《第52話》魔法と魔物
「皆様! 落ち着いてください!」
声がして光は消えた。カインの声だった。
「今のは?」
「神の光に相違ありません。ただ、共鳴……でしょうか、暴走しそうでした。カイン殿が止めてくださったのですね」
説明したカルマは、だが、その顔は蒼白で恐ろしい物を見たかのように怯えているようだった。
「私には皆様が強すぎる光に飲み込まれそうになっていることしかわかりませんでした。危ないと思ってお止めしたのですが……」
「いや、助かった。カイン。こんなことは初めてだ。一体なんだというのだ」
皇帝はまるで疾走してきたかのように息を荒げている。
「勘弁してよ……」
アミールはぐったりとソファに体を預けている。どうやら今の一瞬で体力を消耗したらしい。
「なんだろう……誰かに会ったんだけど」
インフィは一人だけ平常だった。それを見てカルマは察したように言う。
「インフィ様。あなたは……神の力をお持ちなのですね」
インフィは痛い所を突かれたという気がした。
「……たぶん。でも、よくわからない。記憶が、無い」
インフィはこの世界にきたとき、当初記憶がなかったことを説明した。この帝国での記憶は取り戻せていたが、その先をインフィは言い淀む。
「イヤ、なんです。とても恐ろしい。ずっと昔のことは思い出したくない」
インフィが小さな子供が親に叱られた時の用に、体を小さくして自分を守るように体を抱き込んだ。
「インフィ。無理をしなくていい」
インフィの背中をさすりながらかけられた皇帝の言葉は優しかった。優しさをも兼ね備えていることが、この皇帝の人気のひとつだ。インフィはすがるような目で皇帝を見上げる。
「あにうえ……」
「そう、おまえはそのことを覚えている。インフィのことはインフィ自身が知らなくても、皆が知っている。だから大丈夫だ」
優しい口調には力があった。そう、インフィはこの皇帝の妹として育てられた。誰よりも敬愛する兄だった。
インフィは先代の皇帝が存命の折り、皇帝とまだ少年だったクウェスタが遠征した先で発見された。魔物が多く出没した地域で、その中に魔物に囲まれた赤子がいるのを皇帝は発見した。赤子は泣いて止まず皇帝は困り果てたが、不思議と魔物が寄ってこない。
皇帝は赤子を帝都に連れ帰り養い親を探そうとしたが、カルマは助言した。
「この赤子は人の心を欲しています」
「赤子だというのに心を欲する程に人の絶望を知るというのか」
「この赤子が成長する時期には、旋律に語られる危機が重なります。しかし人の心を知れば、正しい力を身に付けるでしょう」
皇帝はその言葉に打たれ、また魔物を退けた力に運命を感じ、赤子を養子として皇族に迎え入れる決意をした。すでに妃は他界しており、母親はいなかったが、インフィと名付けられた赤子は宮殿で育てられたのだった。
姫君ということになるが、どこでどう上手くいかないことがったのか、男勝りというか柔和さをあまり持たない姫に育ってしまったが。
インフィはいろいろなことを思い出していた。兄というのに一瞬何か思い出しそうになったが、それは何のことかわからなかった。
「帝国の危機……ねぇ、カルマ。もしかしてそれは、帝国だけじゃなく、世界に関わる物じゃないか? 旋律に何が語られているかは私もわからない。でも確かに竜の神の願いを感じる。それはこの世界を守ることに向かって繋がっているようなんだ」
インフィは先程の光に触れた時に感じた情報から、急激に察した。
この帝国は世界を守るために構築されたのではないか。来るべきその時に備えて、必要な力が育まれるように。それが竜の神の意図なのではないか。そしてその目的は、竜の神だけではなく、全ての命が望むことなのではないか。
生存を。
そう考えればすべてが繋がるように思えた。自分が死してもなお蘇り、この世界にたどり着いたこと。そして自分はこの国の、この世界の存続を望んでいるはずだった。
またひとつ、繋がった、と感じたことがあった。
強力な魔物の頻発である。
「お気づきですね。インフィ様」
カルマもまた予感していたのだ。インフィはそれを察し、頷いた。
「何がよ?」
横やりを入れるアミール。
「魔物だよ。異常な」
「それは確かに危機なんでしょうけど……直接関係がある要素は無いように思えるわ」
インフィは少し、口にするのを躊躇うが、皇帝らも続く言葉を待っているのを見て、言う決意をした。
「魔物の発生はたぶん、神の力と関係してる」
アミールは意味を理解し損ねて、眉間にシワを寄せる。
「魔物は一体なんだろうって考えたらそう思えたんだ。あの魔物、私の剣とアミールの槍、あれなら力を削ぐことができただろ? 神の力を帯びた武器だからできたんだ。それと、力を削ぐのは、魔法の炎はできないけど、薪の炎にはできる。薪の炎の力は……」
インフィは今度こそ言い淀む。インフィがその事柄を語ればそれは事実であり、神の力の事実は力として即時に発揮される。シアルの領主のグレイとの会話で起きた現象がまた起きると思われたからだ。
「薪の炎には神の力が宿っている。そういうことですね?」
言い淀んだのを気にかけてか、カインが説明した。インフィは肯定の意をもってはっきりと頷く。
カルマが神憑りのような神秘的な響きを持って静かに語る。
「神の力、すなわち世界の理。世界を成さしめ、世界を造り、世界が存在する理由そのもの」
無言で耳を傾けていた皇帝が話を整理して話し出す。
「……魔物は神の力に弱い。すなわち世界の理に相反する存在。魔物が強力になり、増えた。すなわち世界の理に歪みが増えたということか」
皆が言葉を失った。危機感を帯びた内容でありながら、大きすぎて現実感としてすぐには飲み込めない内容だった。現実として受け入れた所で、どうする術も無いのではないか。そう、皆が思った。
「……なぜ、術は神の力を持たないの?」
アミールがぽつりと呟いた。
「薪の炎のように、あるだけで魔物を退けたり、触れるだけで魔物の力を削ったりできないわ。普通の炎よりよっぽど強力なのに。それは神の力を持たないということじゃないの?」
確かに。インフィは考えた。術の炎で倒すことのできる魔物はいる。だが魔物は薪の炎は恐れるが、術の炎は決して恐れない。術の中でも強力である魔法の炎は、その強い力で魔物を焼くことができる。だが、薪の炎は小さな炎でも魔物を溶かすことができた。
唐突に思い出されることがあった。
むしろ強大すぎる魔法は……
「いや。今日はここまでにしよう。もう遅い。インフィもアミールも戻ったばかりで疲れているだろう。カインも体をいとわなくては」
皇帝が窓の外を見やり、話を切り上げた。インフィはその声に呼び戻されるように、現実に意識を引き戻した。
「インフィ。この部屋で休みなさい。明日も話ができるね?」
「はい……」
皇帝は一応の返事を得て、よし、と頷いて、では、と場を切り上げた。
皇帝が部屋から出る。カルマも礼をしてから続いていく。
皇帝らが部屋を出たのを確認して、アミールがインフィに話しかける。
「インフィ。また明日。そう、また、明日」
アミールはインフィが逃げ出すのではないかと疑っているので念を押した。
「インフィの帰還は機密よ。だから部屋には警備もつけないけど、逃げないでよ?」
ここまでの念の入った問い詰めには、インフィは苦笑する。
「逃げないって」
インフィはアミールの念の入れようが、インフィがよく脱走していたことに由来するのではなく、死んで去ってしまったインフィに言っているのだと気づいた。だからインフィも言葉を重ねた。
「もういなくなったりしないから」
アミールは自分の気持ちが通じたと気づいて一瞬切ないような顔をしたが、すぐに照れた顔をし顔をそむけた。
「ならいいのよ。さ、カイン。送ってくわ」
「ええ。インフィ。わたくし、あなたが無事で本当に、本当に良かったと思っています。どうかインフィも無理をしないでくださいね。今日はゆっくりお休みになって」
「うん、ありがとう、カイン」
二人が部屋を出て行く。インフィは部屋に一人きりとなった。
インフィの気持ちは暗く沈んでいた。
インフィは窓辺にたたずみ、恒夜の空を見上げる。星の季節は月の季節に移りつつあり、夜空は暗かった。星が点々と輝き、月が西の空にくっきりと浮かんでいた。
「……私は、この国を守りたい。でも……」
思い出そうとすると恐ろしい。いつだってその記憶の入り口に立つだけで、体がすくみ身動きがとれなくなる。今までは誰かがいてくれたから無事に済んだ。
そう、仲間がいてくれたから。エリックやサディウスはどうしているだろうか。心配しているかもしれない。
アミールやカインは再来したインフィを、昔と変わりなく暖かく迎え入れてくれた。尊敬する兄も。
「仲間を……守りたい」
あの記憶の先には神の力が存在する。インフィは直感していた。強大な魔力が魔物とどう関わっているのか、知っている。そう、インフィはかつて経験したことがあったはずだった。
サディウスはインフィの過去を知っているようだった。そういえば戦いのあの日、夜に話してくれる約束が保古になったままだ。
「取り戻そう……」
あの小さな男の子の姿が脳裏に浮かぶ。顔や姿はぼやけたままだった。
「もうすぐ、会えるよ」
インフィは記憶の中に向かって呟くのだった。