37話 伝えられしもの 6/8
結界の外では、死神との戦いが続行中だ。
トーラから出現した弓矢を手にメイシアも加勢しているが、死神を追い払うまでいかない。
矢を放ったとしても同じ結果なのだろうが、トーラから出てきた矢は二本。貴重な一本を無駄にできず、メイシアはただメリーを見守る事しか出来ていなかった。
だが、それでも良いのだ。
日食が終わるまでの間、どうにか持ち堪えることさえできれば。
「どうしよう、弓なんて使ったことないよ…」
と愚痴をこぼすものの、メイシアも「これで戦ってくる」と言った手前、とりあえず、背負った箙から矢を一本手に持ち構えてみた。
なかなかどうして、的が定まらない。止まっている的でも難しいというのに、メリーと死神は空中で激しくやりあっている。素人にはハードルの高い武器にメイシアは困り果てていた。
メリーはというと、果敢に祭壇に死神を近づけまいと互角に空中戦を繰り広げていた。
しかし死神の持っている大鎌は巧みで、大きな体が仇となってなかなか近づくことができないのだ。
その上、もし大鎌をどうにか遣りくるめたところで、さっきのウッジの網の攻撃の時のように、大鎌を消すことも出現させることも自由自在のようで、それがまた厄介だった。
「メリーちゃん!」
その時、メリーの前脚が死神の左腕を捕えた。
そして捕まえたまま、メリーは上へ上昇しようとする。
このまま死神だけを上昇させて馬と離し、地面に叩きつけるつもりだろうか。
死神も、黙ってメリーの好きなようにはさせるわけはない。
右腕に大鎌を持ち替え、メリーの足を切断するように振りかぶる。
とっさにメイシアが、無我夢中で弓を力いっぱい引き、死神めがけて矢を放った。
指を矢から離した瞬間、耳元に風を切る音がヒュンとする。
「届け!! 」
ビギナーズラック! 幸運にも矢は死神の左目に突き刺さった。
「やった! 」
しかし死神の頭部は髑髏。コツン! と乾いた音がしたかと思うと、まるで棒をグラスの中に放り投げたようにカラカラと音を立てながら棒が回り、棒は立った状態で目の闇に三分の一ほどが吸い込まれて止まった。
死神は大鎌を振る手を止め、メリーも死神を掴んでいた手を離し退避した。
ゆっくりと死神は、目に刺さった矢を抜くと下に落とした。
メイシアは底知れない恐怖に襲われていた。
戦っている相手が、この世のものではない未知の化け物であると今身をもって知っていしまったからだ。
死神が視線を上げ日食を見た。
月の中心と太陽の中心が最も近づく時…食甚まで後十数秒。そしてゆっくりと視線を降下させ視線はメイシアを捕まえた。
いや、正しくはメイシアの後ろの祭壇を捕えていた。
食甚を迎え、太陽の力は最弱。とうとうアレハンドラと巫女たちの張った結界もないに等しい弱々しさになってしまった。
死神はメイシアを通り越して後方の祭壇を見ているだが、メイシアにはそんな事を察知する余裕はない。
今いまだかつて出会ったことのない恐ろしい化け物の目に、自分が映っているのだ。底知れない恐怖でメイシアは息をすることもできないほど凍り付いてしまっていた。
表情の全く読み取れない死神が、大鎌を振り上げ一秒ほどの静寂。
メイシアが耐え切れない恐怖に気を失いかけた瞬間、まだまだ恐怖はこれからだとあざ笑うように、死神が大鎌を耳を劈くほどの風切音を絡ませて投げてきた。
メリーは死神が大鎌を投げるのを察知し、阻止するべく襲い掛かる。しかし、死神の腕のしなりの方が刹那早く、大鎌は高速の回転をしながらメイシアと祭壇めがけて飛び出してしまった。
「メイシア危ない! 」
さっきまで様子がおかしかったストローが、いつ戻っていたのか、メイシアに駆け寄り、飛びかかった。
ーーーー「間に合わない! 」
このままいけば、メイシアとストローの二人の首が大鎌の餌食になり、そして、それでもなお回転が衰えなかった大鎌は太陽の神とチャルカやウッジの血まで吸ってしまうだろう。
メリーは決死の体当たりで死神を馬から突き飛ばしていた。しかし時すでに遅し。落ちてゆく死神の眼球のない目には、この光景がどこのように映っているのだろう。
その時、メイシアの胸で達成の鍵が一年分の夜明けを集めたような暖かい光を放った。
その光は一瞬にして達成の鍵を中心に半円一キロほどに広がりった。その光は祭壇と死神の間の強大な光のシールドとなって、大鎌を跳ね返した。
大きく弾けた大鎌はピラミッドの下に落ちて行った。
メイシアとストローは恐る恐る、もう首が飛んだと思い瞑っていた目をゆっくりと開けてみる。
すると、目の前に大きな虹色のシールドが飛び込んできた…が、それがあまりにも巨大で、二人には何であるのか、状況が分からない。
状況を掴むことができないうちに虹のシールドはキラキラと光りながら消えた。
助かったことだけは、わかる。
「メイシア、大丈夫か?」
「…うん、生きてる…よね?」
『きゅいぃぃぃぃいいいぃぃぃ!!ぴゅろろろろろ!!』
メリーの声があたりに響き渡る。見ると、落ちた死神を馬が空中でキャッチし、体勢を立て直しているところをメリーが襲い掛かろうとしているところだった。
ストローが太陽を見上げた。
もうすぐだった。もうすぐ皆既継続時間を抜ける。もうすぐ生光を迎える。
「メイシア、今だ! 死神は鎌を持っていない! 馬を狙って弓を放って! 」
メイシアは立ち上がり、力いっぱい弓を引いた。
これを外したら最後だ。また大鎌にやられてしまう。
周りの音が聞こえなくなるほど、精神を研ぎ澄ます。
旅人の足元はいつも一緒だ。いつだって踏み外せば谷底。だからと言って旅を終わらせることは出来ない。
なぜなら、旅人には行かなければならない場所があるから。会わなければいけない人がいるから。成し遂げないければいけない願いがあるから。
「金色の夜明けに生まれし鍵の番人の名において制裁はくだされん! 」
メイシアが弓を放った。
弓は鋭く風を切り、放たれた。
そして馬ではなく甲冑を破り、死神の左胸に刺さった。
その瞬間、太陽がダイヤモンドリングに輝いた。新しい本当の意味での夜明けがやって来たのだ。
祭壇の上では、サンとソーラが持つ杖が一番高い位置まで掲げられ逆のVの字になっていた。
その太陽の象徴たる飾りの部分に、太陽の光が集まる。月の影から刻一刻と生まれてくる新たな太陽の光によって、輝きがみるみる増し、飾りに反射した光が東の砦一帯に煌々と降り注いだ。
民衆はそれを、夢のような面持で見上げ、今までにない希望をそこに見出した。
歓声が巻き起こり、心からの信仰と思慕、感動。至上の幸福が東の砦一帯を包んだ。
それを見た死神は突き刺さった矢を砂埃でも払うがごとく、いとも簡単に抜き払うと、空中で馬をジャンプさせ霧のように消えていった。
あまりにあっけない幕引きだった。
太陽との契約を無事に済ませることのできたサンとソーラは、逃げずにピラミッドの下で自分たちを信じ、見守ってくれていた民衆に手を上げて感謝の気持ちを伝えた。
ストローがホッとしたのか、地べたに座り込んだ。
「メイシア、よくやったね。」
「緊張したよ…あれ? 弓がない。どこ行った? 今持っていたよね? 」
「その辺に、あるでしょ…イタっ! 」
四つん這いになってメイシアの後ろを確認しようとしたストローが、左腕を抱えた。
「大丈夫? って、腕どうしたの? 折れてるじゃない! いつから? 」
「んー…あの時かな、参道でソーラをかばった時…? 」
「え!そんなに前から? 」
「夢中で、気が付かなかったけど…これ、折れているよね? 」
苦痛に歪む顔を無理やり笑顔にした。
「もー、無理しないで! …やだよぉぉぉ! 心配だよぉぉぉおおお!! ストローのばぁかぁぁぁあああ!! 」
戦いの緊張が溶けて気が緩んだのか、メイシアが急に泣き出してしまった。
「ちょっと、メイシア…心配だよって、もう心配事は去って行ったんだけど…ちょっと、泣かないでよ、」
今まで見たことのないメイシアの堂々たる泣きっぷりに、ストローがオロオロ。
「メイシア、泣かないでーーーー。よしよし。」
メイシアの泣き声を聞きつけたチャルカが、メイシアの頭を撫でた。
チャルカを見て、ストローがもう一つ問題が同時進行していたんだと思い出してハッとする。
「チャルカは大丈夫だったのか? ソーラは? 」
ストローの横にウッジが腰を下ろした。
「大丈夫。何とか、日食が終わるまでに交代出来た。契約はソーラが結んだよ。」
「そっか…そっか!!!……はぁ。よかった、、」
そういうと、ストローも緊張の糸が切れたのか腕の痛みが回ったのか、気を失ってしまった。
「ストロー! 大丈夫?! 」
それを見たメイシアがより一層「死んじゃ、やだーーー!!」と号泣した。
気が付くと、ストローはベッドに寝かされていた。
『きゃりっ』
覗き込んだのは愛玩動物サイズのメリーだ。しかもベッドの枕元で一緒寝ていたようだった。
「あれ? メリー、なんで小さいの? …ッイタ! ……? 」
慌てて腕をついて飛び起きたものだから、骨折しているのだった!と思って、条件反射でイタっと言ったのだが痛くない。
「あれ? まだ痛いの? 」
声をかけてきたのは、ベッドの傍にいたメイシアだった。ベッドの横にある椅子に座って本を読んでいた。
ストローはもう一度、左腕を触ってみた。痛くない。それどころか、破けてしまった袖もあのアクシデントが無かったかのように直っている。そして、洗濯をしたようにきれいな状態。
そういえば、メリーだって小さい。…という事は?
「おはよう。やっと目が覚めたね。」
「あぁ、おはよう。いつの間に寝てしまったんだろう。みんなは? 」
「ウッジは、アレハンドラさんに気に入られてしまってね、仕事のお手伝いをしているよ。チャルカはサンとラロと遊んでる。」
穏やかな時間が流れていた。
「そっか。メイシア、それ何を読んでいるの? 」
「あぁ、ごめん。勝手に読ませてもらってたんだけど…ストローがアレハンドラさんにもらっていた本だよ。」
「ん? 本? そんなのもらったっけ? って、それって夢の中の話だよね…? 」
「……? まだ寝ぼけているの? 」
「……ん? 」
その時、部屋にソーラが入ってきた。
チャルカがここに着いた初日に着せられていたような金と銀糸の美しいウィルピルを着ていた。
「そろそろ目覚める頃だと思っておったが、やはり、目覚めておったか。」
「ソーラ、髪の色…」
「なんだ、まだ寝ぼけておるのか?そなたたちのおかげで、東の砦…延いてはこの世界が救われたのだ。」
「?」
「折れていた腕はどうじゃ?もう、すっかり良いであろう。袖も直しておいたぞ。」
「……。」
ストローが鳩が豆鉄砲を食ったよう顔をしているのでメイシアが目の前で手をひょいひょいと振った。
「ちょっと、ストロー聞こえてる? 」
「夢じゃなかったのか…? じゃあ、もう死神は? 死神はどうなったんですか? 」
「滅することは叶わなかったが、あれから姿を見たものはおらぬ。」
「…オラどれくらい寝ていたんだ? 」
「えーっと、祭りの日から2日経ったよ。」
「ちょっと待って! そんなに?! 起こしてくれればよかったのに! 」
「起きてすぐだというのに、元気がいいな。骨を再生するのは、肉を治すよりも、ちと時間がかかるのじゃ。まぁ、自然治癒なら三月はかかったのだから、良しとしておくれ。でもまぁ、まだ数日は安静にしていた方がいい。急ぐ度だろうが、大事を取ってあと数日こちらに滞在すると良い。」
ストローが、折れたはずの左腕をさすってみた。
「ストロー、もう痛くないの? 曲げたり伸ばしたりしてみて。」
メイシアに促されるまま、ストローが腕を動かしてみる。
「……。うん、痛くない。治ってる。」
「そうじゃろう。」
「ソーラ、ありがとう。」
「まぁ、元々は妾が発端じゃ…。すまなかったな。そなたは、一番大切な働きをしてくれたと思っておる。」
「オラは必死だっただけで…メリーがいなかったらどうなっていたか。チャルカも頑張ったし、ウッジも。メイシアだって弓を…ってそういえば、メイシア、弓どうしたの? 」
ストローの頭はやっと正常に動き出したようだった。
「そうなの! あれから、探したんだけどどこにもなくて。」
「そなたたちは、トーラの事を知らんのか? 」
ソーラが、目を丸くした。
「トーラ? あぁ、これの事ですか? 」
「そうじゃ。」
トーラとは、あの騒ぎの最中にアレハンドラがある人からストロー宛に預かったと言って渡してきた聖書だ。ストローがトーラを持ってペラペラとめくってみた。
何も珍しいページもなく、ごく普通の聖書だった。
「そのトーラは、不思議な力を秘めた聖書じゃ。そなたも、もう経験したじゃろう。」
「…そういえば、トーラから弓と矢が出てきたんだよね。…でも今は何も起こらないよ。」
と何度もペラペラとめくってみる。
「それは奇跡じゃからな。そう簡単には奇跡は起こらん。」
「…そういうもんなんですか、」
「うむ。」
「トーラから出てきた道具は、危機を解決する力を貸してくれる。だが、危機が去ると消えてしまう。奇跡じゃからな。」
「へぇ…」
メイシアもストローもすごいなぁと思いながらも、「奇跡」という言葉を都合よく使っているなぁと心の片隅で思ってしまう。
「そういうものは、そーゆーものなのじゃ。あんまり肯定的な出来事に対して否定的な感情を持っておると、奇跡は起こらなくなるぞ。」
見透かしたソーラが一喝した。
「話は戻しますが、死神を退治することは出来なかったんですね…」
バツの悪いストローが話を切り返した。
メイシアとストローにとって初めての激闘と言ってもいい戦いで、文字通り死ぬ思いをしたのに、ここまでしても仕留めることができなかったショックは大きい。
「そんなに落ち込むでない。本当にそなた達には感謝しておるのだ。妾が身分に戻れたことで、各地の干ばつや天候不順も解消され、東の砦でも砂漠化が止まりオアシスが増えるじゃろう。」
そこまで言うと、少し沈黙があった。
ストローが何気にベッドに置かれたソーラの小さい手を握った。
「……。きっと死神を東の砦に呼び寄せてしまったのは、妾じゃ。そして時期が悪かった。ちょうど祭りと重なったからな。死神に付け入る隙を与えてしまった。しかし、もう妾に心の隙は無い。それもそなた達と…ウッジという巫女のおかげじゃな。」
そういったソーラの笑顔はとても朗らかで、ソーラの素顔だと感じられる笑顔だった。