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1 外道すぎる魔法使い、女の子を救う

「すまない、ネロウ。私はお前をこれ以上はかばうことができない」

 あれはもう一年も前のことだ。俺たちのパーティのリーダーは、苦しげな表情をしてそう言った。まるで彼女自身の身が切られているかのような顔だった。

「お前をパーティから追放しないといけない。許してくれ」

「いいんだ。こうなることは分かってた」

 俺は淡々と事実を受け入れた。むしろリーダーの方がつらそうだった。あっさりと出て行こうとする俺に対し、彼女は食い下がった。

「だが、なぜあんなことをした? 降参した敵の腹を刺し、そこから胃袋に手を突っ込むなど……。たしかにお前は外道だが……さすがに今回は常軌を逸している。ネロウ、何か理由があったのだろう?」

「理由なんて、あってもなくても同じことさ」

 俺はそう言ってごまかした。

 彼女には知らせない方がいい。

 秘密は、俺が墓まで持って行くつもりだった。

「出て行くよ、ミシュラと一緒に。丸く収まるんならそれでいい」

「ネロウ……」

 こうして俺はパーティを抜け、故郷を出たときと同じように、またミシュラとの二人組に戻った。

 かえって身軽でいい。

 そうつぶやいて、俺はミシュラと歩き出した。

 彼らとパーティを組んでいた頃の充実した日々を、そっと思い出しながら。


 そして、一年が経った。




「茶番だなあ、ひどい茶番だ」

 俺は崖の上から、眼下を横切っている道を見下ろしてつぶやいた。道の真ん中では、ゴブリンたちが一人の少女を包囲している。少女は13、4歳くらいに見え、丸腰で、明らかに戦うすべを持たなかった。棍棒を持ったゴブリンたちに囲まれ、なすすべもなくその場にへたり込んでいる。

 そしてそのゴブリンたちに対し、包囲網の外側から果敢に挑みかかる者の姿があった。

「どりゃああ!」

 安物の剣を手にし、ボロボロの鎧を身にまとった、モヒカン頭の男である。男はゴブリンの一匹に斬りかかり、ひるませながら、包囲されている赤毛の少女に声をかけた。

「へへへ、お嬢ちゃん、俺が来たからにはもう大丈夫だぜ!」

「あなたは……?」

「通りすがりの冒険者だ。そこから助け出してやる!」


 ひどい演技だ。


 崖の上からそのやり取りを眺めながら、俺は顔をしかめた。

 モヒカン男は十匹以上のゴブリンたちと同時に戦いはじめるが、上から観察すれば、ゴブリンが手を抜いているのは丸わかりだった。

 つまりこれは、よくある手口。

 盗賊役が旅人を襲い、十分に怖がらせたところで、冒険者役が割って入る。盗賊役を軽く蹴散らして恩を売るというわけだ。金銭をせびることもあるし、相手が女性ならばいかがわしい行為を要求することもある。

 この場合は、盗賊役をゴブリンにやらせている。

 知能の低いモンスターを操る魔法だろう。魔法の心得がなければ騙されてしまうのも無理はない。

 少女は道の真ん中でゴブリンに囲まれ、腰を抜かしたまま動けない。その様子を見て、モヒカンのチンピラはニヤリと笑う。彼は一気に包囲網を突破し、少女のもとにたどり着いた。

「へっへっへ、もう大丈夫だぜ、お嬢ちゃん」

 男はちゃっかり少女の肩を抱き、体を密着させた。欲望むき出しであり、茶番を続ける気があるのかどうかも疑わしい。もしかしたらこの場で、ノータイムでいかがわしい行為に及ぶ気かもしれない。

 ゴブリンは二人を包囲したまま、じりじりとにじり寄ってくる。しかし、崖の上から見ている俺にも分かる。殺気をまったく感じない。チンピラだけではなく、ゴブリンの演技も下手だった。

 ただ、人生経験に乏しく純粋無垢なるその少女は、すっかり騙されてしまっている。

「こんなにたくさんのゴブリン……。いくらなんでも、一人では……」

「くくく、俺から離れないようにしろよ、お嬢ちゃん。大丈夫だ、俺はつええからな。こんなケダモノどもなんて、あっという間に一掃してやるぜ」

 男は少女を、ますます強く抱こうとする。あまりにもおぞましい光景だったので、俺は、もう様子を見ているのをやめにした。


「ケダモノはあんただろう」


 チンピラがゴブリンたちに対して攻撃の演技をする前に、俺は崖の上から声をかけた。そう、声をかけただけだ。ゴブリンの群れの中に飛び込むようなマネはしない。俺はそこまで勇敢じゃないし、無謀でもない。

 俺は崖の上から少女と、ゴブリンたちと、チンピラとを見下ろす。誰もが驚いてこちらを向いた。俺の魔法衣(魔力をこめて織られたコート)が、風ではためいていた。

「ひどい演技だな。ちゃんと練習したのか? あと、少しは衣装にもこだわった方がいいぜ」

「な、なんだてめえは!?」

 チンピラはうろたえながらも、俺をにらみつけた。訳が分からない様子で、少女はきょろきょろと視線を動かしている。俺は崖の上から教えてやった。

「お嬢ちゃん。そいつはモルヘン市から逃げてきた賞金首だ。俺が通りかかって運が良かったな」

「え、賞金首!?」

「な!? 人聞きの悪いことを言いやがって!」

「違うというなら、なぜ今、ゴブリンどもはあんたを襲わない? あんたは隙だらけで、そんな近くに突っ立っているってのに」

「うっ……」

 チンピラは包囲網の中で、ゴブリンたちの目と鼻の先――剣を振れば当たる場所に立っていた。しかし、ゴブリンは誰一人として動かない。チンピラからの魔法による指示がなければ、動かない。

「それは闇属性の操獣魔法(テイム)だな。知性の低いモンスターを操ることができる。チンピラにしては、なかなか珍しい魔法を使うじゃないか」

「それを見破るとは……そうか、てめえは魔法使いだな?」

「だったらどうする?」

「バカな奴だ! 魔法使い単独で行動するなんてな。冒険者の常識も知らねえのか!」

 チンピラは少女の肩を抱いたまま、勝ち誇ったように笑い出した。少女が青ざめ震えているのが、崖の上からでも分かった。

「魔法使いや僧侶は、優秀な前衛職と組んで初めて力を発揮できる。さては駆け出しの素人か? それとも誰ともパーティが組めない落ちこぼれか?」

「もしくは、仲間に頼る必要のないほどの大魔法使いか」

「なにぃ?」

 チンピラは顔から笑みを消し、俺をにらみつけた。陽の光を反射して不気味に光る剣を、崖の上の俺に真っすぐに向ける。

「調子に乗りやがって。さっさとそこから下りてこい! 俺とゴブリンたちをまとめて相手にできるってんなら、やってみろ!」

「まあ、焦るんじゃない」

 俺は片手を前に出し、落ち着いた声で言ってやった。崖の下の道には、少しずつ少しずつ、黒っぽい色をした霧が立ち込めはじめている。

「それから、あまり激しく動かない方がいいぞ」

「なに?」

「というか、息をしない方がいい」

「てめえ、いったいなにを言って……ん?」

 そこでようやく、チンピラもゴブリンたちも、そしてチンピラに捕まっている赤毛の少女も、漂いはじめた霧に気がついたらしい。チンピラはあたりを見回し狼狽する。

「これは……霧か? なんだって急に、こんな黒い霧が……?」

毒霧魔法(ミスト)だ」

「ミスト……?」

「簡単に言うと、猛毒の霧を発生させる魔法だ。その中で激しい運動をしようというなら、命の保証はできないな」

「なんだと……!?」

「毒の効き目には個人差がある。あんたとゴブリンはあと何秒もつかな?」

「てめえ……うっ……!?」

「ウグ……!」

「ギッ……!?」

 俺の言葉が終わる前に、チンピラが頭を押さえ、地に片膝をついた。ゴブリンたちもそれぞれ胸やのどを押さえてもがきはじめる。苦しみの声があたりに満ちる。

 その拍子に、少女は男の手から逃れたが……彼女もすぐに地に膝をついた。黒い霧の中で、少女は苦しげに咳き込む。

「な、なんて魔法を使いやがる……。このガキも一緒に殺そうってのか……?」

「俺の目的はあんただ、賞金首」

「なに……!?」

「あんたを追っていたら、たまたまくさい芝居の現場に出くわした。それだけだ。その子がどうなろうと知ったことか」

「この野郎……!」

「その霧は空気よりも重い。高所にいれば影響がないからな。俺はここで、あんたたちが動かなくなるのを待っていればいい」


「ギギィィィ――――!!!」


 最初に音を上げたのは、チンピラではなくゴブリンの方だった。ゴブリンたちは武器を放り捨て、もはや少女には目もくれずに逃げ出した。

「あ、待て、てめえら……!」

 チンピラの呼びかけの声を聞いても、もはや振り返ることもしない。ゴブリンたちはあっという間に霧から抜け出すと、崖とは反対側にある森の中へと逃げ込んでしまった。あとにはチンピラと少女だけが残される。

操獣魔法(テイム)は、生存本能に反するような命令は出せないからな。命が危険なら、逃げるのは当然だ」

「ゴホッ……ゲホッ……! ふ、ふざけやがって。だが、てめえ一人だけ安全だと思ったら大間違いだぞ……!」

 チンピラは咳き込みながら、左手で剣を杖替わりにして立ち上がり……右手に魔力を集中させたのだ。とたんに赤黒い炎が手のひらに生まれる。

 ほお、また闇属性の魔法か。

 俺は少し意外に思った。ケチなチンピラかと思ったが、案外、難易度の高い魔法を習得している。


 それならば、手加減はいらないな。


「距離が離れていたって関係ねえ! 黒焦げになりやがれ!」

 額に脂汗を浮かべつつ、チンピラは叫んだ。右の手のひらを崖の上へ――つまり俺の方へ向け、呪文を詠唱する。

闇・火炎魔法(ヘルファイア)!」

 それは、まるで毒蛇の舌。

 赤黒い炎は渦を巻き、崖の下から上へと打ち出された。回避は間に合わない。俺は無防備のまま、正面から炎を食らった。


 ドゴンッ


 すさまじい音と熱が周囲を包む。近くに生えていた木々は一瞬にして燃え上がり、炭に変わった。足元では草花のみならず石ころまでも燃えて融解した。触れた生命をすべて刈り取る地獄の炎が、崖の上を蹂躙する!

 普通だったら、炎が通り過ぎたあとには消し炭だけが残り、そこにあった生命だったものたちは、跡形もなく失われるはずだった。


 そう、普通だったら。


 煙が晴れた。

 俺は先ほどまでと同じ姿勢で、モヒカンのチンピラと赤毛の少女を見下ろし、笑っていた。

「残念だったな」

「バカな……」

 チンピラは目を見開き、茫然とつぶやいた。少女はもはや目を開けてはおらず、地面に倒れ伏している。

「そろそろあんたにも、本格的に毒が回ってくる頃じゃないか?」

「く、ぐううう……」

「やっぱりな」

 チンピラは頭を押さえ、よろめいた。黒い霧の中で、もはや立っているのも限界のように見えたが、思ったより根性がある。彼は今にも死にそうな青い顔をしながら、吐き捨てるように言ったのだ。

「じょ、冗談じゃねぇ、こんないかれた野郎に付き合ってられるか!」

 チンピラはよろめきながら、森の方へ――ゴブリンたちが逃げた方へ向かおうとする。俺は黙って、その様子を眺めていた。

「体をいただくか、恩を売って金を巻き上げるかしようと思ったが……もうこんなガキに用はねえ! さっさととんずらさせてもらうぜ……!」

「とんずらか。できるといいな」

「あ!? なんだこれは!?」

 森に向かって走り出しかけたチンピラの足が、その場に縫い合わされたかのように止まった。黒い霧を透かして見てみると……地面から十本ほどの瘠せた腕が生えて、彼の足にまとわりついているのだ。チンピラはもがくが、振り払っても振り払っても、腕はしつこく絡みついてくる。

「ひっ……! はなせ、この……!」

束縛魔法(バインド)だ。そいつらは腕だけの存在だが、けっこうかわいいだろう?」

「あ、頭おかしいんじゃねぇか!?」

「あんたは逃げられない。そこで毒に侵され続けろ」

「う、ぐああ……ああ……!」

「いい眺めだな。悪党が死にかけているところは、何度見てもいいもんだ」

「こ、こ……このサイコ野郎……!」

「お前に人のことをどうこう言えるのか。人殺しの賞金首、しかも変質者。……さて、そろそろいいか」

 俺はゆっくりと立ち上がると、チンピラがもがき苦しんでいるのを眺めながら崖を滑り下りた。そいつにトドメを刺すため……ではない。俺は毒霧の中に足を踏み入れると、チンピラを横目に見つつ、倒れた少女の方に歩み寄った。


 俺には毒霧は効かないから、息を止めたりする必要もない。


 助け起こすと、少女は苦しげに荒い呼吸をしているのが分かった。とんでもない量の汗をかき、顔からは血の気が引いている。毒霧によって今にも死にそうに見えるが、その心配はない。

 実のところ、この毒霧は致死性のものではないのである。ただ猛烈な吐き気と目まいと頭痛と腹痛に襲われるだけだ。

「悪いな。解毒用の薬草は持ってるから、まあ勘弁してくれ」

俺はそう声をかけてみたが、少女に意識はないようだった。彼女に肩を貸し、霧の外へと退避する。


 そのときだった。


「なめやがって……!」

 まるで獣のうなり声のようだった。振り返ってみると、チンピラが必死の形相で立ち上がり、剣で足元の腕を斬り払いながら、少しずつこちらに近づいてくるところだった。霧の外に向かって、一歩、二歩、三歩。

 まだ動けるのか。

 なぶり甲斐があるものだ。

「殺してやる……!」

 目を血走らせて、チンピラがふらふらと歩いてくる。今にも倒れそうだが、剣を手放してはいない。

 追い詰められた獣は、ときに恐るべき力を発揮するという。捕食者に逆襲したり、自分より大きな相手を倒したり。野性的な力は、説明不能な結果をもたらすことがある。

 しかし。

 それはあくまでも、力を発揮させてもらえた場合だ。俺はそこまでお人よしじゃない。

 俺は少女を地面に寝かせると、パチンと指を鳴らした。

陥穽魔法(フォール)

 そのとたんに、今まさに毒霧の範囲から外に踏み出そうとしていたチンピラの足元に、ぽっかりと穴があいたのだ。

「…………は?」

 突然のことで、対処できるはずもない。チンピラはなすすべもなく穴の底へ落下していった。

「お、おわあああああああああ!?」

 ドスンッ

 深さはおよそ三メートル。死ぬような高さではないが、自力で脱出するのも困難である。

 さっき少女を助けたときに、地面に仕掛けておいたものだ。

 穴の底には束縛魔法(バインド)の腕たちがうごめいており、チンピラの四肢を瞬く間に拘束する。

「ひえっ……やめろ、手をはなせ、この……!」

「毒の霧は下に向かうって言ったよな。つまり、穴の底にどんどんたまっていくってことだ」

「ち、ちくしょう!」

 悲鳴のような声とともに、チンピラは穴の底からまた黒炎を放った。二発目の闇・火炎魔法(ヘルファイア)。炎は穴の外まで到達したが……やはり俺はよけなかった。


 ドゴンッ


 炸裂音はすさまじかった。

 しかし炎と煙が消えると、俺は無傷のまま穴のそばに立っている。底の方を見下ろすと、チンピラは愕然としていた。

「さっきも試しただろ? 気の毒なことだけどな、俺には闇魔法は効かないんだ」

 そう言って、俺は右手の人差し指を立てて、空中でくるくると回した。一回転するごとに、穴の底にたまった毒霧が濃くなっていく。

「うが、あああああ……!」

 腕たちによって拘束されたチンピラは、青ざめ、もがき、咳き込む。

「助けてくれ……死にたくない……死にたく……」

 顔を涙と鼻水まみれにし、チンピラは懇願した。

「頼む……何が欲しいんだ、金か……? 女か……?」

「知りたいなら、教えてやるよ」

 穴を覗き込んだまま、俺はニヤリと笑った。


「今、俺が欲しいものはな。女の子一人騙すために魔物の群れまで連れてくる最悪クソ野郎の、情けない悲鳴だ」


「あ、悪魔め……!」

 かすれた声でそう言ったのが最後だった。チンピラは穴の底で気を失った。俺は念のためそのまま数分間、毒霧の底に倒れたチンピラを観察する。やがて、もう動きそうもないということが分かると、フンと鼻を鳴らした。

「残念だったな。あんたはクソ野郎だが、“並みの”クソ野郎だった。世の中、上には上がいる」

 もちろん、気絶しているからその声はチンピラには聞こえていないだろうが、そんなことはどうだっていい。


「ミシュラ。もう出て来ていいぞ」


 俺は道の脇――大きな岩に向かって声をかけた。すると、長い髪を持つ小柄な女――ミシュラが姿を現した。一応、俺の2つ年下の16歳なのだが、印象としてはもっと幼く見える。

 彼女はぶかぶかの魔法衣をひるがえしながら、ちょこちょことこちらに駆けてきて、いきなり俺の懐に飛び込んだ。そして、俺の魔法衣の前を素早く開けると、勝手にシャツのボタンをはずしてしまう。

 俺が止める間もなく、ミシュラは俺の胸――心臓のあたりに耳を押し当てた。

「な、なんだ急に。心配だったのか? ……いや、そういうわけでもないのか」

 ひやりとした耳と、柔らかい指の感触を胸に感じながら、俺は少しだけどぎまぎした。ミシュラはかまわず俺の胸を指先で……触れているとかろうじて分かるくらいのやさしさで、そっとなでる。小さな吐息が肌に感じられた。

 ミシュラの行動は時々不可解だが、まあ、考えても無駄なことが多いので、それ以上は何も尋ねないこととする。俺は黙ってミシュラの髪をなでた。ミシュラはしばし目を閉じて、俺の心臓の音を聴いていた。


 戦闘後の、穏やかなひと時。

 もしかしたらミシュラは、それを大事に噛みしめていたのかもしれない。


「……ミシュラ。手配書はあるか?」

 俺が訊くと、ミシュラは道具袋をごそごそとあさりはじめた。俺がシャツのボタンを直している間に、彼女は一枚の手配書を取り出す。そして手配書と穴の底とを交互に見た。

 俺も一緒に穴の底を眺めた。たまった黒い霧が晴れていくと、そこにはたしかに、手配書に描かれている「ノーザ」という男と同じ顔があった(ただし、現実の方は白目をむいている)。

 ミシュラがにっこり笑ってうなずいた。彼女はしゃべれないわけだが、喜びの声が聞こえてくるようだ。俺も一緒に嬉しくなった。

「賞金ゲットだ。今夜はうまい飯にありつけそうだな」

 そう言いながら、俺は道の脇に寝かせてある少女の方を振り返った。あの少女はきっと、この近くにあるポポポ村の住人だろう。身なりが良いわけではないが、家に送り届ければ何らかの礼はもらえるだろう。


 グゥゥ~~~~~~……


 ホッとしたせいか、急に腹が鳴った。


 グゥゥ~~~~~~……


 ついでにミシュラの腹も鳴った。

 ここ数日、雑草しか食べていなかったので二人とも胃袋はもう限界である。冒険者の収入は不安定だ。都市部の商人の一年分の稼ぎを一夜にして得ることもあれば、何週間にもわたって1ゴールドも手に入らないこともある。


 だが、俺は知っている。悪党をいたぶって得た金で食うステーキは、この世のどんな食事よりも美味であると。


「今日はいい日だ。束縛魔法(バインド)

 とたんに、地面から例の痩せた腕が数十本も生える。腕は、海草みたいにうねうねと動いていたかと思うと、赤毛の少女の体を下から支えて数十センチだけ持ち上げた。さらに、腕たちは協力して、陥穽魔法(フォール)で作った穴の中からチンピラを引っ張り上げる。チンピラが穴から運び出されると、穴はひとりでに口を閉ざした。


 ピッ ピッ ピッ ピッ ピッ


 ミシュラが笛を取り出して断続的に吹きはじめる。数十本の腕たちは少女とチンピラとを支えたまま、その音に合わせて動いた。ミシュラは得意げに、笛を使って腕たちを指揮する。

「よし。そのままポポポ村まで運んでくれよ。落とさないようにな」

 俺はそう言うと、先に立って歩き出した。俺の足跡からは腕たちが次々と生え、それらの腕から腕へと、笛の音に合わせて二人の体が受け渡されていく。受け渡しを終えた腕は地面の中へと引っ込み、また俺の足跡だけが残った。少女とチンピラの体が、数十センチだけ浮かんだ状態で、俺のあとをついてくる。


 ピッ ピッ ピッ ピッ ピッ


「よしよし。頑張ってるな」

 俺は後ろを振り返って、ミシュラの笛と、かわいい腕たちの仕事ぶりに満足すると、またポポポ村に向かって歩き出した。

 その村でどんな事件に巻き込まれることになるか、このときの俺たちには知る由もなかった。

次回は明日(11月3日(水))投稿します。

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