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【時の末子】  作者: 志村しむら
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《第10話》竪琴の音色

 船室の片隅にインフィは背中を丸めて座り込んでいた。うつむいて、いかにも暗い空気だ。様子を見に訪れたエリックも、その暗い雰囲気にため息をつく。

「……負けて悔しいとか、そういうレベルじゃねぇぞ。気にするな。相手は傭兵……いわゆるプロだからな」

「……負けて悔しいんじゃなくて……」

 静かに口を開いたインフィに首をかしげるエリック。

「体が全然動かなくて、悔しいし、もどかしかったんだ」

「だっておまえ、戦ったことなんてなかったんだろう?」

「……そうじゃないんだ。いや、本当に戦ったことなんて無いのに……なんだかすごいもどかしくて。おかしいな……」

 また妙なことを言い出したと思うエリック。

「まぁいいから、今日はもう寝たらどうだ?」

「うーん。そうする。でも、明日また、戦ってみる」

 どこか強情な様子に、やれやれと肩を竦ませるエリック。


 夜半すぎ。インフィは日中のことばかり考えてしまって、眠れないでいた。寝ることをあきらめて甲板に出る。恒夜は明るい。マストに寄りかかり、床に座り込んで空を見上げる。

「恒夜の空が綺麗ですね」

 ふいに声をかけられて振り返ると、船室の入り口の方向に男がたたずんでいた。なんとなくあわてて立ち上がって身構えたインフィ。すぐにその自分自身の行動を不可解に思い、構えを解く。

「昼間の戦い、見ていました。といっても、戦いになっていませんでしたが……」

 男だった。インフィと同じ年頃だろうか。優しげな表情でインフィを見ている。インフィと同じく黒髪で、髪は肩口まで伸びて夜風に揺れている。

「この船に乗ってる人みんなに、あんな恥ずかしいところを見られてしまったみたいだ」

 再び座り込むインフィ。男もインフィの隣に座る。

「旅をしている人はみんな強いんでしょう? 魔物とかと戦わなきゃいけないから……」

「そうでもありませんよ。中には傭兵を雇ったりする人も少なくはありませんしね。私だってそういう類ですよ。強そうにはみえないでしょう?」

 男は華奢な体つきだった。それに服装も布がひらひらしており、動きやすさを重視しているようには決して見えなかった。

「実は強かったりとか、しないんです?」

「まさか」

 男はひらひらした袖をめくり、小脇に抱えていた竪琴を取り出す。

「私はこういう者。剣とは無縁なんですよ」

 言って弦をはじくと、美しく軽やかな音が響く。

「あれ? あなたとは、今初めて会う?」

 インフィは船のあちこちに散々出入りして乗っている者たちと接してきたはずだが、この男とは船が出発して三日目、今初めて会ったことに気付いた。

「ああ、船酔いがひどくて、ずっと寝ていました。やっと慣れたので、空気を吸いに」

「私、インフィって言います」

 男はにっこりと柔らかく微笑む。

「サディウスです」

 言って再び弦をはじく。

「吟遊詩人をご存知ですか? このとおり弦をはじいて音を奏でることを生業にしています」

「音楽?」

「そう。音楽。詩も歌いますよ」

 言うなり音楽を奏で始める。弦の音が幾重にも弾み、空に浮かぶ星々が煌く様子に、よく似合っているようだった。インフィはしばらくの間その音楽に耳を傾けた。

 音がいくつもはじけて飛んで消えていく。インフィはこの世界に来てからのことを思い出した。元いた世界のことはあまり思い出さなかった。不思議に感じたが、さして違和感はなかった。

 ゆったりとした音楽と潮騒、穏やかな銀河の光。




 意識が重くなっていく中で、弦の音が小さく弾けた。弦の音に重なって、誰かの声がこだました。インフィの名を呼ぶ女性の声だった。そしてどこか満たされた自分の心。




 再び弦の音がはじけると、自分が戦いの中に身を置いていることに気付いた。剣を手に取り、卓越した動きで敵を斬り伏せる。さらに魔法も駆使して敵を蹴散らしていた。

 傍らには女性が二人、親しい気持ちが湧き上がる。




 今度は小川のせせらぎが聞こえてくる。先ほどの女性二人が傍らに、共に笑い合っていた。そこへ威厳のある身なりの男性が現れ、親しい気持ちがまた湧いてくる。




 何かとても懐かしい気持ちになる情景が、弦の音に合わせて次々と浮かんでは消えていく。




『かあさま』




 ……幼い男の子の声が脳裏に響いて、インフィは目を見開いた。


 そこは甲板の上だった。穏やかな気持ちでサディウスの音楽を聴いていたはずが、急に汗が噴出して鼓動が高鳴っている。

 インフィの様子に気付いたサディウスが手を止める。

「どう……しました?」

 インフィは目を見開いたまま、息を荒げている。先ほどまで脳裏に浮かんでは消えていった記憶、まるで夢をみていたようで、それらの情景がなんだったのかはまったく思い出せなかった。サディウスの音楽が感じさせた何かなのかもしれない。だが最後の男の子の声が感じさせた気持ちは、恐ろしさだった。

 肩に突然手を置かれたことに驚いて、その手を振り払う。手の主はサディウスだった。

 サディウスは振り払われたことに驚き、インフィをみつめていた。「あ、すまない……」

「悪い夢でも、見ましたか?」

「あ、ああ、そうだ。あなたの音楽があまりに心地よくて、眠ってしまったみたいだ……」

 まだ汗と不快感が残っている。

「船旅で疲れているようですね。もう休んでは?」

 そうする、と頷いてインフィは船室に戻った。

「音楽、ありがとう。途中で止めさせてしまってすまない」

 構わない、と穏やかに首を横に振るサディウス。

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