《第55話》サディウスの過去
「この世界と“祖の道”で隔たれた場所に魔界があります」
「祖の道ってなんだ?」
エリックもまた話に聞き込んでいた。
「異空間をつなぐ邃道のようなもの。真実はわかりませんが、私はそう考えています。そう、魔界とはこの世界とは異なる場所、異空間のような場所に広がる世界です。
魔界にはこの世界とは別の種族が存在しています。その種族のひとつが魔族です」
「それじゃ、たまに悪さをする魔族がいるけど、祖の道を通ってやってきてるの?」
「ええ。ただ、そういった魔族は、実は魔族の間では歓迎されません」
サディウスの語りは吟遊詩人なだけあって、声が澄んで聞きやすい。
「魔界の者はこの世界を地上と呼びます。魔界が天にあったり、地底にあったりするわけではありませんが、太古の昔からそう呼んでいるのです。
魔族にもいくつもの氏族があります。その氏族の中に地上で魔力を振るう者を監視し、裁く一族がいます。マティケという魔族です」
エリックが心当たりがある気がして思考を巡らせた。それは遠い昔のことではなく、そう、インフィと出会ってからの記憶だ。
「エデッタの魔物が言っていた。マティケがどうのと、確か魔物が死ぬ前に言った」
「ではそれは魔物ではなく、魔族だったのでしょう」
「魔族ってのは人とは違う姿なのか? エデッタで会ったやつは、魔物みたいな見てくれだったぜ?」
「人に近い姿の魔族が多いですが、魔物のような姿の魔族もいるのです。寿命や成長の仕方も様々です。人間よりずっと長生きする魔族や、とても短命の魔族もいます。人間のように成長し一定の年齢に達するとその姿のまま年を老いない魔族。ゆっくり成長し、子供の姿の時間が長い魔族。本当に多様なのです」
インフィは黙ってサディウスの話を聞いていた。聞いているうちに、やはり知っている話だという気がしていた。直接の体験の記憶が呼び起こされるというより、知識を思い出すという感覚だった。
サディウスは続ける。
「マティケは地上で魔法を振るう者が世界を崩すという言い伝えの元、地上にいる魔族を探し、監視し、魔法を振るうことがあれば罰し、時に殺す……そういう役目を全うし続けている魔族の一族なのです。規模は他の魔族に比べて大きい一族なので、その役目は魔界では有名ですし、協力をする他の魔族も少なくはないのです」
語るサディウスにはどこか実感が込められているように感じられた。
「……詳しいのね」
アミールが真剣な面持ちで尋ねると、サディウスはにこりと作り笑顔を返した。
「私がそのマティケ魔族を束ねる王ですから」
皆がそれを飲み込めずに唖然とする。
インフィもまた驚いて腰を浮かせる。
「待って。マティケの王は女性だ。そうだ……」
インフィの記憶が唐突に呼び起こされる。
「私の母だ……」
呼び起こされた記憶の重さで、インフィの声はかすれた。インフィの出生に関する記憶が初めて思い出されたのだ。
「そうだ。私は、マティケだ。母がその女王だった」
インフィは脱力したように、浮かせた腰を再び椅子に落とす。
「……過去を思い出したのですね」
「少し……ずっと昔のこと」
インフィはうつむいていた。記憶が思い起こされる衝動と、記憶に蓋をしなければという気持ちがせめぎあう。
アミールがインフィを気遣ってインフィの肩に手を置いた。インフィは震えていた。
サディウスは悲しそうな表情で話を続けた。
「私が先王から跡を継ぎ、マティケの王になったのは十五年前のことです」
インフィはそれが初めて知る情報だったので少し顔を上げた。サディウスはただ頷いて視線に応える。
「……ここからは特にインフィに関係のある話です」
インフィは頷きもせずに俯き加減に話を聞いていた。
「私が王になる数年前、ある目的のために旅をしていました」
「魔族の一氏族に、黒竜族という一族がいます」
黒竜族という単語に反応して、インフィの心臓が強く脈打つ。
「黒竜族は人の姿に竜のような翼を持つ者たちです。強い魔力も持ちます。
百年程昔、黒竜族は黄晶竜という魔族と戦がありました。黄晶竜もまた竜の翼を持ちますが、姿は竜に近い姿でした。高い魔力を持ちますが、黄晶竜は今では禁断とされる命の研究に秀でていました。黄晶竜は戦いの中、ある生命の兵器を使ったのです。それは黒竜族の女性のみを殺す兵器でした。黒竜族の女性は根絶やしにされてしまったのです。黒竜族の怒りで、黄晶竜は滅ぼされ、戦は黒竜族の勝利となりました」
まるでおとぎ話のように語られる話を、皆は静かに聞いていた。
「戦には勝利しましたが、黒竜族は滅びの危機にあります。……そこで黒竜族はある魔族の女性に目をつけました。その人物は白竜族の血を引き、黒竜族に近い質の魔力を持つ魔族でした。黒竜族はその女性をさらい、意思を奪い、黒竜族との間に子を生ませることに成功したのです」
インフィの心臓は早鐘を打っていた。その話には心当たりがある。自分に深く関係する話だ、そう直感していた。だがまだ恐怖心とのせめぎあいが思い出すことに抵抗していた。
「私には双子の妹がおります。私は王の後継者であったため、妹とは会うことなく別々に育てられました。
ですが、あるとき妹が行方不明になったというのです。私が旅をした目的とは、その妹を探し出すことです。そして旅をして情報を集めていくうちに、妹が黒竜族の元にいることを突き止めました」
「それってもしかして……」
アミールはその話に不幸な話の予感を抱いていた。
「そうです。黒竜族にさらわれ、意思を奪われ、子供を生まされていたのは私の妹だったのです」
サディウスの言葉からは怒りが感じられた。彼から怒りという感情が発せられるのは珍しい。
インフィは震えながらその話を聞いていた。強く握りしめた手からも血の気がうせていた。
「私は妹を取り戻そうとしました。黒竜族の元に潜入して、妹の元にたどり着いたのです。妹は子供と一緒にいました。背中に黒い翼を持つ子供でしたから、その子供が黒竜族との間に生まれた子供だとすぐにわかりました。
妹は意思を奪われていたので、言葉を発することはできないようでした。
ただ……子供を持ち、彼女は幸福そうに見えました」