4話 ラズベリーフィールズ 1/3
いつも、ここが空っぽだった。
どうして、世界はキラキラと瞬いているのに、このぽっかりと空いた穴は埋まらないのだろう。
ウッジには、大勢の「家族」と呼ぶ事を強要されている…同居人が居る。
この子もそのうちの一人だ。
誰にも言わないが「どうせウチを、担当だから世話を焼いてくれる人くらいにしか思っていない」のだろう。ウッジはいつもそう思っている。
「チャルカ、起きて。礼拝の時間だよ。」
チャルカと呼ばれたのは、明るいブロンドの5才の女の子だ。
二段ベッドの下でまだ夢の途中のようだった。
「ほら、起きないと礼拝に間に合わないよ。先週だって遅れて、ウチが叱られたんだからね! 」
と、タオルケットを剥がす。
「んー…ウッジの……」
「何? もう、寝ぼけてないで。本当にいーかげんにして。」
と、今度は枕を引っこ抜く。チャルカの頭がぽわん、とマットレスに受け止められる。
それでも、まだ夢の世界から抜け切れないようなので、強行手段。
ベッドから引っ張り出して、ベッドにもたれ掛けて床に座らせ、パジャマの上をすばやく脱がし、長めのスモックを…しかし、お下がりで、まだちょっと大きい。ほとんどワンピースのようなのだが丸首の部分をひもで縛れるのでぎゅっと絞って蝶々結びにすると着られないことはない…を着させて着替え完了。
そのまま担いで、洗面台へ。
自分が朝の支度をした時の水を桶に残してある。
タオルを首に当てて、顔に水をピチャッと。
「…うぅ、う…ぅわーーーーん」
と、驚いたのか泣き出す始末。
いつもの事なので気にも留めず、タオルで顔を拭く。
わーんの大口を利用して、歯ブラシでゴシゴシ。
「ほら、ぐちゅぐちゅして、」
と、コップに水を汲んで渡す。
すると、スンスンと鼻を鳴らしながら泣き止んで、コップの水を口に含み、ぐちゅぐちゅ…
「ペッ、して。」
素直に、洗面台にペッ。
「さ、行くよ。…よし、今日はなんとか間に合いそう! 」
ウッジはチャルカの手を引いて、礼拝室へと向った。
礼拝室と呼ばれた部屋に入ると、もう始まるところ…ギリギリセーフだった。
礼拝室と呼んではいるが、部屋の壁に一枚のロードの絵が掛けられただけの簡素な部屋で、今この部屋には30名ほどの2才から16才の……16才というのはウッジのことなのだが、お行儀よく並ばされる。
ここは孤児院なのだ。
それぞれ何らかの事情があって、ここで生活をしている。
ここでの生活は基本的には15才まで。15才になるとみんなそれぞれ仕事を与えられ、または自分から仕事を求めて巣立ってゆく。
ウッジは7歳の時にここへ連れて来られた。
それまでも色んな孤児院を転々としていた。
自分が一体何処で生まれて、どうしてこのような施設で生活をしているのか、それも教えてもらえないし、また転院を繰り返しているので、もう始まりの日のことなんて覚えている人も居ないのかもしれない。
どうして、転院を繰り返す羽目になったかというと、強いて言うなら、ウッジが賢かったからだろう。
賢いといえば響きは良いが、早熟というべきか、冷めた子だったとも言える。
同年代の子に遊ぼうと誘われても、交わる事はしない。お遊戯の練習だってばかばかしくて出来ない。
「人それぞれ成長の速度も違うし個人差があるのに、どうしてこんな幼稚な事しなくちゃいけないの? 」と平気で世話を焼いてくれる職員や先生に言ってしまうような子だった。
それゆえ、どうしても馴染めずに孤立をして、手を焼かれて転院を繰り返していた。
しかし7歳になった早熟なウッジは、もうそうやって人を困らせるのも幼稚なのことだと悟り、自分を押し殺し問題を起す事はしなくなった。
なので、今こうして安住の地とも言えるラズベリーフィールズ孤児院に定住している。
ウッジはもう16才。巣立っていかなければいけない年齢を過ぎているのだが、早熟すぎた子供の思春期は長い。なぜなら、今まで殻を分厚く堅く、誰にもひびをいれられないように、倒れたとしても痛さを感じないくらい強く強く分厚くなるように、長年築いてきたのだ。
たとえ自らが望んだとしても、そう易々と殻が破れる訳ないのだ。
そう殻の中でブツブツと結論付けたウッジは、外に出ることが出来ずに一年が過ぎてしまっていた。
そんな思春期をこじらせた大きな子供を見かねて、院で働く先輩孤児のシダーがウッジに仕事を与えたのだった。
それが5歳児のチャルカの世話だった。
今まで極力、人との親密な付き合いを避けてきたウッジにとって、それは試練の始まりだった。
もう担当を任されて半年ほどなので、扱いもやっと慣れては来たが、まだまだ苦手という言葉が頭から離れない。
チャルカを列の前のほうにお行儀よく並ばせると、自分も後ろのほうへ並びなおす。
誰がそうしなさいと言ったわけでもないが、5歳児くらいからはだいたいの背の順になっている。
それより小さい子は、担当の職員のそばで、立ったり座ったりしている。
ホッとしたのも束の間。副院長のグラス先生が、ウッジの耳元にやって来て
「ウッジ、礼拝が終わったらチャルカをつれて職員室へいらっしゃい。」
ゾゾゾゾ…と背筋に悪寒が走る。
グラス先生は、とても厳しい職員なのだ。この院一番といっても過言ではない。
何をやらかしたんだろう…今日は遅刻のカウントされないだろうし、まだベッドの上のチャルカが脱いだ寝間着を片付けてないのも、ばれてはいないだろうし…。
色んな事を思い巡らすのだが、思い当たらない。
気が気じゃない状態のまま、礼拝の時間が過ぎ「みなさん、朝ごはんにしましょう。食堂へ移動してください。」という院長の声で、部屋の緊張が一気に解け、お喋りや笑い声がする。
慌てて副院長のグラスが手を叩き「礼拝室では要らない私語は厳禁ですよ、速やかに食堂へ」というと、子供達がすこしピリっとして、礼拝室から出て行く。
ウッジはチャルカを捕まえて「職員室へ行くよ」と小声で言った。
「チャー、ごはん食べるんだよー」
「朝ごはんはその後ね」
「おなか減ってるから、職員室はご飯の後ね。」
「ダメ。ご飯の前に職員室。」
「ヤダ! ウッジのバーカ! 」
と、冷たい視線を感じた。グラス先生だ。
「ウッジ、ここでは私語は厳禁と言ったでしょう。」
すでに、みんなは礼拝室から出てしまって、二人だけが残ってしまっていた。
「チャルカもですよ。ここでは私語は厳禁です。いつも言っていますよね。」
うっ、と一瞬にして顔をくちゃっとして泣きそうになる。
「返事はどうしたのですか? 」
「…ふぁい」と口の歪んだ返事を何とかして、泣くのを我慢する。
5才児もこの人の前で簡単に泣いては叱られると分かっているのだ。
「…いいでしょう。二人だけになったので、部屋の外で話しましょう。」
グラスが部屋から出て礼拝室の扉を閉めた。
「ウッジ、あなたはもう16才なのですよ。ロード様の前にこのような格好で失礼だとは思わないのですか?」
頭にハテナが浮ぶ。
朝、ちゃんと顔も洗ったし、歯も磨いたし…それは見た目では分からないかもしれないけど、洋服だって3パターンしか持っていないのだが、どの組み合わせで着ていた時もこのような事を言われた事は無い。
どれもお下がりなのだが、二の腕部分に刺繍の入ったブラウスに七分丈のブラウンのパンツとサスペンダーだった。髪型だってショートボブなのだが…寝癖?と、そこまで一瞬にして巡らせ、頭に手をやってみた…がやはり寝癖もなさそうだ。
「あなたでは有りません。チャルカですよ。どうして、スモックの下に寝間着のズボンをはいているのですか。」
即座に全部理解して同時に後悔した。
ワンピースのようなスモックの裾からパジャマのズボンが見えている…
本当はスパッツを穿かせるのが昼間のスタイルなのだが、その時間も惜しまれたので…というか、チャルカさえ協力的に着替えてくれたのなら、素早く済むのだが、あの非協力的な状態でスパッツを穿かせるのは至難の業なのだ。
なので、ズボンが見えないように裾を折って捲り上げておくべきだった…と。
「…失礼いたしました。」
「あなたは、チャルカにとってとても重大な責任を担っているのです。それを理解するように。」
「……。」
「お返事は?」
「はい。」
ウッジは拳を握り締めた。
「よろしい。では、食事の前に着替えていらっしゃい。いいですね。」
「はい。グラス先生」
そういうと、グラスは職員室のほうへ歩いていった。
「ウッジ、おこられたー」
「……。着替えに行くよ。」
「えー、ごはん! おなか減った」
「今の聞いてなかったの? スパッツ穿きに戻るよ」
と、ぐいっとチャルカの手を引っ張った。
嫌々ながらついて来るチャルカをなんとか、着替えさせて、パジャマも表に返して洗濯籠へいれた。
食堂へ着くと、もう食べ終わった子もいるようだった。
二人を見つけたシダーがこっちこっちと、手招きしてくれた。
「おはよう。二人の分残しておいたわよ。」
「ありがとう。」
「シダー先生、おはようございます。」
「チャルカ、おはよう。ちゃんと挨拶ができてえらいわね。」
「……。」
「さ、とりあえず食べてしまって。早く食べないと、またグラス先生に叱られるよ」
食事は粗末というと失礼かもしれない。質素な食事という事にしておこう。
パンと温かい牛乳にハチミツを入れたもの。そして日曜日は卵の日だった。
院で飼っているニワトリが産んだ卵が日曜日だけ朝ごはんとしてスクランブルエッグで出てくる。なので日曜日の朝ごはんは子供達にとって楽しみの一つでもあった。あと今の季節はグミが採れるのでグミの実を少し。
「み光のもと、我今幸いに、この清き食を頂く。いただきます。」
いただきますのお祈りを二人だけで済ませて食べ始めた。
「グラス先生、あなた達が礼拝室に入ってきた時から、目をまん丸にしていたわよ」
「…そんな最初からばれていたなんて」
「仕方ないわよ。もう勤続ウン十年のベテランだもの。…それよりウッジ、他にやりたい仕事が無いなら、ここの職員になれるようにグラス先生、働いてくださるわよ。ちゃんと考えて。」
そういわれると、食べていた動きが止まってしまう。
「……。」
「チャルカ、パンはちぎって食べないとダメよ。」
「はーい。」
チャルカだって、ウチの言う事はなかなか聞かない。でもシダーのいう事ならおりこうに聞く。
きっと、ウチはこの仕事に向いていない。
「…まぁ、みんな最初はそんなものよ。」
シダーが何かを見透かしたようにウッジの肩に触れた。
「ちゃんと考えておいて。じゃ、私は次の仕事があるから、もう行くね。」
「あ、うん。ありがとう。」
「シダー先生、行っちゃったらヤダ。食べたら絵本読んで! 」
「ごめんね、先生、洗濯物しにいかなくちゃ。それが終わったら、今日はちょっと用事があって出かけるのよ。ウッジに読んでもらって。」
「えーーー、ウッジヤダー」
「じゃ、またね、」
シダーは優しい。みんなに優しいし、気遣いができる。だからこの仕事が出来るのだ。しかも働き者だし、みんなに慕われている。天職だと思う。
対するウチは、まだ自分のしたい事も見つからず、与えられた子守という仕事すら満足に出来ずにいる。
「ほら、シダーがパンは食べる分だけ千切ってって言っていたでしょ。スプーンのもち方も、こう。」
「ヤダ。じゃ、ウッジが食べさせて」
どうしてこうなんだろう。
シダーやグラス先生の前では良い子なのに、ウチの前では、まったくいう事をきかない。
ウチが先生じゃないからだろうか。5歳の子にそんな、職業の区別が出来るんだろうか。
でも現実として、ウチはこの子をコントロール出来ずにいる。
シダーは昔から優しくて、ウチがここへやってきた時から、何かと気に掛けてくれていた。
その頃はまだシダーも普通の院児としてここで生活をしていたのだが、みんなのお姉さん的な存在だった。ラズベリーフィールズの職員になると聞いた時も、すごく自然な流れの事のように思えた。
でもウチはそうじゃない。
ずっと、人との関わりが深くならないように避けて、出来るだけ目立たないように生活してきたのだ。
きっと、そういうところをチャルカだって感じ取って懐くかどうかを無意識に判断しているんだろう。
すったもんだしながらも何とか、チャルカに朝ごはんを食べさせた。
「われ今 この清き食を終わりて 心豊かに力身に満つ ごちそうさまでした。」
日曜日はここから、普通の院児は自由時間だ。
お昼用にチーズとレタスをはさんだだけのサンドイッチと蒸かしたジャガイモが食堂においてあるので、それをそれぞれ何処かへもって行って食べるものもいれば、食堂で食べるものもいる。
土曜日、院児は街に出て奉仕活動をしているのだが、その時にお手伝いをしているお店や農場で仲良くなった方のお家にお呼ばれをする子なんかもいる。
奉仕活動ではあるのだが、この活動で街の人たちは、気持ちばかりの寄付を院にしてくれる。そして、子供達もこの繋がりがきっかけで、養子縁組するものや就職するもの、見初められる者もいたりした。
ウッジはというと、人とかかわりたくないので、この院に来てからずっと薪集めをしていた。
女の子にはけっこう重労働な仕事なのだが、薪は必要としているお宅は多いので街へ持っていけば、誰かしら喜んで持って行ってくれるし、何よりも薪を集めている間は、誰にも邪魔されず一人の時間を過ごす事が出来た。森と街にある噴水広場と何度か往復をしてウッジの土曜日は過ぎてゆくのだ。
なので、お呼ばれしてくれる人もいないので、ぼーっとすごせば良いのだが今や肩身の狭い16才。
院のお手伝いをしないわけにもいかず、みんなの食べた朝食の後片付けをここ一年ずっとしている。
「ウッジ、本読んで。シダー先生言ってたでしょ」
「今から洗い物しなくちゃ。その後でだったら仕方ないし読んであげる」
と、素っ気無い感じで言ってみた。
「やだー、今読んで欲しいの! 」
といつもの、聞かん坊が始まる…と、思った矢先、
「チャルカ、まだここにいたのですか? 探しましたよ。」
グラス先生が食堂へ入ってきた。
「ヤーンさんが、お迎えにいらっしゃってますよ。」
「あ! 忘れてた! 」
そう言って、チャルカは慌てて駆け出した。
「チャルカ、帽子被って行くんだよ! 」と声をかけたが聞こえていただろうか。
「…また、廊下を走って」とご立腹な様子のグラス先生。
「帰ってきたら、チャルカに廊下は走ってはいけないと、ちゃんと躾けておいてください。」
ほら、また来た。
「はい。」
「あなたも、薪集めはとても良い行いですが、自分のこれからの事をもっと考えて時間を使いなさい。」
そう言って、グラス先生は食堂から出て行った。