《第75話》ルビーとピンクサファイア号で往く海
船の舳先に飾られた真鍮の看板が太陽に煌めく。『ルビーとピンクサファイア号』は最初東へ進み、エデッタの岬をかすめ、南下する。船足は速く、更に風向きも味方していた。エデッタの近くを通る時、リトマールを出てから三日だった。エデッタから乗った船より余程速い。魔物の出現はここまでは少なかった。
船長室にはホルス船長をはじめ、インフィ、エリック、サディウス、グレイ、アミールらが集まっていた。机の上に世界地図を広げている。
「グルスティラムから南東というとハイアサイト諸島のあたりですかな」
ホルス船長は地図を指して言う。
「透き通った海で、丸が3つに三日月がくっついたような形の島を見たって神殿におわす方は言ってたよね?」
インフィはグレイに確認する。グレイは頷いて、机の上の紙にヘッティエラが描いていた島の形を描く。ホルス船長はそれを見てハイアサイト諸島のひとつの島を指す。
「レド島のようですな。そういう形の島なら間違いありませんぞ」
特徴を聞いてすぐさまそれがどこだかわかるその知識はホルス船長の経験の深さを物語っていた。
「そこには山がある?」
「ありますとも。白い砂浜の海岸に囲まれていますが、少し島に踏み込めば火山質の低山が連なっています」
「火山?」
「休火山です。噴火の兆候はここしばらく無いらしいんですが。ただ……」
ホルス船長は言い淀む。
「魔物が多発している海域がありましてな。その中にあるのです」
「そこは昔から魔物が多発するの?」
「いえ、ここ最近なのです」
皆が同じことを感じた。そここそ目的の場所、世界の無い場所があると。
「突破できるかしら?」
ずばりと尋ねたのはアミールだった。船長は参ったと言った感じで頭を撫で、少し考える。
「大型の船ですと、魔物の格好の的になりかねませんね。燭台はありますが、動いていると効果は薄い」
船長が答えるとアミールはじっと見つめたままだった。
「……といっても、アミール様なら無理だと言っても聞かないでしょうな」
アミールの目線に答えるように言って船長は笑う。アミールも笑う。
「ま、なんとかしましょ。ね、クロ」
「え? 私?」
突然当てにされてきょとんとしてしまうインフィ。
「あんた結界術とか使えないの?」
「使えないことはないけど、対象が大きくて動いているんじゃ無理だね」
あっさりと断るとアミールはいかにも不服そうな顔をする。
「ま、いざとなったら海の中に潜るようだな」
冗談めかして言ったのはエリックだった。それをサディウスが見る。
「海の中は安全なのですか?」
「魔物は薪の炎程じゃないが、海の水も嫌がるんだよ。だから海で魚みたいに泳ぐ魔物なんて出ないんだぜ?」
エリックが説明する。ホルス船長は頷く。
「その通り。だが、海面は奴等の爪が届きますからな。ある程度潜らないといかんのです」
それらを聞いてインフィは思案する。海にも薪の炎のような力があるのなら、海にも神の力があるということだ。
その時外から銅鑼の音が聞こえる。魔物出現の合図だ。一行は相談を切り上げ、武器をとって甲板に駆け出す。
見れば翼を持った魔物が五匹いた。一行はそれぞれに自分の対象を見定める。アミールが真っ先に駆け出し、グレイも甲板を蹴る。エリックが矢を放つ。サディウスは詠唱を唱え、インフィも印を組み構えた。
インフィはふと先程の話を思い出す。試してみようと思い、甲板の手すりに飛び乗ると、海面に向けて手をかざす。手を上げるとその動きに導かれるように、拳ほどの大きさの海水の塊が浮かび上がる。
「水の魂よ、汝が隠すその腕、宿りし剛力を現したまえ! 流動たる姿を忘れ、今一度頑ななる姿を思い出せ! 風の御霊よ力を貸したまえ! 水の水たる変化を停止せしめよ! フレスァラドナー!!(超圧水砲)」
海水の塊は指先ほどの大きさに縮まり、消えた。いや高速で魔物に撃ち込まれたのだ。魔物は超高圧で発射された海水の弾丸に胸を貫かれ、呻き声を上げてもがき出す。甲板に落下して踞りそのまま身悶えを続けていたので、インフィは剣で斬り伏せ、命を奪った。
五匹ともがほぼ同時に片付けられる。グレイが手をかざして、それぞれの魔物を浄化した。五人の連携もとれてきていた。
「ずいぶん効くようだな」
グレイがインフィに言う。魔物が苦手とする海の水を体内に撃ち込まれ、魔物にとってはまるで猛毒に侵されたようなものなのだろう。インフィは頷く。想像以上に効果がはっきりしていたのでインフィは少し驚いていた。
「上手いこと使えれば魔物避けにできそうなんだけど……すでに実体化している水を魔法で操るのって難しいからな……」
インフィは一人思案した。
「ねぇ、サディウス。水を操るのは得意?」
サディウスに問いかけるがサディウスは首を横に振った。
「水は安定させるのが難しいですからね。今の術だって結構な魔力を使ったんじゃありませんか?」
インフィは頷く。
「念法で動かせたのも手のひらくらいの量だったしなぁ」
海水を掬って浮かび上がらせたのは、物を動かす力に特化した念法だった。そのくらいは心得ていたので、インフィは魔法に応用したのだ。
「グレイは?」
「動かずにいるならまだしも、動きながら神法で魔物を避ける方法があったら、そもそも戦って倒す必要もないだろう」
「だよねぇ……」
「でも、大型船が魔物に囲まれたら格好の的よ。魔物がたくさん現れるまでになんとかしなさい?」
無茶な意見を挟んだのはアミールだ。それをまたもや恨めしい目で見るインフィだった。
「人には簡単に無茶言うよなぁ……」
アミールは言われてくすりと笑う。
「あんたならなんとかなるって思ってるの」
「はいはい、おだてても無駄かもしれないよ」
インフィは本気にはせずにあしらうのだった。
「それにしても動いてるから無理なんだよなぁ……結界をかけたら船が結界の中に閉じ込められてしまうしね。結界を船に合わせて移動させられたらいいんだけど……」
インフィは腕を組んで甲板を往復し、独り言をぶつぶつと言いながら思案していた。皆がそれを眺めていた。
「大丈夫なのですかね?」
サディウスが尋ねたのはアミールに対してだった。
「大丈夫よ。あれで、お題を楽しんでるじゃない」
言われてサディウスはインフィを見る。インフィは真剣な眼差しで集中していた。だがその表情はどこか輝いていた。
「なるほど。確かに」
「結界ってのはどうやってかけるんだ?」
それは知識が無いエリックの疑問だった。
「たいていは方陣を描くんだよ。術による理論の張り巡らされた方陣を媒体にして結界を張るの。もしくはそれに類する媒体」
「それを船に描けばいいんじゃねぇのか?」
「こんな大きな船には無理だよ。それに魔方陣は円形が基本だから。船がおさまるように陣を描かなきゃいけないけど、海面には描けないからね」
「媒体、ねぇ……」
聞いたエリックだったが、術に関する知識が無いのではあまりぴんとこないのであった。
「媒体を物質にしたら?」
アミールが言うと、サディウスも顔を明るくして続く。
「その物質を念法かなにかで船と一緒に動かせばいいんですよ」
アミールはサディウスと顔を見合わせて、それだ、と声を揃える。
「媒体にできる性質を持ってて安定している物質なんて、こんな海の上で、どこにあるのさ」
インフィは呆れるように言った。
「さぁ。そこはあんた、神法もあるんだからなんとかしなさいよ」
アミールはまたもや軽い調子で言うので、インフィは頭を抱える。
「またそうやって簡単に言って……だいいちねぇ、結界術てのは、本来大掛かりに準備し……!」
インフィの熱い力説が止まったのは、インフィが唐突に頭から水を浴びたからだ。
「そいつが使えるだろう。時の神」
なんとそれはグレイの仕業だった。念法でインフィに水を浴びせたのだ。呆然とグレイを見るインフィ。だがインフィは気づく。掛けられた水は塩辛い。海水だった。それにグレイが言った時の神という単語。
海水に時の神の力を使うということは……。
「海水を結晶化させて媒体にする!」
閃いたインフィの顔は、ずぶ濡れになっているにも関わらず輝いていた。
早速インフィは実践を試みる。船員に頼んで縄を括った樽を海に落とし、海水を樽一杯に掬ってもらう。
「海水を結晶にすると何ができるんでしょうね」
「うーん。普通に考えたら塩とかなんだけど……それは水分を蒸発させた状態だからなぁ……」
言ってインフィは樽に手をかけて中の海水を覗き込むように注視する。
赤い光がふいに発せられる。
最初インフィが見詰める樽の中の海水が振動しだし、渦を作る。渦は水が中央に向かう動きによって作られていた。渦の中央に次第にキラキラと輝く透明な立方体の塊が育ち、その中に黄色や橙色をした金属の光沢を持つ板の破片のような物がまばらに内包されている。透明な塊の外側は大きくなるにつれ表面にいくつもの八面体の突起が集まって固まって付着しているのが確認できる。また塊が大きくなるにつれて、海水は塊に吸収されるように消えていった。
樽の中にことん、と音をたてて塊が着地して、インフィは息をつく。
「ふう! できた!」
インフィは樽の中の結晶を取り出す。結晶は手のひらで包んで隠せる程度の大きさしかなかった。皆がその見たこともない、透明な石のような物体に目を見張る。
アミールがインフィに近寄ると、インフィは結晶をアミールに手渡す。アミールは結晶を光に透かして眺めたりした。
「なんで海水を結晶にするとこんな綺麗な石になるのよ?」
「普通じゃ結晶状態を維持できない物まで結晶化してるからね」
「というと?」
「水を構成する物質、とかかな」
「水? 水って水以外の物でできてるの?」
「ええっと……神法でやったことって、言葉にするのが難しい。概念として認識されていないこともできちゃうから」
アミールは首を捻るばかりだった。
インフィは同じ要領で海水の結晶を全部で四つ作り出した。
「どうやって船と一緒に動かすんですか?」
作り終えたインフィにサディウスが尋ねる。サディウスは海面に媒体の結晶を設置するような想像をしていた。
「いや。考えがある。たぶん大丈夫」
インフィは確信を得た顔をしていた。
四つの結晶をそれぞれ船の船底の中央、舳先、船尾、そしてマストの途中に設置する。ずれたりしないように蟲避けのランタンを使い、その中に固定する。
その配置を見てサディウスがインフィの意図に気づく。
「なるほど。考えましたね」
「どういうことだ?」
エリックはわけもわからないまま手伝うこともできずに首をひねりながら眺めていた。
結晶の設置が終わると、インフィは舳先に立ち、結晶に手を触れる。
「導き手は東方に座す碧蒼の王。御身の深き所に抱く泡沫よ現れたまえ」
結晶が淡く青みがかった光を宿す。
甲板にはホルス船長はじめ、船員たちも集まっていた。皆が見ていると、舳先の前方に突然水柱が上がり、船員たちがどよめく。水柱は浮かび上がると海水の球体になり、唐突に舳先に衝突した。インフィがマストに配置した結晶を指差すと結晶が光り、海水はうねりながらマストの結晶の位置へ延びる。同じようにインフィが指差す動作に続いて、船尾へ延び、船底をめぐり舳先に戻る。船を縦になった海水の輪が包んだ形になった。
「これが結界なのか?」
エリックが唖然としながら尋ねると、インフィが振り返って答える。
「結界術とは違うやりかたにしたんだ。結界って言っても魔法じゃたいして魔物避けにならないからね」
インフィが説明している間も海水のうねりは変化していき、輪になった状態から左右の側面へ向かって海水が広がり、ついには船を海水の球体に包み込んでしまう。
「海水で壁をつくったらどうかなって思ったんだ。結晶が作れたから媒体にできたし。媒体に合わせて動く壁」
「それにしても結晶を縦に置くのは考えましたね。魔法陣は円形が基本。確かにそれが縦でも横でも問題ありませんね。縦にすれば円の外周に置くべき結晶を船の一部に設置できるわけです。それなら船と一緒に移動できます」
サディウスが解説に便乗してくる。
「そういうこと。これで少なくとも魔物から人間の気配を消すことはできるんじゃないかな」
海水の球に包まれた船は南下を続ける。魔物は現れたが、次から次へと人間をみつけて寄ってくるということはなかった。すぐさまインフィらに撃退されていく。




