おじさん、少女を救う筈が……
ケーニスは少女を抱えて走り続ける。
転移した先は自然あふれる森の中。足場が悪いが、ケーニスは速度を緩めない。
メディから前もって聞いた方角に向かい前進しを続ける。
行く手を阻む樹木や魔物を最低限の所作で躱しながら、少女に負担をかける事無く歩みを進めていた。
今、ケーニスがやっているのは、おそらく無意味な事。
恩を売る対象は未だに眠り続けており、微動だにしなかったのだ。
スリープの効果時間はとうに超えている。
昏睡が何時解けてもおかしくない状況なのだが、少女は目を覚まさない。
彼女の眠りは思いのほか深いらしく、揺さぶっても起きようとしない。
魔法の影響下を離れても続く睡眠を、ケーニスは見届ける事しかできなかった。
原因は疲労よるものだと憶測する。
長時間の監禁生活、加えて彼女は小娘。 疲労していない方がおかしい。
肉体面により、精神的な疲労は…… いや、発狂して壊れてしまっている可能性もあった。
その事に思い至ると、ケーニスに冷たい汗が流れる。
これからする事は、徒労に終わる確率が高い。 そう悟ってしまったのだ。
名案だと確信した思い付きは、新たな可能性により頓挫していた。
彼女を助ける事は、寧ろケーニスにとってリスクでしかない様に思えてくる。
というか、このまま彼女を王都まで送り届けた場合……
ケーニスを待っているのは、冤罪による処刑である。 無いとは言えなかった。
よし、このままここに少女を放置しよう! うん、それがいい。
又は、 口封じに殺してしまおう!
そう結論付けられたなら、ケーニスはケーニスをやっていなかっただろう。
ケーニスは人間が嫌いだ。でも、少女を昏睡状態で放置するなんて大胆な行動に踏み切れなかった。
あとは冒頭に戻る。
ケーニスは、少女を抱えて走った。 彼女を意識がないまま、ゼザ王都まで運ぶ事に決めたのだ。
後の事は、流れですよ。 きっと、何とかなるでしょう。
事態が好転したのは、それから直ぐの事でした。
抱えた少女が目を覚ましたのです。
それは、しょうもないケーニスの心労を、晴らしてくれる事になりました。
別の方向的な意味で……
◆
「あ、 起きました?」
掛けられた第一声に、少女は反応する事無くポカーンっとケーニスを眺めていた。
口をあんぐりとさせる様は、あまり褒められた物ではない。
ケーニスは小さく咳ばらいをすると、走るのを止めて少女をその場におろす事にした。
少女も自身の不躾な視線に気付いてか、頬を赤く染め視線を逸らす。
彼女はケーニスの手を離れると、申し訳なさそうに俯いた。
「た、助けて下さったのですか?」
消え入りそうな声が、ケーニスの耳に届く。
ケーニスはここぞとばかりに、即答した。
「はい!
森の奥に廃屋が有ったので、休憩をとろうと思い立ち寄ったのですが、そこで貴方を見つけ……」
「助けて下さったと……」
「はい」
少女はケーニスの肯定を受け取ると、顔をさらに赤くする。
その反応はどこかリュミスを彷彿とさせるもので、ケーニスは内心ドキリとしてしまった。
「そ、そうですか。 助かりました。
でも、あそこには魔族がいたと思うのですが…… まさか、貴方が退治を?」
!?
「…… いえ、そんな者はいませんでしたよ」
ものすごく都合の悪い受け答えに、ケーニスは肝を冷やす。
少女には疑われてはいないと思うが、少し間が空いたのは不味かったかもしれない。
それに顔を少し引き攣ってしまっていた。
対称的に、少女は安堵した様だ。
「魔族って、 僕、まだ見た事が無くて……」
「ご、ごめんなさい! 怖がらせる気はなかったの! でも、あそこには魔族がいた筈だから… 恐ろしい魔族が……」
「へ、へぇー それは…… 大変ですね」
「ええ、 そうなの。 あの者は尋常じゃない気配を放っていました。
昔、ドラゴンを間近で見た事がありますが…… アレと比べるとただのトカゲでした。
上位魔人。 とんでもない化物です。
私を捕らえていた魔人に『死神』と言われていました」
……(^ω^;) 心当りがあり過ぎて、ケーニスは声が出せなかった。
愚かだとは思っていたが、まさかこれ程とは……
逃げた低級共は、正体をばらした上で、ケーニスを特定できるキーワードを残して行った様だ。
それに彼女が言っている魔人とは、おそらくケーニスの事だろう。
上位魔人。 何故、そこまで口にしたのか……
救いがあるとすれば、『死神』なんて恥ずかしい二つ名を持つ魔人の噂が、人間達の間で広まっていないという事だろう。
少女は話は続く。
「……あの、お顔が青くなってますが、大丈夫ですか?
心中お察します。 ええ、怖いですよね!
何たって、上位魔人です。 歴史に語られる上位魔人が、この世に現れたのです!
私を捕らえた魔人は口を揃えて言っていました。
残虐非道の魔人であると!
人間が嫌いで、人間を捕らえれば男は殺し、女を犯す。
老いは磨り潰し、子供らに食事として与える。
子は玩具。 乱暴に扱い、玩具として飽きれば殺す。 とんでもない存在です」
……(^ω^♯) アレレ、おっかしいぞ。
確かに、 確かにケーニスは人間が嫌いな魔人である。
しかし、否だ! 断じて否だ! そんな事する訳がない。
そもそも、ケーニスは3000年の魔界勤め。 生粋のエリートだった魔人である。
魔人になる前は、確かに人間界に居た。
人間を憎み、殺したいと思っていた。
だが、あの頃は奪われる側。
力が…… 無かったのだ。
そう、これは謂れ無き誹謗中傷である。
おのれ低級共…… 覚悟しとけよ。
少女はまだ話は続く。
「……あの、お顔が赤くなってますが、大丈夫ですか?
心中お察します。 ええ、憤りますよね!
なんせ最低の男だそうです。
話はまだ続きます」
「え、まだ続くの?」
「ええ。 その者は……」
「その者は?」
「貴方…… 様、ですよね?」
「……」
「噂は当てになりませんね。 話が出来そうです」
「……」
「肯定ととります。
取引をしましょう。 私は上級魔人である貴方様に取引を要求します!」
「随分と勝手な物言いだな。
だが、褒めてやるよ! 僕の正体に気が付いたんだ」
急な展開に流されてしまったが、ケーニスが自信満々に少女を褒め称える。
どうにか、話の主導権を握りたかったのだ。
と、少女が不意に間の抜けた顔をする。
思いの外整った顔をしているだけに、そのギャップがケーニスから威厳を奪った。
「隠す気が無かった。 の間違いでは?」
「え? 一応…… 隠してるつもりだけど……」
「ご冗談、ですよね? 貴方様から放たれる異様な気配で、空間が歪んでますよ?」
「……普通に過ごしてるつもりだったんだけど、 変、 だったかな?」
「変です。 加えて言うならあり得ません! 隠すなら、もう少し努力を見せて下さい」
「あ、はい」
酷い言われ様だった。
が、参考になったので、ケーニスは素直に返事をした。
「フフフ、 ホントに話が出来そうな方で良かったです」
少女は言葉を終えると、非礼を詫びるかのように頭を下げる。
そして、要求と対価を口にした。
……
…………
………………
「ゼザを僕に?」
「ええ」
少女は真顔だった。 それが、嘘偽りでないと告げている。
「いやいや、その対価おかしい!」
ケーニスは困惑していた。
普通は流れ的にもゼザを救う為、自身を犠牲にする場面である。
それなのに彼女はゼザを…… 国をケーニスに譲渡すると言うのだ。
「おかしくはありません。 正当な対価です。
私はふざけてなどおりません。 どうか、お受けして頂ける事を重ねてお願い申し上げます」
少女は真剣だった。
が、ケーニスは返す言葉が思いつかない。
「しかしだな…… 意味が分からん! 要求がふざけ過ぎている。
君の様な存在が…… なぜ?」
「なぜ? そんな御無体な……」
不意に向けられたのは、絡みつく様な熱を帯びた視線。
その瞳はどんよりと濁り、彼女の狂気を覗かせていた。
「貴方様のようなお方に飼って頂けるのであれば、私は私が差し上げられる全てを貴方様にお譲りするだけの事です」
「……」
「肯定ととっても、よろしいですよね?」
それは少女の声ではなかった。
それは獲物を狙う肉食獣の様に獰猛な色を含んでいた。
余りの迫力に、ケーニスは立ちすくんだ。
「ご主人様♡ 末永く、よろしくお願いします!」
駆け寄って抱き着こうとする少女。 しかし、ケーニスはそれを振り払う。
「臭い!」
事実、臭かった。
主人の拒絶に、少女は顔を赤く染める。 自身の穢れに気が付いた様だ。
一度体に鼻を向けると、少女は大きな目に涙を貯め、その場に崩れ落ちてしまった。
泣き顔は年相応。
年長者のケーニスにはやり辛い相手である。
ケーニスは思う。
言動からも察する事だが、やはり彼女は壊れてしまっているらしい。 でなきゃ、色々とおかしい!
彼女の名誉のためにも、断固として現状に異を唱える! そうするべきだった。
が、非常にも現実が愚図りだす。
少女が濡れた瞳で、ケーニスを見詰めていた。
捨てられた子犬の様に哀れな瞳で……
それは、もはや兵器と言っても過言ではなかった。
「風呂、入れてやるからついて来い」
何故そんな事を言ってしまったのか…… 男なら仕方ないよね。(´・ω・`)