第164話 分体
蘆屋の郷に帰る前、オレは夢現境でみんなと作戦を建て、その大部分を忘却した。
オレの思考から作戦内容や仲間の配置等の情報を漏らさないためだ。こうでもしなければ、叔父上や初代には血縁という繋がりを利用して考えを読まれる可能性があった。
おかげで、ハラハラする場面も多かったが、ここまでくれば記憶を封印しておく必要はない。より正確に言えば、ある条件が満たされた時に、記憶が復活するようにオレは自分自身に暗示をかけておいた。
その条件とは蘆屋の郷にある『宝物殿』からある物品を入手すること。それが達成されたから、オレは自分が何をしているのかはっきりと思い出すことができた。
頭の中の霧が晴れたようだ。もっとも、今の状況は事前に想定していたものとは全く違っているのだが。
しかし、それでもやれる、オレ達なら――!
「ようやく出番だ――ってここ宇宙!?」
気の抜けることを叫びながらオレの影から人影が姿を現す。星の光に照らされて、彼女の姿があらわになった。
土御門凜。我が友人にして、原作主人公。いつもの支給品の西洋剣を持って、白い狩衣を着ていて陰陽師仕様だ。血筋的にはぴったりだし、見た目的にもすごくかっこかわいいので問題はない。
なにより、この状況での援軍はオレの求めてやまなかったものだ。
通常、閉鎖された異界に所定の入り口以外からは侵入することは難しい。
だが、『転移門』が内部と繋がっていれば話は別だ。そして、今オレの影はこの異界の外にいる『分体』と繋がっている。アオイや凜が駆けつけることができたのは、このカラクリがあってこそだ。
それでも、まずは『蘆屋の郷』の内部には入らなければならないが、そちらは山三屋先輩が手引きしてくれた。
オレが郷に帰ってきた時に見た神楽座の一団、あれがみんなだったのだ。
盈瑠から叔母上に山三屋先輩に関係のある神楽座を呼ぶように頼み、先輩の伝手でそのメンバーと『特別探索班』の面子と入れ替える。客人であれば侵入阻止の結界を突破できるし、影を通じての転移もスムーズだ。
我ながら悪くない作戦だ。それに今のところは順調に進んでいる。
「凜、あれはどこだ?」
呪いに干渉することで盈月の苦しみを和らげながら、凜に尋ねる。彼女は周囲の光景に目を白黒させつつも、懐からあるものを取り出した。
そのあるものとは、古びた巻物。ボロボロで今にも風に崩れてしまいそうなありさまだが、そこから発せられる魔力は社殿の奥に浮かんでいる太極図と同等の魔力を放っている。
「助かった、ありがとう。これで彩芽と盈月を助けられる」
「うん。蘆屋君の作戦のおかげだよ。でも、向こうの蘆屋君、消えかけてたけど、その、大丈夫?」
「……まあ、大丈夫だ」
凜の言う向こうのオレというのは、オレが作ったオレの『分体』のことだ。
分体とは魔術的に作成する分身、あるいは現身のことだ。クローンと言い換えてもいい。
この分体は本体から力を分け与えられ、同じ思考を持ちながら離れた場所で活動することができる。魂こそ持っておらず活動不能になるか魔力が切れると消滅してしまうが、それでも、最高峰の術師であれば皆、この分体を使っている程度には便利な術だ。
オレも今回の作戦にあたって、その分体を作成した。
今までにも何度か作ってみようとしたものの、魔力消費等のリソース的な部分で割に合わないということで頓挫していたが、この度、必要に駆られて初めて分体を用意することになった。
まあ、出来の方は初めてということでだいぶ妥協した。完成したのは解像度の下がった、100回くらいコピペを繰り返した後みたいな感じのオレだったが、皆には意外にもゆるキャラみたいでかわいいと評判だった。
本当は見た目にも凝りたかったんだが、今回は用途が用途だ。『山本五郎左衛門』の力で影と影をつないで転移門として扱う程度ならどうにかなる。
そして、今、その分体はこの蘆屋の郷の宝物殿でみんなと一緒にいる。オレの影に飛び込んで、そこから縁を辿ればこの場所に駆け付けることができるというわけだ。
「他の面子は?」
「みんなはまだ戦闘中。でもすぐに――」
とっさに凜が振り向きざまに剣を振るう。すると、ガラスが砕けるような甲高い音が響いた。
聞き覚えのある音だ。これぞまさしく『運命視の魔眼』が可能性を切断する音……! 凜もまた原作主人公『土御門輪』と同じ領域に至っている……!
彼女の一撃が何の可能性を断ち切ったのかはわかり切っている。背後から迫っていた『貪るもの』の一端、伝染する滅びの可能性とでも言うべきものを運命視の魔眼は捉えることができる。
さしもの、叔父上も驚いている。
それもそうだろう。貪るものの侵食は物理的な攻撃であるだけではなく異界原理における物質の根本、構成情報と呼ばれる最小単位を崩壊させる。この侵食は接触した段階で発動するために防御不能で、一度侵食された部位はいかなる手段を用いても再生不能だ。
しかし、『運命視の魔眼』だけはその『滅び』が発動する前にその可能性を断つことができる。
まさしく原作通りの関係性。滅びの可能性の具現化ともいえる『貪るもの』にとって運命視の魔眼は天敵そのもの。原作同様、凜ならば世界を救える。
「――えと、あれが蘆屋君の叔父さんなんだよね? すごいことになってるけど……」
「そうだ。あの凄いことになってる叔父上をどうにかしないといけない。殺さずにな」
攻撃してきたところからして、叔父上はオレが何を手にしたか気付いている。それを使う前に決着をつけるつもりだ。
「OK! みんなで戦えばどうにかなるって! 彩芽ちゃんと盈月ちゃんも助ける!」
「ああ、だから、すこし一人で足止め頼むぞ」
「え””?」
しかし、本人にその自覚はない。けど、やってもらうしかない。
「頼む。お前にしかできないことだ。オレは今すぐ『従属の呪い』を解く」
「僕にしかできない……なら、仕方ないよね。親友の頼みは断れないし」
凜はそういうと微笑みながら、剣を構える。澄んだ魔力が立ち昇り、運命視の魔眼が輝きを増した。
……まったく、いつのまにやら頼りがいのある背中をするようになったもんだ。前世でプレイ画面を通じて感じた頼もしさ、いや、それ以上に今の凜はオレにとって確かなものになっている。
凜はそんなオレの勝手な気持ちに応えるようにこちらに伸びてくる貪るものの侵食、空間の罅割れを剣で打ち払っていく。
……叔父上の方にも余裕はない、はずだ。他の式神や術を併用すれば凜一人ならもっと簡単に押し込めるというのに、その気配はない。
おそらく、貪るものの制御にリソースを奪われているのだろう。強力な式神を行使するときにはよくあることだ。ましてや、使役しているのはあの『貪るもの』だ。脳と精神にかかる負荷は筆舌に尽くしがたい。
それほどの苦痛を負ってまで、なぜ……いや、考えるの後だ。今は盈月を苦しめている『従属の呪い』を解くのが最優先だ。
「――開け、『星名碌』」
名を唱えて、巻物を開く。巻物は見た目からは想像できないほどの長さに広がり、オレの周囲を取り巻き、輝きを放った。
この『星名碌』こそは歴代の道摩法師と蘆屋家に名を連ねる術師たちすべてが契約してきた式神、その全てが記された目録だ。
そして、この式神たちが主と結んだ契約の縁はまだ続いている。つまり、目録を開くことができれば、そこに名を連ねた式神を好きに呼びだし、使役することができる。
そんな強大な力を持つがゆえにこの宝物は守りの固い宝物殿の最深部で蘆屋家の使役する最上級の式神によって守られていたし、簡単には開けない。
これを開くことが許されるのは道摩法師か、その候補者だけ。オレがこの儀式に挑んだのの半分はこいつを開くためだ。
そして、この膨大な目録からオレの求める名はただ一つ。その名は――、
「来たれ、『縁切童子』!」
情報の津波、その渦の中から目当ての名前を確実に見つけ出す。時間にしてわずか一秒足らず。以前のオレならもう少し時間が掛かっただろうが、今のオレならばこの程度のことはできる。
呼び出した、式神は『縁切童子』。
身の丈ほどの巨大な鋏に寄りかかった赤黒い着物の女性。その顔は一枚の札によって隠されており、黒ずんだ鋏の刃先からは赤い血が滴っていた。
この怪異はとある廃神社に発生した異界、その異界因となった個体で、もとは『神』だった。
神であった頃に司っていた権能はその名の通り『縁を切り、また結ぶこと』。零落し、怪異となった今でもその権能は引き継がれており、その用途においては格上の式神や怪異よりも強力な、絶対的ともいえる権能を持っている。
つまり、この式神ならば『従属の呪い』という悪縁をも断ち切れる。それも、彩芽にも盈月にも一切の影響を及ぼさずに、だ。
「盈月、今助ける。信じてくれ」
愛する妹の隣にしゃがみ、彼女の瞳を見て語り掛ける。苦痛に歪んだ表情に心が張り裂けそうになるが、頷いてくれた盈月を見て、オレの中に力があふれるのを感じた。
そうして、縁切童子が『従属の呪い』が具象化した鎖に鋏の刃を突き立てる。
「――っ!」
呪いの抵抗で盈月が声にならない悲鳴を上げる。妹の手を強く握って、オレも一緒に耐える。
鋏の刃が鎖に食い込んでいく。あと一息だ。
「蘆屋君――!」
その直前、凜の叫びが響く。空間の亀裂が宇宙空間全体に広がって、オレに向かって侵攻してきている。
これでは凜一人では防ぎきれない。だが、感覚で分かる。間に合ってくれた。
「『炎よ』!」
オレの影から巨大な炎が噴き上がる。その炎はオレと盈月の周囲を囲み、貪るものによる侵食を阻む。
呪いを帯びた魔女の炎だ。空間そのものを燃焼させるこの炎は強力な結界でもある。これならば貪るもの相手でも遅延が可能だ。
こんなことができるのは1人しかいない。リーズリットだ。
「まったく、一仕事終えたかと思えば、今度はこれですか。忙しすぎてお肌が荒れてしまいそうですわ」
振り返ると、そこにはやはりリーズリットが立っている。
髪の色と合わせたのか黄色の仕立てのいい着物を着て、髪の毛を後ろで縛っていた。着物を着ているからだいぶ締め付けられてるのに胸部の自己主張が健在なのはさすがといわざるをえない。
「そうだねー。あーしも肩とか背中とかガチガチだし。温泉とかスパとかいきたい。もち、奢りで」
続けて、山三屋先輩が姿を現す。彼女は白い水干という着物に、紅い袴をはいている。腰には太刀を下げていて、伝統的な踊り子『白拍子』の服装をしている。
一方で、明るい髪色や首元の猫のアクセサリーで先輩らしさも失っていない。そのギャップが、こう、なんとも言えない魅力を醸し出していてすごく惹かれる。
「――ともかく、最後の一仕事です。全員、気張るように」
最後に姿を現したのは、アオイだ。服装そのものは変わらないが片袖をはだけた着物姿で、二メートル程の刃渡りの大太刀を背負っている。
……アオイの顔を見ただけですごく安心している自分がいる。単純な強さだけじゃない。オレはどうやら心の底から彼女を信頼して、愛しているらしい。
同時に、がちりという音が響く。縁切童子の鋏が因果の鎖を断ち切ったのだ。
「――ぞろぞろと腹の立つ……でも、今は我慢ね」
そんな物騒なことを言いながら、盈月も立ち上がる。彼女が息を吐くと、同時にオレたちの背後に巨大な月が現れた。
その月がもたらすのは全員に対する加護。魔力効率の向上と出力の増加だ。
口では悪態をつきつつも、みんなで戦ってくれるつもりなのだ。
さて、これで今度こそ形勢逆転だ。叔父上には聞きたいことがたくさんある。絶対に死なせやしない。