4 敵の女隊長とこっそり雑談する話
「よお。久しぶりだな」
「お前は……」
俺が声をかけると、赤い瞳を持つ金髪の女――リザエルは顔を上げ、少し表情をやわらげた。しかし、一秒後には厳めしい軍人の顔に戻っていた。
「ネロウか。この村の住人だったのか?」
「いや、そういうわけじゃないんだ」
「では、用心棒でもしているのか?」
「それも違うな。たまたま通りかかっただけだ」
「タイミングの悪いことだな。日頃の行いのせいか?」
リザエルはフンと鼻を鳴らした。俺は彼女から少し離れたところに立ち、木に寄りかかる。
魔族の兵士たち200人が待機している、森の中――木々が開けて小さな広場のようになった場所だった。俺は村の周りに地雷魔法を仕掛けたあと、たまたま中隊長のリザエルが一人でいるところを見かけたので、こうして声をかけたのだ。会話するのは一年ぶりくらいだろうか。
森の中のあちこちから魔族の兵士たちの会話が聞こえてくるが、この広場には他に誰もいない。リザエルはどうやら、一人で剣の稽古をしていたらしい。相変わらずマジメだ。彼女は大小二本の剣を腰に戻し、汗をぬぐった。
「それにしても、いつもお前は唐突に現れるな。また気味の悪い魔法を使ったのだろう」
「さあな。ご想像に任せるよ」
「ミシュラはどうしている。記憶は戻ったか?」
「いや、相変わらずさ。今は村にいる」
「そうか」
リザエルはふと空を見上げ、また俺の方に視線を戻した。
「さぞ驚いただろう。この私が魔族の兵を率いているのだから」
「そうだな。かつては国王に仕えた白騎士サマが、どういうわけか冒険者に転身したかと思ったら、今度は魔王軍の中隊長か」
「ああ。今では黒騎士だ。いろいろあったのだ」
「いろいろ、か」
俺はリザエルの黒い鎧と、そこに刻印された魔王軍のエンブレムを見た。闇の魔力を感じる。リザエルのものではなく、他者によるものだ。瞳の色もかつての青ではなく赤くなっている。
隷属化魔法。
魔王とその側近が使う邪悪なる闇魔法。
魔王は、その恐るべき魔力によって人間の欲望や憎しみ、怨み、後悔など、さまざまな負の感情を増幅することができる。そして、負の感情のはけ口として闇の力を与える。力を受け取った者は代償として魂を支配され、魔王の下僕とされてしまうのだ。
「まあ、つまり心の闇を魔王に利用されたわけだ」
「それは違う」
だが、リザエルは不機嫌そうな表情で否定した。かつてのように、ムキになって反論してくる。
「人間はみな、魔王様がその魔力によって人を無理やり従わせていると言うが……そうではない。魔王様は変わるきっかけをくださるのだ。私をはじめ、多くの人間たちはその偉大さに気づき、自ら忠誠を誓った」
「へえ」
俺はただ、相槌を打つだけにとどめた。リザエルの頭が固いのは変わっていないようだし、魔王の洗脳は他人の言葉くらいで打ち破れるものではない。言い争っても無益なだけだ。
「ネロウ。お前も魔王軍に来ないか」
「遠慮しておこう」
「つまらない意地を張ると後悔するぞ」
「意地じゃないさ。ただ、俺の目的は昔と変わっていないんだ。魔王を倒す。そうしなきゃ俺の目的は達成できないんだから、魔王軍に入ることはない」
「目的……ミシュラの記憶か」
「そうだ」
「彼女の記憶のために魔王様を倒す……。何度聞いても分からん。どういう理屈なんだ」
「いいだろ、理屈なんて。ずっとそう決めてるんだからな」
「……愚かな男だ」
リザエルはため息を吐き、本気の憐れみの目を向けてきた。
「おとぎ話の勇者を夢見ているのか? お前はそんなガラではないだろう」
「そうだな。俺はあくまでも、現実主義者だ」
「ならば現実を見ろ。勇者が魔王に対抗できたのは過去の話。魔族同士がいがみ合う時代だったからこそ、その隙をつくことができたわけだ。魔族の土地・デッドガルドが先代の魔王様によって統一された今となっては、それもかなわない。統一によって強大な軍隊が誕生し、たった一人の英雄がどうこうできるレベルではなくなってしまった」
「歴史の講義、どうも」
「悪いことは言わん。さっさとシノワ市とは反対の方角へ立ち去れ」
「ずいぶん親切だな」
「かつての仲間だ。忠告くらいはしてやろうと思ってな」
「仲間、か。あのときはありがとな。パーティを追放されるとき、あんただけがかばってくれた」
「な、急に何を言う! 礼など言われる筋合いはない!」
リザエルは顔を赤くし、心なしか少し早口になった。
「私はお前ではなくミシュラのことが心配だったのだ。追放されたあとの彼女のことが。こんなご時世だ、金を稼ぐのは容易ではない。ましてや記憶喪失の女ではな」
「ひどいな。俺のことは心配してくれなかったのか」
「そうだ。お前のことは心配してはいなかった。むしろ私としては、妙な魔法ばかり使うお前がパーティからいなくなってせいせいした……いや、せいせいしたとまでは言わないが。まあとにかく、そんなに惜しくはなかったし、寂しくもなかった。今だってそうだ。これから我らはシノワ市に攻め込むのだから、お前は目障りで……いや、そんなに悪い意味ではなく、できるなら戦火を逃れてほしいというか」
「だんだん、何言ってるのか分からなくなってきたぞ」
「とにかく! 戦争の真っただ中にお前のようなおかしな男が紛れ込んでいては迷惑だ。正々堂々とした戦いに水を差されてはかなわない。さっきも言ったように、戦場から去れ」
「正々堂々とした戦いか」
そんなものは幻想だ。
そう心に思ったが、結局、俺は口には出さなかった。
空を大きなツバサネコが横切り、俺たちがいる広場を影が通り過ぎる。木々の向こう側から数人の話し声と、足音が近づいてきた。魔族の兵士たちだ。俺はそろそろお暇することにした。
「じゃあな。見つかると面倒だから、もう行くよ」
「ネロウ。言っておくが、抵抗しようなんて気は起こすなよ? 魔王様の軍勢を止めることは不可能だ」
「そうかもな」
「それから、追放の件だがな。私もお前の行動を許したわけではないぞ。降参した者の腹を刺し、あいた穴に手を突っ込んでかき回すなど。正気の沙汰とは思えない」
「たしかに、自分でもびっくりだ」
「……そろそろ理由を教えろ。お前は外道だが、意味もなくあんなことをする男ではない」
「買いかぶりすぎだ」
俺は笑った。そしてひらひらと手を振ると、リザエルに背を向けてその場を去った。
「心配か? ミシュラ」
森の中でミシュラと合流すると、俺は尋ねた。ミシュラは、コクンと控えめにうなずいた。俺は「大丈夫さ」と言って、自分と彼女に隠密魔法をかける。俺たちは村の方に向かって歩きはじめた。魔族の兵士たちがそこらじゅうにいるが、魔法の効果があるので、わざわざ手を振ったりしなければ見つかることはない。
歩きながら、まだミシュラは不安そうだった。彼女の言いたいことは分かる。ポポポ村に俺がいることが知られれば、リザエルはそれだけ警戒し、対策を用意してくるのではないか、と。戦いになった場合、俺が得意とする奇襲戦法が効かなくなるのではないか、と。
だが。
「そんな心配はいらない」
俺はミシュラを安心させるように、言った。
「あいつは戦いといったら『正々堂々』しか知らないからな。昔からそうだろ? 俺が何回束縛魔法や陥穽魔法を使っても、そのたびに驚いて、そのたびに文句を言ってきた」
――おい、ネロウ! そういう卑怯な魔法は使うな!
――じ、地面から手が!?
――落とし穴なんて、戦士にあるまじき戦法だ。
――また地面から手が!?
――ええい! お前の外道魔法には頼らん!
――見ていろ。真の戦士の戦いを。
――地面から!?
俺は、かつてリザエルやその仲間たちと旅をしたときのことを思い出した。三か月ほど一緒に戦ったが、結局、リザエルは俺の魔法に慣れることはなかった。彼女にとって俺の使うような闇魔法は、きっと意識の外側にあり、戦いの観念からかけ離れているのだろう。おそらく今回も、彼女は俺の行動を読むことができない。ミシュラも納得したのか、もう不安そうなそぶりは見せなかった。
それにしても。
こうして思い出してみると、なんだかんだ楽しい日々だったものだ。
「さて。村でも、そろそろ話し合いが終わっているかもしれないな……ん?」
村の方へと歩いていた俺は、何か――この場で聞こえるはずのない音を耳にした気がして、足を止めた。ミシュラもそれにならう。俺はあたりを見回し、耳を澄ますと……村の方ではなく、森の奥へと足を向けた。深い下草をかき分け、時々生えている牛食い草に注意しながら、進んでいく。
違和感の正体には、すぐに辿り着いた。
視線の先では三人の魔族の男が、一本の木を取り囲んでいる。……いや、違う。木を背にした人間の女性を取り囲んでいるのだ。
「や、やめてください……」
「へへへ、つれないこと言うなよ」
「いいじゃねえか、ちょっとくらい。どうせ誰も見てないって」
「い、いや……!」
「おっと、そっちはとおせんぼだ」
女性は魔族に腕をつかまれ、木に押し付けられた。足元にはカゴが落ちている。森の中で薬草採りでもしていて、魔族が来たことに気づくのが遅れたのだろうか。
魔族のうち二人が女性を押さえ、もう一人が少し離れたところに立って笑っている。
服装からして、離れた一人が剣士。あとの二人が魔法使い。
「ミシュラ。さがっていろ」
俺はそれだけ言うと、ミシュラを置いて駆けだしていた。
胸の奥で、小さな小さな火が燃えている。消えてなくなりそうで、なくならない。そんなわずかな灯りが俺を衝き動かす。
それは、どんな外道に堕ちたとしても失ってはならない灯りだった。
「ん、なんだてめえは……」
三人の魔族のうち一人――少しだけ離れた位置にいた剣士が、俺に気づいて振り返る。しかしすでに遅い。俺は敵に接近しながら指を鳴らした。
「闇・爆裂魔法」
「ぐわあああああああああ!?」
振り返った男は右手を押さえ、その場に膝から崩れ落ちた。極小の爆発によってはじけ飛んだ右手の爪が、地面に落下する。
「もう一発」
「あばあああああああああ!?」
男は、今度は左の手を押さえる。剣を抜く暇は与えなかった。
「な、なんだてめえは!?」
「なにしてんだ! 殺すぞ!」
二人の魔法使いが驚いた様子で振り返り、怒鳴った。すぐさま俺に向かって手をかざし、魔力を解き放つ!
「食らえ! 闇・雷撃魔法!」
黒色の稲妻が、瞬きよりも速く俺の胸に直撃した。心臓。普通ならば即死。
だが、俺は足を止めることさえしなかった。
体の底からあふれ出る闇が、敵の魔法を完全にはじく。俺はまったくの無傷のまま両手に魔力を集中させた。
「な……!?」
二人の魔法使いが驚愕に目を見開く。俺はそのとき、すでにそいつらの至近距離にまで到達していた。
すなわち。
威力の小さい俺の攻撃魔法でも必殺の一撃となる、射程圏。
「闇・氷結魔法」
「ぎゃああああああああああ!?」
「うがああああああああああ!?」
魔族二人は、両手で顔を覆って地面に倒れ伏した。ゴロゴロと転がり悲鳴を上げる。二人とも、両目が凍結していた。
「隊長は立派でも、部下まで全員立派とは限らないか」
地べたでもがく三人を見下ろし、俺はつぶやいた。木の方を見ると、襲われた女性は破れた衣服をかき合わせ、おびえた目をして震えていた。俺はとりあえず魔法衣を脱いで、彼女に着せてやった。
「今の悲鳴はなんだ!」
そうこうしているうちに、リザエルが数人の部下とともに駆けつけてきた。そして惨状を前にしてはたと立ち止まった。
「こ、これは……!」
彼女はすぐに、倒れている魔族三人と、シャツ姿の俺と、服の乱れた女性とを見て事情を察したらしい。怒りと戸惑いの色が、彼女の顔を一瞬のうちに通り過ぎていく。
「部下の教育がなってないな。……いや」
俺は首を横に振った。部下たちとともに立ち尽くすリザエルに、言ってやる。
「やはりあんたは、清濁あわせ呑まなきゃならない軍人には、全然向いていないらしい」
俺は被害者の女性を立ち上がらせ、彼女を支えながら一緒に歩きはじめた。リザエルも、部下も、俺を止めはしなかった。
「面倒だが、あんたも助けよう。待っていろ」
俺は振り返ることなくそう付け加えた。リザエルがその言葉を聞いたかどうかは、分からない。
俺は森を抜けるとミシュラと合流し、女性を家まで送り届けた。
次回は明日(11月6日(土))更新する予定です。