《第62話》兄
「サディウス……」
サディウスはどこか気まずそうに入り口で俯いている。
「入りなよ」
インフィが招き入れると、サディウスは頷いてしずしずと部屋に入る。
部屋に招き入れられて、サディウスは座りもせずに俯いていた。
そんなサディウスを見ていたら、インフィもまた気まずく感じた。いろいろあってあまり深くは考えなかったが、実の兄なのだ。尊敬する義理の兄とは違う存在で、その兄よりずっと近い存在だった。
何を言ったらいいのかわからずに、インフィも沈黙してしまった。
「私たち、双子、なんだよね?」
インフィが沈黙を破る。サディウスが顔を上げる。旅の間には決して見たことのない、傷ついて途方にくれた子供のような顔をしていた。
インフィは、ああ、見てしまったな、と思った。その顔を見ただけで、サディウスの気持ちが全てわかってしまったような気がした。
「……ええ……」
サディウスはかろうじて肯定の声を出す。
双子なだけあって、きっと同じ所に心があった。トキのことに、サディウスは責任を感じているのだ。インフィと同様に彼も傷ついているのだということがわかってしまった。
サディウスは意を決して話し出す。
「……たくさん謝らなければならないことがあります。正体を隠していたこと……あの事故の時のこと。私は……」
サディウスは何を言っても言い訳にしかならないとわかっていた。過去を取り戻すことはできないし、言ってしまった所で誰の心も救われないし、インフィをより傷つけてしまうかもしれない。
だが言わずにはいれなかった。二人の繋がりがあと僅かの時間で崩れ去ってしまうかもしれないと思っていたのだ。どんなことを話してでも、少しでも同じ空間を共有したいと望んだ。
だが、インフィはサディウスの口を手で塞いだ。
「やめて」
インフィはサディウスが黙ったのを確認して、一歩下がると、踵を返して寝室の方へ行ってしまった。
サディウスはそれがインフィの完全なる拒絶だと思い、立ち尽くしてしまう。
寝室の奥にはインフィの私物が仕舞われている納戸にあたる部屋があり、そこには日用品とはまた別のインフィの格別に私的な品がしまってあるのだが、眺めた棚にはインフィが特に気に入っている物が並べてあった。
インフィはその棚の一方を探る。そこから布に包まれた抱える程の大きさの物体を持ち出す。
「サディウス」
立ち尽くしていたサディウスは、寝室から名を呼ばれ、拒絶されたと思っていたので驚いて顔をあげた。すぐにインフィが包みを持って現れる。インフィがサディウスの前で包みを解くと、包みの内にあったのは、竪琴だった。幾何学的な装飾と形状をしており、サディウスが持つ流線型の優美な竪琴とは様相が全く異なる。
インフィは竪琴をサディウスに押し付ける。サディウスは押し付けられたのでつい受け取ってしまうのだが、呆然とインフィを見ると、インフィはさっさとソファに座り込んでいる。
「弾いてよ」
インフィは笑った。
それだけで、サディウスはなんだか泣きそうになった。
「それ、遺跡から発掘された奴なんだ。弦は張り直したんだけど」
「そう……ですか」
サディウスはインフィから目をそらし、竪琴を眺める振りをした。そうして弦をひとつ弾く。弦は軽い音を弾かせた。
「では……御披露、しましょうか」
サディウスは声が震えそうになるのをこらえながら言った。
サディウスはひとつだけ大きく深呼吸した。それから竪琴を奏で出す。最初はそれぞれの弦の音を確かめるためにすべての弦を適当に弾いていたが、いつのまにか聞こえる音は音楽へと変わっていた。
どこか悲しげだか、不思議と懐かしく感じる響きだった。
インフィは聞き入るように目を閉じる。まるで、その音でサディウスの辿った道が感じられるような気がした。
サディウスの想い。妹への無着の想い。
一曲を奏で、サディウスは演奏を終了させる。
「……不思議な琴ですね。癖があるが、まるで意思を持っているようです。意思を持って演奏者に同調してくる」
ひとつの曲に二人が包まれる。サディウスもまた曲を通して感じていた。インフィの気持ちを。
インフィは決してサディウスを恨んだり憎んだりはしていなかった。
インフィにはただ、悲しみがあった。深すぎて自分の罪悪感などきっと入る余地はない。
「この国を守りたいんだ」
インフィは小さな声で呟いたが、サディウスは決してそれを聞き漏らさなかった。それはインフィの確たる意思で、この国を守るためにこの先になにか行動を起こすつもりなのであること、サディウスは察した。
二度と大切な物を失いたくない。その心がインフィの意思を揺るぎ無いものにしていた。
「……少しお手伝いしても、いいですか」
インフィは答えもしなかったし、頷きもしなかった。だが、意思は通じているのだと、知っていた。
「お。いるじゃねぇか」
今度はエリックはノック無しに入ってきた。
「サディウス、一緒に行こうぜ。俺一人じゃこういうところの勝手がわからん」
エリックはサディウスを探しに来たようだった。
「陛下が宮殿を見て回っていいって仰ったんだって。サディウスも行ってきなよ」
インフィも言う。インフィはエリックなりに気を使ってくれているのだと気づいていた。サディウスも落ち込んでいるであろうこと、その落ち込んだサディウスがインフィの側にいたのではお互い気も晴れないのではないかとエリックは考えているのだ。
「お薦めは礼拝堂、図書室、温室かな。誰かに道を聞いて行ってみるといいよ」
「おう、わかったぜ」
エリックはサディウスを引きずり出すように連れていった。
「俺はよ、インフィよりもおめぇの方が、落ち込んでる時に一人にしない方がいいタイプだって思うんだ」
廊下を歩きながら正直に言うエリックに、サディウスは苦笑するしかなかった。思えばサディウスにも仲間と呼べる存在は今までいなかったかもしれない。インフィを介して得た大切な物のひとつだった。
インフィはまた部屋に一人になった。だがサディウスらが去ってからそう間を置かずにやってきたのは、クウェスタだった。
「陛下……ご公務がおありでしょう」
インフィは叱るように言ってみせるのだが、クウェスタはこれを笑い流す。
「そう言うな。私にも休憩くらいは必要だ。旅のことなど聞かせてくれ」
聞けばクウェスタは軽食を取ったというので、インフィはお茶だけ淹れた。
インフィはエデッタからここまでの経緯をあらためてクウェスタに語った。
「エデッタで何もわからない所を、エリックが助けてくれたんです。それで旅を。そういえばあのときはまだフォートラスの感覚で……魔法の存在に驚いたりしました。フォートラスには魔法なんてなかったので」
「魔法が無い?」
「ええ。実はフォートラスで自分がどう過ごしていたのかはよく覚えていません。ですが、魔法は無かったし、魔物なんて存在しなかったことはわかります」
クウェスタは興味深げにインフィの話に耳を傾けた。
「この大陸に渡る船の上で、グルスティラムのことを徐々に思い出したんです。あと、サディウスとはそこで会いました」
「そうか。彼とは一度ゆっくり話してみたいのだが」
「いいんじゃないですか?」
「いや、遠慮すると、すでに断られてしまったよ。……同じ妹を持つ境遇、運命のような物を感じるな」
クウェスタは真顔で言うが、ロマンチストな言い方に、インフィは笑ってしまう。
「まぁ、私とは双子ですから……そうですね、陛下からしたら弟のように思っていただければ私としては嬉しいです。本人は嫌がるでしょうけど」
クウェスタはうむ、そうか、わかったと言い、受け入れられる事柄のようだった。
それからも旅の話の続きを語った。
「シアルではグレイさんに助けられました。その……子供を庇って怪我をした所を」
「シアル領主が宮殿にお越しなのはめずらしい。案外インフィに会いに来たのではないか?」
「? そんなまさか……」
「旅宿に泊まりました。あれは快適ですね。遠征に設備を真似したらどうです? 大きなお風呂は兵士の士気を上げるのにも良いのでは」
「だがそれでは荷物を引く馬ばかり増えてしまう」
「ああ、そうか。そうですね」
「それに、旅宿は幕舎の構築技術が優れているのだ。あの技術は門外不出だそうだ。だが可能な部分を取り入れてみる余地はありそうだな。馬は移動の際にだけ集めるのでも良いしな」
旅の話は尽きることがなかったので、思いの外時間が過ぎるのが早かった。クウェスタもインフィの話を楽しんでいたし、インフィもクウェスタに話を聞いてもらえて嬉しかった。
「陛下! いらっしゃいますか!」
クウェスタを探しに来たのはアミールだった。
「ああ、アミールどうした」
「大臣がお探しです。こちらにいるとは思ったのですが、インフィのことを伝えるわけにも参りませんから、お呼びに参りました」
見ればアミールは軽く息を弾ませている。宮殿は広い。大臣がいるとなればそこはこことは離れた政務局のことだ。そこからアミールは走ってきたのだろう。きっと走ってきたのがアミールでなかったなら、もっと息を荒げているはずだ。
「そうか、苦労を掛けたな。大臣は政務局か? 今行く」
クウェスタはすぐに立ち上がる。インフィも立ち上がり礼をする。
「そうだ……」
クウェスタは部屋を出る直前にインフィを振り返る。
「いずれ行くのだろう?」
それは宮殿を出ていくことの意だった。インフィは答えず、ただ、深く頭を下げた。
「部屋はこのまま使えるようにしておく。自由に使いなさい。それに、たまには話を聞かせに来なさい」
「はい……」
インフィは深く頭を下げたまま返事をした。クウェスタは多忙だ。昨日と今日会えたのは奇跡的な例外かもしれない。近いうち宮殿を出ようと考えているので、もしかしたらもう会えないかもしれない。
別れにしたらあっけなかった。だがクウェスタはまた会えるのだと信じているのだ。いや、信じるという行為にすら達していない。会えるのがさも普通のことであると心得ているのだ。
だから別れのようで別れではない、そんな場面になった。
「インフィ、あとで夕御飯一緒に食べましょ!」
アミールは言い置いて、クウェスタを案内しに慌ただしく去っていった。
インフィはまた、一人になった。
はずだった。クウェスタとアミールを送り出し、ふと廊下の片隅を見ると、グレイがいた。
なるほど、皆はインフィをほおっておきたくないのだ、とインフィは気づいた。だが皆の心配が窮屈に感じることはなかった。皆が一緒にいた方が安心だと言ってくれているということは、誰かに何かを与えることができているのだと、思い出したのだ。
記憶が戻った今になってそのことに気づいたのだ。インフィ自身が、息子に対してそう思っていたからだ。息子を失ったのは辛い記憶だが、尊い気持ちにも気づかせられていた。
「グレイさん。どうしたの?」
インフィはあえて聞いた。きっと皆、インフィのことが心配で代わる代わる様子を見に来てくれているのだ。だがそれをわかっていて、インフィはわざと尋ねた。
「退屈だ。何か本でもないかと思ってな」
宮殿には立派な図書館がある。それなのにわざわざインフィを訪ねてきたということはやはり、インフィの様子を見に来たのだろう。この無愛想な男に限ってそんなことがあるだろうかと少し疑問に思ったが、きっとアミールあたりが何かしか言い含めてあるのだろう。それに従うあたりは、やはり人が良いようだ。
その人の良さがインフィに対してしか向けられていないことにはインフィは気づいていなかったが、インフィは十分に納得した。
「入って。術や古代文明の本ならあるよ」
インフィは書棚にグレイを招くと、再び茶を振る舞う。部屋には水道のある勝手の良い一画もある。そこで茶器を洗い、新しいお茶をいれる。
グレイは古代文明の本を手に取ると、立ったまま本を読み出した。
「グレイさん。座れば?」
相変わらず不思議な男だと思いながら、インフィはソファを勧める。
「ああ」
勧められたソファに、グレイは本を読みながら進み、腰を落とす。
「ところで……」
グレイは本から顔を上げて言う。
「?」
グレイから話しかけるのが珍しくて、インフィはグレイに注視した。
「さん……というのはやめろ」
言われた意味を把握しかねてインフィは首を捻る。
「……呼び捨てで構わない」
付け加えられた説明でやっと言われたことの意味がわかり、インフィは破顔した。
「ああ、わかった。グレイ」
インフィに笑顔で言われ、グレイも微かに顔を綻ばせる。
「それ、古代文明の貴重な文献の写しと、古代魔法について書かれてるんだ。珍しい内容だったから図書館からくすねてあったの」
インフィはグレイが読む本を指差す。
「古代語は読めるのか?」
「アレクス語とイグル語なら多少は。精霊語はそれよりかは苦手だけど少しだけなら」
古代言語と呼ばれるものにはいくつか種類がある。インフィはそのことを言った。アレクス語は古代と呼ばれる文明期の後期に多用された言語で、イグル語や精霊語はそれよりも古い物とされていた。精霊は『シィ』とも呼ばれる。なので精霊語はシィ言語とも呼ばれた。
「あ。フォートラスの記憶があったら、もしかしたら古代言語がわかったかもしれないのに!」
インフィは大切な落とし物に気づいた時のように悔しがった。
「フォートラスの言語が今発見されている物とは限らん」
「うーん、そうなんだけど。今の言葉とも、古代語とも違うとしたら、違うってはっきりわかることも大きな発見でしょ」
「確かにな」
インフィはエリックと会った時のことを思い出した。
「あれ……? フィフトラスに来たばかりの頃、言葉が通じたな。まだ何ひとつ思い出せていなかったのに。私、なんか変な言葉でエリックに話しかけたんだよな……あれ、なんでだっけ」
インフィは首をひねって独り言を言った。なぜかどうにも思い出せないので、後でエリックに聞いてみようと心に決める。グレイは本に目線を戻す。
グレイはそのまま黙って読書に没頭しそうだったので、インフィは話しかけずにそっとしておいた。インフィ自身が手を持て余したので、先程サディウスに弾かせた竪琴を手にとって、弦を弾き出した。
曲を奏でられるというわけではなかったが、一定のリズムに沿って弦を弾いていくだけで、何かの曲のような風情になった。
「あ。うるさかった? ごめん」
インフィはふと竪琴を弾くのをやめてグレイに言ったが、グレイは全く気にした様子もなくインフィを見る。
「いや。そんなことはない」
グレイは身を乗り出してインフィに読んでいた本を見せた。
「これは何という意味だ?」
尋ねて開かれた頁の一画を指差す。
「アレクス語でそっちの精霊語を訳してるんだ。
太陽の歌を司祭に振り分けよ、そのための方法は海の鎖に示される、だって。……個人的にはそのアレクス語が訳してる内容、怪しいと思うんだよね」
「怪しいとは?」
「どれも抽象的でしょ。でも精霊語は命令式を含んでるっていうから。抽象的じゃ命令はできないと思わない? でも精霊語は例が少ない上に訳は全く残ってないから、そのあたりの検証ができないんだよね」
「ほう……アレクス語では精霊語の解釈が違うのではないか? 現代語の訳と合わせて差異を調べれば検証可能な面もあるだろう」
「ああ、確かに。今度調べてみようかな。グレイは本を良く読むの?」
「ああ。……夜は時間があるからな」
「そう」
グレイの答えに、領主が忙しいのも日中だけなのだろうかと考えて相槌を打つインフィ。
それからグレイは本を読み進めながらしばしばインフィに意味を尋ねたりして、インフィは都度それに答えていった。お互いに考えを述べつつ質問し、答えての会話は、インフィには存外に楽しい時間となった。
気づけば夕暮れが近づいていた。恒夜の季節は終わろうとしていたので、いつの間にか日も短くなっていた。
「インフィー。ご飯よー」
アミールがワゴンを押しながら部屋に入ってくる。後にカインも続いていた。
「ああ、わざわざ持ってきてくれたのか。ありがと」
インフィがワゴンを引き取りながらアミールとカインを招き入れる。
グレイは立ち上がる。
「この本を借してもらいたい」
「うん、いいよ」
グレイがインフィの返事に目礼で返すと、扉へ向かいきびすを返す。
「あら、あなたも晩御飯食べてけば?」
アミールが呼び止めるが、グレイはこれを断る。
「積もる話もあろう」
グレイは去っていった。




