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【時の末子】  作者: 志村しむら
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《第21話》クロノスの名

 夜中。恒夜の空に満月が浮かぶ。強い星の光に埋もれても、月の姿ははっきりとしていて、金色の丸い空間を空中に作り出している。月を包むように光の輪がでており、寝付けずにいたインフィは横たわったまま金の瞳でそれを眺めていた。

 弱い風が時折吹いて、木々の葉が揺れる音がして、虫の音が聞こえる。エリックはいびきをあげて眠っている。

 思えば初めての野宿だったが、さして違和感は無かった。やはり野宿もどこか慣れた感覚があった。

「私、全部思い出した方がいいのかな

 サディウスが火の番のために起きているのをわかっていたので話しかけた。

 インフィとは火を挟んで反対側にいたサディウスが顔を上げると、火の明かりに照らされたサディウスの瞳は赤銅色をしていた。

 サディウスも瞳の色は明かりに照らされると、明るい色になるなと思って見ていた瞳が、相変わらずの優しげな笑顔で答えた。

「どうしました? 眠れませんか?」

「うん」

 インフィは体を起こして火の近くに座り込んだ。

「あの子、目を覚まさないね」

 言って眠ったままの少年を見る。

「ええ。恐ろしい目に会いましたからね。精神的に疲弊しているんだと思います」

 インフィは火を見つめた。

「怖くて、目を覚ませない」

 インフィはサディウスの言った言葉を自分の言葉で言い直した。

 それを聞こえてか聞こえないでか、サディウスがたずねる。

「インフィはエリックと会う前はどちらに?」

「異世界、なんだってさ。でも、もうよく思い出せないんだ」

 そう、おそらくこの世界の記憶と引き換えに忘れていっているのだろう。そんな風に感じていた。

「どんなささいなことでも、思い出せないのですか? 聞かせていただけませんか」

 異世界の記憶。何かないかと思い巡らせてみた。この世界の記憶のように恐ろしい感じはしなかったので、インフィは考え続けた。

「そうだな。魔物なんかいなくて、とても平和だったんだ。仲間……っていうか、同じ年の人がいっぱいいて。みんなふざけあったり、勉強したり……そうだ、あれは学校。学校に通っていたんだ」

「学校? インフィは博士でも目指していたのですか?」

 この世界で学校といえば、博士や学者を目指す者が通う場所である。

「いや、あそこでは、みんな必ず通うんだ。それで将来のために勉強するの」

 サディウスは不思議そうに聞いていた。

「ご家族は?」

「え?」

「いえ、インフィがどんな所で生活していたのか聞きたいのです」

「そう? 家族……ええと、いたはずだよ。両親に……」

 うっすらとした記憶の中にある人物の影を追い、つながる記憶をたぐりよせようとするが、その過程で一人の人物の姿が思い浮かんだ。

 顔ははっきり思い出せないが、出で立ちがその世界の者と異なっているように思えた。

「あれは……誰だ?」

 インフィは焦燥感を抱いた。少年の幻とは異なる、使命感からの焦燥だった。

「サディウス……」

 インフィは恐る恐る言った。

「忘却と取引をする音を……奏でてほしいんだ」

「ですが……インフィは思い出すのが辛いことがあるのでは?」

「違う。それは……この世界の記憶なんだ。でもあそこでの記憶を……思い出さなくちゃいけないんだ」

 インフィは困惑しながらも意志をもっていた。直感的に何か重大なことを悟っていた。

 サディウスは荷物を寄せ、琴をとりだした。

「大丈夫なのですか?」

「うん、たぶん。頼む」

「……わかりました」

 サディウスの指が弦を弾き、音が響く。


 インフィは記憶に集中するために目を閉じた。

 音に誘われて、記憶が明確にうかびあがる。


「そうだ。あれは夢の中みたいな……名前を呼ぶ声、いや、違う。私という存在そのものを指す力が。光……意志……存在……」

 インフィは思い出した光景を確かめるように言葉に出していく。

「フォートラスの滅び?」

 サディウスはインフィの呟く言葉に耳を傾けながら、琴を奏でた。

「……フィフトラスも?」

 静かな森の中に琴の音とインフィの呟き、そこに風が吹いて木の葉がすれる音が混ざり合う。

「私に話しかけるあなたは……そうだ、あなたは……クロノス」

 突然強い突風が吹き抜け、琴の弦の何本かが揃ってぷつりとはかない音をたてて切れてしまった。


 サディウスの手に切れた弦が打った赤い筋がうかびあがる。

「つっ……」

 サディウスは驚愕した。弦は新調して間もなく、それも何本も同時に切れるはずはなかった。

 サディウスはインフィを振り返った。インフィが静かに目を開く。

「思い出した。私がいた場所と、なんで戻ってきたのか……それだけは」

「インフィ? 何を思い出したのです?」

「私、フォートラスにいたんだ。でもフォートラスは滅んで……。クロノスが言ったんだ。フィフトラスもこのままでは滅びる。どうする?って」

「クロノス?」

「フィフトラスが大切なものだってことはわかったから……守らなきゃって思って。それで、戻ってきたんだ。そうだ大事なことを思い出した……」


 サディウスの琴は自身の力によっても守られている。それが何の力が加わった気配もなく弦が切れた。それは、超越的な力に触れた時にしか起こりえないことだった。

「クロノスといいましたね?」

「うん……孤独な時の神、クロノス」

「どういうことです?」

「だめだ、サディウス。神々のことはこれ以上は語れない。その琴の弦みたいに理が乱れてしまう」

 サディウスは唐突な話に唖然とした。

「でも、私がこの世界を守りたいと思って戻ってきたのは確かなんだ」




 インフィはその後横になって寝付いた。

 サディウスは一人たき火越しにインフィを見つめながら思い巡らせていた。

 妹は一体何を背負っているのか。

 無事な姿を確認できればそれで良いとするには、重大な運命の存在を強く感じた。

 インフィは神々、と言った。

 この世界の神のことだろうか?

 この世界では、神とは概念的な存在でしかない、サディウスはそう考えていた。実在するとは考えていなかった。

 人々は神を信じ、敬い、崇拝していた。だが、神と実際に会ったどころか、神とコンタクトをとったという話はない。あったとして、何者かのでっちあげであった。

 まさか神が実在するというのだろうか。

 それともインフィが言ったのは、その概念のことなのだろうか。

 サディウスはふと考える。そもそも、なぜ人々は神という存在に面したこともないのに、神という存在を知り、概念を生み出すことができたのか。

「まさか、実在するはずもない」

 確かめるように言葉に出した。だが、事実を確かめるすべはない。

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