6 白い木が立つ花畑
知らない森を闇雲に歩き回っても意味がない。そこで、寝ぐらにしている遺跡を拠点として、それぞれの方角を調べることにした。高い木々のせいで太陽は見えなが、昨日の夕日と今朝の森へ入る太陽光の角度でだいたいの方角は把握している。
今日は寝ぐらの東方面にある水場から向こうを歩いてみるつもりだ。岩から涌き出る水が流れ込む池には魚がいた。底の方で川に繋がってる可能性がある。それにこれだけの遺跡群があるのだ。文明は大抵大きな川に沿って起こる。最初に探索するには十分な理由だろう。
歩きながら、迷わないように所々に目印のビニール紐を結んいく。右手には武器代わりに丈夫そうな枝を持っている。こんな棒切れなんて、昨日のサーベルタイガーのようなのが出てきたら何の役にも立たないだろうが、無いよりはマシだ。一応、威嚇になるかと思い花火をすぐ使えるようにリュックサックの外ポケットに挿してあるが、とっさに火をつける時間があるとは思えない。仮に着火に成功してもわずか数秒の発火時間じゃ気休めにもならないだろう。それでもやっぱり無いよりはマシだ。
探してみると森には実が成っている木が意外と多いのに気づいた。木の根本にはキノコも生えていた。だが、僕にはどれが食えるのかがわからない。
子供の頃母親から、キノコの裏を見てヒダがあれば食べられる、ツルツルなら毒持ちだと教えられた。だけど僕はその言葉は全く信じていない。僕の母親は、見かけはおっとり系だが性格はものすごく大雑把な人だからだ。
昔、婆ちゃん直伝だと飲まされた自作健康ドリンクは、名前こそ『ドリンク』だが謎のぶつぶつが浮かぶゲル状の物体。父親と姉はうまく逃げて口にしなかったぶん、いつも僕一人が被検体…ゲフ…恩恵に預かった。直伝のはずなのに何故か毎回味が違う、身体にイイと言われものを全部混ぜて完全にオリジナル化したそれを飲まされながら僕は育った。飲んだ後は毎回腹を壊していたが。
大人になった今、少しくらい傷んだものを食べてもびくともしない丈夫な腹になったから、ある意味健康ドリンクだったのかもしれない。 キノコの情報も何か違う情報が混ざっているんだと思う。信じるのは危険すぎる。
閑話休題。とにかく、母親からのエセ情報をこの状況で鵜呑みにすると命にかかわる。
そこで活躍してくれたのが埴輪先生だ。
僕が『赤くて美味そう』という理由だけで口にしようとした、小さいリンゴのような木の実を、手から叩き落とした。ナゾのゼスチャーと伝わる感情で、どうやらこの実はそのまま食ってはダメらしい。焼けば食えるみたいなので、5つほど採っておく。
さすが遺跡の水晶生まれ(?)だ。森の植生に詳しいようなので非常に助かる。だが、人の情報や森の地理なんかはわからないようだ。聞いても首を傾げるだけだったから。
それから埴輪先生の指導の下、食える実とキノコを採取していった。
3時間くらいは散策しただろうか。いいかげんリュックサックが重くなって来たところで、前方の草から何か出てきた。昨日のサーベルタイガーのことがあるので一瞬身構えたが、出てきたのずんぐりした体型のウズラに似た鳥だった。ウズラ(仮)は地球産のと同じなのか飛べない鳥のようで、僕達を見ると素早く走って逃げて行った。
「あれ、捕れたら食えるかもな」
捌くのは怖いけど、あの大きさの鳥なら羽根を毟って焼くだけでも食えるだろう。いきなり4本足の動物を殺して食うってのは無理でも、鳥からならなんとかなるだろう。
なんてチキン野郎なんだと自己嫌悪に陥りそうだが、これが僕なんだと開き直るしかない。
木の実を十分採取出来たので、本格的に川探しを開始した。
鳥と遭遇したところから1時間ほど歩いただろうか。急に拓けた場所に出た。学校の校庭ほどの大きさにぽっかり開いている。色とりどりの花畑が広がっていて、中央には真っ白い木があった。
「すげ…綺麗…」
周囲の森の数十メートル級の木々よりは小さいが、それでも数メートルはある。幹も葉も白い木。風に揺れる白い葉のさわさわとした音が心地好い。咲いてる花達からか、とてもいい匂いがする。誘われるようにフラフラとその木に近付く。
その時、頭の中に危険を知らせる強烈な感情が入ってきた。足元を見ると、僕のジーパンを必死に引っ張る埴輪がいた。
何事だと周囲を見回すと、花畑のあちこちが盛り上がってきた。広場に生えている花が、土から出て根で立ち上がったのだ。一際長い根の触手をゆらゆらと上へ伸ばしている。
良く見ると花の間に大小様々な動物の骨が見える。
マズイ。この花って全部魔物かっ!しかも囲まれてるじゃないかっ!
魔物と遭遇する覚悟してはいた。だけど、まさかこんな綺麗な花畑がいきなり豹変するとは思ってなかった。綺麗な花には刺、どころか魔物だったわけだ。一体一体はそんなに大きくはない。埴輪と同じくらいだろうか。ただ、体長の三倍はあるだろう触手と、なにより数の多さに危機感がつのる。
いきなり絶対絶命かよ!
伸びてくる触手を必死に避けながら棒で払う。足元で埴輪も意外な俊敏さで奮戦してくれているが、容赦ない攻撃は僕の半袖から出た腕に傷を付けていく。
なんとか後退しないとっ!
気休めの花火をリュックのポケットから出して、ジーパンのポケットに入れてあった着火マンで火を着けて、投げた。
効果は抜群だった。投げたのは火の子が2メートルほど伸びる噴き出し式のものだ。もちろん投げたのだから倒れて発火したわけだが、バチバチと音を立てて出た花火に、花モンスター達は一成に逃げ出したのだ。
その機を逃さず僕と埴輪は花畑から森へ逃げ込んだ。
「は~。マジでヤバかった…」
花達はこちらを伺ってるようだが、森の中までは追って来なかった。しばらくすると元のように根が地中に消え、童話の世界のような風景に戻っていった。
僕はなんとか危機から脱却できたと、脱力して木の根本にへたり込んでしまった。
気休めにもならないと思っていた花火の効果には本当に驚きだ。考えてみれば、火薬を使っている、小規模でも爆発だ。魔物が火薬を使うとは思えない。奴らにとっては始めて体験する未知の力ってことだ。そりゃ、恐れるよ。
気がつくと埴輪が気遣わしげに見ている。僕はその頭をそっと撫でた。
「お前がいてくれて良かったよ。ありがとう」
あの時埴輪が危険を知らせてくれなければ、僕もあの骨達の仲間入りだったかもしれない。お礼を言われて嬉しいげに踊る埴輪を見ながら、ペットボトルの水を飲みつつ僕も恐怖を癒した。
「お前に声があったら話しが出来るのにな」
そんな言葉が出たのも緊張が解けたからなのかもしれない。埴輪は踊りを止めて不思議そうな顔をして見上げてきた。僕は笑って、もう一度埴輪の頭をポフポフと撫でて立ち上がった。
「ギギャーッ!」
広場の方から大きな声が聞こえた。そちらを見ると、花モンスター達が再び土から出て何かに攻撃していた。
子供くらいの緑色っぽい身体に醜悪な顔…。
「ゴブリン!?」
異世界の超定番の魔物だ。
ゴブリンは5匹いた。打ち付ける花達の触手に、持っている棍棒や小さなナイフで応戦している。1匹だけどこで手に入れたのか、長剣を振っているヤツがいる。なんであんなところに?僕と同じで木に見とれて花モンスターの中に入ったのか?
そんな訳はなく、何かに追われて来たようだ。花モンスターの攻撃を躱しながら、しきりに背後の森を気にしている。
突然、ゴブリン達の視線の先の森から、ドーン!と大きな音を立てて巨大な魔物が現れた。周囲を薙ぎ倒して現れたのは、昨日のサーベルタイガーよりも二回りぼど大きい猪のバケモノだ。赤い毛皮に被われた身体。これまた定番魔物、レッドボアだ。
ゴブリン達を追って来たのだろうレッドボアは、目は血走り、数本の牙が覗く口からはヨダレが垂れている。明らかに怒り狂っている。
レッドボアってあんなにデカイのか!?
昨日のサーベルタイガーがこの森のボスかと思っていたけど、違うようだ。この森にはあんな魔物が他にもいるかもしれない。
レッドボアはゴブリンを見ると一層興奮したように、前足で地面を引っ掻いた。
「グガァーッ!」
そして一際大きい咆哮を上げると、ゴブリンを目指して走り出した。ゴブリン達は我先にと逃げ出すが、すぐに追いつかれる。攻撃していた花モンスター達も慌てたようにレッドボアの進行方向から逃れた。
追いつかれ、体当りされ、牙に引き裂かれ。断末魔の声を上げながら吹き飛ばされるゴブリン。
花モンスター達が避けて土がむきだしになった地面に、花モンスター達のエサになったのであろう無数の動物の骨が見える土の上に、吹き飛ばされ血達磨になったゴブリンが降ってきた。
恐ろしいパワーだ。あっという間の一方的な攻撃だった。全てのゴブリンが動かなくなっても、レッドボアの興奮は覚めない。花畑のあちこちに散らばるゴブリンの死骸に必要以上に攻撃を加えている。
花畑が荒されていく。避難していた花モンスター達も住みかを失うのを怖れたのだろう。レッドボアに触手で攻撃を始めた。
けれど、花達の触手はレッドボアの固い毛皮には通じないようだ。レッドボアはうっとおしげに身体を振るわせるだけで、花モンスターを吹き飛ばす。
ふと顔を上げたレッドボアは、広場中央の白い木に気付いた。その瞬間牙を剥きだした。頭を振り、荒い鼻息を吹きだし地面を引っ掻く。次の瞬間、白い木に突進した。ドンッ!という音がして木が激しく揺れた。葉が血のように散る。
2度3度とレッドボアは白い木に体当たりしていく。その都度葉が散り、幹に傷が付いていく。悲鳴のような声が聞こえた気がした。
後で考えても何故そんなことをしたのかわからない。もしかしたら、あの木に魅了されていたのかもしれない。なんと僕は白い木を救うためにレッドボアの前に飛び出したのだ。あの美しい白い木が傷つくのを見たくなかったのだ。花モンスターすら追い払う事しか出来ないのに、レッドボアになんか敵うはずがないのに、花火を方手にヤツの前に立ちはだかったのだ。
レッドボアはいきなり目の前に現れた僕に一瞬動きを止めたが、すぐに敵と捉えたらしい。牙を剥き威嚇してきた。
怖い。すごく怖い。
狙いを僕に定め、突進してきた。レッドボアの威嚇に身が竦んで咄嗟に動けず、恐怖のあまり目を閉じてしまった。バシッ!と音がした。だが、衝撃が来ない。目を開けると、埴輪がレッドボアの攻撃を防いでいた。レッドボアの牙に腕を添え、ギリギリと音を立てながら必死に抑えている。けれど力比べは長くは続かなかった。レッドボアが咆哮を上げ頭を振り上げた。埴輪の小さな身体が吹き飛ばされた。
「埴輪っ!」
何やってるんだ僕は。何しに出て来たんだっ!目を閉じるなっ!吹き飛ばされた埴輪を見て正気に返った。消えかけた花火の火を、新しい花火に急いでうつし、レッドボアに振りかざすとヤツは目に見えて怯んだ。持って数十秒の花火だ。途切れさせないように次々着けていく。レッドボアが怯んだ隙に、大きな音がする連発式の打ち上げ花火に点火する。
レッドボアが驚いて後退する。だが、逃走させるには至らない。その時、吹き飛ばされた埴輪が剣を持って僕の側に戻ってきた。良かった。無事のようだ。剣はゴブリンの落とし物だ。魔物のくせにいやに立派な剣を持っていたんだな、という疑問は今は置いておく。
ありがたく受け取り、片手に剣、もう片方に花火といった珍妙な形に構える。剣は所謂、片手剣というやつだ。何かの金属でできているのだろう、かなり重い。剣先がゆらゆら揺れてしまう。当たり前だが、剣なんて一度も握った事がないのだ。
どうする!?このまま花火で追い返せるのか!?手持ち花火はもうすぐ尽きる。そうだ、打ち上げ花火を数発一度に投げたら追い返せるかもしれない。
その時、後ろから僕の首筋に何かが触れてきた。
『力 貸す。剣、使え』
頭の中に直接流れて来た。女の声?背後にはあの白い木しかなかったはずだ。いくつもの疑問が浮かぶが、今はそれどころではない。目の前には、いよいよ怒り浸透のレッドボアが唸り声をあげて地面を掻いているのだ。やはり怖いが、今度は目を閉じない。レッドボアをしっかり見据える。
ついに、手持ち花火が尽きた。最後の花火が消えたその瞬間、レッドボアが土を蹴った。僕は花火の残骸を捨て、剣を構える。女が触れているところが熱くなり、身体中に魔力が凄い勢いで巡って行くのを感じた。
大きな咆哮を上げレッドボアが突進してきた。僕はありったけの魔力を込めた剣を振り上げ、そして、力いっぱい降ろす。剣が美しく輝き、光りの尾を引きながら一撃でレッドボアの首を切り落とした。頭部が無くなった胴体は、僕と白い木を追い越した所をで止まり、地響きを立てながら倒れた。