだし……その、万華鏡みたいな感じ!』


こういう時に頼りになるのは凜の運命視の魔眼だが、どうにも漠然としてる。まあ、仕方がない。あの視界はそもそもかなり観念的なものだ。イメージが掴めただけでもよしとしよう。


「お兄様……」


「……大丈夫だ。みんなで無事に帰る。少しだけ支えててくれ」

 

 彩芽は何も言わずに頷くと、オレの体をそっと支えてくれる。

 兄としては情けないことこの上ないが、立っているのに体力を使うくらいなら少しでも解析に回したい。


「避けてもいないし……防いでもいない。おまけに魔力の発生もなし……術じゃない……」


 いまにも手放してしまいそうになる意識の中、必死で思考を繋ぎ合わせていく。

 

 こちらの攻撃はフロイトの肉体に確かに届いている。

 飛び散った血液も、肉の焦げる匂いも、なにもかもが本物。自己診断の結果から言っても幻覚の類じゃないのは間違いない。


 であれば、なぜやつは平気、いや、復元している? そう、復元だ。再生じゃない。


 類似する現象としては『鏡月館』で遭遇した『殺人鬼』か。あれは『事件が解決するまでは決して倒れない』という異界法則によって守られ、どんなダメージを負ってもそれをなかったことにして復元されていた。


 だが、あれは殺人鬼が怪異で、あの異界で発生した存在だからこそ成立したものだ。人間であるはずのフロイトには適応できない。

 ……逆に、怪異だと仮定しても矛盾が生じる。怪異が異界法則の援護を受けられるのはその怪異の発生源となった異界の内部のみだ。フロイトがこの『星の間』の出身でないことは明らか。となると、ほかの要因があると考えるべきだ。


 それに、『魔人』になれるのは『人間』だけだ。フロイトこそがいずれ出現するとされる『八人目』の魔人の候補者だと考えるなら、やはり、怪異ではない。


 今考えた全部がなにもかも間違っているという可能性もあるが、それに関しては最初から除外している。

 あれは、『フロイト』だ。直感とは無意識下での情報処理の結果。理由はまだ言語化できないが、この感覚は信ずるにたる。

 

 ……人間だが、怪異でもある。

 凜の見た運命視の魔眼のイメージとも一致する。未知の事例だが、そう考えるしかない。であれば、両方を封じる。奴の動きを止めるにはそれしかない。


「――やるしかない、か」


「お兄様?」


 そう覚悟を決めると、傍らの彩芽が心配そうにオレの顔を見る。そんな顔をさせてしまったことには胸が痛むが、変に強がってもそれも彩芽のためにはならない。

 なので、ここは思い切り頼るとする。


「オレはこのあとまず間違いなくぶっ倒れるから、頼む」


「……はい。お兄様の体はお任せください」


 彩芽が頷いてくれる。ならば、と覚悟を決めて、最後の魔力を術式という炉にくべた。


 扱う術は『陣』。封印や結界では対象を絞る分、すり抜けられかねない。だが、この『陣』ならば陣の中にあるすべてに無条件に縛りが適応される。


 叔父上を担いだ先輩は神出鬼没の敵を相手に見事に逃げ回ってくれている。

 ……時間は稼いでくれた。なら、今度はオレの番だ。


「『八門金鎖・閉』!」


 そうして発動するのはオレではなく、フロイトの足元を中心とした『八門金鎖陣はちもんきんさのじん』。ただしこの陣は外から入ったものを惑わせるのではなく、中にいるものに特定の手順を踏まねば外には出られないという法則ルールを課すものだ。

 だから、こちらから干渉することもできないが、フロイトも決められた手順通りに動かなければ陣を出ることはできない。しかも、魔力不足のせいで陣の組成がぐちゃぐちゃだから、手順もぐちゃぐちゃになっている。尋常な手段では脱出不可能だ。


 これで、フロイトの拘束はできた。仕留め切れるとは思っていない。必要なのはこちらが逃走経路を確保するための数秒――、


ワ頭ら羽シィ(わずらわしい)


 ノイズのような、声が響く。

 不可解なことにその声は、音としては理解不能にも関わらず、意味だけが伝わってくる。


 次の瞬間、オレの構築した陣が砕け散る。

 直後に聞こえたのはガラスの砕けるような、甲高い音。ほんの一瞬、割れたステンドガラスのイメージを幻視し、強烈なフラッシュバックがオレを襲った。


 一面の炎。空を覆う隕石。更地となった首都。焦げついた影。そして、宇宙を囲む巨大な

 何もかもが強烈なイメージであるにも関わらず、何一つとして理解できない。ただ、唯一認識できたのは、この光景こそが『世界の終わり』であるということだけだ。


「――っ!?」


 水面から浮き上がるようにして、意識を取り戻す。肺に空気が流れ込み、おぼろげな意識を痛みがつなぎとめていた。

 永遠のように感じられたフラッシュバックはその実、一瞬のことだった。

 

 視界が戻ってくる。目の前では拘束された叔父上の前に、フロイトが立っている。なにやら話しているようだが、聞き取ることはできない。

 ……仲間たちはフラッシュバックの影響から脱し切れていない。辛うじて、動けるのはオレだけだが、そのオレも、今度こそ魔力切れで指の一本も動かせない。


 どうする……なにか手はないのか……なにか…………、


「……そうか」


 まったくオレは何を馬鹿なことをやってたんだ。いくら魔力切れで脳味噌が半分停止しているとはいえ、こんな大事なことを限界すれすれに追い詰められるまで忘れてるなんて……!

 オレは叔父上に勝った。であれば、オレは『道摩法師』。この異界を支配しているのも、初代『道摩法師』。そして、その初代に命を下せるのは、『道摩法師』のみだ。


「『初代』……! 退去命令だ! 対象は一名!」


 全身の力を振り絞って命令を発する。初代はその声に応えて、即座にその異能を働かせる。

 『急急如律令』だ。フロイトの周囲の空間が歪み、その存在をはるか遠方へと追放する。さしものフロイトも、あらゆる陰陽師の祖、その片割れの術には抗えない。


 だが、その術が成立する直前、フロイトの右手が叔父上の頬をゆっくりと撫でた。

 その動作は、疲れ切った旅人を労うような、あるいは、古くからの友人をいつくしむような、そんな、愛情ゆえのものだった。


「――ああ、そうだな。それしかないだろう」


 叔父上の声がオレの耳に届く。その言葉を発した直後、叔父上の体は張り詰めた糸がぷつんと切れたかのように崩れ落ちてしまう。何か致命的な、不可逆な現象が叔父上の身に起きたことは間違いない。


 そうして、オレの意識も途絶える。

 闇の中、どこにも届かずに消える懺悔のような、小さな声が聞こえた。その声は「ありがとう」と言っていた。

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