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【時の末子】  作者: 志村しむら
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《第77話》レド島の大穴

 艀はどうしたことか、レド島に近づくにつれて速度を落とし、島がもうすぐというところで、どんなに漕いでも前進しなくなってしまった。魔法を使って後方に風を放ちその圧力で進もうとしたが、それでも前進できず、まるで何かに拒まれるかのように後退した。

「海流も無いのに、おかしいですね……」

 サディウスはインフィを見る。インフィはあたりを伺い海に目を向ける。すでにグレイは海に手を浸して探っており、結論付けて言った。

「理が乱されている。それも何者かが意図したようにな」

「思うように理を操れるなんて、神法以外にできるの? 神の力を持つ者がいるの?」

 インフィはグレイの側に屈み込み、グレイを見た。

「いや、それは感じられない。だが、見ろ」

 言ってグレイが手から白い光を放つと、艀を中心とした海面が光に照らさる。その状態でグレイが船員に漕いでみろと言う。その状態で櫂で漕ぐと船は前進した。

「神法で治せるということは、理が乱れているということだ」

 船員はこのまま漕いで行っていいのか迷い、アミールを振り返るが、アミールは首を横に振って前進を止めた。グレイが神法を使うのを止めると、船は再び押し戻されるように後退した。

「船から降りて行こう。あのくらいの距離なら飛行術で行ける」

 インフィが言う。アミールは船員に船へ引き返すよう指示する。三日待機し、帰還しなければ構わず帰港しろと船長への伝言を伝えた。アミールは予備の松明に艀の松明から火を移す。まだ昼間だが、薪の火が必要になるかもしれないと考えたのだ。

「エリックは……」

 飛行術が使えないエリックは艀で行けなければ戻るしかない。

 だがエリックは決意の表情で、サディウスとグレイの肩に腕を掛けた。

「これで俺も行けるだろ?」

 飛行する二人に持ち上げられながら飛ぶ作戦のようだ。サディウスは呆れ顔をしたあと笑い、グレイは迷惑そうな顔をしていた。

「つーか、グレイ、おまえも飛べるんだろ?」

 エリックはグレイに言う。グレイは戦闘では飛行術を使わないが、エリックは飛行していくと言った時の困った様子も無いグレイの表情を見逃さなかったのだ。

 インフィが止めようとして口を開くが、エリックのしてやったり顔を見たら言葉が出なくなってしまった。


 インフィ、アミールは得意の飛行術で飛び上がり、サディウスとグレイもエリックを支えながら飛び上がる。

「おわっと!」

 エリックは驚き声をあげるが、これで飛行体験は二度目だった。

「重い……」

「まったくだ」

 サディウスとグレイが文句を言うが、ちゃんと腕を背中に回して支えている。

「まぁ、そう言うなって!」

 にかっと笑って、エリックはこちらの様子を伺いながら先を行くインフィらを指差す。

「ほら、行こうぜ!」

「はいはい」

 サディウスは返事をするがグレイはため息をついた。


 一行は飛行術でレド島を目指した。

 レド島へ近づくにつれて、あるあきらかな異変が目に入るようになる。一行は飛行したままレド島の山に上がり、山頂付近に降り立ってその異様な光景を見下ろした。


 一行はこれがどういった現象なのかわからず、呆然とした。


 目の前には広大な闇穴が広がっていた。それはレド島を遥かに越える大きさで、島に一つ残った山を小さな北端として、南に広がるのはただ茫漠とした闇。底無しの空虚。海は途切れ、穴に向かって海水が流れ落ちるでもなく、穴の縁で見えない何かに押し返されている。穴の側面から海の断面が見えるわけでもなく、暗くよどんでいるだけだった。穴は穴のように見えるが、大地をただ穿ったような物ではないようだった。それが水平線とも地平線とも断言しがたい、見渡せる大地の彼方まで広がっていた。

「世界の無い場所……」

 穴の上空は、穴の縁を空に反射させて影を作ったかのように、くっきりと縁取られた雲に覆われていた。雲は生き物のように右に左にうねり、渦をつくり、時おり青や紫色の稲光を発していた。異様な雲からはしきりに雪が降り注ぎ、中空には輪になった虹がかかる。オーロラのようにゆらめく光のうねりが穴の上を横切っていた。

「滅茶苦茶だ」

 インフィが言ったのは理のことだ。自然の摂理に沿わない現象が、まるで子供がお気に入りの玩具を次々と出して無規則に散らかしたかのごとくに散在している。


「どうします?」

 ただ困惑した表情で、サディウスはインフィを振り返った。インフィは戸惑いながらもそれらの現象を観察するように見渡していた。

 その時、間近の上空にふいに、赤黒い細い亀裂のような模様が現れる。亀裂は次第に広がる。

「あれは!!」

 皆は一様に肌が粟立つ感覚に陥り身構える。それは宮殿でインフィが魔法と魔物の関連を試した時の物と同じ、異質で忌諱すべき存在と対峙したときに本能的に恐れと警戒心を抱く感覚と同じだった。その亀裂の色もまた、宮殿で見た、魔物が現れる瞬間の赤黒い色と酷似している。

 魔物の出現を予感して、皆は素早く武器を手に取り構えた。だが魔物は現れず、皆が見ている前で亀裂は淀んだ雲ににじんで染みていくように消えていった。

「消えた……?」

「まさかおまえが閉じたんじゃないだろ?」

 エリックはグレイに問いかけるが、グレイは首を横に振る。

「いや。あの消え方は歪みが正された時のようには見えなかった。良くないな」

 インフィが強張った顔で頷く。

「どこかに転移したように見えた。きっと、世界のどこかで魔物が現れた」

「今のが魔物発生の原因!?」

 アミールが食いかかるように言う。その側でまたもや同じ現象が起きた。魔物は現れず、赤黒い亀裂は消えていく。

 その現象に、インフィは冷や汗をかく思いをする。

「グルスティラムだけじゃない。世界中に起きているんだ……強力な魔物の発生は」

「どう見ても、原因はここにあるようですね」

 サディウスが言って穴の底の方に視線をやるが、底が見えるような様子はない。底が無いのか、あっても見えないのか、それすらわからなかった。

「で、どうするんだ?」

 まったくもってわからない、といった様子でエリックはインフィに尋ねた。


 インフィらは穴のぎりぎり側まで警戒しながら進んだ。その間も時おり空の赤黒い亀裂は現れては消えていく。

 その度にインフィはこの世界の無い場所が少しずつ広がっていくように感じていた。なぜそう感じたか、理屈はわからないが、予感があった。何者かがこの世界の無い場所を広げるために、理に歪みを作り出している。インフィはそう感じたが、確証はないので皆には言わなかった。理を操る何者かの存在が信じられないでいたのだ。


 その穴の淵で一行は、大きすぎてさっき眺めた場所より近づいたのかどうかも一見わからないまま、その穴を再び眺めた。エリックがまさに穴を見下ろして覗き込もうとするが、それはグレイが止める。

 グレイは拾った小石を穴に投げ入れてみる。驚くことに小石は穴に触れると、小さな赤黒い亀裂へと変じて消える。エリックが青ざめる。今度はインフィが落ちていた枯れ枝に松明の火を灯し、投げ入れてみる。すると火の灯った枯れ枝は穴の縁でなにかに当たって跳ね返ったように、ぽとりと穴の外側に落ちる。

 それを見て神の力に関係すると察したアミールが、神の力を持つ自身の槍を穴の内に差し込んでみる。だが槍は固いなにかをつついたように穴の内側には届かなかった。インフィも剣を呼び出し真似してみるが、やはり固い何かに拒まれる。力を入れて斬りつけてみても、全く歯が立たず、弾かれるでもなく剣は穴の淵で停止した。

「いったいなんだってんだ、こりゃぁ……」

 まったく理解できないといった様子で、エリックは頭を掻く。インフィはその不可解さに共感して頷く。

「神の力が拒否される空間、っていう感じ」

「さほど力を持たない物は取り込んで歪みに変える」

 インフィが言うとグレイが続く。どうしたものか慎重に考えていたその時、アミールが狼狽えたように辺りを伺う。

「誰……?」

 アミールは辺りに頭を巡らせて、他に人がいないかを確認する。

「どうしたの、アミール?」

 インフィはアミールに歩み寄って、共に辺りを伺う。

「声が聞こえなかった? ……この穴の方から聞こえるわ」

 アミールは言って穴に向かって耳を傾ける。皆が耳を澄ませて静まり変える。沈黙の中に天空の異様な稲光が発する雷鳴だけが響く。

「ほら、また。誰かが呼んでる」

 サディウスは首を傾げた。

「……誰の声も聞こえませんが?」

「そんなことないわ、ほら、ここだ、って言ってるじゃない」

 だが人より耳の良いサディウスの耳にも、アミールが言うような声は聞こえなかった。もちろんアミールに嘘をついているような様子は無い。


 ふいに、一行の背後から声がした。

「ここまで来るとは何モンだね? あの海には入れないようにしといたはずだが」

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