40話 白い街 1/4
どこかから声がする。
夢の中から半分だけ意識を切り離す。
なんだっけ…夢?
なんだかいい匂い…懐かしい花の匂いだ…
あぁ、そうだ。
今日は花祭りだ。
早く起きて準備しないと、お母さんに叱られる…
たしか聖歌隊で歌うって言っていたな…
でも、まだちょっと眠いなぁ…
もう少しだけ寝てもいいよね…
「メイシア! 起きて! 」
微睡んでいるメイシアの肩を、誰かがゆすった。
「ん…お母さん、もうちょっと寝かせて…」
「オラは、メイシアのオッカァじゃないよ。寝ぼけていないで起きてってば。」
「メイシアー起きてー! 」
いきなりメイシアの耳元でチャルカが叫んだものだから、微睡みの世界から一気に現実世界に引きずり出された。
「わっ! 」
「こらっ、そんな大声を耳元で出したらダメでしょ! 」
メイシアが目を覚ますと、そこはまばゆい透明な日差しが差し込む公園だった。
噴水が豊かな水をたたえ、つるバラのアーチやらアイビーを這わせた彫像などセンス良く配置された、手入れの行き届いた公園だ。
水の勢いはとても控えめで、水が噴出されているのは真ん中の一か所のみで、水量も多くない。しかし噴水の周りが美しいモザイクタイルで飾られ、周囲は年輪模様が美しい白木のブロックが引き詰めてあり、とても座り心地のいい場所だった。
メイシアはそこで、メリーに寄りかかって眠ってしまっていたようだ。
「きちんとメイシアに謝りなさい! 」
ウッジが、チャルカを叱りつけた。
「…メイシア、大きな声を出してごめんなさい…」
一気にしゅんとしたチャルカがメイシアの顔を覗き込んで謝った。
「あぁ…うん。大丈夫だよ。夢を見ていたから、ちょっとびっくりしただけ。ところでここは…? 」
その問いに、ストローが肩をすくめた。ウッジも首を振った。
「オラたちも今目覚めたんだ。虹の国だとは思うんだけど…」
メイシアが体を起こすと、それを待っていたかのようにメリーが立ち上がり、くるりと宙返りをしたかと思うと体を小さくさせた。それから噴水の淵に飛び上がり、水を一口。
つられて、チャルカも噴水を覗き込んだ。
「わぁ、きれいな水ー。メリーちゃん、おいしい? 」
『……。』
「どうしたの? 」
『きゃりっ』
メイシアは、立ち上がり周りを見渡してみた。
噴水周囲は白木のブロックが敷き詰められているのだが、そのうちの一か所、ちょうどメイシア達がいる場所から噴水を挟んで向こう側に黄色いレンガの道が伸びているのが見えた。
「ねぇ、あっちに黄色いレンガの道があるよ。」
ストローとウッジも立ち上がり、メイシアが指さす方を眺めた。
「本当だ。黄色いレンガの道だね。黄色いレンガの道ってことは、あれを辿ったらいいんだよね…? 」
「オラたちはいったいどこに送られたんだろう…虹の国の入り口って感じなんだろうか? 」
「とりあえず、行ってみましょう。辿って行ったら何かわかるかもしれないし。」
見渡す限り目に飛び込んでくる庭は、どこに目を向けても、どれ程の凄腕の庭師が手入れしているのかとため息が漏れるほど、細部にまで手入れが行き届いており、どの木も花が満開に咲き乱れていて素晴らしい景色だった。
こんな景色を見ているとメイシアは、カップ村の花祭りの頃を思い出されて、あの頃に帰ってきたような不思議な感覚と、残酷な現実を自分に言い聞かせる気持ちで切なくなってしまうのだった。
「ふふぁー。ほんと、花のいい匂い。」
「ストロー、鼻の穴が広がっているよ…」
「ウッジも深呼吸しなよ。だって、こんなにいい匂いなんだよ! 今深呼吸しないでいつするのさ。」
「チャーも、シンコキューするー! 」
「あー、もぅ、チャルカそんな顔しちゃいけません! 」
「どうしたの? メイシア、なんだか浮かない顔して。」
「うん…私の村の事を思い出して。」
言葉もなく暗い顔で歩いているメイシアを心配してストロー気遣って声をかけた。。
「メイシアの村もこんなに花が咲いている場所だったの? 」
「そうだよ。ストローが見たあの村からは想像できないかもしれないけど、春はお花がいっぱい咲いて、お祭りをしたんだよ。このワンピースも、そのお祭りの衣装なんだ…」
「メイシアのワンピースかわいい! お花いっぱい! 」
チャルカがスカートのすそを引っ張った。
「ありがとう。お母さんが刺繍してくれたんだよ。」
「メイシアのオッカァは、手が枯れた方だったんだねぇ。」
「うん。村一番のお裁縫上手なんだ。」
「オラのオッカァも上手だよ。このコルトもオッカァが作ったんだ。…あ、ごめん、ウッジ…、チャルカも…」
ウッジとチャルカは孤児院で生活をしているんだということを思い出して、ストローが慌てた。
「え? ウチらの事は気にしないで。もう慣れているよ。それに、ウチらには大勢の家族がいるようなものだしね。」
黄色いレンガの道をいくらか辿った頃、公園の終わりなのか見晴らしのいい場所まで出てきた。急に目の前が開けた感覚だった。
目に飛び込んできたのは、眼下に広がる景色。
その景色が、今メイシアたちがいる場所が小高い丘の上に作られている公園だと説明していた。
そして、その場所からの景色が、今まで見たことのないパノラマで全員、驚きを隠せなかった。
まず何が驚いたかというと、水平線が見えたのだ。
そして、見晴らしのいい場所に出て初めて気が付いたが、見上げるといつもそこにあるはずだと思っていたの物が無い。
空をどれだけ凝視して探そうが、見当たらない。
そう、どんな日にも見上げると空に浮かんでいた虹が無いのだ。
見えるのは遠くに横たわる水平線…いや、まだ確かめていないのだから水平線と呼ぶのは間違いなのかもしれないけれど、あの地面とは違う質感で、キラキラ揺らぎ続ける水面のようなあの場所を海と呼ぶなら、の話だけれど。
しばしの間、面々はあっけにとられて、その景色に見入ってしまった。
その沈黙を破ったのはストローだった。
「ねぇ、あそこ。町があるよ。」
ストローが指さした眼下に、白壁で統一された美しい町が見えた。
急な斜面に建物がひしめき合っている。
黄色いレンガの道はジグザグに折れ曲がりながら丘を下り、町まで続いているようだった。
町には礼拝堂なのか、ドーム状の青い屋根も見える。中腹には背の高い風車が回っており、人の気配がした。
「わぁ。綺麗な町だなぁ。」
ウッジが惚れ惚れした声を出した。それぞれが、まったくだと思った。思わず見惚れてしまうほどの街並み。
「とりあえずあそこに行けば、ここが虹の国かどうかわかるかも。行ってみよう。」
ストローの言葉に一同は、その街へと足早に歩き出した。
「ここはやっぱり、虹の国じゃないのかな? 」
ウッジが、誰もがうすうす感じ始めていた不安を漏らした。今、目の前に広がっている景色に状況の整理が追いつかないので無理もない事だ。
海なのか湖なのか分からないけれど、この町を抜けて斜面を下りきったところに見えている水面。
目を凝らすと、帆を立てた船が浮かんでいるのも見受けられる。
「うーん…。ソーラとサンが、嘘つくわけないしなぁ…。でも、オラたちが知っている虹の国ってのは、空に浮かんでいたよね、、」
「だよねぇ…」
「だけどオラの育った北の国でも、メイシアの育ったカップ村でも、それにウッジやチャルカの町だって、チャリオット領だってペンタクルだって、どこにいても空には虹が浮かんでいたのに、ここの空には虹がない…。それがオラたちがいた世界とは違うって事なのか…まだわからないね。とにかく、町まで言って誰かに聞こう。きっと何かわかるはずだよ。」
ストローの言葉に、メイシアとウッジが頷いた。
周囲の様子は、いつの間にか変わっていた。
ジグザグのつづれ織りの道と道の間には、背の低い木が点々と植えられてあり、つづれ織りの両端にあたるカーブから向こう側は、段々畑に耕されていた。畑の畝には、こんもりと草のようなものが植えられてある。
チャルカがカーブに差し掛かるたびに、その草のような農作物に興味を示し触ろうとして、ウッジから叱られていた。
「もぅ、チャルカ! 何回触っちゃだめって言ったら分かるの! 」
「だってぇー、かわいいんだもん。」
どうやら植わっている植物の、蔦のようにくるくると丸まっている部分が気になるようだった。
「ちょっとメリー。大きくなって、チャルカを乗せてよ。そうしたら触れなくなるからさぁ。」
『ちゅぴっ』
そういうと、メリーは急いでストローのチュニックの中に隠れてしまった。
「ちょっと! 」
「…嫌だって」
『きゃりっ』
服の中から、悪びれないメリーの声がする。
「確かに、ここが虹の国かはっきりしないうちは用心した方がいいな。メリーは目立つからね。大きいまま町に入るのはリスクが高いし、オラのコルトの中に隠れていた方がいいかも。」
「そんなぁ…! 絶対そいつ、そんな深いことを考えて隠れたわけじゃないよ! 」
「まぁまぁ…」
そんな会話をしつつ、次のカーブに差し掛かった時、一向に声をかけるものがいた。
「あら? この辺りでは見かけない方たちね。」
声の方に目をやると、一人の農婦だった。
作物の手入れをしていたのか、しゃがんだまま、こちらを見ている。
麦わら帽子に布をかぶせ頬かむりをしているので顔はよくわからないが、生成り色のチュニックの下に、渋柿色のゆとりのあるズボンをはいていた。一見性別を悩むところだが、声がいかにも女性らしい、かわいい声だった。
「こ、こんにちは。」
声をかけられて驚いたメイシアがとっさに挨拶をした。すると女性は立ち上がって、体ごと向き直した。
「こんにちは。あなたたちは、…どこから来たの? 」
そういいながら、女性は膝やお尻についた土をぱんぱんと払った。
「えっと…ペンタクルから…かな? 私たち、さっきこちらへ着いたばかりで…」
メイシアはどう話を始めたらいいのか、糸口がつかめないまま目を泳がせた。
そんなあたふたしているメイシアに見かねて、ウッジがストローを肘で突いた。
「…ちょっと、ストローなんか言ってよ。」
「こんな時ばっかりオラなんだから…」
女性が土を払い終えると帽子を取った。まっすぐな長い黒髪を一つに束ねた美しい女性だった。
「まぁ。新入りさんね。気が付かなくてごめんなさい。きっと町のみんなも気が付かなかったのね。勝手がわからなくて上まで行ってしまったんでしょ? 」
一気にそこまで言い終えると、畝と畝の間を通って、一行が立っている黄色いレンガの道まで近寄ってきた。
「いや、オラたちは、ペンタクルから太陽の神にお願いをしてこちらへ…」
「…ペンタクル? どこそれ? 面白い人ね。それに神さまだなんて。」
といって、女性は朗らかに笑った。
「おーーい! どうしたんだーーー? 」
その時、女性の後ろの方から男性の声が聞こえた。
「ゲオルク! 移住者よ! 今朝、誰も気が付かなかったみたい! 」
「いや、私たちは移住者じゃなくて…」
「いいのいいの。最初はみんなそうなんだから。私に任せて。…自己紹介がまだだったわね。私は紅花よ。よろしくね。」
「あ、はい。ホンファさん…こちちらこそよろしくお願いします。私はメイシアといいます。あと、ストローとウッジとチャルカと…」
「ホンファさん! 珍しいお名前ですね! オラはストローといいます。こちらこそ、よろしくお願いします!」
メイシアがメリーも紹介しそうになったところに、ストローがわざとらしい位に無理やり割り込んで、なんとか持ち堪えた。
「! …あなた達、すごいのね。」
一瞬ホンファという女性が驚きの表情をした。
もしかして、何かを隠していることがばれてしまったのかと思い、一行の動悸が早くなる。
しかしストローたちの心配をよそに話は、何事もなかったように話は流された。
「今、声をかけてきたのがゲオルクよ。私の彼氏なの。もうそろそろ仕事が終わるから、ちょっと待ってて。一緒に町まで降りていきましょう。」
紅花に言われるまま、半時ほど農作業が終わるのを待って、紅花と紅花の彼氏だというゲオルクと一緒に町まで降りてきた。
歩きながら、紅花という名前が「赤い花」を意味するという事と、どのように表記するのかを教わった。
ストローが、土に指で書かれた「紅花」という初めて見る漢字という文字に興味津々だった。
そのほかにも取り留めなく、紅花は色んな話を次から次にしてくれた。
今から向かう町は、たくさんの人が住んでいるという事や、この土地では色んな作物が収穫できるという事(紅花とゲオルクは主にレンズマメを作っているらしい)、漁業も盛んだという事などを教えてもらった。
紅花はよくしゃべる明るい性格で、初対面でも話しやすい、感じのいい女性だった。
ゲオルクは逆に無口なタイプのようで、ほとんどしゃべらない。体格は大きくがっしりといていて、ちょっと強面だったが紅花の話に時折ニコニコと笑い返して、優しい雰囲気がにじみ出ており、穏やかな性格という印象だった。
因みに、ゲオルクには漢字という表記は無いという話も聞いた。
「ちょっとここで待っててね。私たちの家なの。道具おいてくるから。」
つづれ織りのレンガの道はそのまま町の中へと進み、もっと下の方まで伸びているようだったが、紅花に案内されたのは、そこから枝分かれして、階段を上がり石畳の路地から裏に抜けたところにある、住宅が密集している中の一軒だった。
町の建築物は、全て白い漆喰の壁で統一され、バルコニーから赤い花や、みずみずしい蔦が垂れていてとても美しい街並みだ。
黄色い道は大通りと言った風で、商店らしい看板や買い物をしている客などが見受けられた。紅花とゲオルクは全てのすれ違う人と気の置けない感じであいさつをしていた。
紅花をはじめ、出会う人がみんな幸せそうな雰囲気に包まれていた。
待っていて、と言われたからには、これから何かがあるのだろうと思い、ストローが聞いてみる。
「紅花さん、これからどこかへ行くんですか? 」
その時、紅花の肩にゲオルクが手を置いた。
「あぁ、そうね。先に入っていて。私もすぐに行くから。」
ゲオルクは紅花がそういうと、家の中に入って行った。
「あぁ、ごめんなさい。…そうなの。あなたたち、まだ役所に行っていないでしょ? 案内するわね。」
「役所? それはまだ行っていないですが…私たちは太陽の神に…」
「あはは。メイシアまでそれ? 大丈夫、大丈夫。私に任せて! ちょっとまっててね。すぐだから。」
そういうと紅花も家の中に入って行った。