第165話 道綱
原作『BABEL』において『貪るもの』は物語の最後に立ちふさがるラスボスだ。
当然、それに相応しい格と能力を備えている。人類の持つ『死への欲求』の具現化と言われるだけあって、その一端だけでも人間世界を滅ぼすことができる。
そんな強大な存在と原作主人公『土御門輪』は各ルートごとのヒロインと一緒にたった二人で立ち向かわなければならない。
エンディング直前ということもあって『運命視の魔眼』は完全覚醒し、ヒロインの方も最大限の力を身に着けているが、それでもラストバトルに相応しい大激戦が繰り広げられていた。
それに比べれば、今のオレたちの状況は決して悪くない。
なにせ、特別探索班『甲』の面子がここには揃っている。ひいき目なしに見ても今のオレたちの総戦力は原作の最終盤における主人公一行にも匹敵、いや、上回っている。
だが、そう楽観的にもなれない。オレたちは原作のようにただ『貪るもの』を討滅すればいいわけじゃない。貪るものと宿主である叔父上を切り離し、彼を生きたまま確保する必要がある。
ただ倒すのと、生きたまま相手を捕らえるのではその難易度には天と地ほどの差がある。
でも、やってみせる。叔父上はあの怪人『フロイト』へと繋がる唯一の手がかり。いや、盈瑠にとっては実の父親だ。その理由だけで彼を死なせるわけにはいかない。
幸い、そのための力と道具はここに揃っている。ならば、あとは成し遂げるだけだ。
「道孝、作戦を」
「――いつも通りだ。前衛は君に先輩、凜。後衛はオレとリーズ。切り札はある、時間を稼いでくれ」
すでに凜と先輩は貪るものと戦闘を開始してくれている。そこにアオイが加わればどうにか拮抗を保てるはずだ。
息を吐いて、魔力の循環を調整する。
丹田から始まって頭の先から足先まで滞りなく魔力は廻っている。残りは少し回復して4割ほど。どうやら分体が消滅して、その分の魔力が回収できたようだ。
急造だったわりには、よく働いてくれた。できれば見送ってやりたかったが、これは感傷だな。
「リーズ、みんなの援護を頼む。オレは切り札を準備する」
「承知していますわ。このリーズにお任せを」
「……盈瑠は、どうしてた?」
「立派でしたわ。今は外で味方を率いて郷を守っています。他の派閥の術師たちはかなり様子がおかしかったので」
「様子がおかしい?」
「おそらくこの異界の異常に当てられたのかと」
「……ありえるな。なら、まずはここをどうにかしないと」
守りはリーズに任せる。彼女の炎は呪いの炎。ただの物理現象ではなく高密度の情報の塊でもある。そのため、貪るものの持つ滅びの因子と接触したとしても数秒間は拮抗できる。
リーズはその炎を前衛3人の武器や体表に纏わせることで彼女たちを守護し、攻撃にも貢献している。
この付与はオレとリーズの共同制作の術式だ。毎週の特訓の際に考案したもので、まだ実戦では使っていなかったが、リーズが完成させてくれていたか。さすがの勤勉さだ、いつも助けられてる。
前衛三人もそれぞれの異能を最大限に発揮して、貪るものに対抗している。
刀に、剣に、拳。それぞれ得物は違うが、見事に効果を発揮していた。
特にやばいのは先輩だ。素手と素足で貪るものの侵食をはたき落としている。
理屈は、わかる。
彼女の扱う異能『阿国流』は出雲阿国に由来し、その踊りの源流はその身に神を憑依させる『神降ろし』につながっている。神降ろしの精度を左右するのは本人の肉体と精神状態。より神に近しい状態を維持することでより強い権能を発揮できるというわけだ。
そして、今の先輩は理想の状態に近い。白拍子の服装は神を降ろすための衣装であり、この蘆屋の郷との相性も良い。かつてないほどの絶好調と見える。
先輩の四肢には純粋な神気が宿っている。それをもってすれば滅びに対抗することも可能だ。
まあ、それこそ言うは易しだ。足運び一つ、体捌き一つ一瞬でもズレれば神気は失われてしまう。それをこのレベルの戦いで運用できているのは、山三屋先輩が神域の天才であるからに他ならない。
残る2人に関してもそれは同じで、ギリギリの綱渡りを涼しい顔でこなしている。
原作をプレイしてみんなの凄さはわかっているつもりだったが、毎回こうして目の当たりにするとその度に感動で胸が熱くなる。
加えて今回は盈月の援護がある。彼女が呼び出した魔力の月は全員に加護を与え、この異界内で最大限の能力を発揮できるようにしてくれている。
そうしながらも、異界そのものに干渉して貪るものの侵食も遅らせてくれているのだから、感心するほかない。さすがは我が妹だ。これほどの天才はこの世界でもそうはいない。
オレの方も今が踏ん張り時だ。魔力的にはしんどいままだが、根幹の術理はすでに実証済み。ならば、自転車の運転のように体が覚えている。
「『影よ』」
足元の影、それと一体化している『山本五郎左衛門』に改めて呼びかける。その力と権能を最大活用させてもらう。
……叔父上の操っている貪るものは少しずつこの異界『星の間』を侵食している。外の蘆屋家の術師に影響が及んでいるのもそのせいで、このままではこの異界そのものが崩壊してオレ達も死ぬが、それが唯一の突破口でもある。
本来、貪るものは実体を持たない。
通常の怪異であれば肉体が存在しないとしても、霊体や概念体と呼ばれるこちらから干渉可能な『実体』が存在しているが、貪るものはその例外の一つ。ただそこにある現象に対して抗するには、こちらも『運命視の魔眼』のような例外的な力を用いるしかない。
だが、今、貪るものは異界に干渉し、半ば実体を得ている。つまり、侵食部からならば逆にこちらからも干渉ができる。さらに言えば、侵食された部分ごと消し飛ばすことができれば、貪るものを退散させることも可能だ。
問題はどこからそんな破壊力を引っ張ってくるかだが、そこはオレ次第。こういう時を想定しての開発はしてきた。ぶっつけ本番だが、どうにしてみせる。
「――来たれ、『七尋乙女』『塗壁童子』」
呼び出す式神は巨大な肉体を持つ少女の怪異『七尋乙女』に我が防御の要『塗壁童子』の二体だ。
「ごしゅじん、がんばる!」
「ああ、頼むぞ、乙女、塗壁」
両の手を振り上げて気合を入れる七尋乙女。彼女には何をするかすでに伝えてあるが、本当に頑張ってもらわないといけない。
七尋乙女を核として、塗壁童子を外殻にして最強最大の式神を創造する。その破壊力をもって必ずや『貪るもの』を倒す。
「『検索・適合・因子抽出』」
展開した『星名録』、そこから必要な式神、その権能の一部を取り出していく。
星名録には蘆屋の一族が長い歴史で契約してきたすべての怪異の名が記されており、それを直接呼び出すことも、こうして、一部の力や構成要素だけを借り受けることもできる。
求めるのは、『土』の属性を持つもの、大地に由来する出自を持つもの、そして『巨人の伝承』にまつわるものだ。
例えば『餓者髑髏』、『見越し入道』、『海坊主』。これらはすべて中級程度の怪異だが、皆、ある因子を引き継いだ存在でもある。その因子を抽出し、七尋乙女と塗壁童子に結合させる。
そのための触媒となるのが、変幻自在である『山本五郎左衛門』の影。妖怪たちの王でもあるかの怪異は妖怪と妖怪を繋げるのにこれ以上なく適している。
事実、『独眼龍』の強化にはこの影が貢献してくれた。
そうして、結合させる因子とは『国造りの権能』。数多の国で語られる巨人による天地創造の伝説、彼らの源流に存在するが、それだけでは意味をなさないそれらを束ねることでいっきに位階を引き上げるのだ。
無論、かかる負荷も魔力の消費も半端ではないが、目の前では、妹と仲間たちが貪るものの滅びに必死で抗っている。
なら、頭蓋をのみで削られるような激痛も、急激な魔力消費に壊れかけのモニターのようになっている視界も問題にはならない。
深く、遠く、深層へと意識を沈めていく。
この星空、異界という巨大な『現象』に己の自我だけで向かい合う。
流れ込んでくる情報量に自我が希釈されていくが、耐えられる。これまで楽な戦いは一つとしてなかったが、そのおかげで今ここに立っていられる。
確かに掴んだ。
この一つの世界を成立させている力の流れを手繰り寄せ、我が式神たちへと注ぎ込んだ。
「『式神合神』」
『核』に『因子』、『触媒』。そして、『力』。すべてが揃い、新たな存在へと昇華する。
立ち昇る魔力の渦、その最中からオレの切り札は姿を現した。
天元を貫く巨なる存在。天体の如き光を纏うこの巨人の名は――、
「――『神代国引き・大太郎法師』」
覚悟を持って、その真名を口にする。名はそのものを定義する鋳型、我が式神は今、その名の通りの国引きの巨人へと姿を変えた。
怪異としての位階は最上位である『不可知域』にも達している。
間違いなくオレの扱える式神の中では最大級にして、最強。おかげで維持できるのは、あと数秒だが、その数秒で事は足りる。
「『国崩し』」
『大太郎法師』が両の手を振り上げる。凄まじい魔力が渦巻き、嵐となって吹き荒れた。
「――っ!」
当然、叔父上もそれを最大の脅威とみなして攻撃を仕掛けてくるが、皆がそれを許さない。
炎と斬撃、打撃、そして、月の光がオレと大太郎法師を守ってくれた。
大太郎法師が両の拳を振り下ろす。その瞬間、星空が砕けた。
ガラスのような空間の欠片が周囲に降り注ぐ。壊れた星空の向こうにはなにもない虚無が広がっていた。
空間破砕。
かつて大地を抉って山を造り、川の流れをも変えたとされる国引きの巨人には天地創造『国造り』の権能が宿っている。
山を創るためには大地を抉る必要があるように、創造と破壊は表裏一体。世界を創り出すことができるということは、世界を壊すこともできる。
そして、世界を壊すことができるのなら、『滅び』をも滅ぼすことができる。
空間ごと破砕され、貪るものの本体『黒い孔』までもが罅割れる。
明確なダメージだ。いかに存在そのものが曖昧と言っても、空間そのものを破砕されれば影響を受ける。
それだけじゃない。今の叔父上は『貪るもの』と深くつながっている。つまり、貪るものへのダメージはそのまま叔父上にも反映される。
「ぐっ……!?」
明らかに同調が乱れている。これなら――!
「凜! 使え!」
「うん!」
すぐさま縁切り童子を操って、その鋏の使用権を凜へと譲渡する。縁切り童子の権能に加えて凜の運命視の魔眼があれば、断ち切れるはずだ。
これも作戦通りだ。縁切り童子の権能と凜の運命視の魔眼を使って、叔父上と式神の縁を断つことで彼を無力化する。相手の戦力にこそ格段の違いはあったが、原理は変わらない。必ず成功する。
「――っ」
大太郎法師の術式が解ける。集中していた魔力が霧散し、維持できなくなるが、どうにか、縁切り童子だけは限界を保つ。
こっちも限界だが、今しかチャンスはない。
「はああああああああああ!」
凜が鋏を振るう。
その刃が断たんとするのは、叔父上と貪るものを結ぶ『縁』。どんな契約によって繋がっているのかはわからないが、断ち切ってしまえばあとはどうにでもなる。
そうして、権能の刃は縁を断った。