君からもらった好きなこと
僕の名前は、鈴木大地。口数の少ない、小学5年生だ。
人生には、何度かわからないけど、転機が訪れると言う。
僕は今、その1回目の転機を迎えていた。
休み時間に本を読んでいると、僕に話しかけてくる男の子がいた。
『あのさぁ、鈴木大地君だよね。』
目の前にいる子の名前は大谷球太、あの大谷選手の息子で、学校でも有名だ。
彼は、まさに野球をやるために生まれて、野球を大好きな少年、という感じだ。
そんな大谷君が、僕に何の用なのかわからず、尋ねて来た。
『そうだよ、どうして?』
そう問いかけたら、大谷君は満面の笑みで、『一緒に野球やらない?』と言った。
目が点になった・・・
その後の話をまとめると、大谷君のチームには9人しかおらず、そのうちの一人が怪我で出れなくなった試合を、同姓同名の僕に出て欲しいということだった。
最初は野球やったことないよ、と断ったが、大谷君の熱意に負け、手伝うことになった。
試合の日は4日後だよ、と言われ、初めてなりに、キャッチボールをして試合に挑んだが、試合が始まってすぐに、場違いということに気づいた。
その試合は、大会の決勝戦だったからだ。
キャプテンの大谷君が、マウンドの上から声をかける。
『絶対勝つぞー』
その一声に、僕以外の7人は、天を向いてお腹の底から全力で声を出したのだ。
その熱気や空気感は、日頃、本ばかりと向き合ってきた僕には、想像もできなかった。
文字で見る、気合い、熱気、燃える闘志とは、全然違う。
果たしてここにいていいのか、僕のせいで負けたらどうしよう。
ただいるだけなのに、そう考えてしまうようなその空気に、僕は一瞬で飲み込まれた。
1回の表が始まる。
『プレイボール』
大谷君の腕が空高く上がり見とれてしまうような綺麗な形でボールを投げる。
『ストライーク』
大谷君は、3人の打者を三振という形でアウトを取っていた。
野球のことをなにも知らない僕でも、かっこいいと思えた。
それと同時に、なにをすればいいのか分からなくなった。
『ボールが来たらとってね』
大谷君にその一言を言われただけで自分の位置についたからだ。
2回の表の時、ふと周りを見たら、一度投げるごとにこまめに位置を変えたりしている。
隣のセンターの子がレフトの方に寄っていたので僕も同じ方向に寄ってみた。
そしたら初めて打球がきた。
自分の方に近づいてきているが離れていくように見えるボールは、元の位置にいたら、取れたかもしれない位置に、ポトリと落ちた。
『まわれー』
相手チームの声が、どっと自分に降りかかってくるのが分かった。
急いでボールを拾いに行き、セカンドの子に返した。
だが、すでにホームベースを踏まれていて、一点入れられた後だった。
その回は、その一点だけで、1-0で攻撃に入った。
攻撃の時、ベンチに戻ると大谷君に声をかけられた。
『ごめんね』と、すぐに謝った。
この時は、悪いとはあまり思ってなかった。
大谷君なら笑って許してくれる。
そう思ったからだ。
だが大谷君の表情は笑ってなかった。
『どうしてセンターの方に寄ったの?』
その表情をみて僕は笑えなくなった。
『センターの子が右に寄ってたから、そうなのかなて思って』
大谷君は顔をしかめていた。
『あれはね、バッターが右だったじゃん?』
『そういえばそうだったな・・・』
『右バッターは、センターとレフトの間に打つ子が多くて、逆にライトはライン際に打たれると3塁まで行かれちゃうんだよ。』
『だから守ってるとこは変えなくてよかったんだよ』
大谷君は少し呆れた顔で僕に話した。
『ごめん・・・』
『気をつけてね』
僕はやっと自分のミスだったことに気づいた。
言葉こそ優しかったが、大谷君の真剣な目で、僕はすごく申し訳ない気持ちでいっぱいになった。
みんなの輪に入れず、自分を責めた。
そんな時、『カキーン』。
綺麗な金属音と同時に顔を上げると白い球がぐんぐん遠くに飛んでいく。
グラウンドの壁を超えて芝生に落ちた。
『ホームラーン』
審判が腕を上げ空に円を描くよう腕を回す。
大谷君だ!!
これにより1-1の同点になった。
『大谷に取り返してもらったな』
隣にいた子が、嬉しそうに僕に言った。
僕はまだよくわからなかった。
グラウンドを一周した大谷君は、僕のところに来た。
『これでさっきのミスはちゃらだね。元気だそうよ。』
僕は自然と涙がでた。
下を向いていた僕に気づいて点を取り返してくれたのだ。
『ありがとう』
僕は、まだルールもよく知らないが、自然とお礼が言えた。
『野球はミスしても取り返せるんだよ。みんなでやろうよ。』と、大谷君は笑みを見せた。
この言葉に僕はすごく救われた。
大谷君のためにもみんなのためにも、もっと頑張ろう。
この瞬間から、僕の中で、本当に、試合が始まった。
3回の表、またも、大谷君が声をかける。
『しまっていくぞー』
周りの7人と同時に、僕も叫んだ。
気持ちも入り、絶対とるぞという気持ちで守備についた。
だが始めたばかりでそううまくいくわけもなく、
初めてきた打球を、グローブで弾いてしまった。
『ごめん』
みんなに謝った。
すごく申し訳なかった。
『いいよードンマーイ。』
みんなは笑っていた。
僕は不思議だった。
さっきはあんなに怖い顔をしていたのに笑ってくれていたからだ。
この回またも僕のミスで1点取られてしまった。
ベンチに戻ってからも謝った。
けどみんな笑って許してくれた。
『ミスはしちゃうよ人間なんだから』
大谷君もそんなに気にしていないようだった。
さりげなく大谷君に聞いた。
『ほんとごめんね、みんな怒ってるよね』
『怒ってないと思うよ?』
『???』
僕はまたわからなかった。
『すぐに謝ったでしょ?あれが大事なんだよと、大谷君は言った。
『謝ればよかったのか』
大谷君は顔をしかめた。
『うーん、すぐに謝ったら、大地君が勝ちたいて思ってることがみんなに伝わるんだよ。一人でやってるわけじゃないから、勝ちたいて気持ちがあるから適当にやったわけじゃないことが伝わったから許してくれてると思うよ。ほら9番でしょ?行きな!』
大谷君は笑って送り出してくれた。
僕は野球で色々なことを知れている。
バットなんて初めて持った。
『来たら打つんだよ。』
ベンチから大谷君が叫んでいる。
みんなも応援してくれている。
頑張らないと。
思い切り振ったバットに重さを感じた。
『キーン』耳に触る高い音と同時に前に転がるボールが見えた。
当たった。
僕は一生懸命走った。
『アウトー』
間一髪間に合わなかったが、今感じた重さはすごく気持ちよかった。
次の回もその次の回も僕のところにボールがきた。
だが僕はことごとくボールを弾いてしまい僕のせいでどんどん点がとられていく。
そんな時、チームのみんなで僕のミスでとられた点をその度に取り返してくれた。
『大丈夫、まだ負けてない』
みんなのこの言葉に、取り返してくれるみんなのかっこよさに、僕は魅了されずにはいられなかった。
僕はずっと声を出し続けた。
そして6回の表をおわって、4-4の同点だった。
その時、『カキーン』。
大谷君だ。
さっきと同じような金属音でぐんぐん伸びていくボールは今度は壁に突き刺さった。
2塁打だ!!
そして次の打者たちがアウトになり2アウト2塁で僕に回ってきた。
僕は、ネクストバッターサークルから立ち上がれなかった。
立とうとしても、足がすくんで動かなかった。
この場面で、僕が打つか打たないかの重要さは、さすがの僕でも分かった。
そんな時だった。
『大地君、打てるよ。』
大谷君が2塁ベースの上から声をかけてくれた。
さすがの大谷君の言葉でも信用できなかった。
無理だ・・・。
打てるわけない・・・。僕のせいで負ける。
またもや自己暗示にかかっていた時、『タイム』。
大谷君が僕の元に走ってきた。
『どうしたの?』
大谷君は僕の顔を覗き込んだ。
僕はなにも言えなかった。
今の自分の背中は、きっとすごく小さいだろう。
大谷君がすごく大きく見える。
『大丈夫だよ。打てるよ。』
大谷君は必死に励ましてくれるが、打てる気が全くしなかった。
僕なりに、打てなくてもいいように保険をかけてみた。
『大谷君はすごいよ。ずっと練習もしてるし、実力もあって。僕には打てないよ。』
こんなに大きくみえる大谷君を越せるはずがない。そう思っていた。
『なに言ってんの?同い年じゃん』と言って大谷君はニコリと笑った。
僕は目が点になった。
さっきまでスカイツリーを見上げるように見ていた大谷君を、急に同じ目線で見ることができた。
そうなると不思議なもので、相手ピッチャーが全く怖くなくなった。
さっきまで震えていた足もピタリと落ち着いた。
『大丈夫か?』と、大谷君が僕の顔を覗いた。
『うん、頑張る』
僕はとにかく思い切り振ろう。
それだけを考えて打席に立った。
1球目。
ボールが真ん中に来た。
『ストライーク』空振りだ。
2球目。
『ブンッ』『ストライーク』ツーストライクに追い込まれた。
自分の心臓から、破裂しそうなくらいの音が聞こえてくる。
唾をごくりと飲み込んだ。
『次も思い切り振るぞ』
3球目。
『ギンッ』手の指先に強烈なしびれを感じたのと同時にボールが前に飛んでいく。
それがセンターとレフトの間にポトリと落ちた。
『まわれーーー』
さっき相手ベンチから聞こえた声が、今度は味方から聞こえてくる。
大谷君は3塁ベースを回り、ホームイン。
打った僕は訳も分からず1塁で止まっていた。
『ナイバッチー』『大地君すげーよ』『やったー』
ベンチから聞こえる声の一つ一つがすごく嬉しくて、心地よくて、僕はまた、野球の魅力に気づいた。
その次に僕がリードの仕方がわからず牽制アウトになり、5-4でリードして最終回に入る。
大谷君が僕の方によって言った。
『ほらな、打てただろ?』
僕は少し照れながら『たまたまだよ』と言った。
そのたまたまが最高だから、みんな練習するんだよ。気持ちいでしょ?と言って大谷君は、また、ニコリと笑った。
僕はこの気持ちよさの虜になってしまったかもしれない。
そして、最終回の守備に入る。
大谷君だから抑えてくれる。
この試合勝てた。
僕のいれた点で勝てた。
そう思っていた矢先、事態は急変する。
『フォアボール』
今日初めての四球だ、ノーアウトでランナーがでた。
絶対大丈夫。なぜだかはわからないが、僕は心からそう思っていた。
『大谷君、大丈夫だよー。この試合絶対勝てるよー』気がつけば大声でライトから叫んでいた。
『ありがとうー』
大谷君はこっちに手を上げながらまた得意の笑顔を見せた。
よし、これで大丈夫だ。
そう思った瞬間みんなの顔が目に入った。
視線が僕に集中していたからだ。
僕は急に恥ずかしくなって『バッターこーい』とごまかした。
その次の打者にバントされ、1アウトランナー2塁となった。
『フォアボール』またもやランナーを出してしまった。
どうしたんだろう。
そう思いながらもさっきの恥ずかしさから声が出せずにいた。
その次の打者を三振に取り、2アウトランナー1.2塁。
あと一人だ。
あと一人抑えれば優勝だ。
ぼそぼそとみんなつぶやきながら身震いしてるのがわかった。
僕なんかみんなの日にならないくらい足がガクガクしている。
そんな中、『ボーク』。
審判のコールがグラウンドに響き渡った。
ランナーがそれぞれ2塁、3塁へと進む。
僕は、ボークの意味がよくわからなかったが、大谷君が審判に指差され、ランナーが進んでしまったので、大谷君がミスをしてしまったんだとすぐに察した。
周りの選手もさっきまでとは違う異質の空気感があった。
大谷君が帽子をとって汗をぬぐった。
大谷君も緊張してるんだ。と、僕も感じ取った。
『がんばれー』
大谷君に聞こえるよう精一杯叫んだ。
そしたら大谷君は僕の方を向いた。
その瞬間の表情はとても険しく、冷や汗が止まらないと言った感じだったが、僕の方を向いてニコリと微笑み、また前を向いた。
『ッシャア』
大谷君が気持ちを入れて叫んだ。
落ち着いたみたいだった。
そして大谷君は大きく振りかぶり、初回から全く変わらない綺麗な形でボールを投げた。
『キンッ』
高い金属音が聞こえた。
大谷君は後ろを振り向いた。
ボールは僕の方にどんどん近づいてくる。
これをとったら勝てる。
試合終了だ。
そんな雑念がよぎって僕の足は動かなくなってしまった。
『やばいっ』
だが、ボールは僕の方にどんどん近づいてくる。
全く動けない僕の一か八か出したグローブに吸い込まれるように、ボールが収まった。
『アウトー。試合終了〜』
審判の声がグラウンドに響いた瞬間。
『よっしゃ〜』みんなの声が聞こえる。
大谷君の方を見たら僕の方に向かって何か叫んでいたが、周りの声で何も聞こえない。
この試合、最初で最後にとったこのボールは僕の、野球と出会った記念ボールとなった。
僕はこの日の事を、自分の中で運命の1日だと思っている。
僕はたった1日、たった1試合で、野球の虜になってしまったのだ。
今まで知らなかった世界。
初めて経験した感動。
なにより自分の心がすごく震えていたことを今でも忘れられない。
10年経った今でもあの最後のライトフライは、大谷君が僕に、野球という、僕の一番好きなものをくれた瞬間だったんだと感じている。
君からもらった好きなこと。
なにもない僕が、一生幸せでいられるとしたら、一生野球を、好きでいられることだと思う。
〈了〉