75.やってほしいこと
祭りは九時までみたいだったけど、八時過ぎに『うさぎ』に戻ってきた。
同じように帰る人たちが、ここのパンを買っていこうとしていて、夜なのに結構な盛況ぶり。
中には拓真くんの知り合いもいるみたいで、何人かに話し掛けられてる。
「あら、拓真くん久しぶりねぇ」
「おばちゃん、いらっしゃい」
そんな会話をしながら客の波を抜けて、レジ前の池畑さん夫妻の前までやってきた。
「あら、拓真。もう帰ってきたの?」
「うん、リナは?」
「まだ帰ってきてないわよ」
「店、手伝わなくて平気か?」
「やることあるんでしょ、こっちは気にしないの!」
「ん」
拓真くんはそれだけ言うと、私の手を引っ張ってきた。レジの奥に入り、そのまま工房を抜けて拓真くんのお家に帰る。
「ミジュ、まだ食えるか?」
「え? うん、パンを買おうと思って、あんまり食べてないから」
「んーじゃあ、俺の部屋で待ってて、持ってくるわ」
拓真くんは部屋に案内してくれた後、多分お店に戻っていった。
ここが、実家の拓真くんの部屋……なんか、なんか、部屋が若い!!
かわいいアイドルのポスターとか張ってあるよー、ビックリ。でもその隣に男子バレーのポスターもある。どういう組み合わせ。
多分、この部屋は高校卒業時で止まってるんだろうな。
本棚も、バレー雑誌が多いなぁ。そしてレシピ本も多い。バレー雑誌とレシピ本って、なんだかすごくアンバランスな本棚だね。
「そんなに一生懸命見ても、そこにエロ本は置いてねーぞ」
後ろから声が聞こえてビクリとする。
そ、そんなの探してないよ!! って、どこかには置いてあるの?!
振り向くと、拓真くんが小さなテーブルの上にケーキを置いてた。それも、ホールケーキ。
「えっ、拓真くん、それ……」
「今日は誕生日だろ? 昼間、パン焼いてる合間に作った」
「うわぁああ……」
すごい。スタンダードな生クリームのデコレーションケーキ。上には苺と、Happy Birthday って印刷されたチョコのプレートに〝ミジュ〟って名前を書いてくれてる。
さらにさらに。
「すごい、これ……もしかして、私?!」
ナース服を来て、ナースキャップを被った女の子が、ケーキの上に乗ってる。
今はナースキャップを被るところはほとんどないし、私も被ってないんだけど。
「あんま、似なかったけどな。マジパンで作ってみたんだ」
「す、すごい、細かい……っ! かわいい!!」
こんなのまで作れちゃうんだ! すごいよー!
拓真くんは律儀に細い蝋燭を二十六本挿して、ライターで火を点けてくれる。
そして、部屋の電気を消した。
「んじゃ、誕生日おめでとう。消してくれ」
「歌ってくれないの?」
「ケーキならいくらでも作っけど、それは無理。恥ずい」
まぁそうだよね。私も歌えって言われたら、ちょっと無理かも。
私は二十六本も火の点けられた蝋燭を吹き消した。こんな大きなホールケーキで誕生日、いつ以来だろ。
もう一度拓真くんが「おめでとう」と言ってくれる。そして暗くなった室内で、電気のスイッチを探して点けてくれた。
「食べるか?」
「うん……でもいいの?」
「食ってもらうために作ったんだから」
「リナちゃんとか、池畑さんと一緒に食べた方がいいんじゃないかと思って」
「いいよ、別に。後で勝手に食うだろ」
拓真くんは気にせずにケーキを切り分けてくれた。当然のことながら美味しくないわけがなく、ペロリと一切れ平らげちゃう。
「ミジュがハードル上げてきたから、誕生日どうしようか考えたんだけどさ。結局俺にはこれしかできなかったな」
食べ終わったお皿を重ねながら、拓真くんは自嘲するように言う。気にしなくていいって言ったのにね。
「灯篭祭りにも連れてってもらったし、大きなホールケーキでお祝いしてくれたし充分だよ。すごくいい思い出になっちゃった」
結局拓真くんとは付き合えることもなさそうだし……。
このいっぱいの思い出を、胸に大切に仕舞っておこう。
付き合えないってことを考えると、心が泣きそうになるけど、今日は最高の一日で終わらせたい。だから、泣くのは明日以降だ。
「誕生日のプレゼント、なんも用意できなかったからさ。なんかやってほしいこと、ないか?」
「やってほしいこと……なんでもいいの?」
「んー、まぁ俺ができそうなことならなんでも」
「じゃあ私、拓真くんと一緒にお酒飲みたい!」
拓真くんの誕生日の時に思ってたんだよね。一緒にお酒……楽しそう。
「ミジュ、酒癖悪ぃからなぁ」
「失礼な、悪くはないよ?!」
「まぁいいけど、本当に危機感ないよな」
「そんな、前後不覚になるほど飲まないってば」
「いや、そうじゃなくて」
ん? そうじゃないの?
拓真くんはやっぱり呆れるように私を見てる。
「俺、酒飲んだことねーから、飲んだらどうなるかわかんねーぞって話」
「え、全然飲んだことないの?」
「洋菓子作るときに、コアントローとかアルコール飛ばさずに作って食うことはあるけど……そんくらいだなー。同級はまだ未成年も多いから、一緒に飲んだりもしねぇし、機会がなかった」
「わ、じゃあ私と飲むのが初めて? 飲もう!」
「ったく、どうなっても知らねぇからな」
拓真くんが立ち上がった時、玄関の方から「ただいまー」とリナちゃんの声がした。拓真くんはその声を聞いて、ドタドタと慌てて玄関に向かってる。
あ、もうお酒のことなんか忘れちゃってそうだなぁ、拓真くんは。




