第158話 対峙
魔術的な意味では、睡眠からの覚醒は死からの蘇生と同義とされる。
その意味では、初代の言った『眠ることも死ぬことも大した差はない』というのは事実ではある。もっとも、肉体的にはただの人間であるオレなんかは死んだ時点でゲームオーバーなわけだが。
そんなわけで、死から生き返るようにオレは意識を取り戻す。ゆっくりと瞼を開くと、視界は二つの山で埋まっていた。
……不本意ではあるが、この山の正体をオレは知っている。アオイの双丘だ。着物を着ていても分かるくらいに原作よりも成長している。
後ろ頭には柔らかさの内にほどよい硬さをもつ至上の感触。すなわち、アオイの膝枕だ。
「――おや、起きましたか。こんな時に暢気ですね、道孝。私でなければ幻滅してますよ」
オレが起きたのに気付くと、アオイがそんなことを言ってくる。顔はほとんど見えないが、声には安堵と優しさが籠っていた。
「アオイ、ここは……オレはどれくらい……」
「おそらく『者』の間です。貴方が寝ていたのは二時間ほど。全員無事です。彩芽は相変わらずの状態ですが……」
「わかった。ありがと――っ!?」
意識がはっきりしてくると、激痛が襲ってくる。
盈月に空けられた肩の穴が歪むように痛む。呪いのせいだ。内側から肉体を蝕み、精神を壊していくこれは確かに強い恨みに由来している。
甘んじて受け入れる覚悟はあるが、このせいで鈍るわけにはいかない。すぐに結界と浄化の術で呪いを抑え込む。痛みはそのままでいい。この方が意識がはっきりする。
無茶に次ぐ無茶のせいで残りの魔力はマックス時に比べて三割程度。だが、異界全体から魔力を吸い上げてしまえば、そこまで問題にはならない。
闘儀の間は禁じられていた式神の使用も解禁されている。これなら戦える。
それに、この畳張りの部屋が者の間なら、次の試練に進めと言った初代の言葉は本当だったらしい。オレの転移先を者の間に設定したのも初代だろう。本来は、本殿から脱出して周囲の屋敷に逃げ込む予定だった。
「……大丈夫ですか?」
「大丈夫じゃない。でも、やる気は満々だ」
「…………嘘はついていないだけよしとしますか」
アオイに支えられて、どうにか立ち上がる。まだ頭はくらくらするし、傷以外も筋肉痛やら疲労やらでボロボロだが、いつまでも無様な姿を見せているわけにはいかない。
……周囲を見渡してみると、盈瑠に同行していた次代派の術師がこちらを見ている。
彼ら彼女らには思うところはないし、権力にも興味はないが、なる以上は少しは次の『道摩法師』らしく振舞わないとな。
さらに、奥の畳には盈瑠の姿がある。その側では戦場千年樹が蔓の繭を作っている。
繭の奥に、微かに魔力を感じる。アヤメ、いや、盈月はまだ戦意を失ってはいない。
それも当然か。15年近くためにため込んだ恨みだ。多少オレを痛めつけた程度で晴れるはずもない。
いや、盈月がオレを憎んでいる理由さえオレは知らない。生まれてからずっと盈月がどんな状態だったのかも正確には理解していない。
だから、オレは盈月について知らないといけない。たとえその行為にどれだけの痛みが伴うとしても。
「盈瑠」
「兄様、もう動いてもいいん?」
「まあ、どうにかな。それより、いろいろと助かった。ありがとう」
オレがそう言うと、盈瑠は疲れた様子でため息を吐く。顔色は悪くないし、魔力の消費も抑えられているようだが、疲労度合いはオレ以上のはずだ。
盈月の封印だけでなく叔父上との戦いに関しても、正面からぶつかったのはオレだが、殊勲賞はやはり盈瑠だ。
盈瑠は戦闘中、オレに魔力を提供するだけじゃなく結界や封印、式神の制御の細かい補正を常にやってくれていた。
地道かつ精神を削る作業だ。場合によっては直接戦うオレよりも負担は大きかったはずだ。
その支援がなかったら、どこかで術を破られてオレたちは窮地に陥っていた。
「礼なんていらんわ。家族なんやし」
「そうだな。でも、ありがとう」
改めてそう告げて、盈瑠の隣に腰かける。アオイは近くの壁に背を預けて、じっとオレを見つめている。かなり心配している。すごく心苦しいが、ここが踏ん張りどころだ。
「彩芽のことは、少しわかった。どうすればいいのかも」
「そう。でも、どうやって……」
「『初代』と話した。ついでに、オレは次の試練に進んでいいんだと」
「なら、作戦は継続中やね。うちはダメだしされたわ。野心が足りひんやって。失礼するわ、ほんま」
「……そうか」
どうやら初代はオレだけじゃなく参加した候補者全員と話をしたとみていい。
おそらく闘儀に失格したのは、盈瑠と道時君と見ていい。初代が次が最後の試練と言ったのはそういうわけだ。候補がオレと現道摩法師である叔父上の身となった以上、ふるい落とすのはあと一人でいい。
「まあ、別にうちはそもそもおまけみたいなもんやし? 兄様の援護のために参加しただけやし? 気にしてへんけど?」
「だいぶ気にしてるな。そう拗ねるな。その歳でそれだけの術を操れるやつはそういない。そこらへんは初代も認めてる。なにより、オレが認めてる。お前がいなきゃオレはとっくにくたばってる」
「……そういうことやね。うちに感謝するように」
恥ずかしそうに頬を染めてそっぽを向く盈瑠。永久保存版のかわいさを脳内HDDに保存してから、オレは目の前の繭へと向かい合う。
ずっと前から覚悟はできている。今はその対象が一人増えたというだけのこと。あと一人背負う分くらいの甲斐性はある。
「……兄様、彩芽姉様は……その……」
「大丈夫だ。なんとかなる。いや、なんとかする。まあ、ちょっと大変だろうけどな」
「うちも一緒にやる」
「ああ、わかってる。手伝ってくれ」
叔父上のことでショックを受けているだろうに、盈瑠もそう言ってくれている。頼りになる妹だ。オレなんかよりよほど心が強い。
……さて、頭も冴えてきたし、心も落ち着いた。顔を合わせるとしよう。
「よし、封印を解いてくれ、盈瑠」
「…………本気で言うとるん、それ」
早速怪訝そうな顔をする盈瑠。せっかく二人で協力して捕らえたのに、わざわざこの修羅場に開放する必要ないだろうとそう言いたいわけだ。
当然と言えば当然の反応だが、オレも考えなしにこんなことを言っているわけじゃない。
「本気だ。よく探ってみろ。内側から封印を破ろうとしている。こっちがギリギリ感知できない範囲でな」
「……本当や。なんて、質が悪い」
おそらく憑いている神の権能だろう。
月の影響によって生じる潮の満ち引き、それに由来する『浸食』の力あたりか。魔力を常に吸い取られているうえに、何の修行もせず基礎も応用もすっ飛ばしてそんなことができるとは確かに規格外の才能だ。
ともかく、このままだとすぐに封印を破られる。なら、こっちから解除するのも、破られるのを待つのも、大した違いはない。
むしろ、何が起こるか予想がつく分、自分たちから解放する方がマシだ。
「というわけで、頼む。対処はオレがする。アオイと一緒にバックアップは任せる」
「………分かった」
盈瑠はゆっくりと千年樹による封印を解除し、蔓の繭が解けていく。
そこから姿を現したのはメイド服を着た彩芽。一瞬、彩芽がそこにいるような錯覚を覚えるが、すぐに違うと分かる。
この『者の間』全体を覆いつくすような強大な魔力。冷たさと狂気を内包したそれは間違いなく月に由来している。
そのまま、盈月はふわりと畳の上に降り立つ。
ごく自然に重力を制御している。天体としての権能か。高度な術をここまでこともなしに操られると術師としては自信喪失するレベルだ。
「――へえ、解放する勇気があったんだ? まあ、味方がいっぱいいるもんね、お兄様には」
オレと盈瑠、そして、アオイを一瞥してから盈月はそう言った。
余裕ぶってはいるが、声の裏側に隠しきれない苛立ちと憎しみ、そして恐怖が滲んでいた。
気持ちは分かる。どれだけ強大な力を持っていても、数の力は絶対だ。数に勝る敵に襲われる恐怖感は本能に根差している。
……いや、そんな理屈じゃないか。家族と敵対しているんだ、どれだけ憎んでいても内心は怖いに決まっている。
「……彩芽」
「あら、アオイお姉さまじゃありませんか? いらしてたんですね。献身的でいらっしゃること。それとも、恋敵の始末に? でしたら、チャンスを逃しましたね」
「彩芽、私は、貴方のことは――」
「戯言は結構。貴方には反吐が出る。愛なんてものを信じてるなんて、愚かを通り越して滑稽だわ」
アオイに目を付けた盈月が彼女を挑発する。だが、アオイはいつものように刀の柄に手を掛けることはせずに、ただ悲痛な表情を浮かべている。
……盈月がオレを憎むのは当然だし、受け入れるが、それを無関係にほかの誰かに向けるのは容認できない。ましてや、彩芽のことを本当の妹として気にかけているアオイに対しては。
「やめろ、盈月。お前が憎いのはオレだろうが」
「――っ」
オレが名前を読んだ瞬間、盈月は一瞬泣き出しそうな表情を浮かべ、次に怒りに満ちた目でオレをにらむ。
それも当然だな。盈月からしてみれば、なにもかもが今更だろう。
それでも、やるべきことは変わらない。
「そう、入れ知恵されたわけ。あの亡霊も余計なことを」
「余計なことばかりするのは、確かにそうだな。だが、知らないよりは知ってる方がいい」
盈月がイラついているのがわかる。彼女の異能の一端である月の光の具象化『蒼光片』、その切っ先が揺らめいていた。
はち切れそうな殺気にこの場にいる全員が反応する。アオイと盈瑠が臨戦態勢を取った。
だが、オレはここで戦うつもりはない。誰かを巻き込むのは問題外だ。
「もういい。封印は解いたんだ、好きなところに行け。ここでオレと戦っても不利なことはお前でもわかるだろう」
「……は?」
怒りと共に、盈月の魔力がうねる。気温が氷点下まで下がり、肌が裂けるような乾きが周囲にもたらされた。
……先ほどよりもさらに力が増大している。おそらく蒼光片以外の攻撃方法も備えているだろう。
明らかに異常だ。異能の才を至上価値としているはずの蘆屋家でさえもてあますと判断された理由がよくわかる。
だが、勝つのはオレだ。
「そういきるなよ。次の試練はお前とオレの一騎打ちだ。言いたいことがあるなら、そこで聞いてやる」
「…………そういうこと。死ぬ覚悟はできてるってことね。じゃあ、あとで会いましょう、お兄様。楽しみにしてるわ」
そうして、彩芽の、盈月の姿が一瞬で消える。自分の影に沈むようにして、別の場所に転移したのだ。
「……ああ、そういうことか」
その光景を目にした瞬間、オレは自分が仕掛けた『からくり』に気付く。アオイがどうやって闘の間での戦いに乱入できたのか、ようやくわかった。
初歩的かつ、力技もいいところだ。どうせ思いついたのはオレだろうが、我ながら無茶をするもんだ。
「――じゃあ、こうなったから、みんな、よろしく頼む」
しかし、今は助かる。背後を振り返り、アオイと盈瑠、そして、自分の影にそう声を掛ける。
想定外の事態だらけだが、作戦はまだ動いている。みんななら必ずやってくれる。オレはそれを信じて、彩芽と、盈月と分かり合うだけだ。
この場合は、いわゆる殺し愛になっちゃうけども、なに、オレもオタクだ。
オタクは簡単には殺されないし、オタクが殺すことは絶対にない。
それにまあ、一度くらいは本気で兄妹喧嘩も悪くないしな。