狂愛
──これを貴方がお読みになる頃には、私はこの世にはいないでしょう。
その言葉で書き出された手紙は、読んだ者全ての心を打った。
これは、愛故に恋を諦めた令嬢のお話。
***
これを貴方がお読みになる頃には、私はこの世にはいないでしょう。何故なら、私はきっと処刑されているでしょうから。
もしそうでないなら、お読みにならないで。此処に書き記すのは今までの愚行、その全ての真実なのですから。
私は様々な幸福に恵まれました。生まれた家柄、地位、家庭環境……生んでくださったお母様とお父様にはとても感謝しております。どうか親不孝者の私を……許さないでいてくださいまし。
弟が生まれたとき、実はお母様とお父様が取られる、と少しだけ複雑でしたのよ?
きっと、お兄様も私が生まれたときにはそう思ったことでしょうね。
そんなとても幸せな環境で育った私は、ある日王宮で開かれたお茶会であの方に恋をしましたの。お読みになっている方にはお分かりかもしれませんね、あの頃の私はとても分かり易く好意を寄せておりましたから。
そう、王太子殿下です。かの御方を一目見たとき、私はなんて尊い御方なのでしょうと驚くばかりでしたのよ?
王家に継がれる紅い瞳も、さらりと流れるストロベリーブロンドの髪も、私の全てを魅了するかの如く輝いていたのが今でも色褪せることなく思い出せますわ。
ごめんなさい、脱線してしまいました。ともかく、それほどにあの御方は魅力的でしたの。
王太子殿下へ恋をした私は、それから未来の王太子妃となるべく努力を始めたのです。周りの方々は私が何を目指して努力しているのか、全てわかっていたようでしたわ。
我が家は王家を長年支えてきたために家柄も良く、お父様も私のためにと陛下に願い出てくださって、王太子殿下の婚約者になることができた時は私死んでもいいなんて思いましたのよ。まさかその時は、本当に死ぬ決意を固めるなんて思いもしませんわよね。
えぇ、私死ぬ決意を固めておりましたの。理由は後述致しますので、もう少しだけ付き合ってくださいな。
私、王太子殿下の婚約者になってから初めて王太子殿下と会った時はとても嬉しくて言葉が出てきませんでしたの。
多分緊張とか、他の感情も混ざっていたかもしれませんわ。とにかく、嬉しくて嬉しくて何も話せなくなってしまったのです。
お父様に急かされて、周りの方々も私に注目して、御挨拶をせねばと焦ってどんどん話すことが難しくなっていった私に、王太子殿下は柔らかい笑みを浮かべて諭すように話しかけてくださったのです。
“大丈夫、落ち着いて。貴女が落ち着くまで待っているよ”と!
王太子殿下は私のために慈悲深い言葉をかけてくださったのです!
私があの言葉にどれだけ救われたか。あの時、私は王太子殿下に再び恋をした……いえ、恋を重ねたのかもしれませんわ。
待っていてくださるなんて恐れ多いと思う気持ちもありましたが、それ以上に安堵が私の胸中を満たして、私は無事に御挨拶をする事が出来たのです。
それから、私は王太子殿下の婚約者として更に研鑽を積み重ねたのです。他の追随を許さないくらいに、それはもう血も滲むような努力を重ねたのですわ。礼儀作法から国のこと、何から何まで学園で学ぶ前には修めてしまったかもしれません。
魔法ですら、有事の際殿下を護れるようにと家庭教師についていましたのよ?
王太子殿下も私と同じくらいの時期に私以上の勉学をしていらしたのでしょうね。でも、それは私を護るためではないのでしょう。
あの御方は、次代の王座に座す方ですから。
……実は、殿下が弱音を吐いてくださったことがあったのです。
私はお慰めし、励ますことしかできませんでした。
それが駄目だったのでしょうか。何がいけないのか、私の全てが駄目なのかはあの御方にしかわからないのでしょうけど、私はあの御方に好意を示す言葉を口にされたことがないのです。
勿論、王太子殿下にとって私は親の決めた婚約者。気持ちなど二の次だったのでございましょう。
それでも、私は王太子殿下が私に抱く何かしらの気持ちを知りたかったのです。
けれどそれを知る機会もないまま、私たちは成長していきました。
そして、学園に入学する年になったのです。私が人生で最初にして最後の罪を犯した場所ですわ。
お読みになっている貴方の知る噂では、私は王太子殿下に近付いた令嬢に嫉妬し、様々な手を使って男爵令嬢を陥れ害そうとした罪深き者となっているでしょう。
ええ、それでいいのですわ。私はそうなりたかったのです。
何故、と思うでしょうね。私は自らの罪を認めず足掻きに足掻いて処刑されているはずですから。
何故この手紙ではあっさり罪を認めたのかと申しますと、実は私、処刑されることが目標でしたの。前述した通り、死ぬ決意を固めていたのですわ。
では何故そうなったのかと申しますと、王太子殿下が笑ったお顔を見てしまったからです。
それだけとお思いにならないでくださいましね。私がそれまでで見たことのない、とても心惹かれる笑顔でしたのよ。
そのお顔は、彼女に向けられていたのです。お読みになっている貴方もわかりますでしょう、男爵令嬢ですわ。
その時、私、王太子殿下が彼女に恋をしている可能性に直面してしまったんですの。
確信はしておりませんでしたし、確証もなかったわ。けれど、共にいる場面を目撃する回数が増えていくごとにその笑顔を見てしまう回数も増えたのですわ。
私、思いましたの。努力しても努力しても、王太子殿下の婚約者にはなれど王太子殿下の愛する方になれるとは限らなかったのだと。
愛される努力を沢山しても、それは愛する理由になるとは限らないのだと。
これまでの自分の全てを否定してしまう考えですわ。どうぞお笑いになって、私でも愚かだと思いますの。
私は更に愚かなことに、殿下が愛する方と共に生きられるように努力しようと考えたのです。
何を馬鹿なことを、と思うでしょう。けれど、私はそれが最善だとこれを書いている今でも思っていますのよ。勿論、愚かだとも自覚しておりますけれどね。
殿下が愛する方、つまりは彼女と共に生きるために私は何をすればいいか。
その時私は婚約者の座を降りて彼女を婚約者の座に座らせてあげればいいと考えましたの。この考えは、障害が幾つもありましたが、それを差し引いても名案だと思えました。
円満に全てを進めるために、幾つかの障害を排除するために、私は悪になることを決めましたわ。
最初は嫌がらせ程度にして、徐々に犯罪になりかねないものへと行動を激化させていきました。
彼女が死なないように威力調整をしながら魔法を当てたり、言いながら身の毛もよだってしまうような罵詈雑言を浴びせたり。勿論彼女の心が折れてしまわないよう、頻度も調整して。
王太子殿下は何度も私を叱ってくださいましたわ。君はそんなことをするような人じゃない、といって。
私はお叱りを受ける度に何度も止めたくなりましたの。けれど、あの笑顔を思い浮かべるとやはり殿下が彼女と結ばれる方が良いように思えたのです。
きっと私は狂っているのですわね。王太子殿下を渡さないためにではなく、王太子殿下の隣を譲るためにあんなことをし続けるなんて。
私、もうすぐ断罪されるのですわ。
王太子殿下は私をもうお許しになれない。私が彼女にしたことは法に触れることですもの。
お兄様も彼女の味方をしてくれていますから、私は家とも関係がなくなるのでしょうね。
嬉しいですわ。私の罪を誰にも背負わせずに、あの御方のために死ねる。
お母様もお父様も私を勘当するでしょうし、私は独りで死ねるのですわね。
迷惑をかけていない、とまでは言えないけれど、私にとっては被害が一番少ない最高の幕引きなのですわ。
これでやっと、邪魔者は消えることができるのです。
この手紙に全てを記したのは、精一杯の懺悔ですわ。
私はどうしようもなく愚かだった。
あの笑顔を見てしまった瞬間から、あの御方に私を愛してもらう努力を放棄したのですから。そして、私の身勝手な考えに巻き込んでしまった人たちにも心配をさせてしまいました。そして、お読みになっている貴方にも。
これを貴方が読めているということは、私は死んでいます。死んで初めてこの手紙が明らかになるよう、封印術を施しておりました。
私が迷惑をかけてしまった皆様。
どうか、お幸せに生きて。私は今までずっと幸せでしたから、最期まであの御方のために生きます。
***
嫉妬に狂った罪深き公爵令嬢は断罪の日も、牢屋の中でも変わることなく男爵令嬢への罵詈雑言を口にした。
隙あらば魔法を使おうとするため、魔封じの首輪をつけさせてもその口はよく動く。
公爵家は彼女と面会し、それから救いがたいと悟ったのか勘当した。それからは、誰も面会にはこなかった。
処刑の日、薄汚れても気高さや美しさがまったくと言っていいほど損なわれなかった彼女は最期に叫んだ。
“身の程知らずの愚か者が!”
その言葉が誰に向けられたのか、知るのは彼女だけだった。
***
本当は、彼女が好きだった。
どうしようもなく大好きだった。恥ずかしくて、言えなかった。
自分の傍に立とうとしているのが嬉しかった。並び立とうと努力してくれているのが微笑ましかった。何より、自分を好いてくれるのが嬉しかった。
ある時、彼女は歪んでしまった。
最初は嫉妬かもしれないと思ったが、次第にそれが狂気に似た何かによって行われていると認識した。
彼女はそんなことをする人じゃなかったのに。
誰が歪ませたのか、どうして歪んだのか。
自分の想いを彼女に伝えられないまま、彼女の周囲にできた溝は深くなっていった。
彼が知るのは全てが終わった後。
彼女が処刑された翌日、一通の手紙を持った公爵が王宮を訪れた日であった。
***
──これを貴方がお読みになる頃には、私はこの世にはいないでしょう。
それは狂愛によって自らの恋を殺し、全ての歯車を狂わせた一途な公爵令嬢の最期の手紙。
宛先は、書かれていない。
例によってこの後の展開は考えていません。
ただ、男爵令嬢は悪意とか好意をもって王太子に近付いたわけではないので、きっと何にもありません。
愚かで一途な公爵令嬢の自滅のお話。