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13 二度目の死別

「じゃあ、こいつはシノワ市の憲兵に引き渡すってことで、いいな?」

「なんということだ……。私がこんな外道な行為を……。死んでしまいたい……」

 俺が問いかけても、リザエルは膝を抱えて座りこみ、ぶつぶつとつぶやいているだけだった。あたりはすでに暗くなっており、月や星、家々から漏れる灯りが数少ない頼りだった。闇の魔力の影響で赤く染まっていたリザエルの目は、すでに青に戻っているはずだが、この暗さではよく分からない。

 俺はミシュラと協力して、気絶したノーザをまた台車に載せた。


「やっちまったもんはしょうがないだろ。あんなノリノリで鞭振るってたくせに」

「あれは……あのときはどうかしていたんだ!」

「こいつを痛めつけたおかげで、あんたは闇の魔力から解放されたんだぞ」

「う……」

 リザエルは口ごもった。ミシュラは、台車の上で白目をむいているノーザを木の棒でつついている。

「……たしかに私は、こいつを痛めつけたいという衝動に負けた。お前の外道すぎる黒い誘惑が、魔王の側近――魔将ダイモンの闇の力を上回ったということか」

「そういうことだ」

「助かった、と礼を言いたいところなのだが……」

 リザエルは抱えた膝に顔を押し付ける。

「なんだか、人として越えてはならない一線を越えてしまったような……」

「闇魔法を打ち破るためだったんだ。仕方ないだろ」

「それは、その通りだが……」

「それに、もう満足しただろう?」

「……まあな」

「だったら、明日からまたご立派な騎士様として生きればいい。今日のことは胸の奥にしまって、な」

 俺がそう言うと、リザエルは顔を上げた。そして小声で――聞き取れるか否かギリギリの声量で、こう言った。

「……ありがとう」

「どういたしまして」

「しかし、鎧の色が元に戻らないのだが」

「ん? 当たり前だろ。闇を闇で上書きしたんだから、光に戻るはずがない。あんたはこれから先もずっと黒騎士だ」

「え!? えええええ!?」

「光の技ももう使えないと思うぞ」

「そんなバカな……いったいこれからどうすれば……」

「いいだろ、吸魂剣(ドレインブレード)で戦えば」

「あのおぞましい技は二度と使うまいと、さっき決意したばかりなのに……」

 リザエルはまた落ち込んでしまった。戦闘にきれいも汚いもない、と常々思っている俺からすると、とても小さな悩みに思えたが……。きっと、彼女には彼女なりのこだわりがあったのだろう。その点は少しばかり同情した。


「ネロウさん!」

「おっ、アダンか」

 俺は、こちらに走ってくる男に目を向けた。体のあちこちに包帯を巻いたアダンは俺たちのそばまで来ると、膝を抱えているリザエルと、気絶したノーザを見てギョッとする。

「これは……あの、うまくいったんですか?」

「ああ。リザエルの隷属化魔法(スレイブ)は解けた」

「すまない……。私は、なんとお詫びしたらいいのか……」

「いえ。サビナと同じで、あなたも被害者だと思うと、責めることはできません」

 アダンは――このお人よしは、眉をハの字にして言った。俺は「そうだな」と同意してから、気になっていたことを尋ねてみる。

「ところで。どうだ、アンデッドたちは。ちゃんと働いてるか?」

「あ、はい。今も捕虜を見張ってくれています」

「そうか。教会の重傷者は?」

「大丈夫そうです。治療は今のところ順調で」

「それはよかった」

「火吹きブタたちも、大人しく小屋に戻りました。……あと、まだ元気な自警団員が村の周りを見回っています。今のところ、魔族が戻ってくる気配はないようで」

「だろうな。戦力の4割を失って敗走した上に、中隊長が捕虜になってんだ。すぐには立て直せないはずだ」

「それでも、しばらく警戒を続けます」

「まあ、なにが起こるか分からないしな」

 俺はうなずいた。アダン自身も戦闘で負傷していたはずだが、もう村のために動き回っている。少し優しすぎるところがあるが、タフで、責任感の強い男だと、俺は感心した。


 そこで俺は、家の陰から顔を半分出し、こちらをじっと窺っている女性に気がついた。暗い中に目を凝らすと、サビナだと分かった。どういうわけか近づいてこないので、俺は眉をひそめる。

「なあ、なんでサビナはあんな遠くにいるんだ?」

「分かりません。もしかしたら、罪悪感で僕と顔を合わせにくいのかも」

「ん~……そうか?」

 俺はチラリとサビナの方を見た。


 彼女も魔王の魔力にとらわれていたが、心を別の闇で満たしたおかげで正気を取り戻した。闇というのはつまり、アダンに対する欲望である。今も彼女の目は真っ直ぐにアダンに向けられており、その熱い視線は、触れれば火傷しそうなほどであった。俺はため息を吐いた。

「……いや、逆だな。あんたを狙ってる」

「え? 狙ってる?」

「俺はノーザを教会に連れて行くから。あんたはしばらくここに残れ。ここは今、誰にも見られずに済むからな」

「え? どういうことですか?」

「行くぞ、ミシュラ。あと、リザエルも来い」

 俺はミシュラとリザエルとを連れて、台車を押しながらその場を去った。……と見せかけて立ち止まり、少し離れた家の陰から、取り残されたアダンの方を観察する。ミシュラとリザエルも、俺にならった。


「なんだ、何が始まるというのだ?」

「まあ見てろ」

 俺がそう言ったのと、サビナがアダンに駆け寄ったのとは同時だった。サビナはすぐさま、アダンの腕に自身の腕を絡め、彼に寄りかかった。

「サ、サビナ?」

「えへへ」

 欲望を解放し、いろいろと吹っ切れたらしい。今のサビナは、自警団の副リーダーとして責任を果たそうとするあまりにぎくしゃくしていた、戦闘前のあのサビナとは違った。


 俺は覗き見をしながら、安心した。

「あいつらは、もう大丈夫そうだな」

「ネロウ。あの二人は自警団のリーダーと副リーダーだろう? 風紀の乱れを招かないか?」

「また頭の固いことを言ってやがるな……。ああいうのは乱れたって言わないんだ。というか、前の状態が不健全だったんだよ。言いたいことも言えずに、ぎこちなくってな」

「そういうものか。……まあ、それはともかく、あとでサビナにも謝罪しなくては。私のせいで魔王の魔力にとらわれてしまったのだから」

「何言ってんだ。アダンの言ってた通り、あんたも被害者の一人だろ」

「私の事情は、彼女には関係のないことだ。何かお詫びをしなくては。許されるとはとても思えないが……」

「マジメだなあ……」

 俺は苦笑し、ミシュラとともに台車を押しつつその場を離れた。「ちょっと待てサビナ、こんな場所で!? ああああ……!?」と、何やらアダンの押し殺した悲鳴が聞こえてきた気がするが。俺は知らぬフリをした。


 リザエルだけはしばしその場に残り、顔を真っ赤にしながらアダンとサビナの行いを眺めていたようだが……やがて我に返って、俺たちのあとを追ってきた。




 ポポポ村での戦闘が終わった、翌朝。

 多くの村人たちが、村の中央にある広場に集まっていた。人垣を作る村人たちの前には、アダンとサビナに率いられた自警団が並んでいる。彼らと向き合うのは、アンデッド部隊。

 俺の魔力で作られたアンデッド部隊は、腕がちぎれたり、顔の半分がもげたりと、いろいろと悲惨な有様だった。痛みと恐怖を感じぬ亡者の群れ。

 彼らは体を張って魔族の攻撃を受け止め続けた。勝利の立役者であることは間違いなく、それだけでも、感謝してもしきれるものではない。

 加えて。

 アンデッドたちは村の墓地から蘇った。

 すなわち、村の住人の家族、あるいは先祖たちである。


「父さん……母さん……」

 アダンはそうつぶやいてから、ハッとした様子で咳払いした。そして人垣の中から、整列したアンデッドたちの前へと進み出る。

 アンデッド部隊の代表らしき男女二人組が、彼と向き合った。どちらも全身が腐ったゾンビであり、男性の方は右腕がなくなっている。

 病死したアダンの両親だと、本人が言っていた。ゾンビや骸骨は顔の判別が難しいので、正直、俺には誰が誰だか区別がつかないのだが。やはり肉親はひと目で分かるのだろうか。

「姉さん……」

「じいちゃん……」

 村人たちの人垣の中から、小さなつぶやきが漏れ聞こえた気がした。それでも、動く者はいない。村人たちはただ、“そのとき”を待っている。アンデッドたちのかりそめの命が尽きる、そのときを。


――ネロウさんの言った通りだ。

――そうだな。あのアンデッドたちは、やっぱり俺らのことを想って体を張ってくれたんだ。

――ネロウさんはご先祖様たちの気持ちを汲んで、その体にもう一度命を吹き込んでくれたんですね。


 ついさっきまでは、そんなことを言っていた村人もいたものだが。こうしてあらためてアンデッドたちと――あるいは腐り、あるいはウジをわかせ、あるいは白骨化したおぞましい死者たちと向き合ってみると。村人たちは、彼らの顔をまともに見ることもできなかった。

 残酷なものだ、命とは。

 もちろん、死者たちの安息を妨げ、便利な駒として蘇らせた俺も、どうこう言える立場ではない。


「アンデッド部隊のみなさん。村を守るために力を貸してくださり、ありがとうございます」

「…………」

「みなさんの活躍を決して忘れず、これからも村を守っていく所存でございます」

 アダンの代表挨拶も、どこか儀礼的で無機質な印象だった。儀礼的――そう、それはまさしく儀礼だった。死者にお帰りいただくための儀礼であり、永遠の別れを惜しむ場とはいえなかった。

 厳かな雰囲気だ。村人たちの人垣の前に、アンデッドはきちんと整列し、すべてが淡々と進んでいく。もともとは家族だった者もいて、久方ぶりの再会、そして今度こそ永遠の別れのはずだが……相手が不気味な見た目のアンデッドでは勝手が違うということか。生者同士が別れを惜しむときのように、駆け寄ったり、抱きついたりする人間はいない。


 アンデッドたちがどこか寂しげに見えたのは、はたして気のせいだろうか。

 人々はうつむき、気づかぬフリをしているのだろうか。


 ゾンビや骸骨の体から、紫色の粒子が舞い散りはじめた。死人形魔法(パペット)の効果が消え、闇の魔力が体から抜けていく。アダンや村人たちは黙って、終わりのときを待っていた。村を守るために己の身を顧みずに戦った死者たちが、黄泉の国へと帰ろうとしている。


 ゾンビとなったアダンの母親が、何か言いたげに口を動かしたことに、俺は気がついた。声帯が腐っているため、声は出ない。アダンは気づかなかった。いや、気づかぬフリだったのだろうか。

 人々は重苦しく沈黙し、アンデッドたちが消えるのを待っている。アダンの母親は腐った目を地面に向けた。

 ここは自分たちの世界ではないのだと、思い知ってしまったかのように。

 一刻も早くこの世から消え去り、生者の迷惑にならない場所へと旅立とうと、心に決めたかのように。


 しかしながら。

 黙っていられない村人が、一人だけいた。


「お父さん! お母さん!」

 沈黙を破ったのは、少女の声だった。

 13、4歳くらいの赤毛の少女が、村人たちの間から飛び出したのだ。

 カヤ。

 俺がチンピラの手から救い出した、アダンの妹である。毒にやられた影響でまだ寝込んでいるものと思っていたが……。

「カヤ、何をしているんだ!?」

「お兄ちゃんどいて!」

「おわっ!?」

 カヤはアダンを突き飛ばし、ゾンビとなった両親に駆け寄った。父親も母親も戸惑って、両手で顔を隠そうとしている。カヤは目に涙をためて、首を横に振った。

「隠さないで。お父さん、お母さん。……会いたかった。ずっと、ずっと」

 カヤは、腐った体を気にもとめず、父親と母親に抱きついた。二人のゾンビは一瞬だけ逡巡していたが、やがてカヤの背に腕を回す。

 カヤは二人の胸に顔をうずめ、涙を流した。二人のゾンビはその背を――二度と触れることのできないはずだった華奢な背を、優しくなでた。



 そうしたカヤの様子を見て、村人たちは。

「わ、私たちだって!」

「親父、お袋!」

「じいちゃん……!」

 堰を切って、彼らはアンデッドたちに向かって駆けだした。涙を流している者も一人や二人ではない。周りの目も、相手の見た目も、もはや誰も気にしなかった。村人たちは顔をくしゃくしゃにして、ゾンビや骸骨たちと抱擁した。

 恐れていたわけではなかった。

 みんなただ、無理に我慢をしていただけだ。

 俺とミシュラ、そしてリザエルは、その様子を静かに見守る。


 もとのきれいな列はもうどこにもなく、人とゾンビと骸骨が入り乱れていた。この世との永遠の別れを前にして、死者たちが――表情筋が腐ったりなくなったりした者たちが、笑っているように見えた。


「父さん、母さん……!」

 アダンももう、感情を抑えきれなくなったようだ。カヤを抱く父親と母親に、彼も遅れて走り寄る。父は腐った顔を上げ、アダンの目をじっと見返した。そして残った左腕で、彼の肩を無言で優しく叩いたのだ。立ち尽くし、アダンは大粒の涙を流した。

 父親は、真っすぐに拳を突き出す。アダンもそれに応えて、同じように拳を突き出す。

 腐敗して骨の見えている拳と、傷があるが若々しい拳が触れ合った。

「僕たちで守っていくよ。父さんたちが好きだった、この村を」

 アダンが少しかすれた声で言うと、父ゾンビはうなずいた。母ゾンビは静かにその様子を見守っている。


 やがて。

「あっ……」

 アダンの父ゾンビと母ゾンビ、そしてその後ろにいたアンデッドたちの体から、紫色の光の粒子が抜けきった。ゾンビと骸骨たちの体が、ぼろぼろと、土か何かでできているかのように崩壊していく。カヤは二人の胸に顔をうずめたまま、ボロボロの服をぎゅっと握った。それでも崩壊は止まらない。

 待って。置いて行かないで。帰ってきて。

 せめて、手を離さないで。

 きっとそうした言葉が頭をよぎっただろう。

 けれどもアダンが口に出したのは、まったく別の言葉だった。


「大好きだよ。父さん、母さん」


 カヤがしゃっくりを上げながら何度も、何度もうなずく。

 ゾンビとなった両親が、また笑ったような気がした。もしかしたら、顔が崩壊する過程でそう見えただけかもしれないが。


 それから間もなく、死者たちの体は地面の上に崩れ落ちた。残されたのは生者のみ。嗚咽し、膝をつく者。立ち尽くす者。慟哭する者。

 アダンの妹カヤは地面に手をつき、砂に混じってしまった父母の骨の欠片を、握りしめていた。手のひらに血がにじむくらいに、かたく、かたく握りしめていた。


 二度目の別れは、彼らの苦しみを二倍にしただろうか。

 それとも、胸の底に汚泥のようにたまっていた悲しみを、外に出すきっかけになったのだろうか。

 そのどちらだろうと、俺のやることに変わりはない。


 ミシュラが俺の袖を握り、頭をもたせかけてくる。


 幾千の恨みを買い、幾万の痛みをこの身に刻み、最後は地獄に堕ちるとしても。

 俺はこいつの記憶を取り戻すまで、歩みを止めない。

 俺は無言で、地に散らばった死者と、残された生者たちを見つめていた。

 ミシュラの体温を、たしかに感じ取りながら。

今回も読んでくださり、ありがとうございます!

小躍りするくらい嬉しいです。

次回は明日(11月15日(月))更新予定です。

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