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第151話 影なる御子

 『アヤメ』の四肢に千年樹のつるが巻き付いている。彼女の顔には苦渋の表情が浮かび、オレと盈瑠みちるを殺意に満ちた瞳でにらんでいた。


 『戦場千年樹』の蔓にはからめとったものから魔力を吸い上げる能力がある。それにくわえて、盈瑠が施した封印術だ。例え神域の存在だとしても身動き一つできない。


 必要なこととはいえ、彩芽の体にこんな拘束をするのは心苦しいが、これでようやく『除霊』のプロセスに入ることができる。

 

「盈瑠。警戒を頼む。オレはしばらく動けない」


「わかっとる。他の連中も起きるやろうし、なんとかなる」


「ああ。分かってる」


 オレの最優先事項は彩芽の解放だ。それは変わらないが、今は『闘儀』の真っ最中、生き残りのバトルロイヤルは続いている。

 こういう時、一人じゃなくてよかったと心底思う。もし、盈瑠や次代派の術師たちが味方にいない状態でこの状況になっていたらオレは詰んでいた。


「――さて」


 周囲のことは盈瑠に任せて、意識を集中する。

 魔力の残量は八割弱。十分な量だが、さて、ぶっつけ本番でどこまでやれるか……、


 ……『除霊』は異能の中でも基本的だが、高度な技術の一つだ。それこそ『除霊師』という専門職が成り立つくらいには専門性と特殊な技能が必要になる。


 相手が動物霊や低級な霊ならさしたる問題はない。外部から魔力を流し込んで引きはがすか、浄化の術で霊を消し去ってしまえばいい。

 だが、相手が神域の怪異となれば難易度は跳ね上がる。ましてや、その怪異が深くまで根付いていたら……いや、弱気になるな。オレ以外に彩芽を助けられる人間はここにはいないんだ。


 ここは無茶でも何でもやるしかない。なに、魔人共と相対した時に比べればなんでもないさ。


「随分と怯えた表情だこと。可哀そうなお兄様、怖いのなら逃げてしまえばいいのに。ねえ?」


 集中するために遮音結界を展開すると、アヤメが話し出す。相変わらず動けないくせに態度だけはでかいままだ。


 本来、除霊の際には憑りついている怪異の情報はできるだけ集めるべきだ。悪魔祓いにおいて最初に特定するのがその悪魔の名前であるように、霊の情報パーソナリティを特定することは除霊者にとっては大きなアドバンテージになる。


「相変わらず無視? そう、じゃあ、勝手にしゃべるから」


「……好きに話せ。もうすぐ話せなくなるんだからな」


 術式を構築しつつ、アヤメに答える。

 戦闘中はただ動揺するくらいならとあえて情報を遮断していたが、ここからはそういうわけにもいかない。


「あら、アタシと話してくれるんだ? ふーん、除霊のため? そのくらいのことは我慢できるんだ、意外。もっと短気だと思ってたけど」


「オレは気が長い方だ。見てたんなら知ってるはずだがな」


 オレがそう言うと、アヤメは不愉快げに表情を歪める。

 なんともわかりやすい。こちらとしては感情を隠されたり、偽られるよりも、除霊がやりやすくて助かる。


 ……この神格、神威のわりにはどうにも人なれしてないというか、小物感が拭えない。

 『BABEL』の世界においてこういう神様は珍しい。大抵の神様は超然的で、人間のことを気に掛けてなどいない。

 

 その点、こいつは逆に思える。なんというか、人間に関心がある。それだけで名前を特定することは難しいが、まあ、手掛かりくらいにはなるだろう。


「見てたからこそ知ってるのよ。アンタがどういうやつで、何を考えているか。自分が善人だと思ってる? だったら、大間違い。アンタは善人じゃない、ろくでなしよ」


「そっちは合ってるな。というか、呼びづらいから名前くらい教えてくれないか?」


「アタシは『アヤメ』。それ以外の何かに見えるのかしら? それとも、知らない間にお兄様は目まで悪くされたの?」


 さすがにぽろっと名乗るほど抜けてはいないか。


 分かったこともある。こいつの認識によるとこいつが発生したのは最近のことじゃないらしい。少なくとかなり前からオレのことを観察していたかのような口ぶりだ。


 …………こいつの言っていることが真実だとして、オレが気付かないなんてことあるか?

 いや、オレ自身がいくら鈍くても、館の内部には無数の防護結界と探知結界が張り巡らされている。何らかの存在に監視されていたなら気付いたはずだ。


 だから、ありえない。ありえないが…………もし、内部からの監視じゃないとしたら? 外部からの、それも、はるか遠く、それも空の上ような超々遠距離からの観測だとしたら、どうだ……?


 そう考えると、急に頭の中が透明クリアになったように感じられる。

 原作資料集の262ページ目、用語集の末尾の方にあった三行程度の記述。今の今まで気に留めていなかったその記述がにわかに輝きを放っていた。


 曰く、ある種の天体を司る神格は長大な『視覚』を持っている。そういった神格は異界の中、あるいは世界の壁の向こう側からでもすべてを見ることができると、そこには書かれていた。

 そして、その代表例としてそこに記されていたのは――、


「――月?」


 思わず思考が口から漏れる。すると、アヤメの表情が消えた。


「まさか、図星か?」


「――なにが? 独り言が多いから呆れてるだけよ」


「分かりやすくて助かるよ」


 思わぬ突破口だ。

 ……しかし、月か。想定していた中でも、だいぶ厄介なことになった。正直言えば、頭を抱えたい気分だ。


 月が象徴するものは、多くある。同時にその月を司る神の権能も多岐にわたる。


 例えば、再生と成長。月の満ち欠けに由来するこの力は神話によっては死からの蘇生、不老不死とも結びついている。

 ほかには寄り添うもの、見守るものとしての側面もある。時には太陽神の対として、時には天の瞳をモチーフとして描かれるのはこのためだ。


 もしくは、狂気。ころころと日ごとにその表情かおを変える月は人格の変化、豹変ともつながっている、そう認識されている。


 この『BABEL』の世界においては認識こそが異界法則を定義する。つまり、科学的事実はどうあれ、この世界において月を司るということはそれだけ多くの事柄を支配できるということになるのだ。


 しかも、この国において、著名な月の神は一柱のみ。最高神たるかの太陽の女神のおとうとであるその神の名は――、


「――そこまでだ。それを口にすればどうなるか、分からぬお前ではあるまい?」


 瞬間、遮音結界が破られる。側に出現した巨大な魔力に影響を受けて、ずたずたに引き裂かれた。

 

「くっ……!」


 すぐさま、臨戦態勢に移る。前回の魔力で防護結界の強度を引き上げ、術を待機させた。

 もっとも、相手はこの程度の備えでどうになる相手じゃないが。


「血を分けた兄妹がこの有様とは。なんとも、哀れなことだ。兄上もお嘆きだろう」


 現れたのは、道綱叔父上だ。黒い狩衣かりぎぬを着て、鳥帽子を被っている。冷たい氷のような瞳がオレ達を射貫いた。


 ……『闘儀』は当代の道摩法師と次代の候補者全員でのバトルロイヤルだ。当然、こうして叔父上と相対する可能性もある。

 想定していたことではある。だが、まさかこんな状況でこうなるとは…………最悪のタイミングだ。


「……とと様」


「気に病むな、娘よ。お前が私を察知できなかったのは無理からぬこと。お前の感覚では魔力の脈の波形までは拾えまい。精進することだ」


 こちらの状態を知ってか知らずか、葛藤する盈瑠

に的外れな答えを返す叔父上。

 

 ……おそらく脈をどうとか言っているのは、この異界の魔力の流れに乗ることで隠密かつ高速で移動してきた、という意味だろう。

 忍術にも伝わる土遁の術の元型となった術だ。陰陽道の祖先の一つともいえる仙術に近い高等技術でもあるが、オレなら感知できた。接近に気付かなかったのは遮音結界とアヤメの方に意識を集中していたせいだ。


 だが、意図が読めない。オレを始末するつもりなら、ほかにもタイミングはいくらでもあった。

 それこそアヤメとの戦闘中に叔父上が参戦していたら反撃もできずにオレは倒されていたかもしれない。


「しかし、道孝。お前は今少し慎重な術師だと思っていたが、私の記憶違いだったようだな。いや、これも愛ゆえか。いかなる怪異よりもおぞましきは人の情、とはよく言ったものだ」


「……それは金言ですね。誰の言葉で?」


「我らが始祖、初代様の残されたお言葉だ。寝物語に聞いたはすだが、お前はそんなことも忘れてしまったのか?」


 ……生憎と、転生前の記憶、つまり、6歳の誕生日以前の記憶はかなり曖昧だ。思い出そうとしても夢の中の出来事のようにすぐに忘れてしまう上に、整合性がない。盈瑠との関係性を知らなかったのもこの記憶の接合がうまくいっていないせいだ。


 だが、叔父上がオレを愚かだと言った真意は理解できている。

 オレは怪異に名を付けようとしていた。彩芽に取りついた神格、その強大だが、まだ曖昧な存在に確かな形を与えようとしていたのだ。


 解体局の設けた異界探索における禁止事項の一つ、『怪異に名をつけてはならない』。相手が名乗ったのならまだしも、こちらから相手の正体を推察し、名をもって定義することは相手の弱点を突くには有効だが、同時に弱小の存在に強大な名を付けてしまえば相手を強化することにもなる。

 それゆえ、妄りに怪異の名を特定することは解体局においては禁じ手の一つとなっている。


 だが、今回の場合はその危険性を承知のうえで、オレはアヤメに取りついた神格を特定しようとしていた。

 除霊を確実にするためだ。例え、それで相手が最高位の神威を手にしたとしてもオレは妹の安全を優先する。


 そして、異能の適正のない彩芽に神格を降ろすなんてことができるのは神域の実力を持つ術師だけ。その要件に当てはまる容疑者は今、オレの目の前にいる。


 動機もある。オレを倒そうとするなら、一番の急所である彩芽を狙うのは腹立たしいが、正しい戦略だ。

 どうやったかはわからないが、容疑者としてはこれ以上ない。


「勘違いをしているようだな。私はお前と戦いに来たわけではない、そこの(・・・)それ(・・)を封じに来たのだ」


 だが、叔父上の視線はオレの背後で拘束されている彩芽から動かない。

 相も変わらず、オレのことは眼中にない。


 ……彩芽を封じる? なぜだ?


「わからないか? お前の妹にその神を招いたのは私でも、初代でもない。お前だ、道孝。お前が封を開けたのだ」


 叔父上が言った。その言葉の意味がオレには理解できない。オレが彩芽をこんな目に合わせてるっていうのか……?


 ――けれど、混乱する理性の裏で、心の奥底、無意識の領域では何かが叫んでいた。『思い出せ』と。



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