9 身も心も支配される喜び
ネロウとミシュラを追放したあと、半年ほどしてあのパーティは解散となった。代わりの魔法使いが見つからなかったというのもあるし、なんとなくみながギクシャクするようになったというのもある。
私は久しぶりに、故郷の村に戻ることにした。ネロウにも話したことのある、ハテナ村だ。
「リザエル。帰ってきたのか」
「こんなに立派になって」
知っての通り、父と母は私が幼いときに病気で亡くなっているから親類はもう誰もいない。しかも私は、意気揚々と村を出て一度は騎士になったにもかかわらず、その安定した職を捨てて冒険者になった女だ。理解不能だと、距離を置かれても不思議はなかったわけだが……村人たちは私をあたたかく迎えてくれた。
幼馴染のナナは、特に。
「リズ!」
「ナナ! 全然変わっていないな!」
少年と女性の中間のような声。無邪気な笑顔。かわいらしいポニーテールも昔と変わっていなかった。
私は幼馴染との久方ぶりの再会を喜んだ。私が騎士になるために村を出て以来、何年も会っていなかったにもかかわらず、すぐに昔のように話がはずんだ。まるで、昨日も一昨日も会って話していたかのように。彼女には、ごく自然体で接することができた。
「リズ、どこかに泊まる場所はあるの?」
「いや。実はまったく当てがないんだ」
「だったら、ボクの家に来なよ。ちょうど空いてる部屋もあるしさ」
私はしばし、彼女の厚意に甘えることとした。
ナナの家に滞在しながら、私は村の戦士たちの手伝いをするようになった。付近のモンスターを討伐し、報奨金をもらう生活である。冒険の日々に慣れていたものだから、久しぶりの定住生活は新鮮だった。討伐のない日は、ナナが管理している小さな菜園で作業を手伝った。
ネロウたちとパーティを組んでいたときのような、巨大なドラゴンを討伐したり、極悪盗賊団を壊滅させたりといった刺激的な冒険はなかったが。こうした静かな幸福というものもあるのだと、思い出すことができた。
「ねえ、リズ。また冒険に出るの?」
ある日、ナナの家でお茶を飲んでいるときに、彼女は尋ねてきた。何気ない質問だと思ったから、私も何気なく答えたものだ。
「そうだな。もう少し金が貯まったら新しい装備が買える。そうなったらまた街に行って、仲間探しをするつもりだ」
「そっか」
そう言ってうなずいたナナは、少し寂しげだった。そこでようやく、私は自分が大事な質問を投げかけられていたのだと気がついた。
冒険に出るということ。
危険を冒し、戦いの日々に身を投じるということ。
そこには死の可能性は常にある。
すなわち、ナナとの永訣の可能性が。
「……ねえ、もし仲間が見つからなかったら?」
「嫌なことを訊くな」
私は強いて笑った。あまり考えたくないことだと思った。そして同時に、あり得ることだとも思った。
ネロウのように強い仲間はなかなかいない。実際、前のパーティはネロウとミシュラが抜けた穴を埋められず、解散になったのだから。
「もし見つからなかったら……そうだな、困ってしまうな」
「困って、一度村に戻ってくる?」
「ああ」
「そうしたらさ、このまま村でボクと暮らさない?」
「ナナと?」
「うん。ほら、キミが今使ってる部屋って、どうせずっと空き部屋だったからさ。それをそのまま、なんて」
ナナは本気だったのか、冗談だったのか。
いずれにせよ、そのとき私は想像してみた。冒険とは無縁の、二人の生活。私がモンスターを狩り、ナナはささやかな菜園を管理する。時々、ナナと二人で街に買い物に出かけ、ほんの少し高い店で食事をして帰ってくる。そんな穏やかな日々。
悪くない。
そう、悪くないと思ったんだ。
討伐を手伝って金を稼ぎ、普段はナナの家で過ごす。そんな生活が2か月ほど経ったとき、あの男がやってきた。
村の外から来たそいつの服はボロボロで、全身は泥だらけだった。一目で、どこか遠くからやってきたのだと分かった。
村でたった一人、ナナだけが回復系の魔法を使うことができたので、彼女が治療にあたった。男は治療されながら事情を語った。
「故郷が盗賊に襲われた。次はこの村にやってくる」
男の話によれば、彼の故郷の村に五人組の盗賊が現れ、金品や大事な家畜たちを奪って行ったのだという。盗賊は、冒険者のパーティが道を踏み外したのだろうと推測された。戦いに慣れており、基本的には剣や斧で襲ってきたが、魔法も少しは使うそうだ。戦うすべを持たない温厚な村人たちは、嵐が過ぎ去るのを待つしかなかったという。
「白騎士様、どうかお前さんの力で、あいつらをやっつけちゃくれないか」
当時、私のことは少し離れた村や町にまで知れ渡りはじめていた。「白騎士」の異名を持つ冒険者が、小さな村に滞在し、討伐で目覚ましい成果を上げているらしい、と。
「五人組の盗賊……それも手練れか。私一人では難しいだろうな」
「そんな……」
「しかし、村の仲間たちの協力があればできないこともない」
当然、村のみなも私に賛同してくれるものだと思っていた。なにしろ、盗賊は次のターゲットを私たちの村に定めているというのだから。どうせ放置するわけにはいかぬなら、こちらから攻めてしまった方がいい。
実際に、私が一足先に盗賊の様子を見に行くと決めたときにも、村の戦士たちは、あとから必ず駆けつけると約束してくれたのだ。
「西の谷の入口で合流だな。承知した」
「じゃあ、俺たちは装備を整え次第、あとを追うということで」
「リザエル、あくまでも様子見だ。先走るんじゃないぞ」
「大丈夫だ、分かっている」
盗賊は五人組で、西の谷の奥を根城にしているという話だったが、情報が間違っている可能性もある。だから私が、先に実情を探っておくということになったのだ。念には念を入れた、討伐計画。
結論から言うと、情報は何もかも間違っていた。
第一に、そこに待ち構えていたのは五人の盗賊ではなく、三魔将の一人・ダイモン殿に率いられた部隊だった。
第二に、部隊は私の村を襲う予定などまったくなく、ただ私一人に用があっただけだった。
第三に、情報をもたらしたあの男は被害者でもなんでもなく、ダイモン殿に金をもらって、私を西の谷にまでおびき出しただけだった。
その事実を知ったのは、西の谷の入口付近で、私の前にダイモン殿に率いられた魔族たちが現れたときだ。デッドガルド最強の吸血鬼である“鮮血紳士ダイモン”の名を、もちろん私も知っていた。私は自分の置かれた状況を吞み込めず、剣も抜けずにただ立ち尽くしていた。
私はここで死ぬのかと思った。
しかしそのとき、たった一人だけ、追いついてきた村人がいたのだ。
それは、背に矢の刺さった幼馴染だった。
木々の間からふらつきながら歩み出てきた彼女は、私の腕の中に倒れ込んだ。
「ナナ!」
私はますます混乱した。五人の盗賊を討伐しに来たら、待っていたのは魔王軍の一部隊だった。追ってくるはずの戦士たちではなく、大怪我をした幼馴染が現れた。
「リズ……キミは……だまされたんだ……」
ナナは荒い息をして、途切れ途切れに言った。激痛に苛まれながらも私を追ってきたのは、私に真実を告げるためだった。
たとえ、すべてが遅すぎたとしても。
「あいつは……魔族と取引していて……キミをここにおびき出せって……」
私は知った。助けを求めてやってきたというあの男は、最初から嘘を吐いていたのだと。私を魔族に引き渡し、その代わりに金を得たのだと。
そんな策略を見抜けなかった私は、未熟だった。実際それだけだったら、見知らぬ男の話を信じてしまった愚か者、で済んだだろう。
しかし、話はそれだけでは終わらなかった。
「村のみんなは……相手が魔将の部隊だと知って……キミを差し出すことに……あの男の提案を吞んだんだ……」
ナナは泣いていた。
今にも途切れそうな呼吸をかろうじて続けながら、泣いていた。
あとから事実を知ったナナは、すぐに私を追いかけるために出発したが……途中で村の戦士に妨害され、矢を受けた。
村人は、だまされたと知った私が戻ってきてしまっては困るわけだ。魔族との取引が不成立となれば、今度は本当に村が襲われるかもしれない。私一人の身を差し出して、助かろうとした。
だから、私に知らせようとしたナナの命を狙った。
「ナナ! ナナ!」
私はナナの体を抱き、その冷たさに驚いた。ナナの背の矢傷は思ったよりもずっと深かった。私は、ナナがもう助からないことを悟った。
「どうして……! 私が……ナナが何をしたというんだ!」
私は叫んだ。魔族の部隊の目前だということなど忘れて、ただ叫んだ。徐々に力の抜けていく幼馴染の体を……一秒ごとに命の消えていく体を強く抱きしめた。
「行かないでくれ……ナナ……ナナ……!」
いくら強く抱きしめても無駄だった。
天を仰いでも救いはなかった。
「なるほど。事情はだいたい分かったよ、麗しき白騎士ちゃん」
「え?」
救いは、闇の底からやってきた。
「私はたしかに『白騎士ちゃんを連れてこい』と言ったけどね。まさかこんなに美しくない方法でおびき出すとは。人選を間違ったとしか言いようがないよ。嘆かわしい、ああ嘆かわしい」
これまで私とナナのやり取りを静観していたダイモン殿だったが……状況を把握すると、マントをひるがえしてスタスタと歩み寄ってきた。横には屈強な魔族の護衛が二人。
「私は君に用があったんだよ、白騎士ちゃん。しかし今はそれどころではないようだね。そのレディを助けたいかい?」
助けたいか。そんなこと問われるまでもない。私は泣きながらうなずいた。その選択がどれほど重要なものだったかなんて、考えることなく。
「私にはその力がある」
ダイモン殿は、ナナを抱く私のかたわらにしゃがみこんだ。一見するとただの優男だが……。真紅の瞳と長い耳、そして鋭い牙が、彼が人間ではないということを告げていた。
「君は敵国の人間で、君に抱かれたそのレディも私にとっては赤の他人。しかし、もし君が魔王様に忠誠を誓うならば、その瞬間から私と君は同志ということになる。同志の友の命は、当然救う。ああ、なんと尊き愛、そして絆」
「魔王に、忠誠……?」
意外な言葉に、私はとっさに反応することができなかった。
私も、私をだましたあの男も、一つ勘違いをしていたのだ。
魔王軍のもとに赴けば、私は殺されるものだと思っていたが、そうではなかった。ダイモン殿は私を殺そうとしたのではなく、魔王軍にスカウトするつもりだったのだ。
ダイモン殿は微笑み、私のあごに手をかけた。
そして。
「隷属化魔法」
「え……あ、ああああああああああああああ!?」
ダイモン殿の唱えた闇魔法によって、私は全身が闇の魔力に包まれた。ナナの体は、いつの間にか私の手を離れ、ダイモン殿の護衛の手で支えられていた。
「君をだました男、君を裏切った村人、君の友を傷つけた戦士。憎くはないかい? 怒りを感じないかい?」
「ううう……なんだ、この魔法は……! まるで心に手を突っ込まれるような……!」
「その怒りと憎しみを力に変えるんだよ、白騎士ちゃん。すべてを魔王様に捧げるんだ。そうれば君の望みは叶うだろう」
「何をバカなことを……!」
私はすぐさま突っぱねようとした。しかし言葉を最後まで発することはできなかった。闇の魔力が体の内側に流れ込みはじめたのだ。
闇は、私の体の中の光とぶつかり合った。私は苦悶したが……やがて、心の底に苦しみとは別の何かが生まれ、急速に膨れ上がっていくのを感じた。
それは、怒りと憎しみだった。
「これは……違うッ、やめろ、私の心をいじろうとするのは……!」
「いじってなんかいないよ。ただ、ありのままの君でいられるように、背中を押してあげてるだけさ」
「ありのままの……私……」
「闇の魔力を受け入れるんだ。怒りと憎しみに身を任せたときこそが、本当の君のハッピー・バースデー。ほら、すごい力が湧き上がってくるだろう?」
「た、たしかに……すさまじい力が……これが私の……。……ッ! いや、ダメだ……思い通りになるものか……!」
「復讐したくはないのかい? 君を罠にはめ、友を殺そうとした者に」
「復讐……したい……いや、したくない! 負けるものか……負ける……」
「ふふふ、抗おうとしても、もう遅いよ。口でどうこう言っても、体はすでに闇の力を受け入れてしまったみたいだからね」
「あ、あ……ああ……」
ダイモン殿の言葉は、砂に水がしみ込むように、何の抵抗もなく私の心に入りこんできた。純白だった鎧が漆黒に染まっていく。それに伴って、私の中の光は消えていき、闇の力が全身に広がっていった。
体内で光の抵抗が弱まるにつれて、苦痛も弱まる。それどころか背筋をすさまじい快感が駆け抜けていき、私は喘ぎ声を上げてのけぞった。黒く染まった鎧に手を触れると、手のひらに闇の力をじかに感じることができた。私は鎧をなで、身もだえした。
これ以上はいけない。そう分かっていたが、一度奈落へと転がり落ちはじめた私は、もう止まることができなかった。
怒りと憎しみが心に満ちていき、過去の私を押し流していく。
憎い。己の金儲けのために私を騙した奴が憎い。
憎い。ナナを傷つけた奴が憎い。
憎い。この策謀に加わったすべての者が憎い。
憎い。見て見ぬふりをしたすべての人間が憎い。
憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い…………。
私の心は憎しみで、体は新しい力で満たされた。そして、その力を引き出してくださったのが誰なのか、本能的に理解した。
魔法を使ったのはダイモン殿だ。しかし、そもそもダイモン殿に強大な闇の魔力を授けたのは――魔王様だった。
偉大なる魔王様。
私がすべてを捧げるべき存在。
私は、自分の魂が変質していくのを感じた。私の魂はすでに私のものではなく魔王様のものだった。それは嘆くべきことではなく、むしろ喜ばしかった。
胸に、この力を与えてくださったダイモン殿と、魔王様への感謝が満ちていく。魔王様のために生き、魔王様のために死ぬのが当然であると、すでに私の魂には刻み付けられていた。
身も心も支配される喜び。
屈服できる幸せ。
下僕にしていただけるという栄誉。
闇に染め上げられる快感。
「歓迎するよ。黒騎士ちゃん」
「ありがとうございます」
鎧に魔王軍のエンブレムが浮かび上がり……隷属化魔法は完成した。
こうして私は黒騎士となり、魔王様に忠誠を誓ったのだ。
今回も読んでくださり、ありがとうございます!
次回は明日(11月11日(木))更新します。