第153話 術師の天敵
山縣アオイは原作『BABEL』において最強の一角だ。あくまで人間に限定すれば、と注意書きはつくものの、三本の指に入ると言っても過言ではない。
魔力出力はもちろんのこと、武術の技も宿している異能の質も他とは一線を画すレベルにあり、血に宿る呪いを有効活用するようになった原作終盤では一人で魔人級の強敵を撃退したこともある。
それほどまでに山縣アオイは強い。始祖であるかの源頼光から千年間、積み重ねてきた歴史の集大成と言っても過言ではない。
そして、今のアオイ、いや、オレたちの世界のアオイはというと――、
「――期待通りの顔ですね。そうですか、私に会えてそんなに嬉しいですか」
オレの顔を見て心底嬉しそうにほほ笑んでいる。
……おそらく彼女の言う通り、オレは今緩んだ顔をしているのだろう。我ながら現金な男だが、アオイの顔を見ただけで先ほどまで背筋に走っていた悪寒がおさまってしまった。
実際、アオイの参戦は戦況を大きく変えた。
彼女の斬撃は黄幡神の放った概念で作られた太陽を切り裂き、その炎や熱をも無力化した。ただ斬ったのではなく、炎という概念をアオイは斬り伏せたのだ。
普段の訓練の様子からしてそろそろできるだろうとは思っていたが、まさかここまでこともなげにやってのけるとは…………さすがというか、末恐ろしいというかなんというか……、
ともかく、今の彼女ならば単身でも『神域』クラスの怪異を相手にできる。
この状況下ではこれ以上ないほどに頼りになる援軍だ。ここにいてくれればと幾度思ったか分からないほどに。
一方で解せないこともある。
現在、この闘の間および蘆屋の郷全体は外部から侵入不能な異界だ。
その異界にアオイは突如として現れた。気配も魔力も一切感じなかった。それこそ、奇跡でも起こったかのようだ。
だが、それについて考えるのは後だ。
おそらくオレたちがあの『夢現境』で立てた作戦、その一つであることは間違いない。生憎と、オレは忘れてしまっているが、この閉鎖空間に仲間を送り込む方法も思いついたのだろう。
「しかし、その恰好……」
アオイが着ているのはいつもの制服じゃない。
赤色でがらの入った高級そうな着物に身を包んで、動きやすいようにか袴をはいている。どこかで見た覚えがあるが……どこだ……?
「似合っているでしょう? まあ、私は何を着ても似合ってしまいますが。ですが、誉め言葉は募集中ですよ」
「あ、ああ。凄く似合ってる。かわいい、最高、一枚絵にしたい」
「少し足りませんが、状況が状況ですので、よしとしましょう」
アオイは背後の二人、盈瑠と拘束されたまま拗ねたような顔をしている彩芽を見てから、叔父上、そして黄幡神と向かい合う。
どうやら状況の説明は不要そうだ。どうやってかは分からないが、今の混沌とした状況をアオイは把握しているようだ。
アオイの右手に握られているのは、一振りの太刀。
いつもの『童子切り安綱』の魔術的複製、『影打ち』ではない。見た目に大きな変化はないが、発している魔力の質が変わった。より洗練されただけじゃない、何かが付け加えられている……?
「さて。お初にお目にかかりますね、蘆屋道綱殿。貴方の義理の姪です。お見知りおきを」
「……山縣の娘か。羨ましいことだ。この時代にこれほどの才を得るとはな」
アオイの切っ先を向けての挨拶に、叔父上は表情を変えぬままにそう返す。
オレにとってでさえ想定外の増援だっていうのに、叔父上に動じた様子はない。
相変わらず腹の内が読めないが、こっちにはアオイがいる。彼女と一緒に戦えば勝機は十分だ。
「君と敵対する気はない。君のお父上とはかつて学友だった。悲しませたくない」
「お気遣いは結構。そちらこそ、我が夫を傷つけたのです。ただで済むとは思わないことです」
だが、そんな叔父上の感情が初めて動いたのをオレは見逃さなかった。
悲しませたくはない、そう口にした瞬間、叔父上の顔には確かに憂いの感情が過った。
それだけじゃない。アオイのお父さんと叔父上が学友……? そんな話聞いたことないぞ。設定資料集にも記載はなかったはずだ。
「運命は今日も味方せず、か。だが、慣れている。恨まれるとしよう」
叔父上が再び戦闘態勢に戻る。
先ほどの一撃はアオイが相殺したとはいえ、黄幡神の神威は未だ健在。叔父上が蘆屋の郷から魔力の供給を受けている以上、魔力切れも期待できない。
となれば、黄幡神もしくは叔父上を直接打倒するしかない。
途方もない難題のようにも思えるが、アオイがいればそう現実離れした話でもない。なにせ、彼女はオレや叔父上のような術師にとっての『天敵』。どんな守りや対策も正面からねじ伏せられる。
「アオイ。オレと盈瑠で援護する。いつも通りに暴れてくれ」
「承知。それより、貴方こそ傷はいいのですか? やったのは……まあ、今は見なかったものとしますが」
「ありがとう。君が来てくれてよかった」
「夫の危機を救うのは妻の役割ですから」
ふっと笑みを浮かべるアオイ。その横顔に見惚れていると、背後のアヤメが殺気のこもった眼で睨んでいるのが分かった。分かりやすいやつだ。
「じゃあ、いつも通りに」
「ええ、参ります――!」
アオイが踏み込む。その刹那、彼女の姿が消える。あまりの速度に、オレの動体視力では彼女の動きを捉えることができなかった。
次の瞬間、アオイが現れたのは叔父上の背後。防護結界がその存在を感知する暇もない速度で、彼女は斬撃を振るった。
「っ!?」
叔父上も一気に防護結界の強度を上げて対応するが、アオイの一撃は多層に重なったそれを容易く切り裂いた。
ただの斬撃じゃない。魔術、空間、概念さえも断ち切る武の到達点の一つだ。
そのまま命にまで届く切っ先を叔父上は辛うじてかわす。すぐさま式神である黄幡神が反応して、アオイに向かって左の夜の剣を振り下ろした。
「『白衣亡者』!」
それを阻止すべく、白衣亡者を黄幡神に組み付かせる。無限の人形が黄幡神の四本の腕に絡みついていき、動きを封じていく。
怪異としての格には差があっても体躯の大きさは同じだ。であればこういうこともできる。もっとも、拘束できるのはわずか数秒だが、アオイにはそれだけあれば十分だ。
「これは、手が足りんな」
アオイに追われて、叔父上が追加の式神を呼び出す。
さすがは現『道摩法師』殿。黄幡神を制御しつつ、ほかの式神を即時召喚するなんてそうそうできることじゃない。今のオレでもかなりの無茶に入る部類の神業だ。
呼び出されたのは、牛の頭を持つ巨漢の鬼『牛頭』。地獄の獄卒といわれるこの怪異は上から三番目『無感域』の上位に属する上に、鬼の呪いを宿すアオイにとっては一種の天敵ともいえる相手。あの一瞬で、手持ちの式神の中から最適解を出してきやがった。
「ふっ」
だが、今のアオイはその程度では止まらない。
太刀が煌めくと同時に、牛頭の首は落ちている。存在を両断された怪異はその血をこぼすより先に一瞬で消滅した。これであればかつてのように鬼の血を浴びて呪いを暴走させることもない。
常人には視認不能な速度と概念さえも断つ斬撃、この二つを兼ね備えた今のアオイはまさしく術師の天敵。正面から対峙すれば、オレは疎か叔父上でさえ対処は不可能に近い。
「見事。だが――」
それでも叔父上は道摩法師であり、この場の支配権は彼にある。ましてや、蘆屋家がその長い歴史で蒐集してきた式神は全て彼の制御下にある。
本気になれば、その式神たちの物量で相手を押しつぶすことも可能だ。アオイも無限の式神相手では分が悪い。
もっとも、オレがこの場にいる以上、そんなことはさせないが。
「――っ!」
瞬間、叔父上の貌に驚きの表情が浮かぶ。当然だ、まさか式神の即時召喚の術式をかく乱されるだなんて思ってもみなかっただろう。
式神の即時召喚に際して、オレと叔父上は同じ術を使っている。
ならば、干渉も可能だ。無論、気付かれれば一瞬で対処されて、逆にこちらが呪詛返しでやられていただろうが、アオイがその余裕を消してくれた。あとは、異界全体の魔力の流れにオレの魔力を溶け込ませて召喚の術式を一時的に停止させるだけでよかった。
そこまでやって阻害効果はほんの一秒足らずしかもたない。
けれど、稼げる時間が百分の一、いや、千分の一だったとしてもアオイの刃は間に合う。
斬撃が奔る。アオイの一撃は叔父上の体を肩から胴へと袈裟懸けに切り裂いていた。