《第61話》仲間たち
インフィが自室に戻る。すでに昼もだいぶ過ぎており、空腹を感じる。かつては果物などの軽食が常に部屋に備えられていたが、二年前から使っていない部屋だったので、今ではそのような贅沢はなされていなかった。また、インフィがいることは機密。使用人などもいなかった。
「どんなに辛くても、お腹って減るんだよね……」
お腹をさすりながら独り言を呟いた矢先、扉を叩く音がして入ってきたのはエリックだった。エリックは得意気な顔をして果物の盛られた大皿を持っていた。
「よ! 腹、減ったろ? 客室にこんな贅沢な奴があったから丸ごとくすねてきたぜ」
インフィはつい笑いながらエリックを部屋に招き入れる。やはりエリックは食に対する気配りが強い。だがインフィにとっては絶妙なタイミングだったので、素直に嬉しかった。アミールが持ってきてくれた茶器があったので、茶を淹れる。暖炉に薪があればそこで湯を沸かすが、生憎面倒を見る者のいない部屋では、薪の備えも無く火など入れられてなかったので、インフィは魔法で湯を沸かす。
そうしながら、アミールが言っていた、魔法はなくても困らないという言葉を思い返していた。ちなみにアミールもクウェスタも仕事に戻ってしまった。カインは神殿の父の元を尋ねている。
「薪が無ければ火を起こせないけど、魔法を使えるようになるより、薪を手に入れる方が圧倒的に簡単なんだよね。魔法って確かにいらないのかも」
インフィが湯を沸かして茶を入れながら言うのに、エリックは相槌を打つ。
「将軍さんが言ってたあれか。確かに、俺なんかは魔法なしで暮らしてるしなぁ」
エリックはインフィに勧められたソファに座ってインフィの部屋を見渡した。旅暮らしからは想像できない、優雅で快適な部屋だった。エリックなどには快適が過ぎて馴染めずにいたが。
エリックが見渡した視界の隅にクローゼットがあり、そこが強盗に荒らされたかのようになっていたが、それについては見なかったことにした。おそらくインフィが今の服装を探し出すためにひっくり返したのだろう。
「おまえ、本当にこんなとこで暮らしてたのかよ……。俺はまだ頭がくらくらするぜ」
エリックが頭をぐるりと回しながら言うと、インフィはくすりと笑う。
「まぁね。でも贅沢で優雅な生活を送るよりも、将軍の仕事とか術の研究とかばかりしてたけどね。それにアミールたちとはよくお忍びで出掛けたな。そういうことの方が断然楽しかった。皇妹っていっても養子だと、公務もそんなに無いんだ、この国の仕組みって」
インフィが説明するが、エリックには今いちぴんと来ていないようだった。
インフィが果物用のナイフを棚から出すと、エリックが手を差し出す。素直にナイフを渡すと、エリックは慣れた手つきで果物の皮を剥く。
「よっと」
エリックが果物ひとつにナイフを妙に繰り込んでいるのでインフィは何かと見ていた。するとエリックの手の上に、鮮やかな赤い翼を持つ鳥が現れた。
「どんなもんだ」
得意気にインフィにそれを差し出す。皮の色を見事に利用し、鳥の形に切り込まれた果物だった。インフィは憧れる目付きでそれを受けとる。
「わー! 器用だね、エリック! 食べるのもったいないよ!」
絶賛するとエリックはすぐさま次の果物に手を伸ばす。次にエリックが果物で作ったのは、鮮やかな橙色の薔薇の蕾だった。少し花びらが開きかけているような様子が、芸が細かい。
もったいないと思ったが、食べなければよりもったいない、と、そうエリックに諭されて、インフィは鳥や花の形をした果物を食べる。エリック自身は何の工夫もしていない果物にそのままかじりついていた。
「そいやぁよ、おまえ、将軍や陛下以外にも知り合いいるんだろ? 会いたくないのか?」
言われてインフィは考え込む。確かに会いたい人は多い。
「私は死んだ人間なんだ。このまま死んだことにしておいた方がいい」
言ったインフィは寂しそうだったが、確たる意思があった。
インフィは想像した。自分が帰参したとして、きっと喜んでくれる者はいるだろう。他の将軍やかつての部下たちがどうしているかも気になる。
だが死んだ者の復活を、異物として恐れる者もきっと少なくはないはずだ。
それに戻ったとしてどうする。インフィにはこの国の中核に関わる地位がある。そこに誰よりも抜きん出た力があればどうだ。その気になれば帝国を支配することもできるかもしれない。もちろんそんなことには興味が無いし、他の将軍らが防ごうとすれば無理かもしれないが。
ならこの国を守り続けることもできる。だがそれはいつまでだ。人より長い寿命がある。長く君臨する守護者に守られて、そこで暮らす者たちは力を失っていくのではないか。それにもし長い寿命も尽きて守護者が唐突にいなくなったら、今度は国が立ち行かなくなるのではないか。
インフィには自分がこの国に深く関わることは、この国を弱体化させ、この国の寿命を縮めることになるような気がしたのだ。
それに人ならざる者に守られる、人の国。それは得たいの知れない物になるような、そんな不気味さを感じた。
せめてこの国を守るのなら、それは人の手には余る部分だけにとどめ、人目に触れることなく、成すべきだと思う。
人にも人の理がある。インフィはいずれ、近いうちにこの国を出ることを考えていた。
「アミールやカインや陛下に会えただけで満足」
言ってインフィは笑った。その笑顔はどこか無理をしているようにエリックには思えたが、それを否定する権利は無いと思い、咎めはしなかった。
「そうか……」
エリックは相槌を打って果物をほおばる。また、エリックは気づいた。インフィがここに長く留まるつもりがないことを察したのだ。
エリックはインフィが落ち着いているのを確認すると、去っていった。なんでもクウェスタに宮殿内を自由に見て回っても良いと言われたので、貴重な機会なので散策をしにいくとか。インフィも誘われたが、知り合いに会う危険があるので断った。人気を避けては宮殿の名所は巡れない。
エリックが去ってインフィは再び一人になり、一息ついた。インフィは部屋のテラスに出た。
この部屋は皇族が住まう、宮殿の最奥の区域にあり、テラスに顔を出してもそれを人に見られることはなかった。インフィはテラスの手摺にもたれ掛かった。
辛いことがあったのに、幸いから目を背けることもできない。心は時にせめぎあい、引き裂かれそうになる。
このまま、自分が消えて無くなってしまえたら、どんなに楽だろう。だけど、それでは自分にしかきっと出来ないであろう事が成しえない。
部屋の扉を叩く音がしてインフィは顔を上げる。迎えに出ると、サディウスだった。