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第161話 湖面の月

 月が落ちてきそうなほどに大きいとは、よく言ったものだと思う。

 見上げた空一面を巨大な満月が埋め尽くしている。ウサギのような模様から有名な『コペルニクス・クレーター』まで虚実入り混じった月のかおを堪能できる。

 

 絶景ではあるが、実際に月が落ちてきているとなれば、楽しんでもいられない。ましてや、これを自力で何とかしなければならないのだから、正直言って、状況は絶望的だ。

 それでも、逃げる気はさらさらない。なにせ、この月を止めるのが妹の願いだ。叶えるのは兄貴の義務、一歩も退く気はない。


 だが、どうしたもんか。

 今のオレでも月の落下の直撃には耐えられない。いや、『塗壁童子』の『一夜城』ならあるいは耐えられるかもしれないが、どうにか生き残ったとしてもそれじゃ月を止めたことにならない。盈月の出した条件は月を止めることだ、どうにか方法を考えないとな…………、


「どう、お兄様。さすがにへらずぐちも品切れ? 今更恐ろしくなったのかしら? 命乞いでもしたらどう?」


 思考を巡らせていると、盈月が煽ってくる。かなり楽しそうな表情を見られて、オレとしては嬉しいが、ちょっと調子に乗りすぎだ。ある意味では人間らしくて結構だが、異能以外は実は術者や異能者には向いてないのかもしれない。


 この『BABEL』の世界においては、術者にせよ、異能者にせよ、その力が強大であればあるほど人間性を失っていく。

 倫理観か常識か、あるいは死生観か。それらがどんどん一般社会から乖離していって最終的には肉体的にも精神的にも人間には戻れなくなる。


 その点で言えば、盈月はその才能の割には精神性や行動が人間の範疇に収まっている。一つの肉体に二人分の魂という特異な事情ゆえか、あるいは、力を貸している『神格』の慈悲か。

  どちらにせよ、その人間らしさがなければ、オレはここまで食い下がれていない。厄介さ、隙のなさという意味では叔父上の方が強敵ではある。


 あの月を何とかするための鍵もそこら辺にあると思うんだが――、


「――今度は無視?」


「おっと」


 そんなことを考えていると、盈月が武具を飛ばしてくる。命中すると即死だが、軽く身を引くだけで回避できるので殺意はない。子供の癇癪と同じで、害はなかった。


 落下速度から見ても、月が衝突するまでの猶予は後2、3分だろう。術を練るには十分すぎる。ここらへんも、盈月の隙だな。


「考えてたんだ。それに、あれを受け止めないと話はしないんじゃなかったのか?」


「――質問には答えないだけ。こっちを無視していいなんて言ってない」


「なるほど。そりゃこっちが悪いな。で、何の話だっけ?」


 オレがとぼけてみせると、盈月はさらに武具を打ち込んでくる。やはり、簡単によけられる。

 その間も、落下中の月に影を延ばして解析を始めておく。流れ込んでくる情報量に一瞬、ぐわんと視界が揺らぐが、立て直す。『貪るもの』との接触がここに来て効いている。脳の容量を無理やり広げられたおかげでこの情報量もどうにか処理できた。


 ……なるほど。

 まず、この月には実体がある。こうして物理的な影響力を及ぼしている以上、分かり切ったことではあるが、巨大な天体として確かにこの空に存在している。


 だが、現実世界に存在する『月』と完全にイコールというわけでもない。

 あくまで概念的な、この『月の間』に存在する月だ。実物を完璧に再現した模造品イミテーションとでも言うべきか。そこにたしかに存在するが、概念的には物理法則から切り離されているからこそ、盈月が自在に操作できているのだ。


 ……実体はあるが、概念的には揺らいでいる形而学上の月。それはまるで――、


「命乞いしろって話よ。アンタじゃアタシには勝てない。きちんと頭を下げて、自分が悪かったって認めるなら、苦しまないように殺してあげる」


「じゃあ、ダメだ。お前のことを気付いてやれなかったことは謝るが、ここで死ぬ気はない。やらなきゃいけないことが山積みでな。終わってからだから、60、いや、70年後くらいでもいいか?」


「……挑発のつもり? まあ、本気だったとしてもひどいお兄様よね。ねえ、彩芽。口では大事大事と言いながら、アタシたちより他人を優先するんですって」


「それを言われると、返す言葉がないな……」


 盈月、そして、彩芽に対して、オレは確かに負い目がある。

 10年、オレが蘆屋道孝に転生して彩芽をこの蘆屋の家から解放するのに時間が掛かってしまった。


 いや、それだけじゃない。

 普段だってそうだ。何か起こるたびに、異能を持たない彩芽をオレはいつも遠ざけようとしていた。彩芽を守るためだと自分には言い聞かせていたが、それは彩芽にとってみれば『異能を持たないもの』として迫害されるのと何ら違いはなかったのではないか……?

 

「アンタはいつもそう。いつも、彩芽を一番にしてくれない。大事なことを言わずに隠して、だから、大事なことに気付けない。彩芽が、アタシのことを隠してたのだって、アンタがそういうやつだからよ」


「彩芽が……? お前のことを認識してた……?」


「ほら、そんなことも分かってない。でも仕方ないかもね。自分の秘密だって、明かしてないもんね? 誰にも」


 一瞬、心臓を鷲掴みにされた。オレの秘密なんて一つしかない。

 だが、それを彩芽が知っているなんてこと――、


「本当なにも分かってないのね、アタシたちのお兄様は! あんなに側にいて、自分が転生者だと気付かれてないと思うなんて、本当に優秀な術師なのかしら!」


 動揺を見抜いた盈月がにたりと嗤う。オレの急所を突いたのが、嬉しくてたまらないようで、高笑いさえしていた。

 ……盈月の言葉に嘘はない。彩芽はオレが転生者だと見抜いていた。自分の兄が別の人間と混じり合ってしまったことを理解しながら、彼女はオレのために身を粉にして働いてくれていた。


 だとすれば、オレは――、


「あら、心が折れちゃった? それはかわいそうに。どう、そのまま膝を突くっていうなら、少しは容赦してあげても――」

 

「――まさか」


 決意を胸に、魔力を全開にする。後先考えるのはやめだ。全力全開、今できる全てを使って、彩芽に応えなければ、それこそオレの立つ瀬がない。


 彩芽はオレが何者かを理解したうえで側にいてくれた。文句の一つも……いや、文句は結構言ってたけど、それでも、こんなオレにずっと付き合ってくれていた。

 その優しさと愛情はオレにとっての宝だ。オレは不甲斐ない兄貴で、どうしようもない嘘つきだが、その一点だけは譲れない。


 譲れないもののために、オレは死ねない。そのためには月だって砕いて、いや、ぶった切ってやるさ。


「うかつだったな、盈月。下手に舌戦なんてするから、相手の士気を上げちまうんだ」


「……は? 今の話のどこに、アンタの士気を上げる要素があるってのよ。頭がおかしくなっちゃったのかしら?」


「そんなところだ。ついでに、見せてやるよ。お前の兄貴の凄いところを」


 理解できないといった顔をする盈月。それこそ、彩芽ならオレのこの顔を見た瞬間に『またお兄様は……』と呆れた顔してくれるだろう。


 月を斬るなら、呼び出す式神は決まっている。湖という戦場の相性もばっちりだし、なにより、あの特徴的な兜は月に由来していたはずだ。


「――『昇れ、三日月。独眼龍・武振彦命たけふるひこのみこと』」


 展開した六占式盤から姿を現したのは、『隻眼の黒龍』。オレの手持ちの式神の中でも最強格の一柱であるこの『独眼龍』だ。

 

 こいつは性格は独特だが、頼りになる。天候を自在に操り、雷をも従えるその異能は破壊力抜群だ。

 しかし、さすがのこいつでも単体で月を斬るには足りない。援護が必要だ、それも特段強力な援護が。


「来たれ、ましませ、『真影魔王・山本五郎左衛門』」


 黒い木槌を振るい、続けて呼び出すのは妖怪たちの王、百鬼夜行の主『山本五郎左衛門』。オレの影に溶け込んでいたが、巨大な黒い太陽の仮初の姿で顕現させた。


 ……相性的には悪くないはずだ。問題は独眼竜の方が影による強化を受け入れてくれるかどうかだが……、


「……頼むぞ、ここが正念場だ」


 オレがそう言うと、黒龍はあからさまにため息を吐くが、反抗的な意思は伝わってこない。どうやら、今回はオレのために働いてくれるつもりのようだ。


「『式神合身』」


 そうして、オレの号令の下、黒龍は影の太陽に飛び込む。その覚悟に応じて、影はうごめき、形を変えていく。内側から膨張し、今にも破裂せんとするその様はまるで超新星の爆発のようだった。


「――『あまねくを裂け、『独眼真龍どくがんしんりゅう梵天三日月ぼんてんのみかづき


 影の中から、姿を現したのは、一匹の巨大な龍。侍の甲冑を身にまとい、頭部には逆三日月の角を戴いていた。そのアギトに加えているのは、その身の丈に見合った大太刀だ。

 体格も元の独眼龍から二倍近く大きくなり、ありとあるゆる部位がより戦闘向きに鋭く強く進化していた。


 怪異としての位階も『神域』の上位、あるいは『不可知域』にも指を掛けている。オレが現状扱える式神の中では間違いなく最強だ。

 事実残りの魔力のほとんど、全体量の六割近くをこの顕現には必要としている。制御できているのは、元となった独眼竜がオレに協力的だからだ。


 さすがの盈月も、独眼真龍の登場には焦っている。オレがここまでの存在を使役しているとは思ってもみなかったのだろう。まあ、オレもこいつを呼んだのはこれが初めてなんだから、無理もない。


「――なあ、盈月。猿猴捉月えんこうそくげつって四字熟語知ってるよな?」


「……無謀なことはするなって意味でしょ。今のアンタにぴったりの言葉ね」


「あれって、水面の月を手で掬おうとした猿がおぼれ死んだって話が由来らしいんだが、これから、逆のことが起こるぞ」


 四字熟語の由来となった逸話の通り、水面に映った月に何をしても本物の月には何の影響もないし、意味のない徒労は命を危ぶめるだけだ。

 だが、この世界においては、いや、異界においては違う。水面の(・・・)月を(・・)斬れる(・・・)のならば(・・・・)空の(・・)月も(・・)斬れる(・・・)。異能とはそういう理不尽な理屈で動いているのだと、妹に教えてやるとしよう。


「『湖月斬こげつざん天翔てんしょう』――!』」


 直感に任せて、真龍に命を下す。

 龍は咆哮を上げ、湖に駆ける。湖に太刀を突き入れると、凄まじい速度で湖面の月を切り裂く。


 その瞬間、巨大な太刀が眩い輝きを放つ。その光は湖面に照り返す月光を束ねたように美しく、膨大かつ高純度の魔力を帯びている。


 真龍はその凄まじい力の奔流を完璧に制御、圧縮し、刃へと変える。湖面の月を裂いた真龍はそのまま天へと昇った。


 真龍が月に向かって太刀を振るう。かつて戦国の世において『独眼竜』とあだ名された武将、その名と存在に結び付いたこの龍は斬撃をも自在に操る。


 ――斬。


 そんな冷たくも鋭い音が、湖に響く。

 次の瞬間、天空の月が裂ける。まるで、湖面の月をなぞるように、天の星が真っ二つになっていた。


 やれやれ、上手くいったか。正直、成功確率は5割以下の博打だったが、成功したんだからよしとしよう。


「どうだ、ぐうの音もでないだろ?」


 そうして、渾身のどや顔を決めてやる。これで少しは兄貴としての威厳を示せたかな。


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