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【時の末子】  作者: 志村しむら
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《第78話》博士

 アミールが言う声を聞こうと耳をそばだてていた一行は、背後から唐突に掛けられた声に驚いて振り返る。

 そこには見知らぬ中年の男がいた。黒い髪の毛はぼさぼさで、身なりをきちんとしているとは言いがたい。

 白く妙にきっちりした形の膝丈まである羽織を身に付けており、顔の目のあたりに、見慣れない小さなガラスの板のようなものを乗せていた。ガラスの板は黒光りする硬質な物質が細く縁取って、 耳の方までつながっている。袷が解放された白い羽織の下には灰色の襟のあるシャツを身に付けており、襟元に細長い布をスカーフのようにゆるく結っている。

 インフィはその姿に何かの記憶が呼び起こされて、目眩を感じた。

(フォートラスの格好だ……!)

 その人物の格好はフォートラスの物だとインフィにはわかった。白衣にワイシャツ、ネクタイ、眼鏡。インフィのフォートラスでの記憶がわずかばかり蘇る。

 一行は唐突に現れたその男に警戒した。どう見ても魔物には見えない。見慣れない格好をしているが、人間のようだ。なので皆はどの程度警戒すべきかを図り損ねていた。

「あなたは……?」

 疑問を声にしたのはインフィだった。だが問うた相手は答えなかった。

「おい、こいつらは何だ? どうやってここに来た?」

 男は空中に投げ掛けるように声をかけた。インフィらに尋ねたようではない。男に応えるように誰もいない場所から声がした。

「二体はヒトです。二体は魔族の確率が高く、一体は不明です」

「不明だと?」

「はい。定義に照らし合わせるとヒトである確率は低いためヒトとは言えません。また、他に類する種別が存在しません。不明です。レコードが存在しないので、移動手段はデータベースにありません」

 こちらにはまったく構わずに展開される会話に一行は戸惑う。

「不明だという生命が何か推理しろ」

「……生命体である可能性を排除します。その結果、その生命体は自然現象に分類されるものと推測されます」

「なんだそれは、話にならん」

「類する存在は氷結牢内に一体確認できます」

 インフィはヘッティエラが言っていたことを思い出して、グレイを見る。

「もしかしてあれが博士?」

 グレイは男を観察して正体を探っている。そのインフィの声を聞き付けて男が反応する。

「なんだ、私が博士だとなぜ知っているのだ。どうにもおかしな連中だな。答えろ、どうやってここに来た?」

 男の口調は高圧的で、隠しもしない苛立ちを含んでいた。

「どうって、船で近くまで。それから飛んできた。あなたこそ一体? どうしてここに」

 インフィは対話を試みてみるが、男はインフィを見て興味も無さそうにし、次は視線をグレイに移す。インフィの質問には答えずに背中を向けた。

「おい、あれに類する氷結牢にいる存在とはどのマテリアルのことだ」

「ナンバー、イチ、ロク、ロク、ナナ、ハイフン、レイ、ナナ、レイ……」

「コードなど言われてもわかるか。個体名称で言え!」

 男は無機質に回答する声を厳しい口調で遮る。

「個体名称は不明です」

 男は明らかに苛立った様子で頭をかきむしり、膝を小刻みに揺らす。

「くっそ、調整が足りんな。これでは役に立たん」

 インフィたちはその意味不明の男のやりとりを、警戒しながら眺めることしかできなかった。

「私たちは魔物が急に現れる現象を止めるために来た。あなたはあの現象を知っているのか?」

 インフィは再び問いかけた。

「魔物だとぉ?」

 男はまだ苛立っている様子で、目が不気味に輝くように見えた。

「魔物など知らん! あれは具現化にすぎんぞ。本質は世界の崩壊にある。そう、本質こそが重要なのだ!」

 男は言葉尻強く語った。

「世界の崩壊……やはりあなたは知っているんだな? 理に歪みが生まれることについて」

「なるほど。おまえらの意図が理解できたぞ。おまえらはあの現象を魔物と呼び、それを止めるために来たというのだろう」

 インフィは神妙な顔で頷く。男は高圧的な口調で吐き出すように続けた。

「だが具現化を止めても無駄だ! 具現化せずとも現象は進行するのだからな!」

 男はインフィに歩み寄り、侮蔑するような目で見下ろした。

「なるほど、でき損ないの魔族か! 世界の崩壊を早める貴様らはおとなしくフラスコにいればいいものを。いや、待て。現象を早めるために、こいつらをフラスコから解放するのも手か」

「何を、言っているのです……?」

 魔族の言葉に反応したサディウスが一歩前に出て問いかける。

「貴様らはエムを本質的に使うだろう。私がそう作ったのだからな」

「あなたが作った?」

 インフィが問い返すが、博士は答えない。

「だがエムは世界に亀裂を入れる。だから魔族はフラスコに封じ、エムと体外で接するヒトを地上にばらまいたのだ。面倒だから言葉も統一してやったさ!」

 博士が言うことは到底信じられなかった。

「フラスコ……? まさか魔界のことですか?」

「ああ、自分等と自分等を取り巻く環境を多用に呼称していく様はなかなかに興味深いぞ」

「本当に? あなたが?」

「エムは失敗だ。作ったはいいが不完全だった。エムにより世界を作ったがその世界も不完全だ。ヒトや魔族をエムに適応させたが、それでは足りん。そうしたらどうだ。不完全が故に、世界は崩壊を始めた。最初は臨界現象かとも思ったが違う。どちらかというと反作用に似ているようだ。いずれ加速的に崩壊は進み、そして完了する! そう。それだよ。この世界を作った時、そもそもあの世界をベースになどすべきではなかったのだ。そこにエムを介在させてしまったため、エムは不完全な存在となってしまったのだ。だが全てが反作用により消滅した後ならどうだ。エムを完全な基盤として世界を作ることが……完全な世界を作ることが可能なのだ!」

 博士が言う言葉のいくつかは、一行には理解できなかった。だがインフィには言ったことの意味がわかった。それはフォートラスで聞いたことのある単語が含まれていたからだったからだ。

「エムというのが、もしかして魔法のことなのか? あなたが作った? 不完全な力だって? あなたはなぜフォートラスの格好をしている? 反作用って確か、物質とそれに反する物が反応して消滅する現象だったはず……」

 インフィは立ち眩むようによろめいた。疑問が次々と沸いてくる。それはどれも、想像もしていなかった規模のものだ。

 世界を作り替えたとこの男は言う。では元となった世界はどうなったというのか。

「フォートラスと呼んでいるようだな。あんなクズばかりの世界、消してやったさ!」

「フォートラスを消したって……どういうこと? 世界を崩壊させるって……」

「この世界を消そうとしてるってぇのか!?」

 アミールとエリックが博士の目論見に気づく。

「魔族を作り、魔界に封じ込め、世界をも操っていると、そういうのですか?」

 サディウスは怒りと驚きとがない交ぜになった声で言った。グレイは博士の方を注視している。

「ああ……そうだ。生き物も文明も消しはしたが、あんなクズばかりの世界をベースにしたから上手くいかなかったのだな。そうか、そうに違いない!」

 博士の独り言は続いた。

「なるほど、他人と話すことは無駄ではないようだな。新しい着想が生まれるぞ」

 博士は自己中心の会話を一通り続けて満足したかのように笑い、踵を返す。

「待って、博士! あなたは本当に魔法を作ったのか? 魔族も」

 インフィの脳裏に甦ったのは、トキを殺してしまった自分の膨大な魔力のことだ。

「なんのために魔法を作ったんだ? なんのためにフォートラスを消した!」

 インフィは叫んでいた。膨大な魔力は魔法としての効果を具現化された物でなくとも、膨大なエネルギーとして破壊の力を持ちうる。魔力に飲み込まれて死んでいく者をインフィは目の当たりにしてきた。

「フォートラスで私が最後に見たのは……魔力の渦に飲み込まれて消滅していく世界だった……あれは……あなたがやったのか!? 多くの人が、子供が叫んで死んでいった!! トキのように……」

 インフィの叫びに博士はびくりと止まる。

「子供……」

 博士は子供という単語に反応する。

「そうだ、アイだ。俺はアイの世界を作り直すのだ!! 邪魔をするな!!」

 博士は憤怒の表情で振り返る。インフィらは戦いを覚悟して身構える。

「貴様らに何ができるつもりだ!」

 博士は片手をかざした。その手に魔力が集束される。

「まずいですね!」

 サディウスがみなの前に立ちはだかり、障壁を張り、インフィも同じくして並ぶ。サディウスとインフィはその異様な魔力の気配に気づいたのだ。

「失敗作が立ちはだかるのか? どうするつもりだ?」

 博士は嘲笑いながら言うと、全く力む様子も意識を凝らす様子も無く、その手に集まった魔力を一行に向けて解き放った。放たれた魔力は途端に膨大なエネルギーと化しサディウスとインフィが構える術の障壁に衝突する。

「うそ、だろ……!?」

 インフィが驚くのも無理も無く、強力な魔力を持つ二人の障壁を、博士が放った力は難なく飲み込み打ち砕いてしまう。それは何らかの作用ではなく、単純に大きな力が小さな力に圧倒的に打ち勝っただけだった。インフィとサディウスの障壁は、大きな波に小さな波がかき消されるがごとく、一瞬で飲み込まれたのだ。

 そしてその力はそのまま一行に襲いかかる。インフィがフォートラスでの最後に見た現象と酷似していた。

 インフィもサディウスも予想だにしていなかったのだ。自分達を越える魔力の持ち主の存在を。

「インフィ!」

 インフィの名を呼んだのはグレイだった。インフィはその声で、驚愕から我に返る。だが、時はすでに手遅れかもしれなかった。皆が魔力の奔流に抗うこともできずに、飲み込まれていこうとしていた。

「インフィ!! 止めろ!!」

 一瞬の逡巡の間にグレイがもう一度叫ぶ。インフィは今度こそ自分にできることに気づいた。


(止まれ!)

 インフィは念じて、赤い光を放った。時が止まったのだ。

 皆は魔力に飲み込まれそうになっているその体勢のまま停止していた。

(皆をここから逃がす!)

 インフィはまず身近にいたサディウスの腕をつかんだ。サディウスは驚愕の表情で身構えたまま固まっている。インフィもそうだが、魔力の奔流に最前で襲われたので、すでに所々に裂傷と火傷がないまぜになった傷を負っている。次に手が届いたのはアミール。アミールは自身で障壁を張ったらしく、だがその障壁はすぐさま打ち砕かれていた。

 インフィはあたりを伺い、逃げ場を探す。とりあえずはこの魔力の奔流が及ばない場所で良かった。インフィは上空を目指すことにするが、残った二人が心配だった。インフィがこの場を去ることに、不安を感じたのだ。それは勘でしかなかったが、先にサディウスとアミールを避難させてから、再びグレイとエリックを迎えに来て避難させる、そのことになぜか自信が抱けなかった。インフィは四人まとめて移動できないかと、グレイとエリックの元に先に行き、引っ張って行けないかと考えた。エリックを引っ張ろうとして、やはり飛行術ではせいぜい二人までが限界に思えた。

(どうしよう……時の止まった世界で動けるのは私だけなのに……)

 インフィは何気なくグレイに触れた。その途端グレイは動き出した。

「グレイ……! 動けるの!?」

 グレイは時が止まった異様な光景を確認し、インフィを向いて頷く。

「おまえが止めたんだな?」

「うん。……そうか、グレイも神の力を持つから、動けるんだ。時の止まった世界では理の中のあらゆる作用は停止する。だけど神の力は独自の作用を作り出せる。だから動けるんだ」

 インフィは納得して言う。

「理屈は詳しくはわからないがな。だが悠長にしている暇はない」

 インフィは頷く。

「ここから離れないと」

 グレイは頷いてエリックをつかまえ、飛行術で飛び出す。インフィもサディウスとアミールを捕まえて飛び出す。二人ならなんとかなりそうだと思っているうちに、グレイがサディウスを引き受けた。 魔力が及んでいる空間を抜け出そうとして、インフィは驚愕した。博士を振り替えると、博士は笑っていたのだ。彼は憤怒の表情で魔力を放ったと思っていたが、いつの間にか表情を変えていたのだろうか、そう考えた矢先、声がしてインフィを青ざめさせた。

「興味深い。これはエムではないな?」

「なぜ……動けるんだ……!」

 博士が動けるのであれば時を止めても意味が無いかもしれない。まだ仲間たちを移動させている最中で、魔力の奔流の真っ只中だ。博士は再び魔力を放とうとする。だが、魔力を出すことはできなかった。

「いや、たいして動けん。これは何の力だね。だが面白い……」

 インフィは身構えた。だが博士は笑いながら踵を返した。

「面白いものを見させてもらったよ。ハッハッハ……」

 そして博士は空中に溶けるようにして消えていった。

 インフィは喘いだ。かつてないほど緊張していたのと、時が止まった世界での負担が出たせいでもある。グレイがインフィを揺する。グレイがつかんでいたエリックから手を離したが、時が止まった世界なので落下したりなどそれ以上の動きはしない。

 インフィは揺すられて我に返り、グレイと共に皆を連れて上空へ避難した。


 上空に浮かんだ一行の足の下の方で、魔力が渦巻き、大気を乱し大地を穿っていた。一行は恐れに強ばらせた表情でそれを見届けた。

 エリックはサディウスに背負われるようにしてつかまっていた。だがインフィもまたアミールの肩を借りており、自身の力で浮いているとは言えなかった。時間を止めた世界で動いた負担が体に影響を及ぼしたのだ。インフィは胸が苦しいのを堪えながら、なんとか意識を保っているような状態だった。

「大丈夫?」

 アミールがインフィの顔を覗き込む。インフィの顔は血の気が引いていて、いかにも苦しそうだった。インフィは声には出さずにただ頷くが、それは全く大丈夫そうには見えなかった。

 足元の魔力はひとしきり暴れたあと、次第に霧散していった。

「何だったんだよ……あいつは一体、なんなんだ?」

「フォートラスを滅ぼした力だ……間違いない」

 インフィはなんとか息を整えながら言う。

「魔物の発生を止めにきて、世界を作り替えた奴に会っちまったってぇのかよ。世界をどうこうするなんて、信じられねぇぞ」

 エリックの声は驚愕に満ちており、途方に暮れた様子でもあった。

 地上が安全になった様子を見て、地上に降りた。先程立っていた場所はまったく地形を変えていた。地面は穿たれ、傷跡のようにいくつもの筋がうねりながら重なり、全く違う地形に変えていた。

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