42話 白い街 3/4
「いらっしゃい。」
出迎えてくれたのは紅花だった。
玄関扉が開くと、とても美味しそうな匂いが津波のように覆いかぶさって来て、急にお腹が減ってくる。
「わぁ。いい匂い!」
「食事の準備は出来ているのよ。さぁ、入って! 」
「準備はって…さっき帰って来たばかりでしょ? すごい手際の良さ! 」
「あはは、さすがに私もこんな短時間では食事の準備は無理よ。」
玄関から一歩中に入ると、メイシアたちの家とは違って、そこは納屋になっていて、壁には備え付けの棚が並び、とても丁寧に手入れされたと見える苗を育てるパレットやら鎌や籠といった農具がお行儀よく収納されていた。
「さ、この下なの。」
促されるまま奥に視線を移すと、下階へ降りる階段があった。
「わぁ。外から見ていたら、小さいお家だと思ったけど、下にも部屋があるのね。」
「そうなの。こっちから入ってくると、ちょっとびっくりでしょ。こっちは離れなのよ。こっちもちゃんとした住まいの造りにはなっているんだけどね。二階にゲオルクの部屋があるの。でも母屋はこの下。」
階段を下りると、漆喰の白壁が洞窟を掘ったような少しいびつなアーチ型の出入口になっていて、そこに、誂たであろうぴったりの形のドアがはめ込まれていた。
紅花がドアを開けると一気に、暖かい光と匂いが体を包んで、なんとも言えない懐かしい気持ちになった。
「さぁ、入って! どうしたの? 」
招き入れられてすぐ、メイシアの足が止まってしまったものだから、紅花が不思議そうに訪ねた。
「…うん。なんか、今、ただいまって言いそうになって。」
そういって息を詰まらせてしまった。これ以上口に出したら、どうしてだか涙が溢れそうになったからだ。
振り向くと、ストローもウッジも同じように、懐かしさに飲み込まれたような顔をしていた。
「また可笑しなことを言うわね。ただいまでいいのよ。おかえり。」
紅花は笑顔でそういった。
部屋はリビングダイニングになっていて、大きな一つの空間なのだが、奥のリビングの方が一段下がっているのと、洞窟の堀残しのような天井と壁面でデザイン的に空間をセパレートしていた。
「とりあえず、食べましょう。お腹減ったでしょう? 私たちもペコペコなのよ。」
紅花が大きなダイニングテーブルの椅子を引いた。二人暮らしにしては大きなテーブルで、四人掛けぐらいだろうか。椅子がベンチだから女性だったなら六人は座ることができるだろうか。実際は体格の大きなゲオルクなので、六人は無理なのだが。
「ありがとう。でも、お手伝いするよ! 」
「もう出来ているから、運ぶだけなのよ。座って座って。」
ウッジが、キョロキョロと周辺を見回した。
「そういえば、チャルカは? 」
「チャルカちゃんは、そっちのソファーに寝かしているのよ。そろそろ、起こしましょうか。」
紅花の指さす方向に、ウッジが急ぎ足で向かう。ダイニングとリビングの境界に置いてあるソファーだ。
リビング奥の掃き出し窓に向かって置いてあるため、ダイニング側からは背もたれが邪魔で姿は見えなかったが、リビング側に回ると、ソファーの上でチャルカが気持ちよさそうに眠っていた。
「チャルカ! 起きて。そろそろご飯だよ。」
ご飯という言葉が耳に入り、ゲンキンなチャルカがすんなり目を覚ます。
「あら。もう天使ちゃん、起こしちゃうの? 」
その時、キッチンカウンターの中から聞き覚えのない声がした。
視線を移すと、さっきまで気が付かなかったが、キッチンの中から女性が一人こちらを覗いていた。
「残念だわ。もっと寝顔見たかったのに。」
女性は料理中なのか、ペッパーミルを回してした。ミルを置くとウッドボールに入った野菜を手際よく混ぜ、上からブラックオリーブを輪切りにしたものを散らす。そしてどうやら仕上がったのかカウンターの上に乗せた。
「紹介してなかったわね。私の姉さんなの。」
紅花がそのウッドボールを手に取りながら紹介してくれる。
「初めまして。雪蘭です。よろしくね。」
紅花と同様に長い黒髪の、色がとても白く、線の細い美しい女性だった。
「はじめまして! お邪魔しています! 」
慌てて、メイシアとストローが挨拶をした。
「ゲオルクと二人暮らしかと思っていたから、びっくりしたよ。…そう言えばゲオルクは? 」
「ゲオルクは…もうそろそろかな? 」
と言うと、いいタイミングでリビングの一番奥にある窓の外から、ゲオルクの声がした。
「おーい。焼けたぞー! 」
「はーい! …ほらね。いいわ、お手伝いしてもらおうかしら。お皿を持って一緒にゲオルクの所に行きましょう。」
メイシアとストローは、大皿を一つずつ持たされ、リビングの奥まで歩く。
窓の外に出るとウッドデッキのテラスになっており、その一角でゲオルクが備え付けのグリルで魚や貝を焼いていた。
「おう、焼けたぞ、持って行ってくれ。」
「わぁ! すごい! これ、全部食べていいの? 」
ストローが今日一番のテンションで目を輝かせた。
「すっごいご馳走…」
「この辺りは、シーフードがよくとれるからね。普通の食事だよ。今日は食べる人がいっぱいいるから中のグリルじゃ足りなくて、オープングリルで焼いてもらっていたのよ。」
そういいながら紅花は手際よく、焼きあがった魚介類を皿の上に盛り付けた。
「さ、中で食べましょう。」
テーブルの上に並んだのは、葉物野菜とトマトとチーズたっぷりのサラダやら、レンズマメとトマトと魚介類のスープ、大小さまざまの魚や貝のグリル。どれをとっても、山育ちの一行にはなじみの薄い珍しい料理だった。
テーブルにはメイシア・ストロー・ウッジ・チャルカ・雪蘭の五人で掛けて、キッチンカウンターの椅子にゲオルクと紅花が座った。
「ごめんなさい、お言葉に甘えてしまって、こんな大勢で急に押しかけて…」
「メイシア、何を言っているの。困ったときはお互いさまよ。当たり前の事だから、本当に気にしないで、お腹いっぱいになるまで、たっくさん食べてね。」
「チャーね、あの輪っか食べてみたい! 」
チャルカが我慢できずに、狙いを定めたイカの輪切りに手を伸ばした。
「チャルカ! お行儀がわるいよ! 」
「チャルカちゃん、ちょっとまってね。どれくらい食べられるかなぁ? 」
雪蘭がそういいながら、イカを小皿に取ってくれた。
「すみません、ウチがしないといけないのに。」
「気にしないで。姉さんは世話を焼くのが好きなのよ。」
「そうよ。気にしないで。こんなにかわいい天使ちゃんのお世話なら大歓迎よ。」
雪蘭は、とても母性に溢れた女性だった。
料理を取り分けたり、飲み物をついでくれたり。それだけではなくて、なんというのか、お母さんと呼びたくなるような、そんな雰囲気があった。
チャルカもすっかり懐いてしまって、雪蘭の横でわがまま放題している。
「そういえば、紅花たちの畑のお手伝いをしてれるんですってね。そろそろ、チェリートマトの収穫時期だから良かったわね、紅花。」
「そうなのよ。ロード様にお願いした甲斐があったわ。」
紅花がそういった後、いけない! という顔をした。
「こら、紅花。そんな個人的な事をお願いするもんじゃありませんよ。」
「…はーい。ごめんなさい。」
紅花が、珍しくしゅんとヘコんだ顔をした。
何気ない会話だったのだが、メイシアはその会話がとても気になった。叱られるほどの"ロード様にお願い"というのは、どの程度の事なんだろうと思ったからだ。
村の教会でお祈りをしていたようなものなんだろうか。それとも、もっと特別な何かがあるのだろうか?
「ロード様にお願い…したんですか? 」
「…うん。姉さんはあまり個人的なことは駄目だっていうんだけどね。みんなしているよ。」
「いつも言っているでしょ。ロード様は世界中の幸せのために心を注いでいらっしゃるのよ。個人的なお願いをしていたら、お心の優しいロード様にどれだけの負担をかけてしまうか。」
「…ね。姉さんはちょっと厳しいの。」
「本当に…呆れた子ね。」
雪蘭が出来の悪い子ほどかわいい、といった優しいため息をした。
ふと、メイシアは自分の母親の事を思い出した。メイシアの母親もよく、こういうため息をしていた事がよみがえって来たからだ。
「紅花は、その…お願いをする時って、どうするんですか? 」
ストローが食べる手を止めて質問をした。
「ん? 不思議な事を聞くわね。ストローも寝る前とかにやっているでしょ? ベッドとかに、こうやって…」
と、カウンターに肘をつき、手を組んで目を閉じて見せた。
「あぁ…なるほど。」
「ほんと、みんな面白いわね。メイシアなんて、役所に行く前からみんなの名前も知っていたし。」
「その話はいい。明日からの話をしよう。」
今まで黙っていたゲオルクが、いきなり話に割って入ってきた。すると、紅花の表情が打って変わっていたずらっ子のような顔つきになった。
「明日は、朝早いわよ。収穫は太陽が昇るまでに済ませないといけないからね! 」
「え! それじゃ、早く食べて寝ないと、寝る時間が無くなる! 」
ウッジが顔を青くした。
「あはは、引っかかった! 」
紅花がいきなり楽しそうに笑い出したものだから、メイシアたちがきょとんとしてしまう。
「もう紅花、人をからかうのもいい加減にしなさいよ。」
「ごめん、ごめん。…大丈夫よ。ちゃんとわかっているわよ。今日はこちらに到着して疲れているものね。荷物もほどかないといけないし。明日の朝が早いのは私とゲオルク。みんなは、あさってからでいいわよ。」
「ふぅ…焦ったぁ…。ありがとうございます。」
「でも、紅花さんとゲオルクさんの朝が早いのは、同じことですよね。ごめんなさい、役所まで付き合ってもらったり、食事までご馳走になってしまって…」
「いいのいいの、私たちはもう慣れっこだから。ね、ゲオルク。」
「あぁ。」
「そういうば、雪蘭さんも一緒に畑をされているんですか? 」
ストローが何気に質問をした。
「あぁ…姉さんは…ちょっと違う仕事。毎日出勤しているんだよ。」
「そう。私はお勤め人なの。」
雪蘭がにっこりと笑った。




