2 自警団と火吹きブタ
「妹のカヤを助けてくださり、ありがとうございます」
「たまたまさ。賞金首を追っていたら、偶然見つけたんだ」
「それでも、あなたがいなければどうなっていたことか」
テーブルを挟んで、アダンという男は何度も俺に礼を言った。俺は「たまたまだ」と繰り返しつつ、目の前に置かれたスパゲティをフォークで巻き取る。「火吹きブタ」の肉と「牛食い草」の葉を使った、うまいスパゲティだ。やはりあの少女を助けて良かった。
隣の席では、ミシュラが口いっぱいにパンを詰め込んでもぐもぐとやっている。
「妹さんの様子はどうだい」
「いただいた解毒の薬草が効いたようで。今は眠っています」
「それはなによりだ」
俺は火吹きブタの肉を咀嚼した。そして、ミシュラがこっそりと牛食い草の葉を俺の皿に入れようとしてくるのを、無言で阻止する。ミシュラは泣きそうな顔をしていたが、やがて目をつぶって牛食い草を口に入れた。
チンピラと気を失った少女――カヤとを連れて、俺はポポポ村にまでやって来ていた。少女の家は、村人に尋ねるとすぐに分かった。村の中央付近にある石造りの家だった。小さな木造家屋が多いこのあたりでは、立派な部類に入る家だ。
アダンは俺やミシュラと同じく十代後半のように見えるが、この家で妹のカヤと二人で暮らしているらしい。親から受け継いだ家だろうか。カヤは、今は別室で休んでいる。
それにしても。
俺は、毒のせいで苦しげにうめいていたカヤの姿を思い出した。
あのとき俺が使った毒霧魔法に、人を死に至らしめるほどの毒性はなかった。とはいっても、吐き気と目まいと頭痛と腹痛を引き起こす。食らった方はたまったものではない。
「ひどい助け方だと思っただろう?」
「たしかに、不満も少しはありますが」
アダンは素直に認めた。しかしその目に敵意はなかった。
「それでも、妹があのごろつきに乱暴されたり、殺されたりするよりはずっと良い。だから感謝しています」
「そうかい」
立派な男だ。俺はスパゲティを食べながらそう思った。
かつて、同じように人を助けたとき、感謝されるどころか罵声を浴びせられたことも、一度や二度ではないというのに。
ちなみに例のチンピラ――ノーザという名前だ――は縛って木に吊るしてあり、明日にでも街まで引っ張って行くつもりである。憲兵に引き渡せば、賞金がもらえるという寸法だ。
ミシュラがまた牛食い草の葉を俺に押し付けようとするので、俺は彼女の手の甲を軽く叩いた。それを見て、アダンが心配そうな顔をする。
「あの……もしかして、お口に合わなかったでしょうか?」
「いや、気にしないでくれ。ミシュラは野菜が苦手なだけで」
そう言ってから、俺は思い直して首を横に振った。
「いや、前は普通に食えたんだけどな。いろいろあって、こいつは記憶を失っているんだ。まあ、そのうち野菜のおいしさも思い出すさ」
「記憶喪失……そうだったのですか」
「ミシュラのことより、あんたの話も聞かせてくれ。そこに鎧と剣が飾ってあるが、戦士なのか」
「はい。僕はこの村の自警団のリーダーをしています」
「リーダー? あんた、いくつなんだ」
「17です」
「俺の一つ下じゃないか。その年でリーダー、ということはかなり強いのか」
「それならまだ良かったんですが。あいにく、村に強い戦士がいないせいなんです」
アダンは、部屋の隅に置かれた鎧と剣にチラリと目をやり、言った。
「この村の様子を見たでしょう? 火吹きブタの養殖くらいしか産業のない、小さな村です。自警団も、名簿には50人くらいの名が載っていますが、老人や子どもも含まれています。戦いになったところで、どこまでやれるか……」
「なるほどな」
「村人はみんな、本当は武器なんて持たずに養殖業に専念したいんです。火吹きブタはたまに鼻から火を吹くだけで大人しいので、女子どもや老人でも世話できますし、なにより、僕たちの気質に合っています。村人は代々、豚肉を街に売りに行き、つつましく暮らしてきました」
「今度の戦争で、そうも言っていられなくなったわけか」
「はい」
アダンは苦しげな表情でうなずいた。
このポポポ村はデッドガルド帝国とロウトリア王国の境界に近い。そして、国境付近を守る砦は最近、魔王率いるデッドガルド帝国軍の攻撃によって陥落してしまった。
このあたりを守っていた王国軍は大部分が撤退。村にもいつ魔王軍が現れるか分からないが、王国軍による庇護は期待できない。自分の身は自分で守るしかない状況なのだ。
そういう状況だから、ノーザのようなチンピラ――いや、ごろつき、と呼ぶべきかもしれない――が、憲兵の目を逃れるためにやって来てしまうのだ。
「村を捨てて、都市部に避難する気はないのか」
「避難する人もいましたが、ほとんどがまた戻ってきました。結局、村を出ても行くところがないんです。都市部で仕事にありつくのも大変ですし」
「そうだな。都市に行っても、今じゃ志願兵になるくらいしか選択肢がないか」
「ええ。どうせ戦うなら、村を守るために戦います。……ただ、正直不安もあります。魔王の軍勢はおそろしく強いと言いますし。それに問題は魔族だけではないのです。人間側にも……」
アダンはそこで言葉を濁した。だが、彼が言いたいことは分かっていた。俺は先回りして、こう言った。
「人間側にも魔王軍に寝返る奴らがいる。そう言いたいんだろう?」
「え、ええ。お詳しいですね」
「詳しいのは当然だ。俺の目的は、魔王をぶっ倒すことだからな」
「魔王を、倒す……? 見たところあなたは軍人ではなく冒険者のようですが……一個人が魔王を倒す……?」
アダンがぽかんと口を開ける。そして、これまで食べることに集中していたミシュラが、「魔王を倒す」という言葉には反応した。彼女はフォークを置いて、得意げな顔で右腕を曲げて力こぶを作ってみせる。無論、こぶなどほとんどできていなかったが。
どう反応すればいいのか分からなかったのだろう。アダンは咳払いして話題を変えた。
「オホン。ところで、妹を助けるときに使ったのは、毒霧魔法とのことでしたが」
「ああ、そうだ」
「あれは闇属性の魔法では?」
「闇魔法は主に魔族が使うものだから、怪しいと?」
「いえ、そこまでは言っていません。妹の命の恩人ですから」
アダンは少し慌てた様子で否定した。ミシュラはまたスパゲティを食べはじめる。
「ただ、ほんのわずかな違和感でも見逃さないよう警戒しているのです」
「さっきの話とつながるわけだな。魔王軍と通じている人間もいるから、油断ができない、と」
「はい。どうかご理解をいただければ……」
アダンが、申し訳なさそうにそう言いかけた。
ちょうど、そのときだった。
「アダン、大変よ!」
大きな音とともにドアが開き、一人の女性が駆けこんできたのだ。胸と腹を守る簡易的な銀色の鎧を着ており、腰には剣を帯びている。
何事かと思い、俺はアダンに目配せする。しかし、アダンも眉をひそめており、事態がよく分かっていないらしい。
「失礼、こちらは僕の婚約者、サビナです。自警団の副リーダーでもあります。……サビナ。そんなに血相を変えて、いったいどうしたんだ?」
「魔族の兵隊が村のすぐ外に来てるの!」
「なんだって!?」
アダンはサッと青ざめた。俺は何も言わず、とりあえず皿の上に半分ほど残っていたスパゲティを、フォークでくるくると全部巻き取り、無理やり口に詰め込んだ。隣でミシュラも、俺を真似してスパゲティをほおばる。
「むぐむぐ……」
「むぐむぐ……」
「ついにこの村にもやってきたか……。それで、サビナ。敵の数は?」
「分からないけど、100人か200人くらいはいるそうよ」
「とすると、一個中隊か」
「もぐもぐ……」
「もぐもぐ……」
「攻撃を仕掛けてくる様子は?」
「それが、今のところ静かなの。村のすぐ外に隊列を組んでじっとしてる」
「自警団のみんなは?」
「戦闘準備に取りかかってるわ。いつ戦いになってもいいように……」
「もがもが……」
「もがもが……」
真剣な表情で情報交換をするアダンと婚約者。その横で、俺はようやくスパゲティを食べ終えた。口元を拭ってから、アダンに尋ねてみた。
「戦ってわけか。こういうことは、よくあるのか?」
「いえ、初めてです。まずは連中の目的を探らなければ」
「? アダン、ずっと気になっていたんだけど、この人は?」
「ネロウさんとミシュラさんだ。妹の命の恩人でな」
俺はアダンの婚約者だというその女性――サビナに軽く会釈した。一方で、ミシュラは気にせず、新たなパンにバターを塗っている。まだまだ食べるつもりらしい。
アダンが、部屋の隅に置いてある鎧に歩み寄った。婚約者のものと同様、胸と腹を守るだけの簡易的な鎧だった。それを手早く身につけながら、アダンは言った。
「ネロウさん。僕は今から魔族の兵が現れたという現場に行ってみます」
「戦おうってのかい?」
「まだ分かりません。まずは物陰から様子を窺ってみるつもりです」
「それがいいだろうな」
「それに……自警団は五十人程度。正面からの戦いはなるべく避けなければ」
「ふむ」
アダンは鎧の装着を終えて、剣を腰に帯びた。俺は「ごちそうさま」とつぶやき、椅子から立ち上がる。ミシュラも空っぽの皿の前で丁寧に手を合わせてから、立ち上がる。
「俺も一緒に行こう」
「え?」
「言っただろう? 俺の目的は魔王を倒すこと。となると、その手足となっている魔王軍の様子も、ちょっと見ておきたいんだ」
アダンにそう説明したが、実際の心境は少し違っていた。
今は、うまいスパゲティのおかげですこぶる気分がいい。しかし、もしも村が魔族の兵士によって蹂躙されるとしたら、この良い気分は台無しである。うまい飯をごちそうしてくれた家がその日のうちにぶち壊されるなんて、後味が悪いったらありゃしない。今後一生、スパゲティを食うたびに家や人間の燃える匂いを思い出すことになるなんて、まっぴらごめんである。
それに。
相手が200人程度なら、俺が手を貸せばどうとでもなりそうな気もする。
だから、ただの通りすがりにすぎない俺だが……。この事件に首を突っ込んでみることに決めたのだ。
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