12 拷問タイムが彼女を救う
「幻影魔法。あんたに見せるのは初めてだったな」
地面から生えた無数の腕によって動きを奪われたリザエルに、俺はそう言った。リザエルは体を動かそうとするが、腕たちがそれを許さない。彼女はわずかに身じろぎしただけで、諦めた。
長い戦いの末、いつの間にか日が暮れかかっていた。夕陽があたりを茜色に染め上げる。見る人によってはあたたかい火の色にも、不吉な血の色にも見える、あの光だった。
「……どういうことだ。さっきの毒霧はどこに消えた」
「毒霧なんて最初からなかったんだ。あんたも他の連中も、ただ幻を見ていただけなのさ」
「幻……」
「そう。あの笛の音は毒霧魔法じゃなくて、幻影魔法の音色だったんだ」
そのとき、ミシュラが建物の陰からひょっこりと顔を出し、あたりにもう危険がなさそうだと見極めると、ちょこちょこと駆け寄ってきた。
「おお、ミシュラ。偉いぞ、大成功だ」
俺はそう言ったが、ミシュラはまだ褒めてほしそうにこちらをじっと見ていた。俺はとりあえず、思いつく限りの褒め言葉を並べておく。
「ミシュラのおかげで俺の命は救われた。最高だ。よっ、アンデッドとブタと腕の女王。死神も真っ青、勝利の立役者。ナイスアシスト。笛もどんどんうまくなっていて、将来はプロになれるかもしれないぞ」
ミシュラはようやく、満足げにうなずいた。それからリザエルに気づき、彼女の傍らにしゃがみ込んだ。
「ミシュラか……。久しぶりだな」
「…………」
「見ての通りだ。私はネロウに負けた。無様にな」
「…………」
「私を憐れんでいるのか? それともあざけりにきたのか?」
リザエルは自虐的に笑ったが、ミシュラは笑わなかった。彼女はただ、倒れ伏したリザエルの頭を、そっとなでた。
「……ふふ、完敗だな」
リザエルはなでられながら微笑していた。頬を、涙が一筋流れていった。
俺はその様子をしばらく眺めていた。同時に、頭の中では次のことを考えていた。
これから、リザエルをどうするか。
彼女の中隊の魔族たちは、束縛魔法で動きを封じられているか、逃げ出したか、そのいずれか――つまりは壊滅である。
だが言うまでもなく、まだ彼女を支配している魔王の魔力は消えていない。闇魔法による洗脳を打ち破るには、心をそれ以上の闇で上書きするしかないのである。毒霧の幻を見せ、俺への憎しみで心を塗りつぶせば、魔王の魔力を押し流せるかと思ったのだが……そううまくはいかなかった。なぜかは分からないが、リザエルは俺を本気で憎むことができなかったらしい。
「無念だ」
リザエルはかすれた声でつぶやいた。
「私の戦いもここまでか。あの男に復讐するまで決して負けぬつもりだったのに。情けない話だ」
そうだった。
リザエルの目的は、自身をだまし、村人をそそのかした男への復讐。その復讐心を上回るほどの負の感情を煽ってやらねばならないわけだが、そう簡単ではないだろう。復讐心とは、この世にある負の感情の中でも、とりわけ厄介な感情なのだ。
どうしたものかと、俺は首をひねった。
だが、リザエルが次に発した言葉が、勝手に解決策を運んできた。
「復讐……。そう、私を陥れた男……ノーザに」
「は? ノーザ?」
俺は、思わず聞き返した。聞き覚えのある名前……どころの話ではない。ここ数日、何度も手配書で見た名前だ。今日の午前中にも見た。
もっと言うと、先ほど本人を拷問した。
「む? ネロウ、ノーザを知っているのか?」
「あ~……何というか、だな……」
俺は説明に困った。何から話せばいいのか、とっさには判断がつかない。
面倒になったので、俺は説明を放棄した。
「ミシュラ」
実物を見てもらうのが、一番手っ取り早い。
「ノーザを……あのクソチンピラをここに引っ張ってきてくれ」
魔族の中隊のうち、地に伏したまま拘束された者と、穴の中で動けなくなっていた者、そして倒れていた死傷者とを合わせると、だいたい80人くらいになった。残りの約120人は、黒い霧の幻に恐れをなして撤退したらしい。好判断だ。そして正直、逃げてくれて助かった。中隊長が倒れたあと、死に物狂いで向かってこられたらどうなっていたか分からない。
自警団から死者は出なかった。十人ほど負傷者が出て、今は村の教会で回復魔法を受けている。重傷の者もいたが、おそらく命は助かるだろう。
「……来たか」
そうつぶやくと、俺は振り返った。山の端に陽が沈み、急速に暗くなっていく中で、ガタガタと音を立てながらミシュラが台車を押してやってくる。台車に載せられているのは人間だった。しかも両手両足を縛られている。
先ほどまで戦場だった場所――村の門付近では、陥穽魔法の影響で穴だらけだった地面もすでに元通りになっている。そして、そこには代わりに魔族の捕虜が後ろ手に縛られて座らされていた。重傷者は敵味方問わず、すでに教会に運ばれたあとだ。
俺は、それらの捕虜たちの監視を自警団員に任せて、リザエルとともにとある民家の裏に来ていた。ここならば誰にも見られることはない。
ミシュラに押された台車が、ゆっくりと近づいてくる。
縛られて載せられているのはモヒカン頭の男――ノーザだった。
「どうだ、リザエル。こいつか?」
俺は傍らに立つリザエルに問いかけた。いや、本当は訊く必要などなかったのだ。彼女の怒りに満ちた表情を見れば答えは明々白々だった。
リザエルは縛られてはいないが、武器を取り上げられて丸腰の状態である。彼女は黙って台車に歩み寄った。
「なんだ、今度は何しようってんだ。何を訊かれても知らねえもんは知らねえ……ひっ!?」
台車の上のノーザもリザエルに気がついた。急に青ざめ、震えだす。
「て、てめえ生きてやがったのか……!?」
「なるほど。たしかめるまでもなく自白したな」
「あっ……いや、今のは……」
俺はため息を吐いた。どうやらこいつは、リザエルをだまして魔族に引き渡した張本人ということで、間違いないらしい。
「拷問する手間が省けたな」
「頼む……もうやめてくれ! 知ってることはなんでもしゃべるから!」
ノーザはおびえて、台車の上でもがいた。リザエルは怒りに拳を震わせていたが……やがて、ハッと我に返った様子で、咳払いした。
「コホン。たしかにこの男だ。しかし、ネロウ。この男を拷問したのか?」
「今回の襲撃にこいつが絡んでるんじゃないかって、最初は疑ってたんだ。まあ何も知らなかったみたいだが」
「当たり前だ。私はこの男がポポポ村にいるなど、夢にも思わなかった」
「無駄に拷問しちまったわけだ。悪いことをしたな」
俺は肩をすくめた。台車のそばでは、ミシュラが鞭を手にして控えている。俺は、リザエルがその鞭をじっと見ていることに気がついた。
「やってみるか?」
「え?」
リザエルが間の抜けた返事をした。俺はミシュラから鞭を受け取ると、それをそのままリザエルに差し出した。リザエルはしばしためらっていたが、結局、その鞭を受け取った。
「……ああ。やろう」
「ひいいいいいいい!?」
ノーザが絶望的に叫ぶ。だが同情はしない。俺はノーザの頭に手を置き、魔力をこめた。
「拷問魔法」
「ひっ……」
ノーザの身体全体が一瞬、紫色に輝いた。
「これで、こいつの痛覚は100倍になった。つまり、鞭一発が100発分に感じられるわけだ」
「頼む、もうやめてくれ、本当に痛くて、今度こそ死んじまう……!」
「大丈夫だ。絶対に死なないようにできてる。そういう魔法だからな」
「えげつないことをする」
「今のあんたの気分に、ぴったりだろう?」
「……そうだな」
リザエルは鞭を手に台車に歩み寄った。ノーザは――リザエルを魔族に売り渡し、ナナが一度死ぬ原因を作った男は、今にも泣きそうな顔をしている。
「私は今、こいつを鞭で100発打っても200発打っても、満足できそうにない」
「やめてくれ、お願い……痛い!」
ノーザは慈悲を請うべく体をよじったが、そのせいでロープが手足に食い込んだのだろう。当然、その痛みも100倍になる。彼は鞭で打たれる前から悲鳴を上げた。
「や、やめてください……お願いします……!」
「痛いだけで死なない……昔の魔族は便利な魔法を作ったもんだ。ああ、念のため隠密魔法を使っておこう。これで音は完全に消えるから、近所迷惑にならずに済む」
俺はミシュラとともに台車から離れた。リザエルが鞭を振り上げ、軽く振り下ろした。
ヒュパンッ
「あがっ……ああああああああああああああ!!!!」
ノーザが絶叫し、台車から転がり落ちた。痛がり方がすさまじいので、叩いたリザエルの方が一瞬ひるんだが……。すぐに気を取り直した様子で、第二撃を加える。
ヒュパンッ
「うがあああああああああああああああああ!!!!」
ヒュパンッ
「ごばあああああああああああああああああ!!!!」
三発目は、一、二発目よりも強かった。ノーザが地べたを転がりまわる。目玉が今にもとび出しそうになっており、汗が滝のように流れている。普通だったら村全体に響き渡ってもおかしくはない絶叫だが、隠密魔法の副次的効果で、声はこの場にいる者にしか聞こえない。
「こ、こひゅ、こひゅ……」
口からは何やらおかしな音が漏れている。痛みがすごすぎて呼吸がうまくできないのかもしれない。もちろん、今のリザエルはそんなことでは止まらない。
ヒュパンッ ヒュパンッ ヒュパンッ
「ひぐっ……はうあ……あがぱっ……!」
ノーザはもはや悲鳴を上げる力もないらしい。彼は白目をむいて失禁し、気絶しては痛みのせいで覚醒する、を繰り返した。
俺は、リザエルの体に変化が生まれていることに気がついた。全身を駆け巡っていた闇の魔力――彼女の心を支配していた魔王の力が、徐々に薄れていく。
「闇が闇を押し流していく……」
俺はリザエルの背を見守りながら、つぶやいた。
魔王の闇魔法を打ち破る方法――それは、さらなる闇で心を上書きすること。今まさに、リザエルの心はノーザへの嗜虐欲で満たされようとしていた。
魔王に利用されたのは、ノーザや村人たちへの復讐心。
しかしおそらく、リザエルはノーザに対してここまで残虐な復讐をしたいとは思っていなかったのだろう。だからこそ、俺が与えたさらなる闇――嗜虐という甘美な毒が、魔王が与えた闇を上回った。上回り、押し流した。
ヒュパンッ ヒュパンッ ヒュパンッ
鞭が振るわれるたびに、鎧に刻まれていた魔王軍のエンブレムが薄れていき……やがて消えた。
ただし、彼女の黒く染まった鎧が白く戻ることは二度となかった。私的な目的のために苛烈なまでに相手を痛めつけた彼女は、もはや清廉潔白な白騎士様には戻れない。
しかしながら、それで良いのだと俺は思った。
心の中の光も、闇も。
すべて己の一部であることに変わりはない。
「とにかく、これで一件落着だ。良かった良かった」
「あがっ……げぼっ……あばば……」
鞭を振るうリザエルを眺めながら、俺はホッと息を吐いた。
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次回は明日(11月14日(日))更新予定です。