ホワイトデー:3.秘密のわからない
2月のある日。
ボクは台所に立っていました。
目の前にチョコレートや小麦粉を並べて、全部あるかを確認します。
「上手にできるといいのですが……」
今日はお菓子を作ります。ブラウニーです。
ボウルに材料を入れて、できた生地をオーブンに入れて。
焼き上がりを待っていると、色々考えてしまいます。
バレンタインは、ボクには縁がないものだと思っていました。
だって、ボクは座敷童です。
その家に住み着き、幸福をもたらす存在です。特定の誰かに気持ちを伝えるなんてこと、ありません。
これまで住んでいた家では、冬になるとお菓子を作る子が居たこともありました。
それがバレンタイン、という行事なのだというのはなんとなくですが知っていました。
でも、行事の名前を知っている。お菓子を幸せそうに作っている風景がある。それだけでした。
バレンタインが何なのかを知ったのは、ついこの間のことです。
柿原さんがみかんを持ってきてくれた日がありました。
「しきちゃんは、あいつにチョコとかあげるの?」
お兄さんが席を外した時に、そんなことを聞かれたのです。
「チョコレートですか?」
何のことか分からなくて返事に困っていると、それを察した柿原さんが簡単に教えてくれました。
バレンタインという行事がある。
その日は好きな相手にチョコレートをあげて、気持ちを伝えることができる。
あと。お兄さんはもらったらきっと喜んでくれるだろう。と。
お兄さんがすぐに戻ってきたので、聞いたのはそれだけですが。「これからテレビとかで特集もするだろうし、情報集めてみるといいよ」とも言っていました。
ボクがチョコレートをあげるならと考えると、いつもお兄さんが一番に思いつきます。
でも、ボクは座敷童です。
特定の誰かに想いを寄せるなんて、したこともなければ考えたこともありませんでした。
ボクは。そんなことをしてもいいのでしょうか。
お兄さんには感謝をしています。
何も聞かずにボクを家に置いてくれて、ボクの呪いも薄めてくれました。
ご飯を一緒に食べてくれて、いろんなことを教えてくれて。
これまで触れたことのなかった、たくさんのものをボクにくれました。
見たことのない世界を。ボクは何ができるかという問いを。考えたこともなかった気持ちを。
でも。
ボクがお兄さんに対して抱いているのは一体どんな「好き」なのでしょう。
座敷童としての好きとは違う。それはわかります。それじゃあ、なんでしょう。もしかしたら感謝なのかもしれません。
考えると分からなくなります。
ボクは、この家に居るつもりです。
お兄さんを幸せにしたいです。本物の座敷童だと。この家の幸運だと。胸を張って言えるようになりたいです。
でも、ボクかお兄さんか。どちらかがこの家を出ていく日が来るかもしれません。
そうなったら、ボクはどうするのでしょう。
考えてみたけれど、少し悲しくなるばかりで、答えには辿り着けませんでした。
「……」
オーブンを覗いてみると、ケーキは綺麗に膨らんでいるようでした。
もう少しで焼きあがりそうです。いい匂いがしてきました。
「――お兄さん、ごめんなさい」
ボクは、ちょっとずるいことをしました。
テレビで見たのは「感謝の気持ちを伝える日でもある」というお話でした。
そこに、ボクの持っている「わからない」を混ぜました。
感謝をしているのは本当です。
お兄さんを幸せにしたいのも、ボクの心からの願いです。
でもそれ以上に。
この日常が。穏やかで平和な日々が。一緒に居られる日が。
1日でも長く続きますように。
そう思ってしまっているのです。
これがどんな気持ちから生まれたものなのかは、分からないのですが。
そんな「気持ち(わからない)」を込めたケーキをお兄さんにあげること。
それは、ボクとケーキだけの秘密です。
バレンタインの裏側。
しきちゃん、ケーキに「わからない」を上乗せ。
それにしても、柿原はいい友人ですね。