ホワイトデー:1.ひとり分のケーキ
「お兄さんは、甘いものお好きですか?」
夜。夕食を食べているとしきちゃんがそんなことを言ってきた。
テーブルの上には焼き魚に白和え。豚汁。昨日僕が作った春雨の和え物と肉じゃがも並んでいる。
「ん?」
口の中にあったごはんを豚汁で流し込んで、頷く。
「そうだね……。嫌いではない、かなあ」
食べる頻度はそんなに高くないけれど、学校の売店やコンビニでちょっとしたお菓子を買い込むことはある。
スナック菓子の方が比率としては高いけれど、チョコやケーキを買わない訳ではない。最近はスイーツコーナーも充実してるから、ついつい覗いてみることだってある。
しきちゃんが時々作るお菓子もおいしくいただいている。レシピノートも少しずつ充実してきてるようだ。
ところで。僕はなんで甘いものが好きかと聞かれたのだろう。
こういうのは自分の中で悩んだって分かるもんじゃない。素直に聞いてみることにした。
「どうして?」
「えっ……えっと。もう少し、待ってもらえますか?」
ご飯を食べたら、お出ししますので。と彼女は少しだけ視線を落として言った。
「? うん」
甘いもの。ご飯を食べたら出てくる。
つまり。デザートでも作ったのだろう。
甘いもの大丈夫かどうかを確認したってことは、いつもより甘いのかもしれない。
ひとり納得して、僕は食事に箸を戻した。
□ ■ □
食後。
食器が片付いてお茶が並んだテーブルにしきちゃんが持ってきたのは、皿に乗った四角いケーキだった。
ケーキはチョコなのだろう。くるみがのぞく密度の濃いブラウンに、乗せられた白いクリームが際立つ。
上に飾られているのはドライフルーツとナッツ。
「チョコレートケーキ?」
「はい。ブラウニー、というそうです」
彼女は少しだけ照れたような顔で、向かいの席に着く。
「初めて作ったので、お口に合うといいんですけど」
「うん。……って。あれ、しきちゃんは食べないの?」
テーブルにあるのは僕ひとり分の皿。彼女の前にはお茶だけが置いてある。
「はい。それはお兄さんの分です」
「……?」
首をかしげる。
彼女は最近お菓子作りをよくやっている。作った時はこうして食後に出てくるのだけれど、僕の分だけ、というのは珍しい。というか初めてだと思う。
もしかしてひとり分しかないのだろうか。
「半分食べる?」
聞いてみたけど彼女は「いえ」と首を横に振った。
「それはお兄さんの分、なので」
「うん。だから」
一緒に、という言葉はじっとこっちを見るしきちゃんの視線で封じられた。
赤くて綺麗な瞳。少しだけ上気した頬。口元はキュっと結ばれている。
少しだけ口ごもった後、意を決したように僕に言った。
「それは。その。ボクからの、プレゼント。なので」
どうぞ食べてください。と言いながらお茶に口をつける。
「プレゼント」
思わず繰り返す。繰り返して考える。
僕が彼女からプレゼントをもらうような理由があっただろうか?
誕生日……は、そういえば教えたこともなければ祝ったこともない。
しきちゃんの誕生日もそういえば知らないということに気付く。後で聞いておこうと心のメモに書き留める。
しきちゃんがこの家に来た日。は、もう少し先だったと思うし、それは僕に何かをプレゼントする理由には弱い。
お祝い事ではなさそうだ。心当たりがない。
それじゃあなんだろう。と壁にかけてあるカレンダーを見て気付いた。
今日は2月14日だ。
つまり、バレンタインデーだ。
そういえばクラスの女子が手作りのケーキやチョコを配っていたのを見た気がする。
改めて目の前のケーキに視線を落とす。
なるほど。手作りのチョコレートケーキ。
バレンタインのチョコレートとは。色々あるけど要は親愛の印だ。
つまり。僕はしきちゃんから悪い感情は持たれていないと。そういうことだ。
それはなんというか。嬉しい。
最近影を潜めていた感情が顔を出したようで、なんだかそわそわする。
「そっか。うん。それじゃあ、いただきます」
ケーキにフォークを入れる。見た目よりもしっかりとした重めの生地だ。
クリームを乗せて一口。
甘すぎない生地にクリーム。ドライフルーツのほのかな酸っぱさが香って、くるみの歯ごたえが……うん。つまり。一言で言うと。
「おいしい」
「……本当ですか?」
本当だよ、と頷くと「よかったです」と彼女は安心したようににっこりと笑った。
「お兄さんにはとてもお世話になっていますから」
「ん?」
首を傾げた僕に、しきちゃんはにこりと笑って言葉を続ける。
「少しですが、テレビでバレンタインについて勉強しました。感謝を伝える日でもあるんだそうです」
これで少しでも日頃のお礼を伝えられるなら良かったです。と。
窓越しの柔らかい日差しのような顔で、なんだかさくっと突き刺さるようなことを言った。
んー。これはあれだな。
バレンタインのチョコレート、拡大解釈。
分類するならば、義理チョコというやつ。
なるほどなるほど。と頷く。
感謝の気持ちだというならありがたくいただこう。
それ以上の気持ちがあればもっと嬉しいかもしれない、なんて感情の残滓はお茶と一緒に飲み込む。
僕の中にいつまでも残ってるこの感情は、曖昧なのにしっかり染み付いている。
邪魔だと思うのに片付けられないで、ずっと僕の奥底にある。
借り物のような。実際借り物であるそれが、僕のものだと断言できる日が来るのかは分からないけど。
いつかそんな日が来たら、なんて余計な考えが反映されたのか。
残りのケーキは、一口目よりも少しだけ甘い気がした。
バレンタインに無頓着だったむつき氏。もらったりしないんですかねこの人。
なお、この後冷蔵庫から残りのケーキが発見され、結局二人で分けて食べることになるとかなんとか。