05.夜路戒理と夜路陽蘭紗(後編)
私の目の前には何もありません。
人も、物も、死者蘇生ボタンも。
目が覚めたような感覚。同時に、全身に活力がみなぎるのが分かります。
おかしいですね、私はついさっき船から落ちて、そのままもがいて……?
突然の事態に頭が混乱しそうになりますが、思い出せる事があります。そう、私は以前に一度この体験をしており……。
「やぁこんにちは、久しぶりだね、陽蘭紗」
聞こえてきた声の方を向きました。おそらくは、今回私を蘇らせたのはこの人物でしょう。
そう、私は覚えています。この感覚は、死者蘇生ボタンで生き返った時の物です。であれば、『ついさっき』息を引き取った記憶から、突然投げ出された今の状態にも説明がつきます。
「えーっと、流石に無言のままは辛いかな? 陽蘭紗、僕の事は覚えてるかい?」
随分と親しげな口調で話すその男性には、確かに見覚えがありました。
ボサボサの黒髪・野暮ったいメガネ・小柄で痩せた不健康そうな体格・年の頃は大体20~30代くらいでしょうか? 見ている人を何となく不安にさせる雰囲気を纏い……しかし、私には関係ありません。
そんな彼からは、私を愛するという好意的な感情が強烈に伝わってきます。いえ、死者蘇生ボタンで私を生き返らせた以上、この男性が私を愛しているのは間違いないのでしょうが。
それは、かつて二人いた夫に向けられた想いに似ていて……いや、似ているどころか『同じ』です。
同じなのも当然です。何故なら、目の前にいる男性は――
「あ、気づいてくれたみたいだね! まぁ、時間がかかったのはしょうがないかな? 何せ、僕が根鳥に君を取られてから、数十年も経ってるもんなぁ」
――夜道戒理さん、私の最初の夫なのですから。
◇ ◇ ◇
「事情の説明を求めます。
何故私が再び生き返らせられたのか、『現代』は一体どうなっているのか、そして戒理さんはこれから何をするつもりなのか。蘇らせた者の責任として、あなたは私にそれをを説明すべきだと思います」
私の問いかけに対して、戒理さんは若いままの顔をそれはもう嬉しそうに歪めながら、身振り手振りを交えつつ話しだしました。
「そうだね、まず陽蘭紗を生き返らせたのは……そりゃあ当然、僕が陽蘭紗にまた一目会いたかったからさ! 愛する者と再会して……二人きりの、二人だけの、二人しかいない生活を謳歌するんだ!」
つまり、『純粋に私に会いたかった』という事なのでしょう。理由自体は嬉しい物です。『好意を寄せられる』とは、私にとっての至上命題でもあるからです。
ただ、後半の台詞が微妙に狂気を孕んでいた事が気になりますが……。
「えーっと、次に『現代』だっけ? うん、今は陽蘭紗が二度目の死を迎えてから、24年と313日だね。悲しい話だよね、折角全盛期の姿で蘇ったのに、君はまたしてもそれほど長生きはできなかった」
まぁ、それは仕方のない事でしょう。
「根鳥は根鳥で、君との間に設けた息子を守るために、その後必死で生き抜いたらしいね。その人生の結末は、息子を暴徒から庇って死亡したみたい。息子は残念ながら、その時の傷が元で病気に罹って三次大戦が始まる直前に死んじゃった」
ああ、それは夫には感謝しなくては。私が死んでも自棄にならず、ちゃんと息子を育てて守ってくれたのですから。
そして、悲しくはありますが病死では仕方がありません。ある意味、天命を全うする事ができた、とも言えるのですから。
「しかし、私自身は実に間抜けで無様な死に様でした。誰かを助けてというわけでもなく、船から転落して、単に溺れてしまったという」
「いやいや、そんな事はないよ。陽蘭紗に無様な部分なんてないよ! それで、えーっと……今は第三次世界大戦が起きた後で、地球全土が荒廃してる。ABC兵器を始めとした、あらゆる非人道的な武器が使われてね。
それでも、シェルターに逃げ延びた人達は極少数いた。だけど、『ここ』以外で連絡を取り合ってたシェルターが、ついさっき全滅したのを確認したよ」
……は?
突然の奇っ怪な発言に、流石に頭がついていきません。いや、数十年も経てば戦争だってあるでしょう。特に、『国家再生党』が目立ち始めてからは、諸外国との緊張感も高まってましたし。
「しかし、第三次世界大戦? 人類がほぼ全滅? ご冗談でしょう?」
「そして、僕がこれから何をするのかっていう質問だったね。決まってるさ。さっきも言った通り、陽蘭紗と二人っきりの生活を、このシェルターで謳歌するんだ。
そのために色々仕込みもしたよ? 『再臨教』の教祖になったし、そこから派生した『国家再生党』の黒幕として国をブチ壊したし、そして人類も滅ぼした。全ては、僕達以外の人間を亡くして、その上で君と新時代のアダムとイブになるために!」
戒理さんは笑いながら言いました。私の夫だった時と同じ雰囲気の表情で、一片の曇りもなく純粋な喜びに満ち満ちた顔で。
◇ ◇ ◇
とりあえず、場所を変えて話す事にしました。彼の発言はあまりに荒唐無稽であり、しかし妙な説得力を持っているように感じたのも事実です。そんな戒理さんが『証拠』を見せてくれるというので、目的の場所まで歩く事にしました。
SF映画の中に出てきそうな、機械的な通路を歩きつつも、戒理さんの喋りは続いています。どうやら、私と再会できたのがよっぽど嬉しかったようで。
「根鳥に君を奪われた当初は、二人共を殺してその後陽蘭紗だけを蘇らせる計画を立てたりもしたんだ。
ちゃんと殺せれば、犯罪自体は露呈しても構わない。君は『最愛』に生きる人だからね。もう根鳥が存在せず、その上で僕が死者蘇生ボタンで君を蘇らせれば、必然的に世界で一番君を愛しているのは僕になる。君は、僕に対して愛情を向けざるを得ない。思いついた当初は、中々のアイディアに思えたよ」
……戒理さんの言葉は、当たらずとも遠からずと言った感じです。その計画が実行されていた場合、私の心証が彼の目論見通りに運んだ可能性は、決して低くはなかったでしょう。
それほどまでに、私にとって『私に想いを寄せた数ある人達の中から、最も強い気持ちを選ぶ』というのは、大切な事なのです。
「しかし、実際にはその計画は成されませんでした。私の第二の人生における死因は、船から転落しての溺死という事故です。そこに、戒理さんの入り込む余地はありません。
誰もあずかり知らない内に失敗したのでしょうか? それとも、夫が必死に防いでくれていた? あるいは、私の溺死は事故に見せかけた殺人だったのでしょうか?」
「うーん、残念ながらどれも違う。単純に、計画を取り止めただけさ。不安要素があったからね」
ふるふると首を振る戒理さんとは、どうにも話が噛み合いません。
「いえ、そもそも殺人なんていうリスクの高すぎる犯罪に手を染めようとする時点で、不安要素しかないのですが」
「そう言わないでよ。そのね、フラッシュバックしたのさ、君を根鳥に奪われた時の光景が。だからこう思った。『また同じ事が起こるんじゃないか?』って。
君は誰からも愛されていたからね。実は第二第三の根鳥がいて、僕がボタンを押しても君の蘇りは行われず、僕はあえなく犬死に。そんな結末だけは嫌だった」
心配性……というより、脅迫観念でしょうか?
私自身、戒理さんにはかなり酷い事をしてしまったという自覚がありますが。
「しかし、流石に考えすぎだと思います。
私が他者の感情に敏感なのは知ってるでしょう? 夫と息子以外では、あなた以上の好意をもらった事はありませんでしたよ?」
「そうなんだろうけどね。でも、『もしも』を考え出したら止まらなかったよ。幸いと言うべきか、さっきの『二人殺してその後死者蘇生ボタン』っていう計画自体は、それこそいつでもできたからね。君達の事は常に監視してたし、それ専用の諜報網まで用意してあったんだよ?」
身震いしました。自分や夫が、常時見張られていたという恐怖に。いつでも殺される可能性があったという戦慄に。
「いや、それよりも『専用の諜報網』とは……複数人が関わっていたのですか?」
「まぁね、流石に一人でできる事には限界があったし。君も、僕の性質や能力は知ってるだろ? 他者を煽って、不安にさせたり怒らせたりする性質。才能のある他人を見抜き、その力を使ってもらうコバンザメのような能力。
こうした諸々を使った上で、死者蘇生ボタンで混乱した世間に影響を与えようとするとなれば、ね?」
……まさか。
「お察しの通り。さっきも言ったけど、『再臨教』の教祖は僕なんだ。このご時世で他者の不安を煽り、そこに付け込んで信者にする。その上で、何かと能力のある者は重用した。
有能なイエスマンって最強だよね。気が付けば、いつの間にか政界のフィクサーにまで登り詰めちゃった」
生前の君自身が持ってたコネクションまで活用しちゃったよ。と、戒理さんは照れ臭そうにはにかみました。
確かに、地球の裏側まで届くほど、私の顔は相当広いという自覚がありましたが……。
「私を、私達を監視するためだけにそこまで……?」
「いやいや、陽蘭紗達の監視網は、あくまで組織力を使った余録みたいな物さ。僕の当初の大目標は別にあったし、実際に『それ』は成された。おかげで、こうして君と二人水入らずで語れるわけだ」
『それ』は成された。前後の状況を考えるに、その大目標とは……。
「そう、世界の滅亡こそが大目標。僕以外に誰もいない世界なら、僕以外に陽蘭紗を蘇らせられる奴はいない。それに、他所から横槍を入れられずに二人きりの生活を満喫できるしね。
平和ボケしてたこの国が、いざ積極的に技術や金をケンカに使ったら、あれよあれよという間に世界中の治安が悪化したよ」
戒理さんは笑いながら続けます。己の『戦果』を誇るように。
「途中で『最適な対策』が打たれるかと戦々恐々だったけど……元々、プロジェクトの中心人物の近くにいたのが幸いだった。少しズレた情報を渡したり、適当に煽り倒して自滅させられたよ。
まぁ、後に聞いた話だと、そんな必要すら無かったみたいだけど」
わざとらしく汗を拭う仕草をしながら、彼はおどけて喋ります。
本当に私以外は見えておらず、それ以外は茶番に過ぎないという想いがヒシヒシと伝わって来ます。
「戒理さん、あなたは……一体どれほどの他者を犠牲にしたのですか?」
「それこそ、僕たち以外の人類全てさ。ワザと悪法を通したりして、国内の治安を悪化させるよう指示したのは、紛れもなく僕だしね。
国同士の関係でも、同盟国は煽って敵対国は挑発して。互いに譲れない一線を踏み越えそうになった瞬間、僅かばかりの信者を連れて、僕達はこのシェルターに避難した」
タイミングは結構難しかったけどね。と、自身の慧眼を誇るように胸を張る戒理さん。
何でしょう……? 何でしょう! この人は!?
「信じられません! 確かに、今歩いているこの廊下も随分と未来的な作りですが……全てがあなたのヨタ話という可能性が!」
「ああ、だからさっき言った通り、『証拠』をお見せしようじゃないか。ほら、ちょうど大部屋に着いたみたいだよ」
そうして、戒理さんは何か嫌な臭いが立ち込める部屋に入って行きました。続いて、私も部屋に入ります。生物としての本能が警鐘を鳴らしていますが、ここまで来たら入らざるを得ません。
◇ ◇ ◇
そして、入った先にあったのは、数十人規模の死体でした。
安らかな顔をして眠るように死んでいる者もいます。血を流して苦悶の表情を浮かべたまま絶命した者もいます。穴だらけになって、ヒトとしての原型を留めていない者もいます。
まるで死体の見本市のような状態だと感じました。
検死の知識が一切無い私でも、強制的に理解させられてしまいました。詳しく調べるまでもありません。ここには『死』の臭いが満ち満ちていました。
「陽蘭紗を蘇らせる事は確定してたけど、僕は既にヨボヨボだったからね。折角なら、若く活力に溢れた……『全盛期』の姿の方がいいでしょ? だから、僕の信者ばかりを集めたこの場所で、僕は一旦自害した。そして、その直後に信者全員に死者蘇生ボタンを押させた」
ゲーゲーと部屋の隅でえづく私の反応を予想していたのか、戒理さんの声のトーンは全く変わりません。
しかし、その内容は悪辣そのもので。
「それは……その条件だと生き延びるのは……」
「そう、僕を最も強く崇拝している一人だけ。まぁ、それが誰かは結局分からなかったんだけど。
シェルターに入れる信者は厳選したつもりだったけど、中には面従腹背の奴もいたみたいでね。僕以外の奴を生き返らせた裏切り者もいれば、怖がってボタンを押せない臆病者もいた。少しだけど、生き残りは複数人いたんだ」
責められません。私がその状況に置かれたらと思うと……。
「まぁ、直後に全員ブチ殺したけどね。銃を手に入れるのが容易になっちゃったから、事前に武装解除は必須だったし、その上でこのシェルターのセキュリティ権限は僕が握ってる。
後は、僕以外をターゲットにして排除機能を発動させるだけ。一応、拳銃も懐に忍ばせておいたけど……結局は使わなかったね」
そう言って、戒理さんはいつの間にか持っていた拳銃を手の平で弄びます。
「大丈夫ですか? 前後の状況を考えるに、多分弾は入っているんでしょう?」
「大丈夫大丈夫。そう、大丈夫なんだ。拳銃の事だけに限らずね。これだけの光景を見て、僕の成した事を知っても……それでもなお、陽蘭紗は僕から離れる気はないでしょう?」
戒理さんのその言葉は……私の根源を突く、確信に満ちた問いでした。
「今や、この世に人間は僕と君の二人だけ。君に愛情をあげられるのは僕しかいない。だったら、『最愛』に全てを賭す君は言うはずだ、『私があなたに求めるのは、私を誰よりも愛してくれる事ですから』ってね?」
沈黙します。この時、私が戒理さんに向ける視線はどのような物だったか……多分、色の無いガラス玉のような瞳をしていたと思います。
「僕は、僕から根鳥にアッサリ乗り換えた君を見ていた。それに、誰よりも君を愛しているからこそ分かる事もある。君は『最愛』からは逃れられないって」
そう、ですね。戒理さんの言う通り、確かに私は『最愛』から逃げられません。あなたは本当に、私の事を良く見ている。
そして、戒理さんは私に近づきます。ゆっくりと、でも確実に。パーソナルスペースを詰めるように。
「そして、君は本来なら自分の『最愛』であるはずの、根鳥や息子を蘇らせる事はできない」
8.死者蘇生ボタンが配られる以前に死んでいた者には、上記一切の権利がない。
死者蘇生ボタンが配られる以前に死んでいた私は、誰も生き返らせる事ができない。
それを自覚した瞬間、これまでは事態に翻弄されるだけだった私の心に、何かのスイッチが入るのを感じました。
逃げられないという事実を十分に理解した私を見て、戒理さんはまだ距離を詰めます。もう、キスができるほどの至近にその顔はあり……。
「君は僕を愛する以外に選択肢がない。新しい世界で、アダムとイブになるしかない」
戒理さんがそんな風に勝利宣言をした瞬間、私は直ちに彼の手から拳銃を奪取。次いで、大して狙いもつけずに3発発射。それでも、距離が近いだけに全弾命中したようで……戒理さんは、その場で機械的な床に倒れ伏しました。
「ひ……ら、さ……?」
戒理さんは、理解できないという表情で私を見上げます。まだ喋れる余裕があるとは……素人の射撃だけあって、急所を外してしまったのでしょうか?
とりあえず、組み合いにならないように足を狙って、もう2発ほど撃っておきます。無事に両方とも命中。これで、近づかれる心配はないでしょう。
「何で……どうして……?」
戒理さんは、呆然とした顔を続けています。
「あなたは、本当に私に撃たれる理由が思い至らないのですか?」
「根鳥と君の息子の事か? この国の治安が悪化したのは、間違いなく僕のせいだから……」
「いえ、それには憎しみも抱きましたが、根本的な問題ではありません。原因はやはり『最愛』ですよ。あなたは本当に、私の事を良く見ている」
ゴホゴホと血を吐きながら、それでも戒理さんは私との対話を止めようとしません。
ええ、本当にこの人は私を愛しているのでしょう。
「だからこそ、分からない。この世で君を愛しているのは、もう僕しかいない。だから――」
「だからこそ、ですよ。あなたは私の事を良く見ていますが、本当の本当に根本的な事は見逃していました。戒理さん、あなたは覚えていますか? 私が戒理さんに言った、あなたの心を鷲掴みにしたであろう言葉を」
『私に想いを寄せた数ある人達の中から、最も強い気持ちを選びました』という、その台詞。
「それが……一体……?」
「【私に想いを寄せた数ある人達の中から】という、その一番大事な部分をあなたは履き違えました」
瞬間、十分色濃かった戒理さんの死相が、より確定的になりました。
「ま、まさか……」
「戒理さん、私は根本的に途方もないナルシストなんですよ。自分自身が好きで好きでたまらない」
ええ、私は本当に……本当にナルシストなんです。
「だからこそ、私に好意を抱いてくれたり、私を褒めてくれる人は大切にします。そして、容姿でも話術でも何でも使って、人脈を広げる。
その上で、誰もが私に好意を抱いてくれている中から、『私を最も愛してくれている人』を見つけるのです。
みんながみんな、私を取り合う。その上で『最愛』を手に入れる。自己愛の塊である私は、そうして自尊心を満足させていたのです。『これだけの激戦を勝ち抜いてきた者に、私は愛されている』と」
「じゃ、じゃあ今は……」
私は宣告します、憎しみの感情を込めて元夫に対して。
「私にとって、およそ最悪の状況と言って差し支えないでしょう。もう、私を愛してくれる人はあなたしかいない。そこに選択肢はなく、もう私を取り合う競争から得られる快感も望めない。
私は、もうどうしようもないのですよ」
「で、でも、僕を殺したら、今度こそ……」
「大丈夫です。ほんのついさっき、スイッチが入ったような感覚に襲われました。事ここに至って、ようやく私は『何よりの最愛』にたどり着けたのですよ」
そこに戒理さんは必要ありません。まぁ、仮にも元夫ですし、『何よりの最愛』に気づかせてくれたお礼もあります。ですから……
「これ以上苦しまずに殺してあげますし、その後はちゃんとお墓を立ててあげますよ」
「陽蘭紗! 僕は――」
そうして、私は銃弾を戒理さんの頭に打ち込みました。後に残されたのは、(恐らくは)人類でたった一人生き延びている、二度も蘇って人間と呼んで良いのかも分からない女。それと、死体が集められたシェルターに、大量破壊兵器で疲弊した大地。
ここに、死者蘇生ボタンに端を発した、人類全てを巻き込んだ茶番は終わりを告げました。
◇ ◇ ◇
シェルターの外、荒涼とした大地を前にして私はボンヤリするしかありません。
幸い、戒理さんの懐にあった手帳からは、シェルターの管理者権限を譲渡する方法も記述されていました。まずは、素人工作ながら戒理さんのお墓を作らなければなりませんでした。
「適当に板金をひっぺがして、棺桶モドキを作って、そこに死体を放り込むのが限界でしたけどね」
その作業が終わった後は、プログラムに従い暗号を入力し、最後は人力で重たい扉を開ける事で、私は『現代の外』を目視しました。
戒理さんの言葉に偽りはなく、そこはペンペン草すら生えていない、不毛の大地以外の何物でもありません。
そして、『ABC兵器が使われた』のであれば、この荒野には放射能や毒ガスや細菌が蔓延しているのでしょう。きっともう、私も永くはありません。
「自殺行為ですけど……私は、責任を取らなければいけませんからね」
カルトを立ち上げ、この国を崩壊させ、最後には世界すら壊してみせた。夜路戒理さんは、間違いなく大罪人ですが……しかし、その行動を開始させてしまったのは私です。
ナルシストで、他者からの愛を受けるためだけに心血を注ぎ、そして戒理さんを追い込んでしまった私。責任がないはずがありません。
「こんな私は、本来ならここまで甘っちょろい沙汰は許されないのでしょうが。首から下を地面に埋めて顔に袋を被せ、石を投げ続けられるような刑罰ですら生温いでしょう」
しかし、ここには私を裁いてくれる他者はもういません。そして二度死んだ私は、閻魔様も存在しないという事実は既に分かっています。
だからこその贖罪、だからこその自殺、だからこその責任取り……という名目と同時に、達成感にも浸ります。
私は、私の価値観と勝手な振る舞いによって、世界滅亡の引き金となってしまった……なる事ができました。
「有史以来、『傾国の美女』と呼ばれる女性達は幾人か存在しました。しかし、『壊世の女』とは私だけでしょう。ふふっ……」
『私だけ』という、唯一無二のアイデンティティ。それは、どうしようもない程にナルシストである私を満足させるに十分でした。
自分が大好きな私は、責任を取る今の状況すら楽しんでいます。
「『これ』は私の責任です、私の物です、私こそが責め苦を独占するのです。誰ぞに譲ってやるつもりなど、あるはずもなく」
本当に救えない女です。毒婦もここに極まれり。
そういう方向に誘導した私が言うのも何ですが、ぶっちゃけた話、私に惚れた多くの男性は見る目がなかったと断ずるしかありません。
◇ ◇ ◇
そんな感じで、私は考えます。こうなってしまっては、もう思索にふける以外の事はできませんから。だから思います。人類をこんな状況に追い込んだ死者蘇生ボタンの存在と、その意義を。
思い出すのは、書面で読んだ死者蘇生ボタンのルール。
1.このボタンは、満15歳以上ならどんな人間でも一生につき一回だけ押せる。
2.ボタンを押す事自体は、明確な意識を持っている時に強く念じれば、いつでもどこでもすぐに可能。
3.押した瞬間、その人物が最も生き返らせたい対象の人間を、全盛期の姿ですぐそこに蘇らせる。
4.ただし、ボタンを押す者がその瞬間【死んだ対象を誰よりも愛している】事が蘇りの条件。
5.「4」の条件を満たさないままにボタンを押すと、押した者が死ぬ。当然蘇りも行われない。
6.対象が実は死んでいなかった場合も、ボタンを押した者は死ぬ。
7.ボタンの譲渡・放棄・売買・破壊・他人の使用は一切不可能。
8.死者蘇生ボタンが配られる以前に死んでいた者には、上記一切の権利がない。
細かい点としては、肉親への想い・友人同士の情・尊敬の念・崇拝の気持ち等々も、「愛」にカウントされるという事実でしょうか。ただし、「性欲」だけは例外であり……。
と、そこまで考えて、何とはなしに私なりの結論に達します。
「死者蘇生ボタンとは、神から人類に対するテストだったのでは……?」
通常、人間はその数を増やすには男女の営みに頼るしかありません。古来より連綿と受け継がれてきた、絶対の真実と言って良いでしょう。だからこそ、性欲は人の三大欲求の一つに数えられますし、それを解消する売春婦は世界最古の職業と言われます。
そうした事実を踏まえれば、処女受胎という奇跡を成した聖母が、神のご加護があると崇拝されてきたのも当然です。
ただし、最近はそうでもありません。
クローン技術の成功等で、性交渉以外でも人間が生まれる可能性は膨れ上がってきました。昔からずっと変わらなかった人の営み。そこから足を半歩踏み出す、グレーゾーンな現代の技術。
「だから、神……でも何でも良いのですが、超自然的存在がテストを行ったのではないでしょうか?」
そんなに性交抜きで人間を増やしたいなら、是非とも協力してやろう。
だからこそ、性欲のみは死者蘇生ボタンの条件にカウントしてやらない。性交渉以外で人を増やすのであれば、死人を蘇らせて人を増やすのも一緒ではないか。ただし、無条件ではない。摂理に反する事をしようとするのなら、それなりのリスクを負うべきで……。
暴論です、突飛な発想です。いえ、狂った鬼女の戯言と言われても仕方がありません。でも、可能性の話をするならば、こうとも言えます。
「誰一人として死者蘇生ボタンを使わなければ、今の状況は生まれなかったんですよ」
実際、死者蘇生ボタンが現れるまでは世界は循環していました。そこに欺瞞や惰性や暴力はあれど、それでも滅亡はなかったのです。
生きとし生ける者の大半が、心の底では理解していたから。『死者は生き返らない』と。その絶対的にして不可逆なルールを共有していたからこそ、世の中は回っていたのです。
ただ、どこかの誰かが渡した死者蘇生ボタンにより、多くの人が誘惑に負けてしまいました。ボタンが無い頃の『あのまま』なら、他者を失うという個人個人の不幸はありつつも、それを乗り越えて人生の糧にする事もできたかも知れないのに。
「ですから、この妄想が正しければ、人類はテストで落第してしまったのでしょう」
でも、それは同時に私にとっては幸いでした。なぜなら、『何よりの最愛』を手に入れられたのですから。
私はナルシストです。他者から褒められるたり認められる事に無常の喜びを感じ、そのために数多くの愛を競わせる悪女です。
そんな奸婦だからこそ、最後の最後にようやく気づく事ができました。
「結局、私を一番愛しているのは、私だったのですね」
滑稽です。私に振り回された人達からすれば、噴飯物でしょう。最初から鏡を眺めて悦に浸っていろ、という話です。返す言葉もありません。
ただ、それでも一つだけ言わせて下さい。
皆が自分の事こそが一番に好きであり、死者蘇生ボタンなんていう得体の知れない装置に、大事な自分の命を賭したりしなければ、今の状況は生まれなかったのだと。
……と、そこまで考えた所で急激に身体が痛みを訴え出しました。
どうやら、私の命もここまでのようです。流石に、三度目の蘇りはないでしょう。でも、そこに後悔はありません。ああそうです、死ぬというのは……死んだままという事こそが、人間として自然な事なんですから。
私の目の前には何もありません。
人も、物も、死者蘇生ボタンも。
それでも不幸ではありません。この胸にたった一つ、最愛という感情を抱いて逝けるのですから。
ここまでお読みいただき、本当にありがとうございました。