45話 OZ 2/5
ウッジとチャルカがいる場所は、漁港から見ていた感覚よりも遠くて、結構な距離を歩いた。
沖に伸びる防波堤と陸の角にできた小さな浜の波打ち際に二人はいた。
チャルカは波打ち際での遊びに飽きない様子で、波が寄せては返す様子を追いかけたり逃げたりしながら遊んでいる。ウッジが砂利に腰を下ろし、それを見ていた。
メイシアとストローは防波堤から砂利浜に降り、ウッジの肩を叩いた。
「なかなか帰って来ないから迎えに来たよ、まだここで遊んでいたの? 」
「あぁ、ストロー。ウチはもう帰りたいんだよ? …っていうかチャルカ、よく飽きないよね…。で用事は終わったの? 」
「終わったも何も、大変だったんだからね! 」
「何かあったの? 」
鳩が豆鉄砲を食らったような顔のウッジにストローが振り返って、背負った空のコンテナを見せた。
「ほらこれ見て。」
「? 」
「あと、これ。」
そして、メイシアが売り上げの銅貨のたっぷり入った巾着を開いて覗くように促した。
「…どうしたの、これ。」
「ドーナツを買うお客さんが並んじゃって大変だったの! 」
「で、めでたく完売。」
「もしかしてドーナツ屋さんしてきたの? 」
「そう。」
「ご、ごめん。手伝えなくて…」
「まぁ、オラたちだって売り子をするなんて知らなかったし、急な出来事だったから、仕方ないよね。」
「そうだね。逆にチャルカがなくてよかったもしれないし。」
「お嬢ちゃんたち。」
突然メイシアたちの背後からしゃがれた声がした。
振り返ると逆光のなか、防波堤の上から一人の男性がこちらを見下ろしていた。
釣り竿とバケツを持っているので釣り人のようだ。声と腰の曲がったシルエットから年配者だと思われる。
「この海はすぐ深くなって危ない。ここでは遊ばない方がいい。」
しゃがれた声が逆光のシルエットから聞こえる。
顔はよくわからないが、声の調子から察するに怒っている様子ではなかった。
「ごめんなさい。オラたち、知らなくて。すぐに移動します。」
「それが良いだろう。海に落ちると戻って来られなくなるぞ。せっかく頂いた時間なのじゃからな。大切にしなさい。」
その時、遠くの海でボォーーーと大きな笛のような低く太い音がした。
「汽笛じゃ。船が来たんじゃよ。今回はどっちじゃろうな…」
おじいさんはそれだけ言うと町に向かって歩き出した。
メイシアは何気なく、港の方へとぼとぼと歩いて行く後ろ姿を見つめた。
薄っぺらいハンチング…蟹股で左足を引きずった歩き方…急にメイシアは心の中に暖かく懐かしいものが流れ込んで来るのを感じた。
遠のいていくおじいさんの後ろ姿に、知り合いの面影を感じたからだ。それは、もう遠い日の思い出に感じる懐かしい記憶。
カップ村でメイシアの家の向かいに住んでいた、魚釣りの上手なおじいさんの面影だった。
もちろんあの日以来、姿は見ていない。
村中どこを探しても、誰一人として出会う事が出来なかったのだ。
(お母さん、お父さん…牧師さま…どこにいるのかなぁ…会いたいなぁ…)
「メイシア、どうしたの? 」
「…うんん、なんでもない。ちょっと懐かしい人を思い出して。…それより、怒られちゃったね。」
「うん。びっくりしたね。…おじいさん、どこから来たんだろう。」
「多分…防波堤の先、あそこに小さな灯台があるでしょ。あそこで釣りをしていた人かなぁ。ほら、あそこ。さっきまで人影があったんだけど、今はないし。」
ウッジが指さした先を見た。沖に向かって伸びた防波堤の先。小さな灯台が建っていた。
「これから、どうする? 」
「手伝ってもいないウチが言うのもなんだけど…とりあえず、このお金をおじさんところに届けないとね。」
「そうだね。こんな大金を持ってうろうろするの、心配だしね。」
「黄色い道がどこへ向かっているかも気になるけど…とりあえず戻ろうか。集金袋を貸して、重たいでしょ。オラが持つよ。後、丘の上も行けそうだったら、もう一度行ってみたいしな…」
メイシアが集金袋をストローに渡した。渡しながら、自分たちが今来た坂の方を見た。なかなかの斜面だ。
「また、あの坂を上まで登るのかぁ…なかなか大変だよ? 」
ウッジがウゲェ…という顔をして見せた。
昨日丘の上から眼下に見下ろしていた港に今いるのだから、あの斜面を登っていくと思うとかなりの覚悟が必要だ。
「確かにそうだけど、あの公園もだけど島の反対側も、どうなっているのか見てみたいし。」
「普通の綺麗な公園だったよね。」
「普通…というよりも、完璧すぎる…」
「え? 」
「うんん、何でもない。とりあえず出発しようか。」
そういうとストローは、銅貨の入った袋をベルトに通してくくりつけた。
「あれ? でもストローも海が見たいって言っていなかったけ? 」
砂利に座っていたウッジが立ち上がりながら言った。
「うん、もうさっき港で見たからいいんだ。」
「…そう。じゃ、いっか。…チャルカー! そろそろ行くよー! 」
一行は、まだ遊び足りなさそうなチャルカの不満の声を引きずりながら、一路ドーナツ屋まで道を引き返した。
行きはよいよい帰りは何とか。ここは坂の町。
分かっていたことだが、ドーナツ屋までの道のりは、体力的に消費の激しい登り坂。
なんとかドーナツ屋に辿り着いた時には、少し息が上がっていた。
「おや、お早いお帰りだね、お嬢ちゃんたち。」
店主のおじさんが、お使いの帰還を見るなりニコニコと店内に迎え入れてくれた。
「ただいま帰りました…」
「おやおや、なんだかお疲れの様子だねぇ。」
言っても黄色い道や砂漠やペンタクルの密林を歩いてきたのだから、そこそこ体力には自信があったのだけど、さすがにずっと登り坂というの結構な運動量だった。
「で、どうだった? ドーナツは売れたかい? 」
自然な流れで、そんな事を聞いてきたおじさんに、珍しくストローが噛みついた。
「それ、それですよ! オラたち、ドーナツの売り子をするなんて聞いてませんでした! 」
「あははは、言わなくても、ちゃんとどうにかなっただろう? 港もいい人たちばかりだから。」
そういうおじさんにはメイシアたちのモヤモヤが届いていないのか、屈託ない笑顔。
「…まぁ、そうですが…。百歩譲って販売はどうにかなったとして、でももし、オラたちが持ち帰るものがこんな大金だと知らなくて…持ち逃げしたらどうするんですか? 」
初対面のどこに住んでいるかも知らない娘四人に、…しかもお金を持っていないというのが分かっているのに、商品の販売と売り上げの管理を任せるなんて。さすがにお人よしのストローも理解に苦しむ。
すると、おじさんがきょとんとした表情をした。
「不思議な事を言うお嬢ちゃんだねぇ。代金を届けてくれると言ってくれたものだから、そんな事考えもしなかったよ。でもまぁ、お嬢ちゃんたちはそんな気は無かったんだろう? 」
「…そうですけど。」
確かに、ストローたちの中にお金を持ち逃げをするという選択肢は無かった。でも、そういう問題でもない。
ストローは腑に落ちないらしく、微妙な表情のまま腰に下げていた集金袋を外し、おじさんに渡した。
「はい、これがドーナツの売り上げです。全て売り切れました。」
「あの…港の人に言われて、ドーナツ一個、銅貨一枚で売ったのですが…良かったですか? 」
今さら違っていてもどうしようもない話なのだが。
袋を受け取ったおじさんは、中身も見ずにニコニコとしている。
「ああ。それでいいよ。いくらでも構わなかったんだよ。ありがとうね。あと、そのコンテナも貰おうか。」
ストローはおじさんに言われまま背負っていたコンテナをおろして、おじさんに渡した。
そのままおじさんはコンテナと集金袋を店の奥へと運び、すぐに違う袋を持って出てきた。
「それじゃぁ、これは今日のお礼だよ。代表でお嬢ちゃんでいいかい? 」
そういうと、ずっしりと重そうな小袋をメイシアの差し出された両手に乗せた。
「それで、夕食でも買えばいいよ。」
メイシアが、その言葉を言い終わるのを待たずして、小袋を開ける。銅貨と銀貨が詰まっていた。それをメイシアと一緒に覗き込んでいたストローが、驚きの声を上げた。
「おじさん、これは頂き過ぎです! そもそもオラたちは、ドーナツをいただいたお礼でお手伝いをしただけなんですよ。」
「でも、お金がないって言っていただろう? ちょうどよかったじゃないか。ははは。」
そういわれると、ぐうの音も出ない。
「ストロー、いただいておこうよ…って、働いていないウチが言うのもおかしな話だけど…でも、これで色々買いそろえられるよ。」
「そうだね…メリーにも何か買って帰ってあげないといけないし…」
ウッジとメイシアの言葉に、ストローもしぶしぶながら、受け取る決心をしたらしく、ありがとうございます、と深々とお辞儀をした。
「仕事はもう決まっているのかね? 決まっていないなら、うちに来るかい? 」
「実はもう仕事は決まっていて、明日から仕事なんです。丘にある…」
「丘?はて…」
「あぁ、町の上にある畑で働かせてもらうんです。」
「そうかい。それはロード様の為になる良い仕事だね。頑張りなさい。」
おじさんは最後の最後まで、ニコニコと穏やかだった。
それから、もう一度みんなでお礼を言って店を出た。
朝に通った時は、まだ開店準備で分からなかったけれど、この大通りには屋台も結構あって、歩いているとそのいい匂いに、お腹も減っているという事に気づかされてしまう。
「ウッジーー!お腹減ったよー!」
「ウチもお腹減ったぁー」
ストローが影を見て時間を確認した。
「本当だ。もうお昼だな。お金ももらったことだし、なんか食べようか。」
「やったーー!」
「何食べる? どこで食べる? 」
「チャーね、あれが食べたい!」
チャルカが指さしたのは、串で刺した肉を焼いている屋台だった。
確かにこの辺りに漂ういい匂いの正体はきっと、あの店だろう。
「うん。私もあれが食べたい。すっごくおいしそうな匂いなんだもん。」
「チャーが一番!」
チャルカが待ちきれずに、その店めがけて走り出した。
さっきまで登り坂に、ぶーぶー言っていたのに、ゲンキンなものだ。
「チャーちゃん、ずるい!私も!」
メイシアもチャルカの後を追って駆け出した。
「いらっしゃい! 美味しいよ、一本どうだい? 」
「お兄さん、チャー食べたい! 」
「私も、一つください! 」
「よし来た! このままかい? それとも挟むかい? 」
お兄さんが、焼いている串を返しながら聞いてくるのだけど、お肉の焼けるいい音と、匂いでそっちに集中してよくわからない。
後ろから、追いかけてきたウッジが声をかけた。
「挟むって何に挟むんですか? 」
「…おや、珍しい。さてはキミ達、新入りさんだね? これはスヴラキと言って、このまま食べてもいいし、お昼がまだなんだったら、ピタに挟んで食べるといいよ。」
「なんか、よくわからないけど、オラそれにしようかな。みんなもそれでいいよね?」
「ウチも、それでいい! 」
「よし来た! そいじゃ、スヴラキ4つだな。ひとり銅貨3枚だよ。」
というと屋台のお兄さんは、炭火のグリルの横にあるフライヤーに細長く切ったポテトを入れ、トマトを取り出し手際よく4枚切った。
あっという間にポテトも揚がって流れるように塩を振る。
今度は玉ねぎのスライスを出してきて、串から肉を大きなフォークで上手に滑られて外すと、それらを丸く平べったいパンに包んで中に白いソースをかけた。
その一連が流れるようで、あっという間に4つのスヴラキという食べ物が仕上がった。
「熱いから気を付けて食べるんだよ。」
お金を支払って受け取ると、四人はたまらずにその場で一口頬張った。
「おいしい!」
白いソースはヨーグルトのソースで、お肉とポテトは脂っぽいのに、そのソースとトマトの酸味でいくらでも食べられそうなくらいおいしかった。
一同はペロリと平らげてしまった。
この町で働いて手にしたお金で初めての買い物をし、腹ごしらえをした四人は、その後もメリーが食べれそうなナッツと果物を買って、一度家に戻ることにした。
家まで戻ってくると、玄関先で紅花が待ってくれていた。
「紅花さん、こんにちは。」
紅花は四人を見つけるなり、笑顔で手を振って出迎えてくれた。
「こんにちは。どこ行っていたの? お金も持っていないだろうから、心配していたんだよ。」
話を聞くと、ゲオルクを畑に残し、メイシアたちの買い物などに付き合う為に時間を作ってくれたらしい。
四人がお金を持っていない事ももちろんわかっていたので、心配していたようだった。
とりあえず、ストローが朝からの出来事を話すと、安心したようだ。
「角のドーナツ屋か…トニーニさんのお店ね。それは良かったわね。トニーニさんのドーナツ、おいしかったでしょ? 」
「おいしかったー! チャーまた食べたいな! 」
「うふふ。チャルカちゃん、今日も元気ね。今度は私と一緒に買いに行きましょうね。」
「行くー! ほんふぁと行く! 」
「これから、みんなはどうするの? 私はみんなに食材やら日用品の買い物がてら、町の案内でもしようかと思っていたんだけど…」
「ありがとう。私たちは、これから公え…」と、メイシアが公園に行く予定を話そうと思ったのをストローがそれを遮った。
「オラとメイシアはドーナツを売るのに疲れたから、家でちょっと休憩しようって言ってたんだ。…良かったら、ウッジとチャルカを連れて夕食の買い物に行って来てもらえると助かるんだけど。」
「お買い物?! チャー行きたい!」
「あら、二人とも疲れてしまったの? 大丈夫? 」
「えっ、あ、はい! 」
紅花が心底心配しているような表情をしたので、心がチクッと痛む。
「ちょっと休憩したら回復するよ。ありがとう。」
「そう? 無理しないでね。慣れない場所だからかしら…。わかったわ。じゃ、ウッジとチャルカちゃんとで買い物に行きましょうか。」
ウッジが、あからさまに「嫌だな、仕方ないな、」という顔をしているがメイシアとストローは気にしないと決め込んでいる。
なので、ウッジにお金を渡して、二人は玄関先で三人が出かけるのを見送った。
残った二人はとりあえず、メリーに買ってきた食事を届けてから、すぐに公園へ向かって出かけることにした。
メリーはチャルカの部屋で寝ていた。なんていい御身分なんだろうと呆れてしまう。
まだ起きそうもないので、目が覚めたら食べられるようにリビングに果物を置いて速やかに家を出発した。