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【時の末子】  作者: 志村しむら
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《第67話》世界の無い場所

 ティラム大陸の南東、広大な海を越えた地域。気候は暖かく、南の海は透き通っていた。その海の只中にいくつかの島が浮かび、その中で最も大きな島の一つは特徴的な形をしていた。海岸沿いを砂浜が縁取り、穏やかな傾斜を持つ山がいくつか連なっている。島は丸い島を三つ連ねた形の部分と、その端と端をつなぐように三日月のような形をした陸地を持つ。三日月の内側は湾になっていた。

 それがこの島の本来の姿だった。

 今は違う。そこにあるのは、ただ巨大な暗い穴だった。島の残骸を北の頂点として、底の見えない闇が広がっていた。


 空を光が横切った。だが光はその穴の側で闇に染まるように色を変えた。

 だがふいに光の色を取り戻すと、地上に向けて落下する。

「なんだこれは?」

 光が降りついたのは、穴の淵に佇む一人の男の手の上だった。その男が光を手元に寄せたのだった。

「法術と呼ばれるもののようです、ココノエ博士」

 博士と呼ばれた人物は虚ろな目で手の上の光を眺める。博士と呼んだ方は声はしてもどこにも姿は見えなかった。

「ほう。これがそうか」

 ぼさぼさの頭をかきむしり、壮年の博士は踵を返す。白い薄い生地の羽織が翻る。

「むむ?」

 博士は光をよくよく見てから、顔をしかめる。

「なんだ、ただのエムではないか。わかりやすく制御してあるだけだな。……それにしてもなんだこの匂いは!」

「魔族が媒介しているようです。匂いと表現されたエム軌条痕は、魔族の痕跡と推測されます」

 博士に答える方は、無機質で単調な口調だった。

「魔族! あの失敗作か!」

 博士はいかにも不愉快そうに舌打ちをして、光を放り投げる。光はそのままどこかへ飛んで行ってしまった。




 ヘッティエラは光が通ってきた場面を語った。空中を指でなぞると光の線が描かれた。丸を三つに三日月を合わせた形。それが島の形のようだ。

「博士?」

 秘密の中庭にインフィの声が響く。

「世界のない場所に、そう呼ばれる人物がいました」

 ヘッティエラは眠っていると法術がたどってきた記憶を見ることができるのだと説明する。

「世界のない場所に取り込まれそうになっていた光が、その者に捕らわれ、そして無事に放たれました。男は魔族を失敗作と呼んでいました。何者でしょうね」

 その口ぶりに感傷的な響きを感じたインフィはいぶかしんで言う。

「もしかしてあなたは魔族か?」

 法術を産み出し、魔法が世界を壊すと知る程術に精通しており、千年の時を生きる。インフィには彼が魔族であるとしか思えなかった。だがヘッティエラは何も答えない。まるで聞こえていないかのような素振りだ。

「ああ、久し振りにサラの花を見たいですね。昔のように皆で」

 ヘッティエラは一人しみじみと言い巨樹を見上げた。

「ああ……!」

 そうかと思えば、急に頭を抱えて叫び出す。

「どこだ! ここはどこだ! ここから私を出せ!」

 インフィが驚いてどうしたのかと声を掛けようと進み出るが、グレイがインフィの肩を引いて止める。グレイはヘッティエラを警戒して見たまま首を横に振った。

「人が使いその念が残った法術を永年吸い上げ続けるうちに、自我を保てなくなっているのだろう……」

 ヘッティエラは正気を失っているのだ。インフィはヘッティエラを見た。狂気的に笑い出し、次に穏やかな表情で頭を垂れる。

 狂気に満ちた様子は恐ろしくあったが、哀れに思えた。彼は千年の時をこの庭で孤独に過ごしていたのだ。

「皆はどこです? アオウ、アオウ! お茶を入れてください!

 ……ああ、わかっています……皆はもう、死んでしまった。私の愛弟子アオウもケルグスタンも、もうどこにもいない」

 ヘッティエラはその場に膝をついて座り込んでしまった。英雄七勇士の伝説から聞く姿からは想像できない、弱々しい有り様だった。

「ああ、皆でサラの花を見ましょう……」

 インフィは心底哀れに思いながら立ち尽くした。ヘッティエラはふいにインフィを見る。

「ああ、クロノス。そこにいたんですか」

 またインフィのことをクロノスと間違う。だがインフィはそれを否定せずにヘッティエラに手を差し伸べた。

「ヘッティエラ、少し休もう。疲れているだろ?」

 ヘッティエラはすがるようにインフィを見上げ、インフィの手をとった。

「そう、ですね。少し眠ります……」

 インフィはヘッティエラに肩を貸して立ち上がらせる。

「おい……」

 グレイが止めようとするが、とても見過ごせる気分ではなかった。

「放っておけないよ」

 インフィが聞かないので、グレイも仕方なしに手を貸す。

 秘密の庭にある建物にヘッティエラを連れて入ると、そこにはヘッティエラが生活している様子があった。居間があり、寝室がある。

 インフィとグレイはヘッティエラを寝室の寝台に寝かせる。ヘッティエラはすぐに眠りに落ちていった。

「眠るとまた他人の夢を見てしまうかな。法術が必要とされる場面はきっと幸せな場面ばかりじゃない……」

 法術は傷を癒したり、痛みを取り除いたり、病を軽くしたり、そういうことに使われる。だが酷い傷や重い病は法術で直せないことも多い。それでも人は、苦しいほどすがってくるはずだ。

 ヘッティエラは犠牲者なのかもしれなかった。だが教会や教会を必要とする人々には、彼が犠牲者だとは知る由もなく、彼の生み出した法術を必要としていた。

 教会でこの人物が秘されているのは、この実態を把握した上でなのだろうか。それとも知らずにいるのだろうか。

 カインの口ぶりに暗い物は無かった。だから少なくともカインは知らない。もしカインがこのことを知った時、彼女ならどうするだろうか。

 誰にも知られず存在していた教会の歴史、しかも人々に忘れ去られてしまったに暗い影に触れてしまったのだと、インフィは実感した。


 インフィとグレイは静かにヘッティエラの家を後にした。

 インフィは先程軽く触れた七勇士のことを改めて説明した。

「法術を生み出した、術士ヘッティエラ。その弟子で結界術士アオウ。始祖皇帝ケルグスタン・サイヌを助けてティラムを救い、帝国建国にも力を発揮した七勇士なんだ。他には、槍術士カクタス・カークウッド、剣士リュークスタム、魔道士エルヴェウフーバッハ、術剣士クロノス、光拳士レイ。まさかヘッティエラが生きていたなんて……」

 グレイはインフィの話を聞き、ただ頷く。

「世界の無い場所、そこに何かがある。博士という人が何かを知っている?」

「普通なら歪みは魔物に変じる。歪みが歪みのままで存在し、触れるものを取り込んでいる。イヤな気配だな」

 インフィはグレイが感想めいたことを言うのは珍しいなと思いながら、それに頷く。

 二人は入ってきた場所に戻った。やはり入り口は見当たらず、壁しかない。壁は苔と蔦に覆われ、扉があったような痕跡すらなかった。中庭はその壁に一周して囲まれている。

「どうやってここから戻ろう……結界の縁は……壁の中か。これじゃ触れない。困ったな」

 結界を操作するには、破壊するつもりがなければ、直接触れなければならない。インフィは周囲を見渡し、ついで空を見上げた。

「行けるかな?」

 巨樹の枝葉の縁から青空は開けていた。インフィはグレイに伺うが、グレイは厳しいと首を横に振る。

「結界ではないが、特殊な術域があるな。囚われる可能性があるぞ」

 だが二人に迷っている暇は与えられなかった。ヘッティエラの家の方から何かが風に乗って流れてくる。真っ先に気づいたのはグレイだった。グレイは何も言わずにインフィの肩に腕を回し、空中に浮かび上がった。

「なに? どうしたの?」

 グレイは地上を睨み、ヘッティエラの家を睨み付ける。

「真毒に近いな……見えないが毒の霧が放たれた」

「うそ!? ヘッティエラは!」

 インフィはヘッティエラの身を案じて身もだえするが、グレイに捕まれている。

「いや、奴が放ったようだ。どうやらおまえを帰したくないようだ」

「そんな……」

 インフィはまた上を伺う。

「上から出るしかない」

 グレイは一呼吸置いて、意を決して頷く。

 二人は一斉に上空に向けて飛び出した。

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