6 洗脳
隠密魔法で身を隠しながら村長の家に行くと、すでに魔族の一行は中に通されたあとだった。きっと、村の門を通って正面から入ってきたから、地雷を踏まずに済んだのだろう(門の前の地雷だけは、今は機能を停止してあるのだ)。
俺はミシュラとアダンとともに、窓際にそっと身を寄せた。
室内では村長と、金髪に赤い瞳の女――リザエルとが、テーブルを挟んで向かい合っている。二人の背後には、武器を携えた護衛が三人ずつ、それぞれ控える。村長の護衛のうち一人は、アダンの婚約者・サビナである。自警団の副リーダーでもある。
中から、村長とリザエルの会話が聞こえてきた。
「たしかに、村長の言う通りだ。文書で約束を取り交わした方がお互いに安心できるというものだ」
「ええ。そのためにまず、そちらの正確な人数を教えていただきたく思います。それに合わせて、どの家に何人の兵士が泊まるかを調整します」
「こちらは私を入れて198人……いや、先ほど5人減ったから、193人だ」
「減った?」
「ああ、隊の規律を破った者がいてな。地雷にかかったり、処罰の対象になったり……。いや、気にしないでくれ」
「そうですか。他に確認したいのは、いつ頃までこの村に留まられるのか、ということです。それから、食事の他に必要なものはあるのか」
「舎営の期間については、はっきりとは分からない。魔王様から出撃命令があるまでだ。必要なものは……」
二人は淡々と話し合いを進めていた。その間も、魔族の護衛三人は油断なく目を光らせている。村長の護衛は、みながちがちに緊張していた。特にサビナは、護衛というより鬼教官の前に立つ子どものようで、青白い顔にひどく汗をかき、今にも卒倒しそうであった。
その様子を窓の外から見て、俺は首をかしげた。
「サビナは、なんであんなに硬くなってるんだ?」
「彼女が副リーダーになったのは最近で……。実は今まで、村周辺の見回りしかしたことがなかったんです」
「じゃあ、実質初めての任務か」
「はい。腰に帯びている剣も、素振り以外で抜いたことがあるかどうか……」
「モンスターとの戦闘経験は?」
「ありません。ウサギなどを弓で狩ったことがある程度です」
「なんとまあ」
俺はあきれてしまった。自警団の戦力に不安があるとは知っていたが、副リーダーがこの調子とは。
幸い、目立った衝突もなく話し合いは進行した。護衛というのは、暇であればあるほど良いという、世界でも珍しい仕事なわけだが……。サビナたちが一歩も動かないままに、合意文書にサインがなされた。
辛抱強く様子を見守り続けたアダンが、俺の隣でホッと息を吐く。ミシュラはとっくの昔に飽きてしまっており、木の枝で地面に猫の絵を描いている。
だが。
安心するのは、まだ早かったのだ。
「……そこのお前、名前は?」
「え、私?」
村長と自身のサインが入った文書を受け取ると、不意に、リザエルがサビナに声をかけたのだ。サビナは戸惑い、村長に視線を向けたが、彼はただうなずいただけだった。仕方なさそうにサビナは答えた。
「……サビナ」
「サビナ。良い名だ。少し話があるから、この場に残ってくれないか」
「私に話?」
「村長。この部屋を数分間だけ貸してくれないか」
「それは、もちろんかまいませんが」
「お前たちも、先に外に出ていてくれ」
どういうわけか、リザエルはサビナ以外の人間と魔族を部屋から出した。椅子に腰かけたまま、じっとサビナを見つめるリザエル。サビナはテーブルを挟んで反対側に立ち、居心地悪そうに視線をさまよわせた。
「なんだ? いったいサビナに何の用があるっていうんだ?」
「じっとしてろ。こんなに近くで動き回ったら、さすがに隠密魔法でもごまかしきれない」
窓に顔がくっつきそうなほど前のめりになっているアダンに、俺はそう言った。ミシュラが地面に描いている猫は、いつの間にか五匹に増えている。翼が生えているので、ツバサネコの絵だろう。
「……それで、話とは何ですか?」
「瞳に迷いが見えるな」
「え?」
「戦いへの不安か? 身のこなしを見る限り、実戦経験はなさそうだな」
「そんなことは……」
「すまない。別に馬鹿にしているわけではないんだ。むしろ心配している」
「心配……?」
サビナが困惑していた。窓の外では、アダンも同じく困惑していた。
「私は魔王軍所属だが、その中でも特に三魔将の一人、ダイモン殿の指揮下にある」
リザエルはそう言いながら、金色の何かをテーブルの上に出した。コトン、と音を立てて置かれたのは、ブレスレットである。金の輪の中央に、赤い宝玉が埋め込まれている。
「ダイモン殿から、お前のように迷いを抱えた者を見かけたら、これを渡すように言われている」
「ブレスレットを? いったいなぜ?」
「友好の証だ。つけてみろ」
リザエルはテーブルの上、金色のブレスレットをサビナの方へ押し出した。サビナは、最初は無視しようとしていたようだが、視線が次第にブレスレットに吸い寄せられていく。やがて彼女はおそるおそる手に取り、手の中で何度か回していたから……左手にはめた。
そのとたんに。
輪に埋め込まれていた宝玉が、鮮血のような光を放ちはじめたのだ。部屋全体を赤く染めるほど、強烈に。
「こ、これは!?」
「恐れることはない。魔王様の祝福だ」
「ああああああああああああああ!?」
「サビナ!?」
今にも窓を叩き割りそうになっているアダンを、俺は押さえつけた。悪い予感が当たってしまった。俺はとっさに、部屋に突入してサビナを助ける方法を模索したが……断念した。この窓は突入には小さすぎるし、玄関の方には護衛がいる。そして、俺は正面切っての接近戦ではリザエルに勝てない。
ブレスレットの発する赤色の光を浴びて、サビナは頭を押さえ、しばらく苦しんでいた。やがて彼女は、うわごとのようなものを口走りはじめたのだ。
「私は……本当は副リーダーなんてやりたくない……」
隣から、アダンの息を呑む気配が伝わってくる。ミシュラも猫を描くのをやめて、窓から中を覗いている。
リザエルは真剣な目をサビナに向ける。一年前、俺とパーティを組んでいた頃と同じ、誰かの悩みを聞くときの表情だった。
「副リーダー。自警団の、ということか」
「そう……村のみんなが期待してくれるけど……荷が重い……。私はただアダンと一緒にいたいだけなのに……」
「『アダン』というのは?」
「私の婚約者……自警団のリーダー……」
「副リーダーを他の誰かに任せることはできないのか?」
「人手が足りなくて……それに、嫌われたくない……」
「なるほど。……本当はもっと強い戦士に任せたいのに、人材不足でそれができない、といったところか。そして、村を守らねばというプレッシャーを重荷に感じているが、アダンに嫌われたくないから言い出せない」
「はい……」
「そうか。辛かったのだな」
リザエルの表情は、昔と同じ――旅先ですぐに寄り道して、ついつい誰かの頼み事を聞いてしまっていた、あの頃と同じものだった。ただ純粋に、サビナの悩みを解決したいと願っている。
だからこそ、タチが悪い。
彼女自身が気づかぬうちに、その根本が歪められてしまっているのだから。
「よし、いい考えがあるぞ。安心するがいい、お前の願いを叶えるのは簡単だ」
リザエルは――魔王によって歪められた女は、表情を明るくした。
「お前たちが自警団を組織するのは、魔王様と敵対しているからだろう? 魔王様に忠誠を誓えば、村は魔王軍の庇護下に入る。素晴らしいことだろう?」
「魔王軍の、庇護下に……。素晴らしいこと……。……ッ、やめて、私の中に……入ってこないで……! 私はそんなこと思ってない……!」
サビナは苦しげに頭を振った。そのとき、ブレスレットに埋め込まれた宝玉が、さらに強く赤色の光を発する。光を受けて、サビナはのけぞった。
「あああああ……!?」
「約束しよう、村は我々が責任を持って守る。民のために戦うのが軍人の務めだからな。お前はもう、期待に応えられないかもしれないという不安と戦う必要もない」
「ううう、違う……違う? ……分からない……助けて……アダン……」
「大丈夫だ。きっとアダンも分かってくれる」
「アダンが……? ああ、あ……!?」
アダンも分かってくれる。どうやらその言葉で、心の最後の防壁が取り除かれてしまったらしい。こうなっては、もう抵抗は不可能だ。全身に闇の魔力が浸透していくのが、はた目にも分かった。
サビナの表情から、次第に苦しみの色が消えていった。それにともなって、銀色だった胴鎧は黒く染まり、表面に悪魔をかたどった紋様――魔王軍のエンブレムが浮かび上がる。
「な、なにが起こっているんだ」
「動くなと言っただろう、気づかれるぞ」
窓の外で、俺はアダンをなんとかなだめ続ける。もうサビナは苦しんでおらず、落ち着いて立っていた。彼女は黒く変わった自身の鎧を少し触ってから、サビナは心の底から嬉しそうに微笑んだ。
「ありがとうございます。迷いが晴れました。つまらない意地を張って、魔王様に抵抗しようとしていたからいけなかったのですね」
「お前に与えたそのブレスレットには、魔王様の魔力がこめられている。魔王様は心に闇を抱えた者に力を与え、救ってくださるのだ」
「これが魔王様の魔力……なんて素晴らしい……」
サビナはブレスレットを愛しそうになでた。すでにその瞳は闇にとらわれた他の者と同様、赤く染まっていた。
「どうか私を……魔王軍に入れてください」
「ああ。よろしく、サビナ」
隷属化魔法。
また一人、魔王の忠実なる下僕が誕生した。
「何回言わせるんだ。待て、今は助けられない」
「止めないでください! 敵はリザエルと、数人の護衛だけです、なんとかサビナを救い出してみせる!」
「ここにいるのは数人だけだけどな……忘れるな。村のすぐ外に200人が待機しているんだ。村は地雷で囲んであるとはいえ、抜け穴はいくらでもある。一斉になだれ込んできたら防ぎきれないぞ」
「うっ……」
「仮にサビナをかっさらえたとしても、リザエルがちょっと命令を下すだけで敵が押し寄せてくる。200人のうちの半分でも入り込んできたら、村は全滅する」
「く、くそ……なんということだ」
窓のすぐ外で、アダンは膝をついた。うなだれるアダンの横で、俺とミシュラは立ち尽くす。そうしているうちに、リザエルが護衛とサビナを連れて、村長の家から出て行った。その背を追うことはできない。今はまだ。
「言っただろう、価値観が違うと。奴らは魔王に従うことが最高の幸せだと思い込んでいるから、敵を洗脳することにためらいがない。むしろ良いことをしたと心から信じている」
「そんな……」
「放っておいたら、いったい何人の村人が同じ目に遭うか」
村の門の方へと去っていくリザエルたちを眺め、俺は言った。アダンが地面を殴る。一度、二度、三度。拳の皮がむけるのもかまわずに。俺は止めなかった。
その後、アダンはしばしうなだれていたが……やがて血を吐くように言った。
「……戦うしかない」
「そうだな」
「だけど僕らには力も、人材もない……」
「その点は大丈夫だ。俺がいる」
アダンは顔を上げた。俺はただうなずいた。隣では、すでにミシュラがやる気満々の表情である。
アダンは地に手をついたまま、懇願した。
「お願いします。奴らを倒してサビナを奪い返すには……僕らの力だけでは足りません。どうか……」
「ああ、頼まれるまでもない。魔王討伐の予行演習だ。どのみち、一個中隊程度を退けられないなら、話にならないからな」
俺はアダンの手を取って助け起こした。ミシュラが、彼のズボンについた土を払ってやっている。俺は彼の胸の真ん中を、拳でトンと叩いた。
「予定変更だ。力を合わせてあいつらをぶっ飛ばすぞ」
次回は明日(11月8日(月))更新の予定です。