或布石
校庭の奥に佇む桜の樹の下は、私達の語らいの場で有りました。
其れは私が十八、年美が十七歳に成る頃でした。年美とは一つ下の下級生であり、私と彼女の間柄は、とても一言では語れないもので有りました。彼女は親しげに私を”ふみちゃん”と呼び、人懐こい笑顔を私だけに向けるのです。私も其れを許し、彼女の鈴の様な笑い声を喜んで居たのでした。
其れをS──シスと貴方々は云い、嗤うのかも知れない。然し当時の私達は、互いに此の関係を甘やかなボンゞゝから香る、異国の匂いを嗅ぐかの様に、酔いしれ、気に入って居りました。
其の日も私と年美は樹の幹に座って寄り掛かり、話の輪を広げて居ました。帰宅する新入生達の華やかな足音が遠く聞こえ、葉桜の梢の影から見上げた蒼穹は、雲一つ有りませんでした。
「もう私も二年生かぁ」唇を開いたのは年美の方でした。「早いね、ふみちゃん」
「私の学生々活も、あと一年か」
私は少し寂しく成って、言葉を継いで了いました。来年には婚礼を上げる年下の婚約者の顔が不意に過ぎったのです。
「寂しい事云わないでよ」
「だって事実じゃない」風が吹き、刹那草の匂いが鼻を射しました。「来年の今頃の私はじょうちゃん──柚之木さんのお嫁さんなんだから」
「此処で殿方の名前は出さないで下さる? お姉様」
ました様にそう云って、年美は私の肩に凭れた。伸ばした足が、ばたゞゝと動いて居ました。
「はいゝゝ」
私は年美の顎を指で持ち上げ、唇を近付けました。其の儘接吻すると、彼女の開いた眸の中に私が映って居ました。
「ふみちゃん狡い」
口付けの後、唇を拭い乍年美は云いました。
然うしてたんぽぽの茎を折り、息を吹き掛け出来て居た種を飛ば了した。風に乗った種は校庭の方へ消えて行き、軈て見えなく成りました。其れは学校と云う鳥籠から飛び立たんとする小鳥の様で、何処か思春期の渦中で藻掻く私達と似て居る、ふとそう思いました。
其の季節も、私にはもう殆ど残されては居ないのです。
十八と云う儚くも甘やかな年齢を過ぎれば、女はどんゞゝと少女から詰まらない只の女へと変わって行く。結婚から出産、然うして子育てと、自分の為ではなく他人の為に生きる人生が待って居るのです。
然し、其れを年美も味わうのだと思うと、鼓動が高まるのでした。其の点では、私達は”女”として永遠に繋がって居られるのです。男女間では判り合えない狭間を、埋められ合えるのです。
何と素晴らしい事か──私は年美に気が付かれない様に微笑みました。
「どうかしたの?」
暫く黙り込んだ私に、年美は首を傾げました。
「ん、何でもない」
私は答えました。
心に静かに沈む砥石を隠す様に。