表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

エッセイ

「面白い作品は、誰にとっても面白い」という考えは、選民思想を生む

作者: いかぽん

 「面白い作品は評価される」という言葉は、決して間違ってはいないが、誤解を招きやすい言葉だと思う。

 何故か。


 世の中の多くの人が、「面白い作品は、誰が読んでも面白い」という幻想を抱いているからだ。


 これが間違いであることは、小学生が教科書に載っている純文学作品を面白いと感じるかどうか、男の子が少女漫画を面白いと感じるかどうか、老人が若者向けのライトノベルを面白いと感じるかどうか、などを想像してみればわかるだろう。

 (純文学作品を面白いと思う子供や、少女漫画を面白いと思う男の子が存在しない、という話をしたいわけでないことは、分かってもらえると思う)


 もちろん、老若男女あらゆる層をターゲットとした作品が、存在しないわけではない。

 ただそれは、「そういう作品も存在する」というだけの話で、世の中のあらゆる作品がそうしたものであるわけではないということは、念頭に置いておかなければならない。


 そして、そういった「何を面白いと感じるか」は、同じ年齢、同じ性別であっても、人それぞれで当然に差が出てくる。

 誰かにとって面白い作品が、別の誰かにとっても常に面白いとは、限らないのである。


 「面白い作品は誰にとっても面白い」という認識をこじらせると、自分が面白いと思う作品を「つまらない」と言う人を見ると、「こいつには作品を見る目がない」などと考えてしまう。

 また、自分がつまらないと思う作品を「面白い」と言う人を見ても、同様の反応になる。


 こうした考えは、選民主義を招く。

 純文学や芸術作品を賛美する批評家が、ライトノベルや漫画を「低俗だ」と罵り、そうした作品を楽しむ読者を「人として程度が低い」などと蔑むのと同種の、選民主義である。


感想レスは、控えさせていただきます。m(_ _)m

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[一言] 選民思想的に「これは他の作品よりも面白いものだ」と強く思い込んで叫ぶようなファンがつかないと「大きな内輪」は拡がらないので、 自と他の価値観の違いを認められるような人間ばかりになったら色んな…
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ